第15話
「今日はどうするの?」
ここにやってきて三日目の朝。この島ではあまりすることがない。釣り、ダイビングなどのアクティビティ、写真を撮る等の明確な目的があればまた違うのかもしれないが、あいにく僕にはそういった趣味がない。
「せっかくだから少し遠出して海水浴でもしてみようかな、と……」
ヨゾラの問いに曖昧な答えを返す。昨日の今日で全く懲りないやつだと思われても仕方がないが、沖縄までやって来て海に入らないのは人生の損失に違いない。
ヨゾラに海水浴をするにはどこのビーチがおすすめか尋ねると「マジで何も調べないで来たんだね」と事務所から観光マップを持ってきて見せてくれた。
渡嘉敷島は慶良間諸島を構成する島のひとつで、他には座間味、阿嘉などの島がある。諸島と言うだけあって三十六もの島で構成されており、その内有人島は五つ。……とは言っても、人口は年々減っており、観光客が訪れるようなメインの島は先述の三つの島と言うことだった。
行政区分は二つの村──渡嘉敷村と座間味村に分類される。
「村……」
まだその区分が存在することは知っている。知ってはいるが、どこかタイムスリップしたような気持ちになってしまう。
「何か文句でも~?」
「いや。ただのカルチャーショック」
「言っとくけど、ここが一番発展してるんだからね?」
「理解しております」
「どうだか……」
マップに記された観光客向けのビーチは二つ。『とかしくビーチ』『阿波連ビーチ』だ。
「どっちがいいのかな?」
「民宿とかお店が多いのは阿波連の方かな。とかしくはホテルがあるから家族向け」
どっちにしようか──と地図とにらめっこする僕に、ヨゾラがふと気がついたように声をあげた。
「そういえばスマホ使わないんだね。何かの縛りプレイ?」
ヨゾラは僕が通信機器の類いを一切使わない事を不思議がっている様子だった。冷や汗が流れる。
電源を入れると──ほぼ確実に、間違いなく、着信やメッセージの山だろう。それを確認して両親に連絡を取るのが嫌で、僕はヨゾラの「親には連絡しなよ」の忠告を無視していた。
良くないことだとは分かっている。しばらく一人にしてください、死ぬつもりはないと書き置きはしてあるものの、既に捜索願いなどが出されていてもおかしくなかった。
「百聞は一見にしかず、って言うからさ……ここでインターネットを見てても仕方ないかなと」
言い訳をしながら部屋に戻り、電源を入れずに端末のカバーを外す。差し込まれているSIMカードを取り外してから電源を入れる。
この民宿は見た目にそぐわず──と言ったら失礼かもしれないが、Wi-Fiが飛んでいる。それには接続しない。設定画面を開き、インターネットの接続を切る。
そうすると電源を入れたままでも通信がされないため、スマートフォンはただのメモや電卓の機能がついたカメラになる。
「これでよし」
本当は全く良くないことは分かっている。……分かっては、いるのだが。
「タオルはお風呂場にあるのを持って行っていいよ」
偽装工作を終えた後、階下に降りた僕にヨゾラが声をかけてきた。リュックにはフェイスタオルが一枚入っているものの、それだけでは心もとない。大判のタオルを持って行っていいと言うのは嬉しいサービスだった。
「あっ」
ありがとう、と返事をしようとした瞬間、僕の計画には致命的な欠陥があることに思い至り、思わず声を上げてしまう。
「どうしたの?」
「……この島、水着を売っているところ、ある?」
家出をした時は沖縄に到達するなんて想像してもいなかったので、荷物に水着を入れる発想はまったくなかった。
「……那覇に戻るか、それかホテルの売店か……ぱっとは思いつかないけど、たぶん阿波連の方に行けばレンタルが、うーん、あるかなあ」
ヨゾラは首をひねり考えこむ。
「いや、いいよ、足だけで」
何もガンガン泳ごうと言う訳ではない。ないならないで、諦めることも重要だ。それか我慢できないなら多少割高でもホテルの売店で買うこともできる。一旦手ぶらで出かけてしまうのもアリだ。
「何言ってんの。沖縄まで来てシュノーケリングもしないなんて。それじゃあテレビや写真で画像を見ているのと変わらないじゃない」
ヨゾラはちょっと待っててね、と食堂を出て行った。台所横の木の扉が、まだ知らぬ彼女の一家の居住スペースへと繋がっているのだった。
「あった、あった」
どたどたと廊下を走る音がして、ヨゾラが何らかの布を振り回しながら戻ってきた。
「パパの古いやつ。ぶかぶかだけど昔はもっと痩せてたし、紐があるから脱げることはないと思う」
ヨゾラが持ってきたのは紺色の海パンとラッシュガードだった。おじさんの私物らしい。
「これ使いなよ。嫌じゃなければ……水着買うのもったいないよ」
「ありがとう」
贅沢は言っていられない。あるものでなんとかなるのなら、そうすべきと素直に感じる事が出来た。それもまた、この島にやってきて生まれた心の変化かもしれない。
「渡嘉敷に来てウミガメチャレンジしないなんて、もう何しに来たのかわかんないからね」
「ウミガメ?」
ヨゾラの言葉に今度は僕が考えこむ番だった。
「え、ウミガメ知らないの? そんなTシャツ着てるのに……」
「知ってはいる。いるけど。あの海にいる亀でしょ」
「うん、まあ……本州の人にとっては、カメってあの緑の方なんだね」
ヨゾラはもごもごと口ごもった。彼女にとってはミシシッピアカミミガメやミドリガメよりもウミガメの方が身近な存在だと言うのはなんとも妙な感覚だ。
彼女が説明するにはこの島の近海にはウミガメが生息していて、かなり高い確率で遭遇することができるとの事だった。
「冬にはホエールウォッチングのツアーもあるよ」
僕がこの島についてなんにも知らないので、ヨゾラはそのたびにいちいち説明をしてくれるのだった。せっかくなので僕はウミガメが居て、なおかつ人が少ないほうの『とかしくビーチ』へ行く事とする。
「バス時刻表ある?」
「あー、バス時刻表ね。うん。あるよ」
ヨゾラが指さした先には、カレンダーと一緒に日焼けして壁と同化したバス時刻表があった。意外と言っては失礼かもしれないが、一時間に一本はあるようだ。しかしバスの時間を待って、海を眺めて、帰りのバスで……となるとスケジュールを守らなければ路頭に迷ってしまうだろう事は明白だった。
「レンタサイクルで行こうかな」
「坂だよ。てか、山?」
ヨゾラがこともなげにそう言い、慣れていない人には正直おすすめしない──と言った。都会の人は免許を持っていない人が多いため、そう言った時のために自転車を用意してはいるけれど、免許があるなら車かバイク、それか宿泊施設およびアクティビティの送迎を使うのが一般的なのだそうだ。
「そうなんだ……」
ならバスで行こうか。時刻表とにらめっこし、行き帰りの時間を計算する。
「バスで出かけたら、お昼は戻ってこれないね」
「とかしくビーチの方にはあまり飲食店がないんだよね」
「まだまだ、午前中は日差しも強いんだよね」
「そんな事言われても、どうしようもできないし」
ヨゾラの立て続けの発言は僕をここに引き留めておきたいように聞こえる……それは願望だ、と言われてしまえばそれこそどうにも出来ないのだけれども。
「ねえ、ハルト君。これはね、提案なんだけど──」
僕はヨゾラが次に何を言うのか、真剣に耳を傾けた。
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