#12「クラスメイトが嫌がらせをしてくるようです」

「あら……ご機嫌よう、天王寺朱鳥さん」


 学院の前に止まったリムジンから現れたのは、周防世莉歌。そして、それに続くようにして取り巻きと思しき生徒が何名か降りてくる。何となく見覚えのある顔だ。名前は覚えちゃいないが、たぶんこの女子たちも同じクラスなのだろう。


「……ご機嫌よう、周防さん」


 リムジンに乗ってきたのが、まさか周防世莉歌だとは……。

 いや、教室であれだけ威張り散らしてたのだ、これくらいしてきても決しておかしくはないのだが……杠葉ちゃんと別れてからその直後にこれとは……。あまりの落差に眩暈がする。


 俺が渋い顔をしていたのがバレたのだろうか、周防さんは怪訝な表情で俺に睨みを効かせる。

「……何か?」

 俺は咄嗟に答える。

「あ、いえ……立派なお車だなと……」

「あら、乗りたければ乗せてあげてもよろしくってよ。貴女が、今直ぐ地面に頭を擦り付けて土下座するならね」

 こいつ、言わせておけば……。


「いくらイギリス帰りといえど、所詮は庶民という訳ですわね」

 周防さんの口からは、なおも嫌味が溢れてくる。

 こちとら理事長の姪っ子だぞ、と言いそうになったが、思い留まった。

 八千代さんの名前を出せば、直ぐにでも黙らせることが出来るのだろうが……そんなダサい真似をする気にはなれなかった。

 まあ、この学院での生活はまだ始まったばかりだからな。そのうちいくらだってやり返す機会はあるはずだ。

 俺は、この場は黙ってやり過ごすことにした。


 俺が反論してこないことに増長したのか、周防さんはますます饒舌になる。

「ああ、嫌ですわ。庶民といると私も庶民色に染まってしまいます。ほら、さっさと行きますわよ」


 周防さんとその取り巻きは、俺を一瞥したのち、校舎の中に消えてゆく。

 彼女らが見えなくなったところで、俺はため息を吐いた。

 ああ……せっかく杠葉ちゃんとおしゃべりして良い気分だったのに、台無しにも程がある。


 そうしてその場で黄昏ていると、次第に登校する生徒の影が少なくなってくる。

 ――……やば、俺も早く行かなきゃな。


 そして俺は、ようやく校門に足を踏み入れたのだった。


◇◇◇


 教室に入ると、クラスメイト達の反応が、昨日と比べて何となくおかしかった。


「ご機嫌よう」

 目に入ったクラスメイトに挨拶するも、

「ご、ご機嫌よう……」

 妙にモゴモゴした口調で、目を逸らされる。

 あれ? 俺なんかした?

