第4章 三日日中頃 第3話 真実

「これが、村の過去なのだ!」

 語り終えた近藤は、そう云って数珠を握ったこぶしを突き出した。

 近藤が語り終えるまでの間、ウコンとサコン、小春たちは一言も口をはさむことなく聞いていた。特に小春たちにとって、その内容はこたえるものだった。業病ごうびようのことは、少しだけ聞いたことはあったが、ずっと昔の過去のことだと思い、半ば迷信めいしんではないかと考えていた部分もあった。

 しかし、実際には迷信などではなかった。特に小春は、自分が生まれ育った神山村が、少しだけであっても関わっていたことにショックを受けていた。

「そんな過去があったなんて……」

「業病について聞いたことはあったけど、まさかここで再び耳にするとはな……」

 秋奈と夏代も、驚いていた。

「よく分からないけど、もしかしてこの化野村って、ひどい目に遭ってきたってこと?」

「その通りだ!」

 冬華の問いに、近藤が叫んだ。

 包帯ダルマたちも、ヒューヒューと風の音のような声を上げる。どうやら、賛同しているらしい。

 だけど、化野村で過去に起きた出来事と今の私たちに、何の関係があるのだろうか?

 小春は疑問に思い、口を開いた。

「だけど、どうして私たちが、包帯ダルマの世話をしないといけないんですか? それが何の関係があるというんですか?」

「この中に、神山村の出身者がいる!」

 近藤のその言葉に、小春の心臓がドクンとあががった。間違いなく、自分のことだと小春は思った。夏代も秋奈も冬華も、神山村の生まれではない。四人の中で神山村の出身は、自分だけなのだ。

 さらに近藤は続けた。

「神山村は、政府と軍部に協力していた。化野村をダム底に沈めるための、片棒を担いだのだ! さらに、それだけではない! 神山村は明治時代に寺院を廃した。仏教の教えを捨て去り、苦しむ業病の患者を救おうともしなかった。仏法をおろそかにして、仏教の担い手である僧侶を村から追放するという、許されざる罪を犯した! 業病の患者を助けることもなく、あまつさえ仏法をないがしろにして、許されると思っているのか!? その許しを得るためには、生贄が必要なのだ! 謝罪の言葉はもちろんのこと、身をもって償いを続けなくてはならない! お釈迦さまも言葉で教えを説くのではなく、自らの行いによって教えを広めた。だからこそ、生贄が必要なのだ! 分かったか!?」

 小春たちは、少しずつ気が重くなり始めていた。自分たちが過ごしている神山村が、一つの村を潰すために国と協力していたなんて、信じたくなかった。しかし、近藤の言葉に嘘があるとも、思えなかった。

「……もう、やめよう」

 小春の背後で、声が上がる。

 その声の主が冬華であることは、すぐに分かった。

「難しいことはよく分からないけど、私たちが生贄になれば、全てが解決するんでしょ?」

「……そうだな」

 冬華の言葉に、夏代が同意した。

「お坊さんの云う通り、謝罪とつぐないを続けないといけないんだろう。それが、私たちの所に回ってきたんだ。これはきっと、運命なんだよ……」

「どうすればいいか、難しくて分からないけど……みんなが行くなら、私も……」

 秋奈も迷いつつ、冬華と夏代の後に続こうとしていた。

「小春ちゃんは、どうする?」

「……」

 小春は、答えない。

 ただじっと黙ったまま、手の中でお守りを握り締めていた。

「小春ちゃん、行こうよ」

 冬華が、小春の右腕を掴んだ。

 驚いた小春が、冬華の顔を見つめる。目がうつろで、光がない。

「このままお坊さんに歯向はむかっていても、解決しないよ? 過去の出来事には、向き合わないといけないと、思うんだ……」

「うん、冬華の云う通りだ」

 突然、左腕も掴まれる。掴んだのは、夏代であった。

「小春、私たちはいつまでも一緒だ。離れ離れになったりはしないよ。私たちがついているんだから、何も怖いものはないさ」

 夏代の目にも、光が宿っていなかった。

 小春はすがる思いで、秋奈を見つめた。しかし、秋奈は黙って首を横に振った。諦めてしまったのかもしれないと、小春は考えた。

 いや、まだです! まだ、ウコンさんとサコンさんがいます!

