真夜中にそっくりでそっくりでない女の子二人が集ったら

佐倉奈津(蜜柑桜)

年頃の女の子の二つの「普通」

 淡い色の花びらが縁を飾るお気に入りのお皿に、狐色の焼き菓子、それから果実の香りのする湯気が上がる茶器。ふかふかの布団の真ん中にお盆を置いたら、十二時の鐘が鳴る。

 とっておきの時間を迎える用意をしたら、私はいつも夜を思い出す。

 時計の鐘が不思議と鳴らなくなった、細い月が光る静かで暖かい秋の夜を。



 ***



「さ! せっかく誰も見張ってないし、心配事は明日にして、今夜は眠くなるまでお喋りでもしましょう」

 目の前の少女は茶器と菓子皿を大きな寝台の上に置くと、さっそく寝っ転がって肘をついた。茶に近い柔らかな髪の毛が布団の上に落ちて弧を描く。「早く早く」と手招きをされて、私も布団の上で膝を折った。

「なんだかまるで研修旅行みたいね」

「研修旅行? なあにそれ?」

 笑みに疑問を混ぜた顔はが最も良く知る十八歳の女の子の顔なのに、私と同じ橙色の瞳が心底わからないと問いかけている。

「だって、こんなに大きな布団で同い歳の子と夜中までお喋りだなんて」

「なにそれすっごく楽しそう!」

 彼女は顔を輝かせて勢いよく上半身を起こした。その拍子に襟元や裾についた襞が揺れる。私が今まで着たことがないような可愛らしい寝巻きは、まるで絵本の中の王女様のもののようだ。

 というより、彼女は本当に王女様なのだけれど。

 かくいう私も彼女と色違いのお揃いの寝巻きに身を包んでいるのだけれど、ずいぶん裾が長いし、私がいつも着ているものより格段に可愛くて気恥ずかしい。

「外国の市井の学校ってそんなことするのね! うわぁいいなぁ……ねえねえどんなこと話すの?」

 彼女の好奇の視線が私に注がれる。まるで経験がない未知のものに対する関心と羨望。私の世界では、私の歳で知らないなんてまずあり得ないのに。

「別に特にこれってこともなくて、他愛ないお喋りよ。普段同い歳の子たちとしているような。お城でもしない」

「同い歳の子との? 大臣の愚痴とか勤務交替願いとか?」

 それは次元が違う。

「えっと、流行りの服とか噂話とか」

「あ、それならあるかも」

 すぐに返事が返ってきたのに安心する。全く違う階級の人に場違いな話をするのは気が引けるもの。そんなこちらの懸念などには気づかぬ様子で、彼女は考えを巡らせながら布団を指でつんつん、と突っついた。

「次の式典の服装希望とか、城下でどこそこの店で作った商品が輸出に向きそうとか、あと山の方の雪溶け具合なんかも。早めに対策取らないと川の増流が危険になるのよね」

 噂話の概念が違う。

「そういうのはない、かな。最近人気があるのはこういうスカート、とか、どこのお店のお菓子が期間限定、とか」

「期間限定のお菓子となると料理長に試食させて良さそうなら販路を拡大ね……」

 やっぱり王女ともなると、若くても耳に入れる話題から違うのだ。育った環境や身分によって住む世界が違えば、同じ女の子で同じ歳でも、もしかして他愛のない話ってできないのかしら。

 でも政治や経済や、国を動かす話ばかりしていて、それは窮屈なんじゃないかしら。もっと本当になんてことのない、肩肘張らない会話があってもいいんじゃないかしら。

 そう思って聞いてみる。

「それは、どうかしらね」

 彼女は微笑んだままやや眉尻を下げた。

「城の中に歳の近い子はあまりいないから、それは確かに寂しいわ。私より年上の人たちだってみんな揃って『姫様』って形で接するもの。だからいまあなたとこんな風に話しているのはすっごく嬉しいのだけれど」

