第5章 三日日後半 第2話 読経

 化野駅に辿たどり着いたが、列車はない。

 それに小春たちは、ここまで走ってきて、疲れていた。

「これから……どうするんですか?」

 小春はウコンとサコンに、尋ねた。夏代、秋奈、冬華は疲れてベンチに座っていた。幸いにも、まだここは景色に色がはっきりと残っていた。

「ここから線路を辿って、化野村から脱出する。線路を辿れば、必ず次の駅に辿り着ける。それはかつて訪れた、放浪の画家が教えてくれた」

「お供え物のおにぎりをあげたら、喜んで教えてくれたッスよ」

 ウコンがそう云い、小春は誰のことだろうと、首をかしげた。

「少し休憩したら、出発する。あの様子だと、あと十分じゆつぷんくらいなら大丈夫だろう」

「小春ちゃんも、休んでおいたほうがいいッス」

「我々が辺りを見張っておくから、安心して休むといい」

 ウコンとサコンからそう云われて、小春は頭を下げた。

「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて……」

 小春はゆっくりと歩いて、夏代と秋奈と冬華が待つベンチに向かった。夏代の隣に腰掛けると、それまでの足の疲れがドッと押し寄せてきた。

 ずっと走ってきたので、足が棒のようだ。体育の授業でも、ここまで必死に走ったことはなかった。きっと明日には、筋肉痛になる……。

「こ……小春」

 夏代が云い、小春は顔を向ける。恐怖と疲労で、夏代も秋奈も冬華も、グロッキーになっていた。

「ウコンさんとサコンさんが、見張っててくれています。あと十分だけ、休憩できるそうです。それが終わったら、この線路を辿って、化野村から脱出します。ウコンさんとサコンさんが、そうおっしゃっていました」

「そうなんだ……良かった」

「あぁ、もう少しで出られるのね……」

「お腹が減ったよぉ」

 夏代と秋奈と冬華が、それぞれそう云って、空を仰いだ。

「それにしても、小春ちゃんは強いね」

「そっ、そうですか?」

 秋奈の言葉に、小春は首をかしげた。自分が強いなんて、思ったことがない。むしろこの状況の中で、ここまでウコンとサコンを信用してついてきた、友達の方が強いのではないだろうか?

 小春はそう思っていた。

「そうだな。あの近藤とかいう坊主の言葉にも負けず、私たちを正気に戻してくれた。もしかしたら、私たちの中で小春が……一番強いのかもしれないな」

「夏代ちゃんに一票。これだけ走ってきたのに、お腹が空いていないのも、強い証拠だと思うよ~」

 冬華がそう云い、小春は噴き出しそうになった。

「みなさん……ありがとうございます」

 小春は微笑みながら、三人にそう云った。

「ふぅ……無事に戻ったら、また光代さんの料理が食べたいなぁ」

 冬華の言葉に、夏代が頷いた。

「同感だ。あの美味しい料理を食べないことには、神山村から離れるわけにはいかないな」

「あたしも! お腹いっぱいになるまで食べたい!」

 秋奈もそう云い、小春は微笑んだ。

 無事に神山村に戻ったら、おばあちゃんにお願いして、美味しい料理を作ってもらいましょう。私も、おばあちゃんの料理が食べたい。

 小春たちが他愛のない会話をしていると、ウコンとサコンが小春たちの元へとやってきた。

「あと三分後に出発するから、そろそろ準備しておくように」

「辺りに敵の姿は無いから、安心して大丈夫ッスよ!」

 サコンとウコンがそう云い、小春たちは安心した。これでようやく、化野村から神山村に帰れる。そんな気持ちが溢れてきて、小春たちは笑い合った。

 しかし、そんな小春たちの笑顔は、すぐに消えることとなった。



南無南無南無なむなむなむ……」

 突然、聞き覚えのあるお経が、小春たちの耳に届いた。

 聞こえてきたお経に、小春たちはもちろんのこと、ウコンとサコンも目を見開いて驚きを隠せなかった。ついさっき、ウコンが辺りに敵は居ないと云っていた。ウコンが嘘をついていたとは思えない。

 このお経は、間違いなくあの近藤というお坊さんのものだ! 盛獄寺で近藤が詠んでいたお経と、全く同じだ!