「ウコンさん、サコンさん!」

 小春は呼びかけたが、答えなかった。

「ウコンさん! サコンさん!」

「小春、すまない……」

 サコンが、悲しそうに口を開いた。

「サコンさん……?」

「今の状況では、君たちを助けることはできない……」

「さっきから、どうにも力が入らないッスよ。困ったことになったッスねぇ……」

 何を、云っているのか?

 小春は困惑していた。先ほどまで、必ず助けると力強く宣言し、亡霊を斬り捨てたはずのウコンとサコン。それなのに、まるで先ほどまでの行動が嘘であったかのように、動かなくなってしまった。

「どうしてなんですか? ついさっきまでの言葉は、嘘だったんですか!?」

「嘘ではないんだ。だけど、我々は君たちの『ここから帰りたい』という気持ちがあり、それを我々に願ってくれていたからこそ、力を発揮できた。だが、先ほどと今とでは、状況が変わってしまった」

「さっきまでは、四人全員の思いが一つになっていたッス。でも今は、四人のうち小春ちゃん以外の三人の気持ちが『帰りたい』から『帰らなくてもいいや』に変わってしまったッスよ。これじゃあ、小春ちゃん一人を助けるのがやっとッス」

「そんな……!」

「助けたいけど、君たちの帰りたいという思いが弱すぎる。だから、この空間に漂う負の空気に抑えられて、力が出せないんだ……」

 サコンが悔しそうに云うと、近藤がニヤリと笑った。

「カッカッカ。どうやら、ここまでのようだな。往生際の悪い連中だったが、これでやっと生贄となる女郎を確保できるわ……!」

 近藤は再び、お経を唱え始めた。お経が始まると、空気がより淀んで重くなったように感じられ、包帯ダルマたちは風が吹き抜けるような声を上げる。喜んでいるらしいことは、小春にも分かった。

 その直後、小春の横を通って、ゆっくりと夏代が前へと歩み出した。それに続くようにして、冬華と秋奈も前へ歩み出る。三人は近藤がいる方向へと、導かれるようにまっすぐ歩いていく。

「まっ、待って下さい!」

 小春が叫ぶと、三人は振り返って小春を見た。三人とも目に光が無く、表情も無表情に近いものになっていた。

「まずいぞ……完全に、あの近藤に思考能力を奪われている」

 サコンが、眉間にシワを寄せる。

「近藤の所まで行ったら、もうどうにもならないッス。完全に取り込まれちゃうッスよ。助けたいけど、力が出ないッス……」

 ウコンは刀に手を伸ばそうとしたが、途中で止まってしまった。

「まさか、化野村の過去を近藤が話しただけで、あそこまで思考能力を奪われるとは思わなかった……」

「完全に予想外の展開ッスよ。あそこまで、あの生臭坊主の云うことを簡単に信じてしまうなんて……。誰か止められる者はいないッスかねぇ……?」

 ウコンが悔しそうに下唇を噛んでいた。

「我々には無理だ。全員の心がバラバラになってしまった。自分の頭で考えることを、止めてしまったのだからな。それに我々は、どうやら心の底から信用されているわけではなかったようだ。無理もない。突然現れたコスプレをした男としか、我々は見られていなかったのだからな。貫こうとする心があったら、違ったかもしれないけどなぁ……」

 サコンが云ったその言葉に、小春はハッとした。


 貫こうとする心。

 そうだ。恐怖と衝撃に支配されて、すっかり忘れていたこと。近藤の言葉で、一度は見失ってしまったこと。

 化野村に来てから、気持ちはただ一つだった。なんとかしようと必死になっていたのに、たった少しの時間で、その気持ちさえ奪われてしまいました。

 今の状況で、頼れるのは自分だけ。自分が諦めてしまったら、楽しい夏休みを過ごそうと神山村に招待した友達を、誰が救うのか?

