第九話「卵が先か、鶏が先か」①

吉糸よいとさんが言っていた。


左寺さんは亡者の中でも上位に入る模範的な亡者らしい。だから、薬を扱う仕事を任されているのだとか。その時の吉糸さんの顔は姉を自慢している妹のようだった。きっと、心の底から左寺さんを尊敬しており、大好きなのだろうなぁと微笑ましくも思えたのだ。


時折聞いていた話では、私と同じように自殺した吉糸さん。現世に何の未練もなく死んだが、彼女の生い立ちも負けず劣らずのもので職員になったとか。こちらに来た時から左寺さんはよくしてくれていたから、恩人であると言っていたのだ。そんな彼女が、今私の目の前に立っているとは。


「何で、ここに……」


「ここに、心艮ちゃんがいるって聞いて。ねぇ、それより……」


言葉が、出てこない、体が動かない。行方不明になっていた彼女がここにいること、そして私の居場所を知って訪ねて来たと言うこと。彼女が起こす全ての行動の意味が私には分からなかった。いや、頭の処理が追いついていないのだろう。近づいて来る彼女は目を細め口端を上げたまま。笑っているふりをしているようで、目が笑っていない。どす黒い何かに包まれている感覚がする。


「私の依頼、聞いてくれる?」


「……は? 何、言って……」


突拍子も無い発言に私は一瞬理解が遅れた。何を言っているのか、ここまで来て依頼を要請するとは何事か。そもそも彼女は先日の依頼で解決したのでは無いのか。頭の中に巡る思考が止まることはない。


「だって、あなた達の仕事は天界に住んでいる私達の恩返しを手伝うこと、でしょう? それなら、私の話も聞けるはずよねぇ」


「は? 聞けるわけないじゃん」


ずいっと私と左寺さんの間に入って来たのは火糸糸ちゃんだった。私を庇うようにして近づいて来た脅威へ威嚇をしているらしい。後ろに下がるように手でグッと私を押す。さっきまで間延びしていた声がドスの効いた声に変わり、口調が荒くなっている。目の前に立つ彼女を見上げると、鋭い目つきをして睨んでいた。


「あら、火糸糸ちゃんじゃない。ごめんね、今は心艮ちゃんに話をしているの。だから、退いてくれるかしら?」


「嫌って言ったら?」


「そうねぇ。こう、なるかしら?」


左寺さんが手を前に出したかと思うと、火糸糸ちゃんが軽く吹き飛んだ。私の前に立っていた彼女が、尻もちをついて地面に倒れていたのだ。私は何が起こったのか分からず、目を白黒させる。目の前の光景を見て指先一つ動かすことが出来ない。そして、立ったままの彼女がひどく驚いている私を見て微笑む。


「もう一度言うわ。私の依頼、聞いてくれるわよね?」


「……今のは」


「あぁ、これ? 数日前から使えるようになったのよ。何でかしらねぇ? もしかしたら、あなたと同じ物を持っているから、とか?」


クスクスと笑う彼女はもう別人だ。私の知っている左寺雨彗さんではない。可憐に笑う彼女は天使ではなく、ただの悪魔。天界に来る度に彼女と出会い、色んな話をしていたのだがこんなにも醜い笑い方をする人ではなかったはず。そして、彼女の言った『私と同じ物を持っている』の意味が分からずにいると、「恨み、とか言わないよね」と声がした。


「火糸糸ちゃん! 怪我して……」


「私のことはどうでもいいの。左寺さん、あなた、心艮と同じ恨みの感情を持っていたと言いたいの?」


「あら、ばれちゃった? 今まで、だーれも気が付かなかったのに」


ふふ、と口元に手を当てて笑っている彼女の黒髪が揺れる。美しいと感じたその髪色に魅力を感じることは二度とないだろう。しかし、恨みの感情を持ってあんなことが出来るのだろうか。この世界では持っている恨みを全て晴らしてから現世に戻ると言っていた。

だからこうして私も今まで自分の恨みの感情を浄化するために人助けをして来たが、このようなことは出来なかったはず。聞きたいことは山のようにあるが、このままではもう一度火糸糸ちゃんに何かするかもしれない。この取引をどうするのかは、全て私にかかっている。


「……それで、依頼って何ですか?」


「ちょ、心艮! 何でそんなこと聞くのよ!」


「だって、聞かないと何をするか分からないよ。……私は、大丈夫だから」


眉尻を下げ、心配そうに私を見つめるお姉さん。そんな彼女に精一杯の強がりを見せて一歩前に進む。ドクン、ドクンと体中に鳴り響く心音は私の全てを支配しているようで。でも、いつもならどっちがお姉さんか分からないのに、私のことになると逞しくなる彼女をこれ以上傷つけたくない。


