第24話

 肌が明日には真っ黒になってしまいそうなくらい強い日に照らされる中、目の前では頭上の陽の光より更に強い火がパチパチと音を立てる。さっきまで赤く燃え盛っていた炎は気が付くとなくなってしまっていて、代わりに黒かった炭の端が赤くなっていた。


「一茶、火消えたん?」

 と、僕は相変わらず僕の腕を握って炭を見つめる一茶へ声をかける。

「ううん、これで完成。火が見えなくなってから肉乗せるんだよ」

 と、彼は説明をした後僕の腕を離して腰を上げた。


「俺、あいつら呼んでくるわ」

「じゃあ……僕お肉用意しとくな?」

「よろしく」


 一茶が、ゆっくりと僕から離れていく。彼の目線の先には僕も一緒に釣りをしていた時のような穏やかな空気感はどこへやら、詩音くんとひなたはきゃっきゃと声を上げてはしゃぎ川の水でべしょぬれになっていた。


「お前ら、ご飯の準備できたぞー」


 小川の近くにいる二人の会話内容は一切聞き取れない中、一茶の大きなハッキリした声が辺りに響き渡る。びくりと肩を震わせた二人は顔を見合わせ、そして急かすように一茶に手招きをした。それを見て走り出す一茶。そこまで眺めてから、僕は目線を逸らして準備した炭へと意識を向けた。

 もしかしたら、と思う。一茶もこっちで僕と火起こしなんかより、ひなたと詩音くんと三人で釣りをしていたかったかもしれない。なのに、僕が火おこしをできないばっかりに。いいや、もしかしたら僕が寂しがるのが分かっていたから、という可能性もある。

 どちらにせよ、申し訳ないことをしたと思う。せっかくの誕生日祝いなのに、その本人に気を遣わせてしまって。僕ははぁとため息を一つ。強く痒くもない左腕を強く掻いてから、彼に話した通りお肉の準備に取り掛かった。


 お肉はどれもいいもので、少なくとも普段僕たちが買うようなものではない。鮮やかな赤色をしたそれは明らかにこのまま食べるにはサイズが大きいが、きっと切り分けずに焼いた方がひなたや詩音くんなんかは喜ぶだろう。だから、敢えてそれはそのままに、野菜の準備にかかることにする。


 正直、普段は絶対野菜なんて食べたくはない僕だけれど。今日くらいは食べてやることにしよう。味なんて家で食べるのと変わりやしないのに。僕は両袖を大きくまくり上げて、包丁を手に準備を開始した。

 まず、玉ねぎの両端を切り落として皮を剥いてから、それを冷水を張ったボウルへ浸す。そして次に、その隙にニンジンやジャガイモの皮を剥いて、詩音くんが生焼けのまま食べないように少し小さめに切り分けた。後は、さっき準備してた玉ねぎを急いで切って、キャベツを切って。たまに現れるコバエは鬱陶しいが、この自然の香りと小川の音に包まれての料理も悪くないかもしれない、とふと思った。

 

 そうして、自分で言うのもなんだが悪くない手際で野菜の準備を終えて、全てをテーブルへ運ぶ。まだ彼らは戻らないようなので紙皿やコップなんかも用意してみたが、それでも彼らは戻らなかった。準備に時間をかけていないとはいえ、さすがに少し遅い気がする。

 食事のために除菌シートでテーブルを拭きながら軽く顔を上げると、そこには相変わらず小川の近くで楽しそうにはしゃぐ三人がいた。


 三人はやっぱり、僕が一緒に釣りをしていた時より楽しそうに見えた。確かに、そうなるのは必然かもしれない。慣れ親しんだ三人と、急に入ってきた僕を入れた四人となら、三人でいたほうが気も楽だろう。その一人が、こんなメンヘラみたいなやつならば尚更だ。


 彼らの一足先に椅子へ腰を掛け、テーブルへ顎を乗せる。遠くから彼らを眺めていると、まるで僕もこの大自然に溶け込んだようだった。


 太陽が僕を照り付ける一方で、風にそよぐ髪の毛がくすぐったいけれど涼しくて悪くない。どうせ彼らはまだまだ戻ってこないだろう。僕はふぅ、と息をついて、瞼を降ろした。






 次に気が付いたのは、美味しそうな香りが漂い始めた頃。体は何やら暖かくて、誰かがずっと頭を撫でてくれている。すぐ近くでは詩音くんの声が聞こえていて、その少しくすぐったい低い音が心地がいい。だから僕は、目を開けずについその声に耳を傾けていた。


