第38話 兄の思い その2

「おい、レン君。そろそろ帰った方がいいんじゃないか。明日早いんだろ?」


「はい……おっと、いけない。もうこんな時間か」


 高母に言われ、スマホで時計を確認すると、もう既に21時になろうとしている。高江洲家のわらべどもが勉強に集中しないものだから、すっかり長引いてしまった。


「すいません、アンドレさん。弟たちまで勉強見てもらって」


「いえいえ、気になさらず。では今日の問題の解き方を何度か反復してみてください。要は慣れですから」


「はい、やってみます」


「お~い、アンドレ~。さっさといくぞ~」


「ああ、わかってる」


 高江洲が玄関から急かしてくる。慌てて鞄に入れるものをまとめ、高江洲から借りるギターも抱え、俺は立ち上がる。


「あの……アンドレさん」


「はい? どうかしました?」


「いえ……やっぱり、なんでもないです」


「そうですか。では、また」


「はい、また」


 こうして俺は高江洲家を後にした。


♢♢♢


「今日はバイト大丈夫なのか?」


「明日は遠足だからな。今日はシフト入れてない」


「賢明な判断だな……」


 高江洲と多少の会話を交わし、田舎特有の街灯の少ない帰路を送ってもらう。毎日毎日、途中まで送ってくれるとは、なかなかに律儀な奴だ。別に生娘きむすめでもなし、一人で帰ろうと思えば帰れるっての。

 ……なんて強がりはよそう。俺は田舎特有の街灯少ない道を振り返り、ふと思う。


(やっぱり、送ってもらって良かった)


 先が見づらい暗闇の道というのはなんとも不気味なもの。ぶっちゃけ、男の俺でも怖い。なんて考えていると……。


「なぁ、たまにでいいんだけどさ、また冴の勉強見てやってくれないか?」


「断る」


「即答かよ!」


 俺はぶっきらぼうに答えた。

 ったく、唐突に何を言いだすのかと思えば。自分の勉強だけでも手一杯だというのに、他人の面倒など見ている余裕などあるわけがない。


「フィールドワークが終われば、お前の家に世話をかけることもないだろうに」


「そう言うなよ。あいつ、最近お前になついてるじゃんか」


「ふん、中学生に懐かれたところで嬉しくなどない。人に勉強を教えて、痛い目を見た経験もあるからな」


「そりゃ、色々あったかもしんないけどさ……」


 はぁと溜息をつくと、高江洲は空を見上げながら続ける。


「この前、俺がバイトしてる理由聞いてきたよな。それって、実はあいつの為だっていったらどうする?」


「はぁ?」


 俺は思わず呆れ声を出す。


「実は冴のやつ、学校の先生になりたいらしんだ。おふくろの代わりに行った保護者面談で聞いちまった」


 高江洲によると、高いも2は学費の面で高母に負担をかけたくない様子らしい。しかし、家族の世話をしつつ勉強面で頑張る妹の夢を叶えてやりたい。そんな兄のささやかな思いというものを見せつけられる。


「で、おふくろさんに変わってお前が貯金を?」


「大学行くって金掛かるんだろ」


「返済免除の第一種奨学金制度ってのがあるぞ。まぁ、入学試験や成績は主席をキープしなきゃならないだろうが」


「んなの現実的じゃないだろ? お前じゃないんだからさ」


「確かに」


 ぐっ、こいつに正論を返されてしまうとは。


「誰かが親父の代わりしなきゃいけないんだったら、兄貴の俺しかいないかなって……さ」


 なんだか、いつもの茶髪らしくない。そんな兄貴の顔。同じ年とは思えない、頼り甲斐のある男の顔だ。


「だからさ、たまにでいいんだ。勉強面でサポートしてやってほしんだ」


「困る」


「やっぱりダメか」


「そんなこと言われたら、断れなくて困ると言ってるんだ」



 高江洲が驚いた様子でこっちを見る。

 ロクな男じゃない俺には関わってほしくないというのが正直な気持ちだった。だけど、そんな兄弟の絆を見せつけられたら、下卑げひた男のままではいられないではないか。クズが過ぎる。


「はは、流石アンドレだぜ!」


 高江洲が相変わらずの腕力で、俺の首に腕を回してくる。嬉しそうな顔しやがって……本当にこいつは。 


「あ、でも妹はやらねぇぞ?」


「いらん! 誰が貴様を兄と呼ぶか!」


 二人で歩く暗い道のり。だが、空に浮かぶ星たちは輝いている。それを見る俺の気持ちは、どこか不思議な清々しさがあった。

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