 私以外に、誰がいますか!?


 小春は駆け出し、夏代の前に立ちはだかった。

 そのまま、両手を広げた。近藤の元へ進もうとしていた夏代、秋奈、冬華の三人の行く手を、小春は塞いでしまう。三人の目はまだ死んだ魚のように虚ろなままだったが、三人はその場で足を止めた。

「皆さん、約束したはずです!」

 小春は三人に向かって、叫んだ。

「この村に来た時、なんとかして神山村に帰る方法を探そうと! 少なくとも私は、確かに約束しました! だから、私にはやらなければいけないことがあります!」

 その場で小春は、夏代に顔を向けた。

「夏代ちゃん! このままあの近藤に従ってしまったら、もう二度とマンガもアニメも、楽しめなくなっちゃうんですよ!? 同人誌即売会にだって、行けなくなっちゃいます。本当にそれでいいんですか!?」

「――!!」

 小春のその言葉に、夏代は思い出したように目を見開いた。そしてそのまま、苦悶の相を顔に浮かび上がらせていく。強い拒否感を抱いていることが、手に取るように分かった。うつろだった目に、光が戻っていく。

 そのまま小春は、夏代の隣にいる冬華に向き直った。

「冬華ちゃんもです! 私のおばあちゃんの手料理を、美味しいと云っていましたよね!? もう二度と、食べられなくなってもいいんですか!? 紅楽荘の名物料理が、二度と味わえなくなってしまうんですよ!? それに、ダムカレーもです!」

「――!!」

 小春が云い終えると、冬華の表情が絶望の色を濃くしていく。それだけは嫌だ。もっと美味しいものを食べたいのに、美味しいものを食べられなくなるのは、絶対に嫌だ。冬華は本気でそう思っているらしく、食べることが好きな冬華への効果は絶大に思えた。冬華の目にも、光が戻っていった。

 これなら、行ける。きっと助けられるはず!

 確信した小春は、最後に秋奈へと顔を向けた。

「秋奈ちゃんも、本当にこのままでいいんですか!? イケメンとデートすることもできなくなっちゃいますし、一生涯あの包帯ダルマの介護をすることになるんですよ!? イケメンでお金持ちの彼氏を手に入れる夢を、諦めちゃうんですか!?」