「疲れてたのかな」

 と詩音くんが呟く。


「朝早かったもんね」

 と返しながら一茶は少し離れたところでジュ―、と肉の音を立てた。


「可愛い」

 急に、ひなたの息が顔にかかる。


「でしょ」

 と、詩音くんはなぜか自慢げに鼻を鳴らした。


 変な奴らだ、と思う。さっきまでは僕を放って三人で遊んでたくせに。

 僕が瞼をあけると、案の定至近距離でひなたと目が合った。彼はいつの間にか、水遊びをしていた時と服が変わっていた。どうやら、それなりの長い時間眠っていたようだ。

 目の合った彼は目を丸めて、瞬時に後ろへ飛び退いた。それが面白くて、僕はふはと笑ってわざと優しく微笑んで見せる。


「なに、イケメン過ぎて見惚れてたん?」

「え、っと……うっせぇナルシスト……!」


 顔を逸らして、代わりに真っ赤に染まった耳を向けるひなた。彼は気まずそうに服の裾を強く握ってもじもじした後、今まで何も言っていなかったくせに「なんか今日あっつ~い」なんて言って両手でパタパタと顔を扇ぎながらお肉を焼いている一茶の元へと逃げて行った。

 僕は、その面白い反応に満足して体を起こして伸びをする。その時ふと、背中から何かがずり落ちて背後で音がした。振り向いてみると、そこには詩音くんの上着が落ちていた。


「あっ。すま~ん」と謝り、慌ててそれを拾い上げる。

「あ、いいのいいの。おはよう、楓」


 詩音くんは再び起き上がった僕の頭を優しく撫でて優しい顔をした。思わず、つられて笑顔が零れる。

 しかし、その表情はすぐにいつもの無邪気なものに戻り、「あ!」と大きく声を上げてパチンと手を鳴らす。その音に反応した一茶は詩音くんをジトリと睨んだが、彼はそれに気が付いていない様子でそそくさと席を立ち、何も言わずにどこかへ行ってしまった。


 彼はすぐに戻ってきた。戻ってきたときに手にしていたのは、ひなたが大事そうに抱えていた例のクーラーボックスだった。じゃぶじゃぶと水音を発すそれを地面へ置き、僕に手招きをして見せる詩音くん。僕が小首を傾げて彼のもとへ向かうと、呼ばれてもいないのにひなたもまた嬉しそうに寄ってきてにんまりと笑顔を浮かべた。


「みてみて」


 詩音くんが得意げな顔をしてしゃがみこみ、蓋を開ける。かがみこんで一緒に覗くと、そこには大きな魚が一匹と小さな魚が数匹、少し狭そうだが元気に泳いでいた。


「なんかね、急にたくさん釣れたの」


 僕の肩の上から顔を出したひなたが嬉しそうに小さな魚へ指を指す。詩音くんもまた、満面の笑みで魚を覗き込んだ。


「よかった~、釣れて。めっちゃ美味いんだよ、こいつ。楓に食べさせてやりたかったんだ」

「おっきいの釣ったの俺だし」


 まるで詩音くんは食べたことがあるかのような言い回し。きっと、昔来た時に食べたのだろう。

 安心した様に肩の力を抜く詩音くんへ、口を尖らせてひなたが口を挟む。詩音くんは、そんなひなたの頭へ手を伸ばしてそっとそれを撫でた。


「ありがと、ひなた」

「もっと褒めろー!」


 楽しそうにそうはしゃぐひなたに妬いてしまうのは、きっとお門違いなんだろうけれど。僕は僕の上から顔を出す彼の体を押しのけて立ち上がる。ひなたは慌てて一歩身体を引いて、バランスを保った。これで、詩音くんの手が届かなくなった。僕は満足して、元いた席へ向かった。


「夜食おうや」

「うんっ」


 詩音君は背後で、嬉しそうにそう返した。

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