 それはそうだろう。私だって毎日畏まった対応ばかりされたらと思うと考えるだけで嫌になる。

 しかし、彼女は瞳に強い光を湛えたまま、はっきりと述べる。

「でも、私はこの身分に生まれた以上、城下や国のことに向き合うのが務めだと思うの。じゃなきゃこの城に王女としている資格なんてないでしょう。皆が私の年齢関係なしに私に接してくれるなら、私も年齢関係なしに応じなくちゃ失礼だもの」

 その言葉に迷いは感じられず、伝わるのはただひたすらに真っ直ぐな気持ちだ。

 肩書きだけではなく、その両肩の上にあるものに恥じず、国中を視野に入れ責を全うしようとする十八歳。

 家族と友達に囲まれて、身の回りすぐそばにある生活が全てである、市井の十八歳。

 生まれた時に求めたものはきっと同じだったのに、十八年の間に積み重ねてきたものが違うとこんなに変わってしまうのだ。それでも——

「でも幸せじゃないと思ったことは無いわ。街の皆も城の皆も、正直に話しかければ返してくれるもの。だから私も誠意を持って応じなくちゃいけないと思うだけ」

 断言する瞳は、強い心根を証明する、紅葉を映したような橙色。気高さと、そして民を思う優しさと。

 その誇りを個人の基準で害してはいけない。私の幸せの基準を、彼女の幸せの基準にしてはいけない。

「気兼ねなく話せる友達がいないって、やっぱり寂しくない?」

 それでもやっぱりつい聞いてしまうと、彼女は肘をついた手を頬に当ててはにかんだ。

「だから嬉しい。今夜あなたとこうして話しているのが。ねえ、他にはどんな話をするの?」

 花が開くような笑顔は私の気持ちを綻ばせる。素直に動く表情につられる。この国の人たちが、彼女を大事に思うのも納得する。

「そうね……例えば……」

 小花が散る茶碗を手に取り、私も寝転がって彼女と目を合わせた。

「恋の話、とか?」

「うわ、素敵! それはやっぱり夜でないと」

 すぐさま彼女の目が輝き、誰もいないのにひそひそ声になる。途端に彼女と私の間にあった隔たりが消え、距離が近くなる。

「ねえ、もし恋人にするならどんな殿方がお好き?」

「えぇ……んー……と、ね、恥ずかしいからそっちが先」

「なぁにずるい」

「理想の男性はこんなのって、いないの?」

「あら、お兄様よ」

「なにそれ、そう言えちゃうのすこい」

「だって本当に素敵だもの」

 示し合わせてもいないのに同時にくすくす笑いが溢れ、止まらなくなる。どちらともなく菓子に手が伸び、互いに相手の考えを窺うように見たら、一緒に吹き出してしまう。

 やっぱり十八歳の女の子だ。

 可愛い食器に温かいお茶を入れて、甘いお菓子を前にして、寝っ転がって恋の話をしたらもう、やっぱり同じ女の子だ。身分も育ちも関係ない。

 私たち二人の「普通」は全く違う。

 それでも夜も更けて話し出したら、身分も育ちも関係ない。

 お茶とお菓子と他愛のない会話。

 自然と瞼が閉じるまで、止まることなく続いた胸がときめくお喋り。

 彼女と私の世界は違う。でも世界が違っても、十八歳の女の子が心通わせるために必要な「普通」は同じ。

 あの夜、蝋燭の明かりに暖かに照らされた部屋で私の前にいたのは、私と全く違う女の子だった。

 それでいて確かに、私と全く同じ女の子だった。



 ***




 彼女はいま、どうしているだろう。

 きっといまでもあの毅然とした雰囲気を纏い、意志が強く、かつ優しさのこもった瞳で国の皆の前に立つのだろう。

 でも、私と同じ彼女の姿もきっとある。


 「あの世界」に別れを告げて、私の普通が取り戻されても、あのきらきらした時間はいまもなお、私の胸の中で温度を持って光っている。


 お気に入りのお皿にお菓子とお茶。

 この三つを用意した夜、私はいつも、彼女と一緒の大切な夜を思い出す。







 ——了




 当作品はこちらの長編のスピンオフです。

 


https://kakuyomu.jp/works/1177354054889868322



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真夜中にそっくりでそっくりでない女の子二人が集ったら 佐倉奈津(蜜柑桜) @Mican-Sakura

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