第14話
夕食が出来上がるまでの数時間、やることがなかったので食堂に積んである古い漫画を片っ端から読みふけってしまい、顔を上げるとすっかり外は橙に染まっていた。
受験勉強にもこのぐらい夢中になれたら──なんて、仕方のないことを考えてしまう。
世の中には高い点数を取る事をゲームのように楽しめたり、勉強そのものを面白く感じたりと、僕からすると奇妙なテンションで生きている人々が存在する。世界は彼らのようなごくごくわずかな人間によって引っ張られていて、成長過程と言えどいやいや詰め込み学習をさせられている僕が相手になるはずもないのだ。
……なーんて、なんでもかんでも自己否定に結び付けていると、ヨゾラがのれんの奥から顔を出した。
「皿運ぶの手伝ってくれない?」
「存在意義を見いだすことができてうれしいよ」
「なんだそりゃ」
ヨゾラのあきれ顔に、僕は曖昧に笑った。
「ねえ、ゴーヤ、どう? 食べられる?」
沖縄の食事はなんでもおいしいなと思いながら黙々と食事をしていると、ヨゾラが探るように訪ねてきた。
「これがゴーヤなんだ。……薄切りにしたズッキーニかと」
僕が『肉野菜豆腐炒め』だと思っていたものがそれこそ有名な『ゴーヤチャンプルー』なのであった。ヨゾラが説明するには『チャンプルー』は『混ぜこぜにしたもの』を意味する沖縄の言葉らしい。
「おいしいよ。まあ、なんでも美味しいんだけどさ」
「普段はお坊ちゃまだからもっといいもの食べてるんじゃない?」
その言葉にはなんとも返答し難い。ヨゾラも今のは良くなかったと思ったのか、顎で食堂と海の間、ちょっとした庭先の方を示した。緑色のすだれのように垂れ下がっているがゴーヤらしい。
「食べられるならちょうどいいや。沢山あるからさ。明日からガンガン使うことにする」
「地産地消。しかも緑のカーテンときた。エコだね」
エコロジーだのサステナブルだの、ワークライフバランスだのの最近の流行にのっとると、確かに東京より沖縄の方が最先端と言えなくもない。
「離島は何を運ぶのも、ごみの処理にも余計なお金がかかるからね。島にあるものを食べないと」
そういえば彼女は朝もそのような事を言っていた。日本、いや世界中のどこでも都会からやってくる観光客の出すゴミが環境に負荷をかけているのだろう。
ヨゾラは夕食後、濃いピンクオレンジのジュース──グァバと言う聞きなれない果物らしい──を振る舞ってくれて、東京の話を聞きたいと言った。
そう請われても僕はほとんど引きこもりでみたいなもので、彼女が喜びそうなライブ会場や商業施設の話をすることができない。
「ね、東京のどの辺の出身なの?」
「王子」
僕が答えた言葉にヨゾラは首をひねってスマートフォンを取り出した。
「それ何区?」
「北区……」
自分の住んでいるところがものすごく有名ではないにせよ、それなりに駅としての知名度はあると思っている。しかしそれは都内だけの話で、彼女にはまったく知りようもない土地でしかない。
「人口三十五万人だって。何があるの?」
「飛鳥山公園とか……渋沢栄一記念館とか……」
「こうえん~~~?」
ヨゾラは不満げだった。そんなものこの島にだってある……と言いたげだ。
「み、緑があるかどうかは東京都民にとっては結構重要な問題で……それに、飛鳥山公園は江戸幕府の八代将軍の徳川吉宗が桜の木を植えさせて、今でもお花見の時期は桜の名所として有名で……」
父さんが『田舎から東京に来てはじめて自然のありがたみが分かった』と言っていたので、きっとそれは本当なのだろう。
自分でもどうしてこんなに頑張って地元の説明をしようとしているのか、少し滑稽に思うが口が止まらない。
「江戸。へえ。つまり、都会じゃないけど歴史が古いところって感じ?」
