第6話 手癖が悪い
少女は、ぐいと口角を引き上げ、猫なで声でこう言った。
「あら。案内される身でありながら随分な減らず口ね」
そのまままた一歩修治郎に寄り、勢いよく顔を引き寄せる。
「よく見たら、東洋人にしては綺麗な顔立ちね。その顔に免じてさっきの無礼は特別に許してあげてもいいわよ」
不敵な笑みである。修治郎も一切動じず返す。
「僕の細い体になぞ憧れなくてもいいぞ。君くらい肉のついていた方が健康的に見えるというものだ」
蘭子の心内の悲鳴は金切り声に変わった。以前修治郎は父親宛ての手紙に、英吉利人は皆肉の皮を一枚余分に纏っているかのようだと書き殴っていた。
「修治郎様!」
止めに入る蘭子を修治郎はつまらなさそうに見やった。
「申し訳ありません、ミス・ハサウェイ……無礼をお許しください」
蘭子は頭を下げる。少女は修治郎から体を離すと、とても満足げな笑みを浮かべた。
「いいのよ、アタシは優しいの」
そうして再度歩を進め、先程修治郎と話していた学生の机の前に立つ。
学生が少女を見上げた矢先、少女は机に散らかった資料を右手で大きく凪いだ。
「!」
ばらばら音を立てて宙を舞う。
「このくらいで許してあげるわよ」
呆然とする学生に、少女は顔を寄せ低い声で呟く。
「アンタも大変よねぇ。インドからわざわざ、アタシ達高貴なイングランド人の奴隷になりに来たんでしょう?」
無音の中に、その声は酷く響いた。学生は答えない。少女は鼻を鳴らして踵を返した。
「さあアオキ、案内してあげるわ。こんなアトリエでも、立派にお父様の計画の一部……イングランドにとってどれだけ有益かくらいは分からせてあげる」
金髪を揺らす少女に、修治郎は何食わぬ顔で近寄る。蘭子も慌てて後を追う。
「あら、貴女」
少女は蘭子を振り向くと、こう一言。
「もうついてこなくていいわよ。貴女の英語、下手くそで聞いてて嫌になっちゃう」
満面の笑みだった。
蘭子が応えないのを見届けさえせず、シャーロットは歩き出した。修治郎も、蘭子を振り向くことなく素直にその後を歩く。
蘭子は、ただ真顔でその場に立ち尽くした。無意識に、また修治郎のブーツを眺めていた。
彼が遠い。
私がどうこういわずとも、優秀な彼は英語くらい遜色なく話せたのだ。外に出なくたって、彼は端から高貴な身柄で、何を不自由することもなかったのだ。
私が彼を正すべきだなんて、自惚れだったのだろうか。
腕に抱えたままの彼のコートが、やたらと重たい。
「ミス・ハサウェイ」
修治郎がそう呼ぶと、少女は振り向きにこやかに返した。
「シャーロットよ。シャーロット・ハサウェイ。貴女の名前も教えて。東洋人にしてはカッコいいから特別に、ファーストネームを覚えてあげるわ」
「高貴なイングランド人という割には、シャーロットとはフランス語由来の名前のようだが」
「アタシの質問に答えなさい。ファーストネームは?」
シャーロットは語気を強める。修治郎は足を止めると、右手で優しくシャーロットの腕を引き寄せた。
蘭子は息を飲む。
修治郎はしばらく身を寄せたまま、そのままシャーロットの耳元で囁くように言う。
「オサム。オサム・アオキ」
蘭子が目を見張ったのは、それが偽名だったからではない。修治郎は左手を、掻き抱くようにシャーロットの腰に回していた。
小さなフォールディングナイフを握っている。
蘭子が声を上げるより先、修治郎はシャーロットのスカートのボタンを器用にぴんと弾いた。
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