第30話

 なぜか、頑なにリビングの扉へ手をかけない皆の代わりにドアノブを握る。送られるにこやかな視線が逆に気まずい。切ったばかりの少し短くなった前髪へ触れて視界を遮りながら握ったそれを捻ると、そこにはいつもと少し違う僕らの部屋があった。


 昼間なのにも関わらず閉じられたカーテンには、紙でできたお花が綺麗なものから不格好なものまで、様々な色彩を放ちながら咲いている。そのお花畑の中でも異彩を放っているのが茶色の色鉛筆で塗られた謎のヒトデのような生物だ。

 ──いいや、あれはきっと楓の葉なのだろう。どうみてもそうは見えないけれど、うちの一茶画伯ならばそう言うと思う。ご丁寧に画用紙から模られたそれは、到底20過ぎの人間が描いたそれとは思えない。が、まぁ。味だと思う。

 そして。そんな個性的な飾りの中でも一番目を引かれるのはやっぱり。


『楓、お誕生日おめでとう』


 A4の画用紙に一文字ずつしたためられたそれはやっぱり彼ららしく、決して綺麗な文字ではなくて。でも。最高に、愛を感じる。そんな気がした。


「ふはっ、これ朝から作ってくれとったん? ありがとう」


 僕がお礼を言うと、彼らは満足そうに拳を合わせた。きっと、今日だけでなく前々から準備をしてくれていたのだろう。そんな、パーティが始まる前にも関わらずやり切った顔をする彼らを見てなんとなく愛おしさを感じるのだった。


 僕がそのおめかしした部屋をカメラへ納め終えるのを見計らって、詩音くんが僕の手を握る。僕が見上げると、彼は僕の方も見ずにリビングの方へ強く手を引いた。


「楓、座って」


 その横顔はいつにも増して輝いて見える。今日ばかりはその笑顔もひなたやゲームに向けられたものではなく僕のものだと思うと嬉しくて、僕はそんな彼の手を強く握り返して後をつけた。


「今日は甘えたなの?」と、詩音くんが振り返る。

「別に、いつもやで」


 僕が返すと彼は大げさなくらい大きな声を上げてハハハと笑った。


 少し経つと、一茶とひなたはなにやら袋を持って再びリビングへ現れる。一茶の腕に抱かれたその袋には大きなリボンの装飾があり、それが僕へのプレゼントであることは容易に想像がついた。

 嬉しいやらこっぱずかしいやら。僕は目を逸らしていつもよりもサラサラになった顔の横の髪の毛を触る。


「詩音くん、もう楓連れてきちゃったの? 楓、手洗いは終わった?」


 それは一茶が、耳に胼胝ができるほど詩音くんとひなたに言い聞かせていたものだ。まさか僕も言われる日が来るとは思っていなかったので、思わず頬が赤く染まる。


「手洗い終わったらいいものあげる」


 一茶はわざわざ僕の方へ寄ってきて子供に言い聞かすような優しい声色でそう言うと、僕の頭をわしゃわしゃと撫でた。彼は僕のショックを和らげようとしてくれたのだろうけれど、なんだか余計に羞恥心を掻き立てられる。僕はそんな羞恥プレイから逃げ出すかの如く、はじかれた様にその場から駆け出して洗面台へと向かうのだった。

 ひなたが、叱られた僕を見てニヤニヤと口角を上げたのが横目に見えた。いつか覚えていろよ。と、そう心の中で叫んだのは言うまでもない。






 そうしてきっちり丁寧に手を洗ってリビングへ戻ると、そこでは準備はできたとばかりに三人が席についてまたまた新登場である大きな白い箱を囲んでいた。


「楓、早く」


 ひなたが足をぶらぶらと揺らしながら手招いて僕を急かす。慌てて残りの席、詩音くんの隣へ腰を降ろすと一茶がさっそくテーブルの上の大きな箱へ手を伸ばした。風に乗って、ふわりと甘い香りが漂う。それもそのはず、彼がその箱についた側面の蓋をあけると中からは大きなまあるいケーキが現れた。

 真っ白なクリームの上で、真っ赤なイチゴがぐるりとチョコプレートを囲む。『楓くん お誕生日おめでとう』とチョコペンで書き記されたその下にはハッピーバースデイの文字と可愛らしいクマさんのプリントが施されていた。

 直前まで冷やされていたであろうそのプレートの表面には若干水滴が浮かんでいて、キラキラと輝いて見える。

 ──いいや、違う。この独特に見える光彩は、瞳に溜まった涙によるものだ。


「へ、楓泣いてる!?」


 デリカシーのないひなたが、途端に声を上げた。


「くしゃみでそうやってん。泣いてへんわ」


 僕が目を擦って誤魔化すと、ひなたはなにやらしたり顔でふふっと髪を揺らした。

 ふと、視線を感じる。周りへ視線を配ると、そこでは詩音くんと一茶が何かを求めるように僕へ熱心な視線を送っていた。確かに、大切なことを忘れていた。僕はわざとらしく咳ばらいをしてふっと口角を上げた。


