第九話「卵が先か、鶏が先か」②

「さて、どうしようか」


「どうしようかって……左寺さん、ちょっとおかしいよ?」


「でも、何かしないと本当に世界が壊れちゃうから」


頬に傷を作って血が出ていたのに、いつの間にか拭っていたらしい。綺麗な顔に一つの線が入っているのを見ると、心が痛む。それほどまでに強い風が彼女の顔をかすめたと言うことか。そして、彼女の言うとおり「何かしないと」いけない。あの大きな揺れにより二、三歩後ろに下がったが、それでも彼女から出ている黒い物は変わりない。むしろ、闇が強まるばかりだ。


「暗い、暗い、よ」


「左寺、さん?」


「苦しい、痛い、寒い、辛いよ……」


「ちょっと、何あのドス黒いの。これヤバイでしょ!」


微かにしか見えていなかった黒い物が雲のようにもくもくと広がって行く。「火糸糸ちゃん!」と彼女の腕を引っ張る。とにかく、今は彼女から離れないと。はらり、と一つに結んでいた髪が解けてしまい、ふわふわと髪の毛が浮いている。一体、彼女の体に何が起きているのだろうか。自分の顔を手で覆い、何かをひたすら呟いている。最後に聞こえたのは、彼女の小さな小さな声だった。


「心艮! 今、どんな状況なの!」


十五夜もちづきさん! それが……」


後ろから声をかけられたので振り返ると、そこには額に汗を浮かべた十五夜さんが。息を切らしている姿を見ると、かなり急いで来たのだろう。私は今までの出来事を一通り話す。その間も彼女が下手に動かないかを確認しながらだったのだが、私の話を聞いた十五夜さんは「やっぱり……」と眉をひそめる。


「何がやっぱり何ですか?」


「ほら、最近起こっていた自然災害あったでしょ? あれって、こちらの世界と繋がっているの。人の負の感情が大きくなればなるほど現世では自然災害が頻発する。だから、心艮にもその負の感情を減らすために恩返しをしていたのよ」


「そんなことが……でも、私の時は何もありませんでしたよね?」


「そりゃあね。すぐに気づいたから、どうにかして抑えることが出来たの。……でも、今回は話は別よ。これ以上、あの子が暴走しちゃうとあの子だけでなくこの世界も現世も消えてなくなるわ」


「それって、つまり……」


「えぇ。文字通り、世界が壊れるのよ」


世界が、壊れる。そんなのは小説やドラマの中の出来事だと思っていた。ノストラダムスの予言とか、感染病による人口減少だとか、全てが都市伝説のようなものだと思っていたのだ。生きている中で世界が壊れるなんて思ってもいなかったし、死んでからもこうして動くとは思ってもいない。

冷や汗が背中を伝い、毛虫が這うような感覚に陥る。消えてしまうのか、何もかも。火糸糸ちゃんも、十五夜さんも、私と出会った人達も。全て、無かったことになるのか。


「そんなの、ダメだよ」


「心艮? ちょっと、あんた何してるの!」


ゆっくりと、足が彼女の方へと動いて行く。無意識かと言われたら否定は出来ない。自分の中で何かが腑に落ちた感覚がした後、『私が助けなきゃ』と言う気持ちになったのだ。自分が一番嫌いな同情を彼女に、今、左寺さんに持っている。


きっと彼女は、寂しかったんじゃなく、悲しかったのだ。何故、自分だけこんな目に遭うのか。周りは幸せそうに生きているのに。何故、苦しんでいる私を誰も救ってはくれないのか。助けてくれると言ってくれたのに。何故、親友は裏切ったのだ。あなたが、大好きだったのに。何故、どうして。何で私が。その気持ちが募り募って全ての負の感情を纏った今の左寺さんいなってしまったのだろう。


「憎んでいるのではなくて、悲しかったんですよね」


「……は?」


「散々苦しんで頑張ったのに、誰も助けてくれなくて。なのに、親友にも裏切られて」


こんなにも私は踠いて、足掻いて、必死に生きようとしていたのに。それでも神様は無慈悲で。涙を流しながら空を見た時の気持ちを、誰が分かるのか。


「うるさい……」


「悲しくなったんですよね」


「黙れ!」


ブワッと強風が私に向かって飛んでくる。砂埃だけでなく、そこに混じっていたであろう小石が私の頬をかすめる。少しだけ感じた気がする痛みは、また生きてみたいと思っているからだろうか。後ろで止める声が聞こえる。きっと、火糸糸ちゃんが叫んでいるのかな。いつもはどこか冷めていて他人のことはどうでもいいって振る舞っているのに。私のことになると自分の身を削ってでも助けようとする。


