第22話

 まだ、太陽も登らぬ時間に目が覚める。それなのにも関わらず寝足りない感覚すらないのは、もしかしたら案外僕は今日のキャンプを楽しみにしていたのかもしれない。僕はいつも通り大きく伸びをして体を起こしたところで、ふとあることに気が付いた。

 隣には、詩音くんがいなかった。

 いつもなら、こんな時間に彼がいないときには隣からゲームの音が聞こえてくる可能性が高い。ところが今日は、詩音君お気に入りの椅子であるゲーミングチェアとやらにも彼の姿は見当たらなかった。

 僕のことを避けているのだろうか。そう考えるのが通常運転の僕のはずである。しかし、今日ばかりはそんな卑屈人間である僕でもそうでないと確信を持てる。それは、リビングから詩音くんと一茶の楽しそうな声が漏れだしているからだ。


 慌ててスマホを手にし、その画面を鏡代わりに寝ぐせの有無を確認する。そして、それが許容範囲に収まっていることを確認したところで僕は急いでリビングへ向かった。


 そこには、仲睦まじげに隣に座って大量におにぎりを握る一茶と詩音くんの姿があった。

 詩音くんはハッと顔を上げて僕を見つめた後、わざとらしく頬を膨らませて一茶をジトリと睨んだ。


「一茶が騒ぐから楓起きちゃったじゃん!」

「いいじゃん、どうせあと一時間も寝れないって」


 一茶は相変わらずおにぎりをせっせと握る手を止ぬまま、わざと詩音くんの神経を逆なでするようにニッと口角を上げる。


「30分でも寝かせてあげたいのが親心でしょ~!」

 と詩音くんがふざけた高い声を出すのに対して


「親じゃねぇじゃん」

 と一茶はへへっと笑って肘で詩音くんを小突くのだった。


 よくわからないけれど、楽しそうで何よりだ。僕は笑い合う彼らの隣を通り過ぎてキッチンで手を洗う。そしてゴム手袋を持って彼らの元へ戻り、詩音くんの正面に腰を降ろした。


「あと何個おにぎり作るん?」

「えっとね、あと5個くらいは作れると思う」


 一茶はお米が入っているであろうボウルの中身を覗き込みながら返す。

 目の前には既に大量のおにぎりが並ぶ中、果たしてこれ以上必要なのだろうか。そんな疑問を飲み込み、僕は持ってきた使い捨てのゴム手袋をはめてボウルの中へ手を伸ばした。


「え、いいのに。もう少しのんびりしてなよ」と詩音くんは言う。

「そうだよ。楓はサブの運転係なんだから」と、一茶はいたずらに笑った。


 詩音くんはともかく。一茶はほんと素直じゃないやつだ、と思う。どうせ詩音くんと同じく最近の僕を心配しているだけのくせに。しかし、そうして彼らに気を遣わせるのも申し訳なくて。僕は彼らの制止を無視してラップ越しにお米を手に取った。