「――!!」

 秋奈は忘れていたことを思い出したように、目を見開く。うつろな目に、光が戻った。

 その直後、三人がほぼ同時に叫んだ。


「「「嫌だーっ!!!」」」


「うわあっ!」

 近藤は三人の叫び声に驚いてお経を止め、少し後ずさった。同時に包帯ダルマたちも驚きの表情へと変わっていき、ヒューヒューという風の音のような声も、聞こえなくなった。

「アニメもマンガも楽しめないなんて、耐えられない!」

「美味しいものが食べられないのは、嫌!」

「イケメンでお金持ちの彼氏だけは、どうしても諦められない!」

 夏代、冬華、秋奈が順番に叫んだ。その叫びの内容に、小春は頷く。

 やっぱり、この方法で正解でした。皆さんが大好きなものを、把握しておいて本当に良かったです。

「こ……この煩悩ぼんのうと我欲を捨てられない俗物どもが……!」

 近藤が怒りと悔しさの入り混じった表情で、吐き捨てるように云う。

 再びお経を唱えようとして近藤は合掌しかけるが、それよりも早く小春が口を開く。

「私たちは、神山村へ帰ります!」

 小春に続いて、夏代も口を開いた。

「そうだな。みんなで帰ろう!」

「私だって、帰りたい!」

「美味しいごはんを食べるためにも、帰ります!」

 夏代に続くようにして、秋奈と冬華も口を開いた。そこから出てきたのは、帰りたいという明確な意思だった。

 それを聞いたウコンとサコンは、満足げに頷いた。

「おい! 生臭坊主の近藤! 耳の穴ほじくって、よーく聞くッスよ!」

「これから我々が見てきた、この化野村がやってきたことの全てを話す。自分たちがしてきたことの行いを、よく省みることだ!」

 ウコンとサコンがそれぞれ云うと、サコンが語り始めた。小春たちも、サコンの言葉におのずと耳を傾けずにはいられなかった。



 化野村が業病の患者を受け入れていたのは、事実だ。それに業病になると、当時は治療法がなく、症状は悪化する一方で簡単には死に至らない。原因が不明で恐れられ、見た目が変わってしまうために、患者は差別を受けてきた。それらが歴史的な事実であることは、疑いない。盛獄寺の和尚が、業病患者を救うために受け入れを始めたのも、事実だ。少なくとも初代の和尚と二代目の和尚までは、純粋に業病患者に最後の居場所を提供し、差別や迫害から守ろうとしていたのは事実だ。

 しかし、三代目の和尚から状況が一変した。

 本山から来た三代目の和尚は、村人たちが見てきた初代と二代目の和尚とは違い、当時の地主や荘園領主から、次々に業病患者を引き受けるようになった。それまでは、村人たちの心情や経済状況を考慮こうりよして、化野村に辿たどり着いた業病患者だけ受け入れていたものを、三代目の和尚は変えてしまった。

 当然、村人たちからは反論が出た。山奥にある化野村では少数を受け入れるのがやっとだった。それ以上の業病患者を受け入れる余裕など、元々が貧しい農村だった化野村には無かったんだ。

 だが、和尚は反論を口にする村人たちを、切支丹キリシタンだと幕府に報告することで、容赦なく処刑していった。和尚がそんなことができたのは、幕府と盛獄寺の結びつきがすでに強くなっていて、村人の戸籍を管理できるようになっていたからだ。これは江戸時代の寺請制度てらうけせいどが広まると、より強固なものとなった。

 そして幕府は次から次へと、化野村に業病患者を送り込んでいった。幕府は藩を通じて村人たちからの一揆いつきを防ぐために、化野村から年貢の軽減や時には免除を行い、必要とあらば盛獄寺からの要請で米など食糧の供給さえも行った。年貢の軽減や免除だけでなく、業病患者を世話するためとして、多額の金銭も受け取っていた。

 しかし、これは幕府が行ったというよりも、盛獄寺の和尚が幕府に対して要求したことだった。業病患者を受け入れてやるから、特権をよこせ。さもなくば業病患者の受け入れを止めるし、村人たちにもそのことを話す。奉行所に対する一揆が起こっても、説得には応じないぞ、と。

 幕府は、それらの条件を飲んだ。そうしないと、業病患者への対応に頭を悩ませることになる上に、一揆を起こされたら面倒だったからだ。

 そしてそれらを知らない業病患者たちは、こぞって化野村へ行くことを申し出た。あちこちで恐れられ、迫害を受けていた業病患者にとって、迫害を受けることもなく、あの世へ旅立つまでの安住の地として暮らせる場所が、確保されたようなものだったからだ。関所せきしよも業病患者が化野村に行くとなれば、現場の判断で通していた。

 そしてこの方針は、三代目の和尚から次の和尚へと、確実に引き継がれていった。戦乱の世の中も天下泰平の世の中も、山奥にあった化野村では移り変わる世相とは無縁で、業病の患者の最後の場所として存在し続けた。

 しかし、どうしてこんなことを、三代目の和尚が始めたのか。

 それは、日本に暮らす人々への復讐だった。

 三代目の和尚は、その出自から日本の出身ではなかったと伝えられている。当時は南蛮貿易が盛んで、外国から人が来ることも珍しくはない時代だった。しかし、三代目の和尚は外国人だったからではなく、その独特すぎる考え方から、人々から受け入れられなかった。そこで考え方を改めたり、柔軟に対応できれば違ったのかもしれないが、三代目の和尚は自身の考え方に固執して、人々と対立を深めていくばかりだった。