ヨゾラの言葉に、まあそんな所と返す。地元の資料館で僕が学んだ内容によると、江戸時代は農村でしかなかったようだけれど。
「新宿とか渋谷は遠いの?」
「渋谷は近くに親戚の家があるからたまに行く」
「渋谷って人が住むところあるの?」
「駅からは1キロぐらい離れてるよ」
「すごい近いじゃん」
車がある人にとっては、と言うよりは陸続きで歩いていける範囲であれば「近い」。ヨゾラの判定はそうなっているらしかった。
「東京と言えば、ディズニーランド。それは千葉なんだっけ……スカイツリーとか……あ、野球とかスポーツの試合も沢山やってるよね」
「普段はどこにも行かないなあ」
「なんで?」
わざわざ遠くから人が行きたいと思うほどの場所がすぐ近くにあるのに、なぜなのだ、と唇を尖らせる。
「近くにあると興味がなくなるよ。まあ好きな人もいるだろうけど……」
「じゃあ、えーと、横浜。富士山。スキー場とか」
「それは他の県。わざわざ遠出してまでは」
「うーん。海にも山にも街にも行かない。ハルト君は一体、何をして過ごしてるの? あ、部活? バイト……はしてなさそうだね」
「勉強」
「してないじゃん」
「してた」
「過去形ね……」
「うん」
「何か興味のある事、ないの? やりたい事とか」
「ない。ヨゾラは?」
一瞬妙な間があった。うっかり心の中で呼び捨てにしていることがばれたから気まずいのかと思ったが、そうではない。やりたいことがないのか、と僕が聞いたのがまずかったのだ。
「ないよ。一緒だね」
ヨゾラは僕の失言をスルーして話題を切り替えた。僕たちはお互いにジャブを出しつつ、かなりの頻度で相手の顎にうっかりヒットさせているような気がする。
「沖縄を選んだ理由は?」
ヨゾラがテーブルから身を乗り出し、まるでインタビュアーの様にこぶしを僕の顔の近くに寄せてくる。
「なんとなく。空港まで行こうと思って。そうしたら、大阪とかじゃつまらないから沖縄か北海道になる。でも、南の方がいいかなと」
「なるほど。慶良間諸島については?」
「ゆいレールに乗って、首里城か国際通りにでも行こうと思ったんだけど」
「定番ね」
「広告を見て、そうだ海に行こうと思って」
「あれマジで意味あったんだ」
「そうしたら、フェリーターミナルがあって。那覇は意外と都会だから、一番手堅そうな所にしようと」
「まあ一番メインの島ではあるよ?」
「辿り着いて、そこから先は何も考えてなくて……どこかで補導されるんじゃないかって思ってたから。いざ着いたら何もねーって焦り始めて。そこでおじさんに声をかけられてついてきてしまった」
つまり、僕がここに辿り着いたのは衝動で、発作で、突発的な、いきあたりばったりの偶然にすぎないのだ。
「ふーん。完全にノリで来たんだ」
「うん」
「それで──この島に来てどうだった?」
ヨゾラはじっと、僕を見つめた。探るような視線だった。
「最高だよ」
「ほんとにぃ?」
「凄くわくわくした──今もしてる。空気が全然違うんだ。海も、空も」
本当は、一番違うのはヨゾラの存在だ。
「ここに来て、凄く、良かったと思っているよ」
「ふーん……」
それは本心だった。都合の悪いことは山ほどあるし、不安をごまかしたくて必要以上に饒舌になってしまっているのは否めない。
しかし、僕は彼女に自分の話をしたいし、彼女の話をもっと聞きたいと感じてしまっているのだ。
男子校育ちで免疫がなくて、椅子からつんのめりそうになっている僕の事を愚かだと思う人はそれこそ大勢いるだろう。でも、仕方ないじゃないか、こうなってしまったのだから。
「そっかあ。好きになってくれて、ありがとね」
この島の事──とヨゾラが続ける前に、僕は盛大にグァバジュースをこぼした。
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