第7話 サウスポー?


 金色の粒が床にポトリと落ちる。

 気づかず歩き出したシャーロットのスカートが、物の見事にずり落ちた。

「!」

 修治郎はナイフを仕舞うと満足げに嘲笑う。周りの大勢の学生達も、吹き出す者こそ居なかったが、たまらず笑いを堪える。蘭子だけが身体中に冷や汗をかいていた。

「アンタ!」

 シャーロットが落ちたスカートを引き寄せ、顔を真っ赤にして叫ぶ。

「こんなことして許されるとでも思っているの?」

 修治郎は笑った顔をそのままに言う。

「知らん。そもそも何故僕のせいになる? 君の脂肪に堪え切れずに弾けただけかもしれないじゃないか」

 ただの子供じみた悪口だった。

 遠くから呆然とする蘭子に、先程の学生がちょいちょいと裾を掴んで小声で話しかけた。

「あの人今、左手使ってた。左利き?」

 毛程もどうでもよかったが、蘭子は反射的に答えていた。

「両利きなんです、何故か」

 シャーロットは修治郎をねめつける。言うことを聞かない同級生を睨むガキ大将のようだ。

 修治郎は飄々と返す。

「これはもう案内も中止だな。作業服でも借りて帰りたまえ」

 目線をそのままにシャーロットはスカートを引き寄せ、そのまま駆け足で扉まで向かう。耳元まで真っ赤だった。

 最後に、修治郎に向けて捨て台詞のようにこう一言。

「こんな薄暗いアトリエを見学したいなんて、やっぱり黄色い人間は物好きばかりだわ!」

 そのまま勢いよく音を立てて扉を閉めた。

 やがて地下室は学生達の、安堵の溜息で満たされた。次第に機械の音が戻ってくる。

 何食わぬ顔で立つ修治郎に、蘭子が早足で歩み寄った。

「修治郎様、お願いですからあまり波風を立てないでください。あのお方は旦那様の大切な取引先の相手であって」

「何故だね。君も英語を馬鹿にされて腹が立っているだろうと思ったのだが」

 思いがけない言葉に、しかし蘭子は冷静に返した。

「貴方の行動動機を私にすり替えないでください。別に平気ですから……」

 蘭子の答えに、修治郎は実につまらなさそうな目を向けると、そのまま黙って学生の方に歩いて行った。身を屈め、床に散らばった資料を数枚掻き集めると、無愛想に学生の前に突き出す。

「そういえば名前を聞いていなかったな」

 学生は資料を受け取ると、再度無邪気な目で修治郎を眺めた。

「オサムっていうの?」

 修治郎はぶっきらぼうに返した。

「シュウジロウ・アオキ。好きに呼ぶといい」

 学生はしばらく、修治郎の名前を繰り返し呟く。

「シュウジロ、シュウ……うん、やっぱりシュウがいいよ」

 そのまま改めて向き直った。

「僕はアンシュ・ブラフマー・レディ。出身はインドだよ」

「ハウスネームはどれだ。できればそれで呼びたい」

「レディ。でもこれは階級の名前だから、アンシュって呼んでほしい。シュウは何処の人?」

「日本と言っても分からんか」

「イギリスみたいに、日本でもハウスネームで呼ばないと失礼になるの?」

「初めて会った人間をファーストネームで呼ぶのは、僕からしてみればあり得ない」

「どうして?」

 無邪気な子供の様な問いを投げるアンシュに、修治郎はまごつきながらもこう答えた。

「君と僕は、今日初めて会ったろう」

「そうだよ」

「初めて会った人間はハウスネームで呼ぶべきだし、僕もアオキと呼ばれるべきだ」

「それはさっきも聞いたよ。そういう規則?」

 答えにくそうにする修治郎を、蘭子は端から不思議そうに眺める。

「僕はシュウって呼んでいいの?」

「別に構わんが、そのだな……」

 目線を泳がせながら、ぼそりとこう漏らした。

「そんな呼ばれ方をされたのは初めてだから、少々気恥ずかしい」

 傍らで蘭子が、片手にコートを掛けたまま口元を押さえる。気づいてか修治郎が横目でちらりと蘭子を睨んだ。

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