第46話

「楓、寒くない?」


 もうすっかり街頭が灯った暗い空の下。僕の手を引く詩音くんは、くるりと振り向いて言った。

 相変わらず舞う雪が、詩音くんの長いまつ毛にかかる。


「うん、大丈夫やで」


 こんな真っ白な街で、寒くないわけがなかった。でも。それを言って、心配させるほどではない。

 僕は真っ暗で真っ白な夜空を見上げた。


 まだ、それほど遅い時間ではないはずだった。それなのにこんなにも辺りが真っ暗になると、まるで一日が終わってしまう気がして。少しだけ、寂しかった。こんなかけがえの無い時間は、きっともう永遠に来ない。


「元気ない?」


 ふと、詩音くんの足が止まった。いつもは全く僕の想いになんて気がついてくれないくせに、今日に限って彼は僕の頬へ手を伸ばした。

 僕と手を繋いでいた左手は冷たいのに、右手はとても暖かかった。僕のせいで詩音くんの手がこんなにも冷えている、と。そう思った。

 彼の手に、彼の手よりも更に冷えた僕の手を重ねる。


 「んーん。元気やで。すごく幸せ」

 「そう?」


 僕の嘘の言葉を真っ向から信じる詩音くんは本当に素直で優しくて。

 最高の友人だ。






 この時が過ぎないで欲しいと願う一方で、あまりの寒さに耐えかねて早く店に着いて欲しいと思う中。冷たい空気と共に、食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐる。

 ぐう、と隣で腹の虫が鳴いた。少し見上げた先には、はにかんだ詩音くんが赤らんだ頬を掻いていた。


 「ごめん、お腹すいちゃった」


 そして彼は、その香りの元。羊の看板が掲げられた小さなお店を見上げて八重歯を見せた。

 どうやら、目的地はここであったようだ。


 「奢るよ」


 そんなのいいのに。でも、そう言う前に彼は僕の手を引き店へと足を踏み入れた。



 「らっしゃっせ~!」


 リンリンとベルの音が混じるBGMが鳴り響く中、店の奥からおおよそ日本人にしか聞き取れないであろう歓迎の言葉がこだまする。

 現れた彼は、僕たちと同い年くらいだろうか。短い金髪の詩音くんと同じくらいかそれ以上の身長をした、いかにもなチャラい男だった。


 「っさーせんっ、今お席が満席でしてぇ……約30分ほどの待ち時間になっちゃうんすけどっ」


 男が、眉を下げながら3本の指を立ててバンダナを巻いた頭を搔く。


 「あ、予約してた如月なんですけど……」


 しかし、詩音くんのたどたどしい言葉を聞くとぱあと効果音が聞こえそうなほど無邪気に笑みを浮かべてパチンと手を合わせた。


 「ああ、如月さん! お待ちしてました! ご案内しまあす!」


 店へ大きく声が響く。それに合わせて、奥からは「お願いしまぁす!」と元気な掛け声が返ってきた。

 いいなあ、と思う。この砕けた雰囲気。変に背伸びをしなくて済んで、なんだか気が楽だ。


 「暖かい」

 と、つい口から声が零れる。


 「ね。外寒すぎ」


 詩音くんはそう笑ってから、てっぺんに星が掲げられた大きなツリーの隣にあるソファ席を通り過ぎて椅子へと腰をかけた。その後に続いて、彼の好意に甘えて有難くソファ席へ腰掛ける。

 チャラい店員さんは「ごゆっくりどうぞ~」と笑顔で告げた後、脇にあったカーテンをシャっとしめ、簡易的な個室を作り上げ去っていった。

 僕は席へつくや否やポケットにあったスマホを取りだして画面に反射させ、少し薄暗いライトの下で前髪の具合を確認する。

 光量の影響で見えにくくはあるけれど前髪は思ったよりも酷い有様で、朝家を出る時に固めたのが嘘のようだ。


 「楓、また前髪いじってる」

 と詩音くんが笑う。


 「顔がええ人はええなぁ。前髪乱れてもイケメンやから」

 僕が嫌味を含めて視線を向けると、彼は嬉しそうに目を細めた。


 「っはは、楓も美人だよ」


 本当に鈍感なやつだ、と思う。別に褒めてないのに。でも彼の勘違いのお陰でお世辞でもそんな褒め言葉を聞けたのだから、彼の無意識下の顔面マウントも許してやることにしよう。


 「そりゃあどうも」

 「嬉しそうだね」


 上機嫌にスマホを置いた僕を見て、彼はケラケラと笑いながら僕の頬へ手を伸ばした。それは何気ない仕草で。でもそれはまるで、僕を求めるようだった。

 と、その時。


「お待たせしました~っ」


 不思議な形をした鍋を持った店員が現れ、二人の間を切り裂く。詩音くんは名残惜しむことも無くすぐに手を引っ込め、食べ放題のコースを指さして会話を繰り広げた。

 あと少しで久しぶりのキス、出来たかもしれないのに。

 そんなくだらないことを考えている中、突如名を呼ばれ顔を上げる。


「楓、お酒はなしでいい?」

 お酒大好きなはずの詩音くんが、珍しくそう尋ねて小首を傾げる。


「え、なしたん。禁酒?」


 僕が目を丸めると詩音くんはケラケラと笑って僕の方へ指を指した。


「うん、禁酒。楓がね。今日のこと忘れられたら、嫌だもん」

「え、忘れへんて」

 

 慌てて彼のいい草に反論するが、彼は飲み放題を断った上で注文を開始するのだった。


 


 個室から見える窓の外では、相変わらずな雪が降っている。そういえば、と思った。


「ホワイトクリスマス、やね」


 僕はぼそっと、本当に何気なくそう零した。


「クリスマスプレゼント、楽しみにしててね」


 詩音くんはそう笑って小首を傾げ、ふふと優しく目を細めるのだった。

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