 そして本山での修行の最中に、化野村のことを知り、そこの住職として化野村へ行くことを希望した。業病患者以外で、化野村へ行きたがる者はそうは居なかったから、本山は喜んで三代目の和尚を化野村へ送り込んだ。

 しかし、それは恐ろしい計画への第一歩に過ぎなかったんだ。

 化野村へ来た三代目の和尚がまず始めたのは『化野村には鬼門がある』という伝説を確かめることだった。そして盛獄寺にあった資料から、確かに鬼門があることを突き止めた。そしてそれは業病患者を収容していた、トンネルの奥深くにあることも判明した。

 三代目の和尚が突然、多くの業病患者の受け入れ始めた理由は、業病患者を利用するためだった。鬼門は通常、塞がれていて簡単に開け閉めすることはできない。人間が開けるためには、強い恨みを残して死んだ者たちの霊魂が大量に必要だ。三代目の和尚は、差別された業病患者の強い恨みを利用して、鬼門を開けようとしたんだ。鬼門をこじ開け、化野村から日本全国に魑魅魍魎や亡霊を飛ばし、日本を地獄へ変えて日本に暮らす人々を地獄へいざなうことで復讐する。それが、自分の考えを受け入れなかった人々への、復讐だった。

 三代目の和尚が亡くなった後も、何代にわたったとしても、必ず行うよう次の和尚へと引き継がれていった。こうして化野村は業病患者を受け入れ続け、少しずつ強い恨みを残して死んだ者たちの霊魂を集めていった。

 大きな動きがあったのは、明治維新を経て元号が昭和に変わった時だ。

 昭和に入ると、世の中が少しずつ戦時体制へと移行していった。その中で、各地に散らばっていた業病の患者を収容して、隔離かくりするための法律が帝国議会で成立した。その法律に基づいて、業病患者専用の療養所が各地に建設されていった。

 そして化野村にも、国から業病患者を国立の療養所へ引き渡すように、要請が入った。各地で業病の患者は、半ば強制的に国立の療養所へ入所する手続きが取られていた。本来なら化野村にいた業病患者も、国立の療養所へ入所するはずだった。

 しかし、盛獄寺の和尚がそれに反対した。お前のやったことだ、知らないとは云わせないぞ、近藤。

 お前は業病の患者が療養所への入所を希望していないことや、療養所がただ収容するだけで満足な治療もしないことを理由に、政府からの要請を断り続けていた。お前たちだって、満足な治療も行っていないのに、よくそんなことが云えたものだ。

 協力した村人たちだって、本気で国の方針に反対していたわけじゃない。自分たちの先祖が、盛獄寺の方針に反対したことで、切支丹としてでっち上げられて殺された。それと同じように、無実の罪で今度は共産主義者として、でっち上げられるのを恐れたためだ。

 そうだろう? 実際に村人の一人が国の方針に従うべきだと云ったら、お前は村人の家族まで、共産主義者だと警察に虚偽きよぎの証言をして突き出した。おまけにそれを、仏罰だと公言してはばからなかったじゃないか。

 国としては、なるべく穏便に問題を解決したかった。だからこそ政府は、直接的に行動に出なかった。少なからず交流があった隣村の神山村を通じて、交渉を重ねてきた。



「だけど、それも台無しにするどころか、お前はとんでもないことをしでかした」

「忘れたとは云わせねえッスよ、近藤!」

 ウコンが叫び、近藤は射殺いころすような目になった。

「神山村からの度重たびかさなる請願せいがんにも応じることなく、それどころか業病患者を騙して化野村に連れ帰っては、魑魅魍魎や亡霊の餌食えじきや生贄にしていた! しかも『国を恨め』と云って殺害し、新たな亡霊を作っていた。神山村は、それらを知っていたんだ。だから手に負えなくなって、国が動くことになったんだ」

