第16話 黒い瞳





 空は晴れていた。

 白い大きな壁が、日の光を跳ね返す。誰もが校門にたどり着くまでに一度は目を細めた。

 窓から光が入り込む。大勢の黒いブレザーが各々の教室に吸い込まれる。その教室の一つ、誰もが息を飲むようにして、隅の席を見つめていた。ひそひそと黄色い小声が聞こえる。髪の毛が黒いとか、とても痩せ細っているとか、目元が鋭いとか、人相が悪いとか、あんなに格好いい人だったのねとか、好き好きに呟く。

 黒いブレザーを纏った修治郎は、肘をついて不機嫌そうに窓の外を見つめていた。手元にはお守り代わりの新書を一冊携えている。

 遠巻きに見ていた一人が歩み寄り、修治郎に話しかけた。

「なあ……えっと、誰だっけ」

 修治郎は不機嫌そうな目つきをそのまま向ける。微かに震える指を押さえつけて言葉を発す。

「君が先に名乗れ」

 か細い声だがつっけんどんな言葉に、相手は少しむっとした表情を見せたが、すぐに返した。

「ノーマン。よろしく」

 名乗ったままの調子で続ける。

「なあ、あんたって中国人だっけ」

「アオキ。日本人だよ」

「英語うまいけど、ちっちゃい頃から住んでたとか?」

「留学生。英語は全て日本で覚えた」

「ふーん……なあ、アオキってファーストネーム?」

「ハウスネーム。黄色い人間のファーストネームは覚えにくいだろう」

「いや、それは分かんねえけど」

「ハサウェイのお嬢様が言っていたぞ」

 その言葉に、相手だけでなく教室中がざわめいた。

「シャーロット・ハサウェイ……?」

 静かにわめきたつ教室を背に、相手は神妙な声で聞いた。

「もしかして、あんたが学校来なかったのって、シャーロット・ハサウェイに虐められたから?」

 修治郎は興味深そうに相手を振り向いた。

「今までそうだった生徒がいるのかね」

 生徒は唐突に動揺して、そっぽを向いた。

「いや、俺の口からは何とも」

 修治郎もそれきり深くは問わず、ただ満足げな顔のまま黙り込んだ。教室はしばらく波の音のように沸いていた。

 予鈴が鳴り、修治郎は何食わぬ顔で授業を受ける。休憩中に何人かが修治郎に呼びかけるも、そっぽを向いて応えなかった。

 そのまま何も起こることなく昼休みとなった。

 修治郎は誰とも目を合わせないまま席を立つと、まっすぐ廊下を渡る。透き通る程黒い髪の珍しさに、周囲がちらほらと修治郎を振り向く。人混みと話し声に呑まれると、すぐさまその眉間には皺が寄る。それでも綺麗に避けて歩く中、彼の名前を呼び止める一人の少女があった。

「アオキ」

 修治郎はゆっくり、背後を振り向いた。

「随分元気そうじゃない。まさか同じ学校だったなんてね」

 金髪をふわりとなびかせ、花が咲くようににこやかな笑顔を浮かべる。

 修治郎は、長い溜息を一つつくと、険しい顔でシャーロットに向き直る。

「お陰様でな」

 長い前髪から黒目が覗く。瞳孔が紛れて分からないほど、暗雲のように黒い目だ。

 廊下を歩いていた生徒達は、何が何やら分からないまま、遠巻きに二人を見つめている。シャーロットは続けた。

「折角再会できたのだから、もうちょっと笑ってくれてもいいじゃない。何処のクラスも、ずっと登校してなかった東洋人が来ているって話で持ちきりよ」

 修治郎はいびつに口角をぐっと引き上げて、こう一言。

「そうだな。僕も、ここに来れば君に会えるような気がしていたよ」

「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃないの」

 シャーロットも倣って、口角をなめらかに引き上げ笑う。お互い目線だけで睨み合う。

 修治郎はまた数歩寄り、静かに息を吸って、出来る限りの低い声でこう言った。

「ここじゃあ人が多い。二人きりで話がしたいよ」

 シャーロットは不敵な笑みを崩さないまま、自信ありげな声で返した。

「ええ、いいわ。望むところよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る