「私とあなたは似ている。散々辛酸を嘗める思いをしたのに、救いの手がないことに絶望し、世界を、人を憎んだ」


「……そうだ。私も、お前も、この世界が大嫌いだ。だからこそ私はこうして怒りをぶつけているのだ!」


「それは、違いますよ」


「違わない!」


泣いて怒っている子供をあやすように、我儘しか言えない子供を諭すように丁寧に言葉にする。進んでいく自分の歩みはもう止められない。砂利の音が聞こえる中で私の声が聞こえているだろうか。


「悲しいから怒るのか、怒るから悲しいのか」


「……は? 何を言っているんだ、お前は」


「あなたは、左寺さんは悲しくて起こっている、そうでしょう?」


「違う!」


ピタッと足を止め、数歩先にいる彼女の目を見つめた。漆黒の闇が彼女を覆っている中で、その中にある目は震えていた。こんなにも強い力を手にいてたのに、何故震えるのか。もう死ぬ思いなんてしないのに。頭を抱えた左寺さんは必死に横に振り何かを否定しているようだ。「違う、私は違う」と繰り返し言う姿を見て自分の心臓をギュッと握りしめられる。可哀想、なんて言葉は私には言えない。言う資格がない。


「私が、あなたの負の感情を全て吸います」


「心艮! そんなことしたら、あんたが転生出来なくなるじゃん!」


そう、彼女の言う通り。長年この藁人形といることによって気づいたことがあった。私の恨みを全て受け止めており、依頼を達成するとそれが浄化される仕組みになっている。すでに恨みを受け止めているのなら、吸うことも出来るのでは?と考えたのだ。だが、火糸糸ちゃんが言った通り、私の転生する時間がまた増える。この量を受け取ったら永遠に転生出来ないかもしれない。それでも、私は。


「火糸糸ちゃん。今まで、ありがとう。たくさん私を支えてくれて、大変な時も一緒にいてくれて、本当にありがとう。これが、私に出来るあの世界への唯一の恩返しだから」


「心艮!」


「私、もう少しだけここにいるよ。先にあの世界で待っててね」


ふわふわと浮いている藁人形を掴んで、彼女の前へ突き出す。まだパニックになっているのか、私が見えてないらしい。やるなら、今しかない。どうすればいいなんて、方法はわからない。今まで恨みを浄化することが出来たのだから、吸うことも出来るはずだ。私の名前を叫んで叫んで、泣いている声まで聞こえてくるが振り返らない。


「さぁ、彼女の負の感情を、絡まった糸をほどいてあげて」


そう呟いた時、ふわっと空気が動いた。一瞬、風が吹いたのかと思ったのだがその風は私の方へと向かって来ている。性格には、私が掴んだ藁人形が徐々に吸い始めていた。彼女の纏った黒い物がスーッと吸われて行く。その勢いは少しずつ増していき、左寺さんから溢れる物が掃除機のように吸い込まれる。


「きっと、寂しかったんだ。寂しくて、独りぼっちで、悲しかった。でも、この感情を誰も理解してくれなかったから、私は人を、世界をただひたすら恨むことしか出来なかったんだ」


狭い世界で一人で生きていたから。だから、この感情を持ったまま死んだ。百合香さんが言っていた。苦しみの種類が違うだけで、私達は同じように苦しんでいたと。私には左寺さんの苦しみは分からないし、同様に彼女も分からない。もし同じ世界線で生きていていたら、人生はもっと変わっていたはず。でも、そんなこと言っても人生は変わらない。


その悲しみを癒してくれる人に出会えたから、私は死んだ後も腐ることなくこうして楽しんでいた。過去を恨むのではなく、途方に暮れた悲しみを怒りに変えるのではなく、どうにかして前を向く方法を考える。


それが、私が死んでから知ったことだった。

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