「ほんということ聞かない奴。俺ら年上なのに」


 眉を顰め、ふいとわざとらしく僕から顔を逸らす一茶。ひょこっと揺れる彼の頭の上の2本のアホ毛は、より一層彼の仕草をガキ臭く見せる。

 だから今度は、僕がハッと笑ってやった。


「一歳しか変わらんやんけ」

「精神年齢はもっと違いますぅ~」


 彼は厭味ったらしく口を尖らせ、味方を増やそうと詩音くんへチラと視線をやる。確かに、と僕は思う。

 精神年齢で言えば僕の方が3つは上だ、とふと考えた。

 しかし、そんな幼さとは裏腹にこんな早朝から積み上げられた目の前のおにぎりは、きっと彼の根にある面倒見の良さの表れなのだろう。

 もう少し素直になればわかりやすいのに。そう考えていると、気づけばふっと笑みが零れていた。


 そうしておにぎりを握り終え、大きなカバンに詰める。いよいよあとは個々の準備のみだといったところに、ようやく寝ぼけ顔のひなたが姿を現した。

 彼は、机の上の空っぽになったボウルとしゃもじ、サランラップなどの食べ物があった形跡を見てしゅんと項垂れた。


「え~、俺の朝ご飯食べちゃったの?」


 テーブルの前にぺたんと座り込み、大きなボウルを覗き込むひなた。


「ひなたん、朝早いからご飯は車で食べるって言ったでしょ?」


 一茶は、慣れたように彼の頭をポンポンと撫でてケラケラと笑った。


「あー、そっかぁ」


 ひなたは、わかったのかわかってないのか。相変わらず寝ぼけたように何度もしぱしぱと瞬きながら、怪しい呂律でそう笑顔を浮かべた。






 そうして遅れて起床したひなたの準備も一茶が手伝い、ついにキャンプ場へと出発する。少し冷たい朝の空気が心地よくて、僕は大きく伸びをしてから助手席へ乗り込んだ。

 道路を煌々と照りつける陽の光が少し眩しい。僕が清々しい気持ちで目を細める中、詩音くんは黙々と座席を後ろへずらしたり、サイドミラーを調節したりして確認を行っている。

 そして、最後に僕の正面のサンバイザーを下ろしてからバックミラーをくいとあげた。


「んじゃ出発するよ~」

「おー!」


 詩音くんの声に、元気な一茶の声が後ろから返ってくる。僕も彼に倣い「お願いしま~す」と返したところで、ゆっくりと車が動き出した。


「動いた! 楓、もうすぐキャンプ場だよ!」


 テンションの上がった一茶が、ひょっこりと後部座席から顔を出す。


「一茶テンション上がりすぎ」


 僕は真横から飛び出した彼の頭を押し返しながら、ふっと息を吐いた。

 キャンプへ行きたいと騒ぎ出したのも彼だったから、きっと余程嬉しいのだろう。


 そんななか、車に乗って1度も声を発しない男がいる。僕は少しだけ、そいつを心配して後ろの席へ振り向いた。


「どしたの、楓」


 珍しく大人しくしていたひなたは、大きなおにぎりを頬張りながらその大きな瞳で瞬いて、こてんと首を傾げた。見たところによるとどうやら、食べ物に釣られて大人しかったらしい。

 僕が安堵感を抱く中、一茶はその頬についた米粒をとると、ひなたの口へ押し込んだ。ひなたは文句を言うことも無くその米粒を咀嚼した後、「うまぁ」と嬉しそうに零すのだった。


「昔キャンプ行った時もひなた、家出てすぐご飯食べて、道中ずっと寝てたよね」


 詩音くんが、ふと呟いてクスッと笑った。

 なんの話だろう、と考える。僕の記憶にそんな思い出は無い。僕が彼の方を向いたのもつかの間、後ろから愉快な笑い声が聞こえてきた。


「帰りも寝てたし、なんなら夜も1番先に寝てたよ。ずっと寝てた」


 一茶はその話に全く違和感を抱くこともなく、更に僕の知らないエピソードを話した。

 なるほど、と思う。これはきっと、僕がまだ知らない彼らの話だ。


「でもまぁ子どもの頃だし。俺らとも1歳違うから。子供の頃は数ヵ月でもかなり変わるって言うじゃん」

 と詩音くんはひなたをフォローする。


「確かに。ひなたん、あの頃は可愛かった」

「そりゃあ男が20超えたら可愛さなんてあるわけないじゃん」


 毒づく一茶に、ひなたはツッコミという呈すらとらずにぼそっと呟く。

 本当に彼の言う通りなら、どれほどよかっただろうか。実際は、彼の自覚が足りないだけだ。

 少なくとも一茶や詩音くんは、ひなたのそのふてぶてしさすら可愛くて、愛おしいのだろう。二人して、ふっと笑ってバックミラー越しに目を合わせた後、一茶がひなたの頭をぐりぐりと撫でるのが嫌がるひなたの声で確認できた。


