第17話 正々堂々と


 修治郎はシャーロットを引き連れて、廊下を渡りきる。そのままつかつかと、慣れたように歩く。

「ねえ、何処に行こうとしているの?」

 シャーロットが問うと、修治郎は振り向かないまま答えた。

「じきに分かる」

「慣れたように歩いているじゃない。学校に来ないくせに、よく道を知っていたものだわ。それとも、迷子になっているのかしら」

「地図なぞ一度読めば分かる。そういえば、僕の国では女は地図が読めないなんて馬鹿げた迷信があるが、まさか君がそうだというのかね」

「あら、それは野蛮な国らしい迷信ね。私は生徒会長よ? この学校だって庭みたいなものだわ」

 そのまま二人で階段を上がる。

 たどり着いたのは講堂の舞台裏だった。

 修治郎が扉を開けると、薄暗く狭い緞帳の裏に、大量の椅子と演劇部の書き割りが乱立している。修治郎はその真ん中を、悠々として歩を進める。

 小窓から一筋の光が延びている。

「……」

 不思議な間だった。お互い睨むでもなく向き合うでもなく、暗い空気の中ただ押し黙っている。

 先に言葉を発したのはシャーロットだ。

「アオキ」

 わずかな鋭さが滲んだその声に、しかし修治郎は、やはり振り向かないまま冷静に返した。

「僕の細い体に傷がついてしまった」

 シャーロットは何ともなしに返す。

「あら、何があったか知らないけれど気の毒ね」

 僅かな間の後、修治郎は弱々しく言葉を溢した。

「痛い。痛いよ、とても」

 力なく振り向いて、黒い瞳でシャーロットをじっと見つめる。地面と接していないかような滑らかな足音を立てて、修治郎は相手に歩み寄った。

 シャーロットはただ黙って修治郎を見つめ返す。修治郎のそれが感染ったかのような眉間の皺と、口角に浮かぶ不敵な笑み。

 暗闇から、修治郎の声が次第に近づいてくる。

「手でも挙げられるかと思っていたのかね」

 吐息混じりの、それはそれは優しい声だった。

 修治郎は今度こそ、相手に顔をずいと勢いよく寄せる。

 静かな吐息がシャーロットにかかる。シャーロットはしかし身じろぐでもなく、ひそめた眉をそのままに返す。

「何をする気?」

 修治郎は答えないまま、制服のズボンから、音もなくフォールディングナイフを取り出した。

「!」

 シャーロットは身を強ばらせたが、修治郎はナイフを振り上げるでもなく、自らの腰筋に沿わせたままじっとしている。

 そのまま耳元で、再度弱々しく溢す。

「痛いんだよ、どうすればいい?」

 シャーロットは身を強ばらせたまま、一歩後退る。構わず修治郎が一歩詰める。

「知らないって言っているでしょ。学校にも通ってこない黄色い人間が怪我しようと、こちとら知ったことないのよ」

 強気な言葉をひねり出した。口角を愉快げに引き上げ、笑っている。

「でも、とってもお似合いよ。どうせ引きこもってるんだったら、怪我をして数日動けないくらいどうってことないんじゃないの? 心配してくれるような相手も居ないんでしょ」

 今度は応えない修治郎に、シャーロットは言葉を畳みかける。

「ねえ、どのくらい痛かったの? どのくらい跡が残ったの? 骨は折れたの? ここで服を脱いで全身の傷跡を見せて跪くんだったら、慰めるくらいはしてあげてもいいわよ」

 暫くの間の後、修治郎は小さく漏らす。

「お断りだ」

 シャーロットは得意げに続けた。

「ともかく、男の癖に自分の怪我を他人のせいにしようとしないでくれる? 罪悪感を煽りたいなら失敗よ」

「何だ、君がやったとちゃんと分かっているじゃないか」

「だから知らないって言ってるでしょ」

 シャーロットは修治郎を睨んだまま、続けた。

「話はそれだけかしら。戻らせて貰うわよ。傷跡ならまた今度、治らないうちに見せて頂戴。昼休みが終わっちゃうわ」

 修治郎は、もう片方の手でシャーロットの手を外側から包み込む。

「!」

 目を見開くシャーロットの手に、修治郎は黒い瞳を向けたまま、器用にナイフを握り込ませた。

「なっ!」

 訳が分からないという目を向けるシャーロットに、修治郎は低い声でこう一言。

「君が傷つけたまえ」

 そのまま、続ける。互いに食い入るような視線がぶつかる。握る手に締め付けるような力が籠もる。

「君もお気に入りのこの顔を、手ずから正々堂々正面から単刀直入に――君自身の手で傷つけたまえ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る