#5「女子校に転入するのは簡単ではないようです」

 ――天王寺八千代との面会があった、その日の午後。

 

「ご、ご機嫌よう……」

「ダメです! 上品さが足りません! 背筋もちゃんと伸ばして! はい、やり直し!」


 俺は、八千代さんが用意したトレーナーから、マナー講習なるものを受けていた。

 俺からすると何故こんなことをしなければならないのかと思ってしまうが、八千代さん曰く――、


『貴女が編入することで、学院全体の品位を下げられるのは困る』


 ――とのことで、編入するまでの1週間の間に、せめて付け焼き刃的な所作だけでも身に付けておけ、ということだった。

 基本的な言葉遣いからテーブルマナー、果てには社交ダンスにバイオリンレッスン――。

 正直必要か? と思うものもチラホラとあったが、必要だと言われれば拒否できない立場なのが、なかなか辛いところだった。

 というか俺、1週間で全部覚えなきゃいけないの?

 これ、下手したら死ぬよ? 過労死的な意味で。


 俺のあまりの勘の悪さに、トレーナーの女性が渋い顔で言った。

「はぁー……嘆かわしいことでございます。あの天王寺家の御息女が、まさかここまでダメダメだとは……」


 うるせぇ、仕方ねえだろ。

 俺はちょっと前まで男だった訳だし、父さんに反発していたせいで、いわゆる社交マナー的なものは全部避けて通ってきた。だからこういうのは全く未知の世界なのだ。


「あのさ、俺は――」

「――『私』です!! 先ほどから何度も申しているでしょう!?」

 …………。


「武術を習っていたというだけあって姿勢だけは良いですが……褒める部分はそれだけしか御座いませんよ? まったく……貴女は一体ロンドンで何を学んできたのです!?」

 八千代さんの案で今の俺は、最近ロンドンから日本に帰ってきた帰国子女という設定になっている。

 確かに女性化しました、よりはよほど現実味のある設定だが……悪いけど、そんな嘘をずっと突き通す自信なんてねえぞ、俺は。


 だけどどんなに愚痴を吐いたとしても、結局今の俺に取れる選択肢はこれしかない訳で……。

 俺の男としての尊厳が少しずつ萎んでいくのが分かった。

 いや、むしろ……俺はこれから女として生きていくしかないのだ。だからせめて女としての自覚を……ってことなのかも知れない。


 ――そんな地獄のレッスンが始まって、かれこれ4日ほどが経った頃だった。

 八千代さんが、栖鳳女学院の制服を持ってきた。


「ほら、これ……朱鳥、貴女の制服よ。袖を通してみなさい」


 着てみると、その制服は驚くほどサイズが俺にピッタリだった。

 初日に採寸された記憶はあるが……まさかこんなに早く制服が出来上がるなんて……仕事が早いにも程がある。

 っていうか、これ……。


「ちょっと可愛らしすぎやしないか……?」

 ブラウスとスカートの至る所にフリルのようなものが散りばめられてらおり、まさにザ・お嬢様という感じの制服だった。


「あら、これでも評判は良いのよ? それこそ、この制服目当てで入学してくる子もいるくらいには」


 ……知ってるよ。

 華恋も栖鳳女学院の中等部に通っているのだが、いつだったか自慢げに言っていた。確か……有名なデザイナーが設計したんだっけ?

 そんなところにまで金をかけるとは、やはり全国有数のお嬢様学校と言われるだけはある。

 ……もっとも今の俺には、鬱陶しいだけだが。


「これから毎日着ることになるんだから、早く着慣れることね」

 確かに、八千代さんの言う通りだ。

 これからは、この制服の着用が当たり前になるのだ。今のうちに慣れておかないといけないな……。


「あ、そうだ」

 すると八千代さんが、何か思いついたように言う。

「せっかくだし、その制服着たまま帰りなさいよ」

「えっ……はぁ!?」

「なによ……早く慣れるべきって、たった今言ったばかりじゃない」

「そりゃそうだけどさ……」

 何事にも、心の準備っていうものが……。


「それに……意外と似合ってるわよ」

「……そうかぁ?」

「貴女、スタイルは無駄に良いから」

 悪かったな、無駄で。

 まぁ、でも……似合ってるって言われて、そこまで悪い気はしなかった。


 それに、ここで駄々をこねたところで、いずれ結局着ることになるのだろうし、ここは素直に八千代さんに従うべきなのかも知れない。


「ったく、分かったよ……」


 俺は渋々その提案に従い、私服に着替えることをせずに制服のまま帰路についたのだった。


◇◇◇


 ――で、その帰り道。

 結局可愛らしい制服が気恥ずかしくなって、家までコソコソと人気のない道のりを歩いていると……俺はある場面に出くわした。


「――ちょっと、やめてください……!!」


 人通りの多い公道から外れた、細い通路の先にいたのは、黒髪ミディアムヘアの女の子と、いかにもチャラそうな男。

 女の子のほうは、俺と同じ制服を着ていた。

 ということは……栖鳳女学院の生徒か?

 だが、胸元のリボンのデザインが俺のものと微妙に違う。確か、華恋が着けていたものがあんな感じだったはずだ。

 華恋と同じということは……おそらく中等部の生徒なのだろう。


 男に腕を掴まれた女の子は、明らかに嫌そうな顔をしていた。


「別に良いじゃん、俺とちょっと遊ぼうよ? その制服、近くの名門女子校のとこのでしょ? お勉強もいいけど、たまには息抜きも必要じゃね?」

「い、嫌……」

 女の子は必死に男を振り払おうとするも、その華奢すぎる腕は、男の力を前に何の抵抗も出来ない。


 ……。

 これは、助けに行くべきだよなぁ……。

 このまま黙って去ってもいいが、流石に寝覚めが悪すぎる。

 俺は2人のいる細い路地へと入っていった。

 そして、2人に向かって叫ぶ。


「――やめなさい!」

 

 俺の声に2人は振り向いてこっちを見る。


「……誰だ、アンタ?」


 男から投げかけられた言葉に、俺はコホン、と軽く咳払いをして答えた。


「『私』は……――通りすがりの女子高生です」

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