 小春が驚いていると、駅の外に近藤と亡霊がいた。近藤は先頭に立って、長い数珠を手にしながら合掌し、読経している。亡霊たちも、近藤に倣って合掌していた。しかし、まだウコンとサコンへの恐れが消えていないらしく、その表情は不安の色が浮かんでいた。

「南無南無南無南無……ついに見つけたぞ!」

 近藤が小春たちを見て、叫んだ。

「大人しくついてきてもらおう! このまま村を出るなど、この私が許さない!」

「くっ……!」

「諦めの悪い奴ッスね!」

 ウコンとサコンは、再び霊撃刀を抜いた。

「決して化野村から出ることは、許さない。これは御仏みほとけの聖断である。さぁ、早く化野村へ戻るのだ!」

「いっ……嫌ぁっ!」

 秋奈が叫んだ。

「なんてしつこいんだ……!」

「ここまで来るなんて……!」

 夏代と冬華も、驚くと同時に呆れていた。

「うう……どうしてここまで……?」

 私は、恐れと悲しみで胸が詰まりそうでした。あの近藤というお坊さんは、どこまで私たちを追いかけてくるのでしょうか? もしも化野村から脱出できたとしても、神山村まで追いかけてくるのではないかと、考えてしまいます。


 せっかく、ウコンさんとサコンさんが、私たちをここまで連れてきてくれたのに。

 私たちは化野村に居たくないのに。

 ただ、私たちが居たい場所に、帰りたいだけなのに。

 どこまで、近藤というお坊さんは邪魔をしてくるのですか?


「どこまでも、しつこいやつッス!」

「ウコン! やるぞ!」

「もちろんッス!」

 ウコンとサコンが、霊撃刀で近藤に切りかかる。

 霊撃刀の刃がもう少しで、近藤を捕えようとした。

「甘いわっ!」

 しかし、近藤が叫ぶと同時に、ウコンとサコンの霊撃刀が弾かれた。まるでそこに見えない壁があるかの如く、振り下ろされた刀が弾き返され、ウコンとサコンは後ずさった。

「なっ……弾かれただと!?」

「厄介ッスねぇ……こんなことができる奴だとは思わなかったッス!」

 ウコンとサコンは驚きを隠せずに、霊撃刀を構え直した。

 眉間にシワを寄せながら、近藤と亡霊たちを睨みつける。

「鬼門はもうすぐ開く。まだ不十分ではあるが、その少女たちを逃さないためには、致し方無いことだ。さぁ、諦めるんだ。執着することは、煩悩の始まりだ。帰りたいという執着を捨てて、自分の中に潜む弱い心と決別するのだ!」

 近藤の言葉に、サコンが叫んだ。

「させるかあっ!」

 再び近藤に向かって、霊撃刀が振り下ろされる。しかし、先ほどと同じように、霊撃刀は見えない壁によって弾かれてしまった。私たちと近藤の間には、超えられない壁がある。

「まだ分からんのか。やっぱり畜生どもは、頭が悪いな。六道の中でも、畜生道に堕ちた者は、実に救いがたい。しかも人間の真似事をして、刀を振り回すなど、言語道断。来世は無間地獄間違いなしだ」

「くっそう、どうすればいいんだ!?」

 サコンが叫び、ウコンも苦虫を嚙み潰したような表情になった。

「厄介ッス。これは正直予想外ッスよ……。ここまで霊力を高めた相手なんて、俺も初めてッス。霊撃刀だけじゃ太刀打ちできないッスよ!」

「そんな……」

 冬華と夏代が不安な表情になっていく。血の気が引いていくようで、特に夏代は数多くの亡霊を見たせいか、真っ青になっていた。

「どうしよう、帰りたいのに……!」

「またあんな場所に戻るなんて、絶対に嫌だ!」

 青ざめる夏代の隣で、秋奈が首を振る。

「イケメンでお金持ちの彼氏と出会いたい。だから、化野村なんか戻らない!」

「神様、助けて……!」

 冬華が両手を合わせて、空を見上げていた。祈っても、どうにかなるとは考えていなかったが、そうでもしないと気が済まなかった。

 小春も自然と、身体が震えてきた。

「ど、どうすれば……?」

 ギュッと、小春はお守りを握り締めた。

「南無南無南無……」

 その間も、近藤による読経は続いていた。

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