「だからどうしたというのだ!?」

 近藤が叫んだ。強い怒りに支配されているらしく、ゆでだこのように真っ赤になった坊主頭からは、湯気が上がりそうだ。

「先ほども云ったはずだ! 神山村は、政府と軍部に協力していた。化野村をダム底に沈めるための、片棒を担いだのだ! さらに、それだけではない! 神山村は、明治時代に寺院を廃した。仏教の教えを捨て去り、苦しむ業病の患者を救おうともしなかった。仏法を疎かにして、仏教の担い手である僧侶を、村から追放するという許されざる罪を犯した! 業病の患者を助けることもなく、あまつさえ仏法をないがしろにして、許されると思っているのか!? 今度こそ分かったか!?」

「分かってないのは、おまえッスよ!」

 ウコンが再び、霊撃刀を引き抜いた。

「神山村が寺院を廃した理由、全然分かってないッスね。その理由は、神山村の寺院が盛獄寺に協力していたからッスよ! そして高額なお布施で、村人から金を巻き上げていたッス。お布施を、業病患者のために使っていたのならまだしも、自分たちが贅沢するために半分以上も使っていたッス! 廃仏毀釈はいぶつきしやくの流れを受けて、それまで積み重ねられてきた村人たちの怒りと不満が、一気に爆発したッス! そんなことをして、偉そうにふんぞり返っている生臭坊主なんか、必要ないってことッスよ! だから唯一あった檀那寺の寺院が、打ち壊されたッス!」

「これが、神山村が寺院を廃した理由の、全てだ!」

 サコンが、ウコンに続けて告げた。

 それで神山村には、お寺が無かったんだ。小春はようやく、神山村にお寺がない理由を知った。

「だが、化野村は盛獄寺が絶対的な存在だったために、残り続けた。そして度重なる業病患者引き渡しの要請に応じない化野村と盛獄寺に対して、ついに国が動くことになった」

「そうだ! 国は陸軍の防疫給水部隊ぼうえききゆうすいぶたいを化野村に派遣し、闇夜に紛れて化野村を攻撃したんだ! 村人たちは皆殺しにされ、証拠隠滅のために、化野村はダムの底に沈められることになった! 神山村には政府と軍部から箝口令が敷かれ、戦時中の報道規制で化野村のことは、新聞やラジオで報道されることはなかった! 新聞やラジオでは、本土決戦に備えて水源地確保のために、化野村の近くにダムを造ることになったと報道された!」

 近藤がわめいたが、サコンがキッパリとそれを否定した。

「ウソをつくな!」

 サコンは否定すると、続けた。

「陸軍の防疫給水部隊が来たのは事実だが、村人を皆殺しにはしていない! 戦場で敵と対面したならまだしも、なぜ国内で自国民を殺さなくてはならんのだ!?」

「そもそも陸軍の防疫給水部隊が動いたのは、お前が指揮官を殺害したからッスよ!」

 ウコンが叫び、サコンが頷いた。

「その通りだ。戦争が始まってまもなく、陸軍の防疫給水部隊が、化野村にやってきた。しかし、お前は許されないことをした。指揮官に化野村を知ってもらいたいという名目で盛獄寺に連れ込み、そこで酒を飲ませて酔いつぶれた指揮官を、殺害した。防疫給水部隊の本来の目的は、化野村に残っている業病患者を療養所へ移送することと、鬼門の調査だった。鬼門の有無によって、化野村を廃村にするか否かを決めるつもりだった。最初から化野村をダム底に沈めることは、考えていなかったんだ。最も、これは鬼門が見つかったことによって、ダム底に沈めることがほぼ決定してしまったがな」