 よく分からないけれど、幸せそうだった。でも。よくわからないと思っているのは僕だけで。僕はやっぱり、あまりもの。3人にとっては、いてもいなくても変わらないような、そんな存在。そう実感せざるを得なかった。


 しばらく3人で楽しそうに話した後、気づけばひなたはすやすやと心地よさそうに寝息を立て始めた。そして更に少し経つと、それを愛おしそうに眺めていた一茶もまた眠りに落ちる。ひなたが食後に寝落ちるのはいつものこととして、きっと一茶も朝からおにぎり作りで疲れていたのだろう。

 僕は詩音くんとふたりきりのようなその空間が気まずくて、ただただ車窓へ目を向けていた。そこに映った運転席の彼の横顔は、窓越しでも分かるほどにやっぱりかっこよかった。


 信号機の手前にくると、車がゆっくり停止する。今までわずかながら車内に響いていたエンジンの音が消える。何だか息を吸う音すら大きく聞こえて、僕は息を止めた。


「楓、今日は何を考え込んでるの?」


 ふいに、詩音くんが正面から視線を外して僕へその少し紫がかった瞳を向ける。窓に映るちょっぴり下がったその眉は、少し寂しそうに見えた。


「んーん。綺麗やなぁと思って、眺めててん」

 僕は車窓に映った詩音くんへ返す。


「はいはい」


 彼は、相変わらず眉を下げたままハッと笑ってそう流した。その語尾にあった落胆を、見逃してはいない。それでも彼の方へ視線をやるには表情の管理に自信がなくて、僕は窓の空虚を見つめた。

 彼も、僕に話す気がないことは気づけたのだろう。僕へ向いた瞳が逸れると同時に、その顔から笑みも消えた。


「疲れてたり、辛いことがあるなら言ってね。できれば俺がいいけど……難しかったら一茶とかひなたでもいいから。楓、すぐ隠すから心配になる」


 彼はそんなまじめな話をしながらも、しきりに自身の服の袖を弄った。その珍しく真剣な顔つきに、思うことがないわけではない。でも。


「なんか、そこだけ聞いたら僕かなりめんどくさい男みたいやん」


 僕は、彼の話に敢えて冗談を言って笑い飛ばす。今回のキャンプが自分のために開催されたものならともかく、今回は一茶の誕生日パーティーも兼ねているのだ。そんなくだらないことで、空気を重くするわけにもいかなかった。


「面倒くさいのが可愛いんじゃん。今まで楓のこと、年下なのに完璧人間だと思ってたけど……なんか安心した」


 むしろ、完璧人間の方が理想なのに、と僕は思う。みんながひなたに手を焼く分、僕がいい子になって、詩音くんを癒して、そして好きになってもらうと。そういう策略だったのに。

 僕は彼の言葉になんとも言えなくて、彼の視界から逃げるように右手で少し乱れた髪を弄る。彼は、そんな僕を見て何を思ったか、コロッと話題を変えた。


「めっちゃ楽しみだったんだよね~、キャンプ。前行ったときは魚とかも釣れてね、親父が捌いてくれたんだ~。でもね、一茶と俺でお昼前におにぎり食べ尽くしちゃって……」


 彼は楽しそうにふふと笑いながら思い出話をぺらぺらと語る。そして彼は、何も知らずに僕のもっとも気にしている話題を口にした。


「楓は信じないかもしれないけど。俺、ずっと楓と来たかったんだ。だって前は……」


 なんとなく嫌な予感がして、彼の言葉を阻もうと息を吸う。しかし、僕が言葉を思いつく前にそれは発された。


「まだ、楓が引っ越してくる前だったもんね」


 ギリと鳴った、奥歯の音が車内に響いた。

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