「あら、素直ね。それじゃあ、聞いてもらおうかしら」


「えぇ、何なりと」


素敵ね、と笑う女性は私を見ていない。いや、見ているようで、やっぱりその奥に違う誰かを見ている気がする。火糸糸ちゃんが言った通り、左寺さんは特定の『誰か』を恨んでいる訳ではない。それだけは誰もが理解しているだろう。ただ、その肝となる部分は恐らく私でしか共感出来ない。そんな彼女からの願いは、何処か予想していたような、そんな願い。


「私と一緒に、この世界を壊しましょう」


「……何を、言っているのでしょうか」


「だって、そうでしょう? 私はあんなにも苦労して大変な目に遭っていたのに、大変な目に遭わせた奴らは今ものうのうと生きている。それが許せないのよ。この世界には神様なんて存在しない。閻魔大王様だって、私のこの企みにも気づきやしない。誰かが助けてくれるなんて甘い考えは存在しないの。だって、そうじゃなきゃ私は……死ななかったでしょう?」


うっとりとした目で私に笑いかけ、問いかける。濡れた瞳の中に映るのは私、ではなく、あの濁った世界だ。問いかけているのは私ではなく、自分を酷い目に遭わせた世界に問うている。答えるはずのない、この世界に。変わるはずのない、あの世界に。彼女の表情が、言葉が、声が、私の頭の中からべったりと引っ付いて離れられない。だって、私も彼女と一緒だったから。誰も助けれくれない、手を差し伸べてくれない世界で生きて来たから。


「ほら、あなたと私なら、この世界を終わらせることが出来る。だから、私の手を取るのよ」


スッと差し出された手を私は見つめる。真っ白な肌をしている、今にも折れそうな腕を見て走馬灯が駆け巡った。そうか、彼女と一緒になればあの憎い世界が全て消えるのか。私を虐めていたあの女たちも、いびって来た叔母さんも消えるのか。何て好条件だろう。どうせなら、終わらせてしまおうか。ぐるぐる巡る彼女の言葉が耳の中でこだましている。そんな中、つんざく声で「ふざけるな!」と叫ぶのが聞こえた。


「心艮! あんた、今まで何を見て来たのよ!」


「火糸糸ちゃん……?」


ぼうっとしている間に無理やり土足で入り込んで来たのは、紛れも無い火糸糸ちゃん。怪我をしているのにも関わらず威勢の良い彼女は目を釣り上げて私を睨みつける。


「あんたに救われた人が、どれだけいると思ってんのよ! 死んだ後も後悔していた人達が救われたのよ! それを思い出しなさいよ、この馬鹿!」


差し出された手の上に、自分の手を重ねようとしていた。無意識に動かしていたのか、ハッとした私はすぐに引っ込める。「チッ余計なことを……」と舌打ちした左寺さんを見ると、周りから黒い何かが出ていた。煙のようにフワフワと動いては消えるが、着実に大きくなっている。私は一歩、また一歩と後ろに下がると「心艮!」と叫び声が。気が付いた時にはグイッと後ろに引かれて火糸糸ちゃんの胸に頭を預けていた。


「何で、何で私ばかりこんな目に……」


「左寺さん……」


「私は……私はぁ! この世界をぶっ壊してやるんだ!」


彼女の叫び声と共に、ガタンっと大きく世界が揺れた。私達が転んだのではなく、この世界自体が地震のように大きく揺れ動いたのだ。「うわっ!」と私と火糸糸ちゃんはバランスを崩し、二人して倒れる。数秒続いた揺れは止まり、何とかして立ち上がろうとした時。カバンの中から出て来ていたスマホが揺れていた。こんな時に誰?と思い画面を見ると、そこには『十五夜さん』の名前。急いでボタンをスライドさせて出る。


「十五夜さん、どうかしましたか?」


『心艮! 良かったぁ、無事だったのね! 近くに火糸糸ちゃんはいる?』


「えぇ、いますよ。あと、例の人もここに」


『例の人って……まさか、左寺雨彗じゃないわよね?』


「そうだよー。今、目の前でめっちゃキレてるんだけど、来てくれない?」


『そうだよって、何を呑気に……あぁ、もう! 今からそっち行くわ!』


プツッと切れたスマホからは切れたことを知らせる音。横入りで私の電話に向かって話していた火糸糸ちゃんは大丈夫そうだ。先程の揺れは地獄でも同じだったのだろうか。無事を確認するために電話をかけて来てくれたのだろう。どこまでも母親のように心配する人だ。それよりも、彼女が叫んだことによりこの揺れが起きたかもしれないと考えると、これ以上に何かが起きるのだろうか。


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