「そして鬼門は見つかったけど、問題は業病患者の引き渡しだったッス。村人たちは応じたのに、盛獄寺が応じなかったッス!」

「ふざけたことを抜かすな! 村人たちは、療養所への引き渡しに賛同などしていないだろう! そもそも鬼門を探したのだって、化野村をダム底に沈めるための言い訳じゃないか!」

 近藤の言葉に、ウコンが首を横に振る。

「何も知らないみたいッスね。村人たちから、本当に信頼されていたわけじゃないことを、亡霊になった今でも知らなかったとは……驚きッスよ」

 ウコンがそう云うと、明らかに近藤の目が泳いだ。動揺していることが、小春たちにも分かった。何か、思い当たることがあるのかもしれないと、小春は思った。

「村人たちへ化野ダムを造る話が出た時、反対した者は、誰一人として居なかった。故郷を失うのだから、もっと反対が出ると思っていた我々も、驚いた」

「本当なのか!? お前たち!」

 近藤が村人たちの亡霊に向かって、叫ぶ。その言葉に驚き、近藤から村人の亡霊たちは顔を背けた。その様子を見た近藤は、目玉が飛び出そうなほどに、目を見開く。

「どうしてなのか分かったのは、それから少ししてからだった。村人たちも、自分たちのしてきたことを、良くないものだったと認識し始めていたんだ。だけど、そんなことを盛獄寺の和尚に知られたら、どうなるか分からない。そんな時に、陸軍の防疫給水部隊が来たことと、化野ダム建設の話が国から来た。防疫給水部隊の調査により、鬼門の存在が確実となり、それをダム底に封じなくてはならなくなった。その話に、村長は同意した。そして一部を除いて、ほとんどの村人たちも賛同した。さらに村人たちは、これまで盛獄寺にあった墓地を移そうとはしなかった。なぜだか、分かるか?」

「そんなこと知ったことか! 国が強制的に立ち退かせて、墓地を移すことさえできなかったに決まっている! おかげで多くの墓に眠る者たちが、亡霊になったのだ!」

 近藤の答えに、やれやれといった様子で、ウコンが首を振った。

「本当に、何も知らないみたいッスねぇ」

「墓を移さなかった理由は、国のせいではない。村人たちが自ら、決めたことだ。自分たちの先祖がしてきたことに、区切りをつけたかったんだ。これ以上、業病患者を受け入れて鬼門を開くための材料として扱うことに、耐えられなかったんだ! ずっと村人たちの中にある良心が、自分自身をとがめていた。先祖代々から続いてきたことに、区切りをつけたい。自分の良心も、そう云っている。陸軍の防疫給水部隊が来て鬼門を封じなくてはならないと知って、これを渡りに船だと考えた。先祖の行いと自分たちの心に、区切りをつけるいい機会だと考えた。だから、墓を移さなかったんだ!」

 サコンがそこまで云うと、次にウコンが口を開いた。

「さらに付け加えると、反対した村人の一部は、ただ盛獄寺の和尚に反対できなかっただけッスよ。本音では、村と墓地をダム底に沈めたいと思っていたッス。村を沈めることに反対したのは、盛獄寺の和尚から『国の方針に反対しなかったら、業病患者の世話をさせる。一族郎党、全員だ!』とおどされていたからッス。ひどい奴ッスねぇ。業病患者への差別を利用して、当時は誰もが嫌がっていた業病患者への世話を、その家族にまで押し付けるなんて……人とは思えないッスよ」

 その直後だった。


「だ か ら 何 だ と い う の だ !?」


 近藤が顔を真っ赤にして、叫んだ。

 もういつ憤死しても、おかしくないほどに顔を赤くして、興奮状態になっている。真っ赤になって怒りを露わにする近藤は、小春にゆでだこを思わせた。

「もう勘弁ならん! 御仏を疎かにし、私のやることを邪魔する輩など、誰であろうと地獄へ叩き落してやる!」

「……交渉決裂ッスね」

 はい、全く持ってその通りですね。

 ウコンの言葉に、小春は頷いた。

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