「ありがとう、ほんまに。なんつーか、その……」


 僕が焦らすと、三人がいつになく真剣な面持ちになる。僕はそれが面白くて、敢えて彼らに合わせて神妙な顔をして言った。


「一生大切にします」


 一拍の間が空いた。


「食えよ!」


 そして揃った勢いのいい三人の声。僕はそれが面白くて、クスクスと肩を揺らすのだった。


 そうしてひとしきり笑った後、一茶が頃合いを見計らって次の話題を切り出した。


「じゃあ次は、これ」


 そう言って彼がテーブルの下から取り出したのは、僕が手を洗いに行く前に彼が抱えていた例のリボンのついた煌びやかな袋だ。明らかに僕へ宛てられたその袋の豪華さに、思わず崩していた姿勢を正す。しかし。そんなやり取りをしているさなか、斜迎えから突然小さな包みが視界に滑り込んで来た。


「待って、先俺の」


 そう、少し強引に僕の手へ押し付けられたのは何やら柔らかい感触のそれ。リボンのついた正面から裏返すと、テープで止められた紙の端の横に『おめでとう』と小さな文字がある。開けてしまったその文字が破れてしまいそうで、なんとなく躊躇ってしまう。しかし、ひなたはそんな僕を見て口を尖らせた。


「早く開けてよ」


 そう、まるで不機嫌そうに見える彼の顔はほんのり桜色に染まっている。可愛いやつだ。僕はつい口角を上げて彼の真ん丸な瞳を見据えた。


「ありがとう」


 次の瞬間、すぐに彼の視線がわきへと逸れる。わかりやすいやつだと思う。

 照れんなって、と一茶がひなたを茶化す声を聞きながら、僕は隣の詩音くんとそのドキドキを共有するように肩を寄せ合いながら、慎重に包みをとめるテープを剥がした。


 そこには、ターバンチェック柄のハンカチが入っていた。ひなたらしからぬセンスのいいそれは、黒と青で二枚。端にはワンポイント程度に、誰もが聞いたことがあるであろうブランドのロゴが記されている。

 思わず詩音くんとともに「おお」と声を上げる。それを聞いたひなたは、チラチラと僕を横目に見ながらぼそぼそと声を上げた。


「楓、手洗うの好きだから……」

「っふは、そういうわけちゃうけどな」

 

 思わずこみあげた笑いを零しながら彼の勘違いにツッコミを入れる。綺麗好きな人間はいても、手を洗うのが好きという人間はなかなかいないだろう。とはいえなにより、それに気づいてプレゼントを考えてくれたという事実がとても嬉しかった。


「ありがとう、ひなた。大切に使うわ」


 ハンカチを鼻元へもってきて、いかにも新品らしい香りを堪能しながら彼へ言う。彼は、髪をバサバサと揺らして何度もこくこくと大きく頷いた。

 

 そうしていると、今度は向かえの席から大きめの袋を差し出される。差し出した彼はまるで自分がプレゼントをもらった時のようにニッと白い歯を見せた。


「ありがとう、一茶」


 ひなたにもらったハンカチを一度膝へ置き、袋の口を結んだリボンの端を指先で引く。しゅるりとリボンがほどけた時。中にはひなたにもらったものと同じ柄の何やら柔らかそうな布が見えた。なんだろう、とそれを丁寧に取り出してみる。それは、とても触り心地のよいマフラーだった。


「もうそろそろ寒くなってくるなぁ、と思って」と彼は言う。


 確かに、丁度紅葉の季節。もう少ししたら、ここから遠くの地域では雪が降るだろう。

 雪が降ったとしても暖かそうなその厚手の良い生地とデザインが気に入り、ついその場で簡単に首へ巻いてみる。しっとりしたその触り心地はチクチクとくすぐったくもなく、大変気持ちがいい。

 詩音くんが隣から不器用ながらに一生懸命にマフラーを結んでくれている中、僕は袋の中に残っていたブランドのロゴの書いてあるカードを眺めてから顔を上げた。


「なんかすごない!? めっちゃええんやけどこれ」

「だろ。俺破産したもん」


 一茶は大きく口を開けてケラケラと声を上げた。彼が破産、だなんて表現するのも無理はない。僕は詩音くんが少し不格好に結びあげたマフラーへ触れて、思わずふっと息を零す。


「二人とも、ほんまにありがと」


 心の底から、言葉を漏らす。ひなたも一茶も嬉しそうに目を細めたが同時に二人、目を合わせてニコッと口角を上げた。


「楓、まだ詩音くんのが残ってるよ」


 確かに、と僕は隣で世話を焼いてくれていた詩音くんへ視線を向ける。彼はふんすと鼻を鳴らしてしたり顔でポケットから、それはそれは小さな箱を取り出した。


 ──それは本当に小さくて、入るものと言えばもう──


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