#6「後輩が助けを求めているようです」

「――やめなさい!」

 

 俺の声に、2人は振り向いてこっちを見る。

 女の子の顔は、恐怖に怯えていた。

 一方の男は、怪訝な顔で俺を睨みつける。


「……誰だ、アンタ?」


 誰だ、か……。

 なかなか難しい質問だな。

 なんせ俺自身、今の自分が何者なのか、まだはっきりとは分かっていないのだから。


 男から投げかけられたその言葉に、俺はコホン、と軽く咳払いをして答えた。


「『私』は……――通りすがりの女子高生です」


 ……まだ、あくまで仮、だけどな。

 ここ数日の特訓の成果が現れてきたらしい。淑女っぽい言葉遣いが自然に出せるようになっていた。


「女子高生だって? ……ん?」


 すると男は俺の格好を見て、あることに気付く。


「もしかして君も、栖鳳女学院の生徒かい?」

「……あら、良くお分かりですね」

「そりゃそうさ。君たちの制服は、この辺でも有名だぜ?」

「だったら話が早いですね。その子を解放してくださらない? 私の大事な後輩ですので」

「……解放しろだなんて、人聞きが悪いなぁ。俺はただ、この子と一緒にお茶でもしようと思っただけなんだよ。……それとも何か? 君が代わりに相手してくれるのかい?」


 男は俺の身体を下から上へ舐めるように眺める。そして俺に向かってこう言った。


「……てか、よく見たら君、結構……いや、かなり可愛いじゃん……。どう? 俺と一緒に遊ぼうよ」

 男の視線を感じた瞬間、背筋にゾワゾワとした悪寒が走る。

 やめろ。

 そんな目で見るなよ……気持ち悪い。


 俺は男のセリフを無視して、コツコツとローファーを鳴らしながら、ゆっくりと2人のほうへ歩いてゆく。


「お? そうこなくっちゃ――」


 男は、それを俺が了承したと勘違いしたのだろう。近付いてくる俺に手を伸ばした。


 ――だが、その瞬間。

 俺は男の腕を掴み、両手を使って捻り上げる。

 それと同時に男は大きく体勢を崩し、俺に腕と肩を極められるような格好になっていた。

 合気道でいう、小手返しと呼ばれる技だ。初歩的だが、こういう油断した相手の動きを止めるのにはもってこいの技だった。

 男の腕には結構な痛みが走ったのだろう。男の顔が苦痛に歪む。


「ぐっ……な、何しやがる!!」


 その男の問いに、俺は最大限の皮肉をこめて微笑みかける。


「お誘いは嬉しいですが……貴方のような男性となんて、頼まれたってお断りですから」

 というかそもそも、何が悲しくて男と遊びに行かなけりゃならんのか。


 俺は、男の横でキョトンとした顔をしている女の子の手を取り、彼女を胸元に抱き寄せた。


「大丈夫? 私の後ろに下がってて」

「は、はい……」

 女の子は、状況を完全には理解していないながらも、素直に俺の後ろに下がった。

 そして俺も、いったん男と距離を取る。


 さて……これで引き下がってくれれば、俺としても助かるんですがね……。


「てめぇ……舐めやがって……」


 ……まぁ、そう簡単にもいかないよな。

 立ち上がった男は、ものすごい形相で俺を睨み付けた。

 そして、その怒りのまま俺に向かって突進してくる。

 振りかぶった拳が、俺を目がけて迫ってきていた。


「おらぁッ――!!」


 おいおい……顔面直撃コースだぞ、これ……。仮にも女子相手に、ここまでするか?

 ……もっとも、ここまでこの男をキレさせたのは、言うまでもなく俺なのだが。


 だが、結局は芸のない喧嘩パンチだ。大振りすぎて隙も大きい。


 俺は男の繰り出すパンチを難なく躱し、その拳を掴んだ。そしてその勢いを殺さずに、遠心力を使って男を投げ飛ばす。


「……っ!?」


 男の身体はいとも簡単に宙に浮き、そして次の瞬間、背中から地面に叩きつけられていた。


「ごあッッ――!!」


 男は声にもならない断末魔を上げ、やがてその場で動かなくなった。


「ふう……」

 これくらいしておけば、しばらくは起き上がれないだろう。

 ちなみに、頭は打たないよう最低限の配慮はして技を掛けたので、命に関わるようなことはないはずだ。

 まぁ……地面がただのアスファルトなのでアバラ骨が1本や2本折れていてもおかしくはないのだが……そこは自業自得だな、うん。

 正直、女の身体でどこまでやれるか少し心配だったが……その心配は杞憂だったようだ。初めて合気道を習っていて良かったと思えた。


「さてと……彼はしばらく起きてはこれないでしょうし、今のうちに離れましょうか」

「は、はい……」


 俺は女の子の手を引き、その場を退散する。

 そして、少しばかり歩いたところで彼女に言った。


「……流石にここまで来れば大丈夫かな」


 俺たちは開けた道路に出ていた。まばらではあるが、人通りもある。

 先ほどの男が追ってくる様子もないので、きっともう心配はないだろう。

 俺は女の子を引いていた手を離した。


「あっ……」

 女の子は俺と握っていた手を、まるで名残惜しそうにまじまじと見つめてから、俺に言った。


「あの……ありがとうございました」

 あまりに直球な感謝の言葉に、俺は少し照れ臭くなる。


「……どういたしまして。けど、もう知らない男にはついて行っちゃダメだよ。それじゃ、私はこれで――」

「――あ、待って……!」


 言うことだけ言ってそそくさとその場を離れようとした俺を、女の子は呼び止める。


「……まだ、何か?」

「あの……良かったら……お名前教えて頂けませんか?」

「名前って、私の?」

 女の子は、こくんと頷く。

 俺はどうしようかと少し迷ったが……どうせと同じ学校に通うのだ、わざわざ隠す必要もない、という結論に至る。


「――天王寺朱鳥だよ。じゃあね」


 俺はそれだけを言って、その場を後にした。


◇◇◇


 少女は立ち止まり、温もりの残る手のひらをじっと見つめた。

 そして、自分を助けてくれた女性の名前を呟く。

「天王寺朱鳥様……――」


 だが呟いた瞬間、少女はその名前の……あることに気付くのだった。


「――……天王寺?」


◇◇◇


「ただいまー……」

「お帰り、にぃに。遅かったね」


 我が家に戻ると、妹の華恋に出迎えられた。


「ああ、例のレッスンが長引いてな……」


 もっとも、遅れた理由はそれだけではないが。


「へぇー、大変だねぇ……。ところでにぃに、その制服……」

 華恋の視線が、俺の着ている制服に向かう。

「ああ、これ? 八千代さんに貰ったんだ。それで、折角だから着てけって」

「すごい似合ってるね!! めっちゃ可愛い!!」

「はは……ありがと」

 何が悲しくて、妹に可愛いと言われにゃならんのか。


「そっかぁ……にぃにと一緒の学校になるのかぁ……楽しみだなぁ……」

「……なぁ、華恋」

「ん、なに?」


 謎の浮かれモードに突入していた華恋に、俺は常々思っていたことを口にする。


「その『にぃに』っての、どうなんだ?」

「え? なんで?」

「なんでって……いくらなんでも子供っぽ過ぎやしねぇか? それに、今の俺は女だし――」

「――そっか……それじゃあ『ねぇね』だね!」


 いや、そうゆうことじゃなくてさ……。


「……まあ、いいや」


 コイツに細かいことを言ったところで無駄だということは、長年一緒にいる俺が一番よく分かっている。


 という訳で……俺は今日から、『ねぇね』にジョブチェンジしたのだった。

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