 少なくとも、昨日まで根掘り葉掘り質問責めにしてきた人間の反応じゃない。


「……?」

 俺は訝しみながらも自分の席へと向かう。

 隣の席には、昨日と同じように、雨宮さんが座っていた。


「ご機嫌よう、雨宮さん」

「あ、えっと……ご機嫌よう……」

 雨宮さんに挨拶すると、雨宮さんはおどおどした様子で挨拶を返してきた。

 まさか雨宮さんも……と一瞬思ったが、よく考えたらこの子は昨日もこんな感じだったな。

 俺の思い過ごしか……。


 そういう結論に至った俺は、自分の席に腰掛け、そして机の中に手を入れる。だが……その考えが間違いだったことを、俺はすぐに思い知らされる。


 ……なるほどね。そういうことか。


 手の先に伝わる、ぐっしょりとした嫌な感覚。

 机の中には濡れた雑巾が詰まっており、すっかり水浸しになってしまっていた。


◇◇◇


 雑巾を引っ張り出して全てゴミ箱にぶち込んだ俺は、そのまま今日の授業を受けた。

 幸い悪戯されたのは机の中だけで、雑巾も水で濡らされただけだったので、水浸しになるだけで済んだ。

 もっとも、中が乾いて使えるようになるには、明日を待たないといけなさそうだったが。


 こんなことをやったのは……十中八九、周防世莉歌だろう。

 それ以外で、何か恨まれるようなことをした覚えがないからな。

 正直気付いたその場で周防さんに怒鳴り散らしても良かったが、それだと彼女の思う壺な気がしたため、止めておいた。

 だが、このまま黙っているのも……それこそ彼女を調子に乗らせるだけだろう。早めに何とかしないとな……。


 昼休みになって俺は、教室に出て昼食をとる場所を探すことにした。あのまま教室にいれば、周防

さんに何をされるか分かったもんじゃなかったからだ。


 とはいえ……まだ編入してから1日2日しか経っていない俺に、そんな都合の良い場所が見つけられるはずもなく……。

 そうして当てもなく彷徨った俺は、いつの間にか屋上へと続く階段の前に来ていた。

 屋上か……。

 でも、屋上って大抵、立ち入り禁止で鍵が掛かってるしなぁ……。

 ま……ダメで元々か……。

 俺は階段を登り、そして屋上へと通じるドアのノブに手を掛ける。

「……お?」

 すると俺の予想に反し、ドアノブはカチャリと音をたてて回転する。

 開いてるな……。

 俺はドアを押して、中へと入っていった。


◇◇◇


 屋上へと出てみると、そこは驚くほど静かで、閑散としていた。

 遠くの音楽室から、管楽器の音色が聞こえてくるだけだ。

 この様子を見る限り、普段は誰かが来るということが無いのだろう。

 ……ある1人の人物を除いて、だが。


「……雨宮さん」

 俺は彼女の名前を呼ぶ。

 雨宮さんは、給水ポンプの影に1人で腰掛けていた。

 誰も来ないと思っていたのだろう。自分を呼ぶ声が聞こえてきて、一瞬ビクッと肩が震える。


 あちゃー……。

 なんか悪いことしたかな……。


 雨宮さんは振り返り、俺の姿を確認して言った。

「……どうして、天王寺さんがここに?」

「別に邪魔するつもりはなかったんだけど……静かにお弁当を食べられるところを探してたら、ちょっとね……」

 俺がそう言うと、雨宮さんは「あぁ……」と妙に納得した様子だった。

 恐らくだが……周防世莉歌の悪行に気付いているのだろう。


「……雨宮さんが嫌じゃなければ、ちょっとお隣良いかしら?」

「……うん」

「ありがとう」

 雨宮さんの許可を得て、隣に座る。


「……」

「……」

「……雨宮さんはどうしてこんなところに?」

「え?」

「いや、ほら……ここってきっと、立ち入り禁止の場所でしょう?」

 そうでなければ、屋上はもっと賑わっているはずだ。そんなところにわざわざ来てまで、1人で昼食を取っている理由を知りたかった。

 

「別に……ただ、私にはこの学校が場違いな場所だっただけ」

 そう言った雨宮さんは、おもむろに弁当箱から卵焼きを口に運ぶ。

 見るからに手製の弁当だ。この学校にはまあまあ豪華な食堂が存在するため、敢えて弁当を持ってくる生徒は多くない。

 と言いつつ俺も、弁当派だが。


「……天王寺さんも、悪いことは言わないから周防さんに謝ったほうがいいよ。あの子に逆らうと、あのクラスでは生きていけないから――」


「――雨宮さんのお弁当って、自分で作ったの?」

「え……!? う、うん……」

 俺の質問が予想外だったのか、雨宮さんは少し戸惑いながらもそう答える。


「へぇー……雨宮さん、料理出来るんだ。私なんて、お母様が料理が上手いから、自分で作ってみようなんて考えたこともなくって」

 俺は、自分の持ってきた弁当を広げる。

 もちろん母さんの作だ。

 色とりどりのおかずがキッチリと隙間なく並べられていた。

 うむ……母さん今日も気合い入ってるな。


「わぁ……」

 雨宮さんは俺の弁当を見て、感嘆の息を漏らす。「……良かったら、雨宮さんも食べる?」

「そ、そんな……! 悪いよ……!」

「そのかわり、私にも雨宮さんのお弁当少し分けてくれない? お互いのおかずを交換しましょう?」

 俺がそう提案すると、雨宮さんはぎこちなく頷く。

「う、うん……それなら……」


 お互いの同意が得られたところで、俺と雨宮さんは、それぞれのおかずを一品ずつ交換する。

 俺が貰ったのは、先ほど雨宮さんが自分で食べていた卵焼きだ。

 それを口へと運ぶ。

 その瞬間口の中が、柔らかな甘みに包まれた。

 うん……美味しい。

 たぶん、ずっと自分で弁当を作ってきているのだろう。それだけ、この卵焼きには深いこだわりを感じた。


 そして雨宮さんも、俺と交換した唐揚げを口に運ぶ。その表情を見るに悪くはなかったようで、俺はほっと安堵する。

 ……まぁ、俺が作ったわけじゃないけどな。


「――私は、自分が間違ってないのに、誰かに謝る気なんてないよ」

 俺はふと、呟いた。

 俺の発した言葉に、雨宮さんは驚いたように視線を向ける。

「でも……そうしないと、仲間はずれにされちゃうから……」

「別に構わないよ」

「え……?」

「だって……少なくとも雨宮さんはちゃんとお話してくれたり、お弁当の分け合いっこもしてくれたから。……それだけで十分じゃない?」

 俺がそう言うと、雨宮さんはキュッと唇を固く結んだ。

「ダメだよ……それだけじゃ……」

「……どうして?」


「……だって私は、あのクラスではただの底辺

だから――」


 そう呟く雨宮さんの横顔から覗かせる、物憂げな瞳が、俺は少しだけ気になった。

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