第47話

 トイレ行ってくる。

 そう言って詩音くんが席を立ってから数分。机へ頬杖をついて隣にあるクリスマスツリーを眺めていると、ふと視界の隅に背の高い男が映った。

 その黒髪が綺麗だったから。つい視線を移してしまう。

 そこには、某ゲームのモンスターであるドラゴンがでかでかとあしらわれた財布を開けカードを取り出す、トイレへ行っていたはずの詩音くんがいた。

 慌てて荷物をまとめ席をたち、彼の元へ駆け寄って肩をぐいと掴みあげる。しかし、彼は笑顔で振り向き僕へピースを向けた。


「もう会計終わっちゃった~」


 終わっちゃっただなんて、わざと僕を置いていったくせに。


「後で返させてもらうで」

「じゃあ、今度奢って?」


 僕は食い下がったが、彼は頑なに首を縦には振らなかった。これが、詩音くんなりの男としてのプライドなのかもしれない。ならば、と僕が首肯を見せると彼は満足そうににっこりと微笑むのだった。





 そうして、暖かい空気に別れを告げ、2人で並んで店を出る。

 店の外はいつの間にか真っ黒に染まっていて、目の前にはぽつんとタクシーが止まっていた。


「さっむ!」


 詩音くんが大きく声を上げ、既に赤く染った手のひらを暖かい自分の首へと当てる。僕は慌てて前髪を守るべく、頭上に手をかざした。


「楓、おいで」


 そんな僕の手を引き、詩音くんは目の前に止まっていたタクシーへと乗り込んだ。


「お願いしま~す」


 元気に詩音くんが、口を開く。


「かしこまりました~」


 気の良さそうな小柄で白髪の丸眼鏡をかけた運転手さんは、くいとメガネを上げながら行き先を問うことも無く車を発進させた。


「詩音くん詩音くん、どこ行くん」

「ん~、まだ内緒」


 車窓を眺めながら、彼は僕へ目もくれずに小さく呟くように答えた。さっきまでは比較的機嫌も良かったくせに。

 

「なしたん、元気ないやん」

「そんなことないよ」


 そんなことないと言うくせに、視線はずっと窓の外。窓に反射した彼の表情は、面白いくらいに強ばっていた。

 よく分からないけれど、でも。もしかしたら、と思う。旅行というイベントのタイミングで、1日も終わる、一段落着く時間だ。そして何より。


「クリスマス、終わるね」

「そうだね」


 彼はやっぱり、少し寂しそうだった。


 クリスマス。それは、一茶とひなたのお付き合い記念日で。詩音くんにとってもまた、大切な日だった。

 そんな日に詩音くんが、神妙な顔をしている。そんなのもう、思い当たることはひとつしかない。


 振られるかもしれない。


 と、そう思った。

 別に、だからどうってことは無い。だって、もともと僕は振るために最後の思い出作りとして、旅行に誘ったのだ。だから、悔いはない。悲しみも、絶望も。なにもない。はず、だった。なのに、胸がきゅうっと苦しかった。


「お兄さん、関西の人?」


 ふいに、運転手さんがくいとメガネを上げて口を開く。バックミラー越しに見えるその目は優しく細められ、目尻に深いシワを作っていた。

 そうか、と思う。きっと、優しい人なんだろう。この重い空気を察して、話しかけてくれたに違いない。

 ふう、と一息。僕は詩音くんに間を置いて座り直し、彼には見えないだろうがこくんと頷いた。


「そうなんです。出身は関西で。でも、小さい頃に関東に引越してるんで、育ちは関東なんですよ~」

「へぇ。でも、関西らしい綺麗な方言ですねぇ」


 綺麗だなんて、とそう否定しようと口を開く。しかし、その前に隣で勢いよく詩音くんが身を乗り出した。


「わかります。方言っていいですよね。高めの声に合ってて綺麗だし、関東とイントネーション違うのに気づいて頑張って直そうとしてるのとか健気だし」


 早口で語る詩音くんは、まるでひなたと好きなゲームについて語り合っているときのようで。無邪気で、可愛かった。

 そんな詩音くんを見て、運転手さんもまた同じ感想を抱いたようでふふと笑って口元へ手を当てた。


「好きなんですね、隣のお兄さんのこと」


 どっと、心臓が音を立てた。慌てて詩音くんから視線を逸らし、いつの間にか現れていた窓の外の海へ目を向ける。

 詩音くんは、「え、あ……」と暫く不明瞭な声を漏らした後、僕の方を見たのが視界の端に写った。


「楓が関東引っ越してきてくれてから、幼馴染で。昔からずっと俺についてきてくれるのが可愛くて、本物の弟みたいに思ってて。ほんとに、大切で……大切に、したかったんです……」


 最後の方になると、彼の声は弱々しく萎んでしまった。なるほど、僕の考えは間違っていなかったらしい。

 弟みたいだなんて。大切に''したかった''だなんて。そんなのもう。


「詩音くん」


 彼の名を呼ぶ声が、震えた。なんて言っていいかは分からないのに、呼ばずには居られなかった。でも。彼の耳には、届く大きさであったはずだった。なのに、その言葉は運転手さんに遮られた。


「大丈夫です。想いってのはね、案外簡単に届くものです」


 的外れなアドバイス。それに詩音くんは、訝しげな眼差しを向けた。


「届かないですよ」

「若い子はよくそう言いますよね」


 運転手さんが、ふっと息をこぼす。詩音が、眉を顰めた。しかし、それは次の言葉でパッと緩められるのだった。


「照れてちゃだめです。想いは言葉にしなくちゃ、伝わらないですよ」

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