第29話
「このような感じでどうでしょう?」
背後の美容師さんが、鏡を持って僕の後頭部を映す。そこには、久しぶりに少し短くなった髪と綺麗に染まったメッシュが映っている。とても、自分好みだ。
一方で、詩音くんは本当にこれでよかったのだろうかという気持ちも半分。彼が好きだったひなたの髪はもう少し長いのに。でも。今更考えてももう遅い。
僕は美容師さんの言葉に首を縦に振ってお礼を述べて、お会計を済ませてからお店を後にした。
お店を出た先では、ひなたがスマホを弄りながら待っていた。
「楓、終わったよ」
「何が」
「あ、なんでもない」
こいつは、朝から僕を叩き起こしてどこかに行ってきてくれと言って僕を追い出した張本人。もっぱら、僕の誕生日パーティの準備をしてくれているのだろうけれど、僕が意地悪にそう尋ねると彼は慌てたようにしらばっくれてスマホをポケットへとしまい込んだ。
「楓、その方が似合ってる。かっこいい」
そして、彼はそう珍しく真っすぐに僕を褒めて上機嫌に家の方向へと急ぎ足で歩き出すのだった。
「なんやねん」
「んー?なんでも?」
なんだか少し、むず痒い。こいつがこんなことを言うなんて、今日の夜は雨でも降るのだろうか。
しかし、彼はそんなことを考える僕のことはお構いなしにどんどんと前へ進んで行く。なにかいいことでもあったのだろうか。
ひなた。そう彼の名を呼ぼうとしたとき、彼はくるりと振り向いた。そしてその屈託のない笑みのまま、僕より先に口を開いた。
「楓、誕生日おめでとうっ」
それは、まだ朝から一度も直接は言われていない言葉だった。一茶も詩音くんも、誕生日を忘れているわけではないくせに、敢えて何も言ってはこなかった。だから、てっきり今から行われるパーティのために敢えて焦らしているのだと思っていたのに。
呆けてしまった僕を前に、ひなたはケタケタと無邪気に声を上げた。
「楓、何その顔」
「だって」と僕は眉をしかめる。「今言われるとは思わんやろ」
「っはは、俺がフライングしたのは内緒にしといてね」
彼は相変わらず機嫌よく目を細めると右足を軸に、くるんとターンをして前へ向き直った。
ふわりと髪が広がる様はまるで小さな子供のようで。こいつが僕と同い年だというのだから、一体年齢とはなんなのか甚だ疑問である。
僕は少し急ぎ足にそんなガキのような、しかし身長すら僕と大して変わらないヤツの隣へと並んでぽんと少し強めに肩を叩いた。
「ありがとうな」
「──うん」
ヤツは、少し間を開けてからこくりと大きく頷いた。
長い前髪のせいで、ヤツの顔は見えにくい。でも。なんとなく、元気がない気がして。
「えと……最近、一茶とはどうなん?」
僕は、適当に彼の幸せな話を聞きだせそうな話題を振ってみる。
「んー、一茶?怒ってばっかだよ」
彼は僕の思惑通りに元気な笑みを浮かべた。
「何して怒らせたん」と僕が問うと
「楓ばっか構ってるって妬いてるの」と彼はニヤリと口角を上げた。
がっつりのろけ話を聞かされる雰囲気だが、まぁいいだろう。
「一茶でも嫉妬とかすんねや」
「ね。しかもよりによって楓に」
「どういう意味やねんしばくぞ」
早口にまくし立てる僕の言葉を聞き、ひなたはやっぱり楽しそうに笑い声をあげる。
元気がなさそうなのは、気のせいだったのだろうか。僕は気が付けば彼のそんな様子も忘れて、一緒に笑い声をあげながら帰路に着くのだった。
そして。いよいよ僕たちの家が目の前に現れる。僕がカギを取り出そうと上着のポケットをまさぐると、ひなたは慌てて僕の腕を握った。
「待って待って、楓早まるな!」
何故かひなたは僕を止めたかと思えば、おもむろにスマホを取り出して何やらメッセージを送信し始める。そんなの道中にやっておけ、とも思うがその要領の悪さも含めて憎めない奴だから仕方がない。
そうしてそんな隠す気があるんだかないんだかわからない彼を待つこと数秒。ついに、彼が僕の腕を離した。
「おっけーだって」
「ん、了解」
彼の言葉に合わせて鍵を回す。
扉を開くと、そこには仲良く肩を並べる一茶と詩音くんがいた。
「楓、お誕生日、おめでとー」
「おめでとー」
「おめでと」
示し合わせたようにゆっくりとお祝いの言葉を述べる一茶に、詩音くんとひなたが言葉を重ねる。玄関の二人が握ったクラッカーの紐を引くと、大きな破裂音とともにたくさんのカラフルな紙や輝く金と銀のテープが飛び出した。
「わぁ、すご……ありがとー」
玄関に散らばった無数の紙くずを見ても、今日ばかりは掃除のことより喜びが勝る。つい上がった口角を隠そうと手を口元へ持っていくが、詩音くんはすぐにクラッカーを放り捨ててからわざわざサンダルを履いてまで僕の方へ駆け寄ると、僕の上がりかけた腕を掴んでそれをぶんぶんと振った。
「楓、やばい。めっちゃかっこいい。髪、ちょー似合ってる」
顔が一気に熱くなるのを感じる。思わず斜め下へ顔を逸らすと、身をかがめて散らばった紙くずを拾っていたひなたがニヤリといたずらな笑みを浮かべて顔を上げた。彼とは絶妙に目が合わない。
「でしょ」
ひなたはまるで自分のことのようにふふんとしたり顔で言う。
「え、は……!? 俺のだし……!」
僕の目の前にいた詩音くんが、何を勘違いしたのか焦ったように僕を抱き寄せる。
「別に、取ろうとしてないよ……」
ひなたは反応に困ると言わんばかりに露骨に困った表情で顔を逸らすと、拾い終えた紙くずの内光を反射して光る金銀のテープを大切そうにポケットへ入れてから、足をぶんぶんと振って靴を脱ぎ、玄関へ上がった。
「楓、早くっ」
僕もまた急かす一茶に手を引かれ、心を躍らせながら玄関へと上がるのだった。
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