第5話 子音ばかりで読みにくい

 声は滑らかに続く。

「僕は工学系には疎いからそれ以上のことは分からないが、とても精巧な図だな。これはハサウェイ側から指導されたプログラムか?」

 問われた学生は、ただ透き通った目で修治郎を見つめた。

 蘭子も歩み寄る。彫りの深い目元に、フレームのない眼鏡をかけた青年だ。捲った作業服から褐色の腕が伸び、短い黒髪が何処か幼さを感じさせる。

 修治郎は続けた。

「見たところ、このアトリエに集められた学生は目指すところがばらばらの様だ。機械力学に化学工学……ともかく技師と名がつくものを目指す留学生を囲い込むのが目的かね。ずさんな資産家がやりそうなことだ」

 蘭子は呆気に取られる。

 痛いほど健気な目を修治郎から逸らさず、学生は口を開く。

「お兄さん、僕達のことを知っているの?」

 幼い声音で紡がれた英語。修治郎は何故か唐突に嫌がって、あからさまに目を逸らした。

「知らん。そんな目で僕を見るな。誰だね君は」

 低い声でまくし立てる。蘭子が慌てて割り入る。

「すみません。私達、今日ここのアトリエを見学させて頂くことになっていたのですが、何か聞いておりませんか」

 修治郎は顔をしかめ、

「結局君が聞くのかね」

 と日本語で言った。学生は返す。

「偉い人がやってくるとは聞いていた。僕達も知っている人。でも僕は貴方達を知らないから、貴方達ではないと思った」

 抑揚のない声。彼そのものが機械かのようだった。

「その偉い人というのは、ハサウェイ家の令嬢のことか」

「そう、ハサウェイの。とてもとても、血の合わない人」

 そのまま無邪気な目で問う。

「お兄さんは誰? ハサウェイのお嬢様の味方?」

 味方という言葉に修治郎は要領を得ないといった顔をしていたが、やがて素直に返した。

「ハサウェイのお嬢様とやらに案内してもらう約束で来たのだが」

「案内? どうして?」

「何故かは僕にも分からん。僕が知りたい」

 学生は何の遠回りもない、無邪気な声音で問うた。

「さっきのずさんな資産家って、ハサウェイのこと?」

 蘭子はひやりとした。しかし修治郎は一切躊躇わない。

「そうだが」

「修治郎様!」

 蘭子が小声で叫ぶと、学生は拙く繰り返した。

「シュージロ……不思議な名前。何て呼べばいい? 何処の人?」

「質問攻めにする前に君が名乗りたまえ」

「僕、僕は……」

 その時。

 背後の扉が、中の騒音に負けぬ程の音を立てて開いた。修治郎も蘭子も、皆が反射的に振り向く。

 自分達が先程入ってきた扉の前に、仁王立ちする金髪の少女。

「!」

 蘭子ははっとした。大柄な体をした少女は、修治郎の学校と同じブレザーを着ていたのだ。

 少女は悠々と足を進め、よく通る声で言い放つ。

「今からアタシが喋るから、アンタ達は喧しい機械音を止めなさい」

 その一言で、次第に重い機械の音が止んでいき、やがて冷たい沈黙が残った。少女は満足げに鼻を鳴らし、広い地下室に革靴の音を響かせる。

 蘭子が日本語で小さく囁く。

「修治郎様、思い出しました。あの方、修治郎様の学校の生徒会長です」

「ほう、初めて知った」

「でしょうね……」

 修治郎の制服は今頃、あの書物の山の中である。

 少女は修治郎の前に立ちはだかると、自信たっぷりに言う。

「アンタがアオキね。ファーストネームは忘れたわ。黄色い肌の人間は読み辛い名前ばかりで覚える気になれないのよね」

 蘭子は修治郎を盗み見た。意外にも、眉ひとつ動かさぬ澄まし顔である。

「いや、構わんよ。僕の高貴な名前をイギリス人の下手な発音で呼ばれたくないからな」

 皮肉には皮肉であった。蘭子は心内で悲鳴をあげる。

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