待ち人未だ見つからず

七海 司

待ち人未だ見つからず

 焙煎したコーヒー豆の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。コポコポとお湯が沸く音だけをBGMに私の喫茶店はゆったりとした雰囲気で包まれている。

 窓越しに松の根本で彼女と指切りをした思い出の松の木を眺める。


 今日も待ち人来らず。あと何年、私は約束を信じて待てばいいのか。

 手元の新聞は、もう約束の日から十年たったのだぞと伝えてくる。まったく、余計なお世話だ。


 十一日の卒業式の後に二人だけでした約束。桜の下で交わしていたならどんなに美しかったろうか。

 私たちが約束をしたのは住宅街にある松の木の下だった。思い出すたびに、つくづく絵にならないと自嘲する。それでも、陽だまりの中をひんやりとした冷たい風が吹き抜ける、気持ちのいい日であったことは覚えている。

 私にとって大切でそして生涯忘れることのできない不幸な日。人生の進むべき方向を決めた時間だった。

「指切りげんまん。うそついたら針せんぼんのーますっ。ゆびきった」

 夢が叶ったら、もう一度ここで会おう。そして最高のブラックコーヒーを飲もう。きっと大人の味がすると言って彼女は笑っていた。なら、私は彼女のためにコーヒーでも淹れてみよう。きっと喜ぶだろうと無邪気に思っていたような気がする。青くさいけれど私と彼女の大切な未来を語ったひと時だった。


 彼女と別れて家路へつく途中で町は、瞬く間に変わってしまった。

 この町で私たちが生きていたという証は、全て無くなってしまった。家も学校もクラスメイトも親も全て津波に持って行かれてしまった。

 奇しくも、私たちの卒業式の日は三月十一日。東日本大震災と同じ日だった。

 町は、瓦礫と泥だけが残された。

 私には命と彼女との約束だけが残った。


 また会う。ささやかな願いを叶えるため、泥にまみれながらも生きて大人になってしまった。


 時間は残酷でモラトリアムに浸る間も与えずに私を大人にしてしまった。

 それでも、生きて夢を叶えられたのは幸運だったのだろう。

 彼女がいつ来てもいいように、約束の場所が見える位置に店を構えてずっとずっと私は待っている。


 

 彼女を待って二十年。

 もう、約束の木も無くなってしまった。

 それでもまだ、彼女はやってこない。

 それでもまだ、遺体は見つからない。

 夢を叶えた彼女が来店するのではないかと、今日も私はコーヒーを淹れる。

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待ち人未だ見つからず 七海 司 @7namamitukasa3

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