第3章 三日日前半 第3話 儀式と業病

 小春たちが連れてこられたのは、先ほど近藤に文句をうために訪れたお寺、盛獄寺だった。いつの間にか盛獄寺には飾りつけがされていて、まるで時代劇に出てくる戦国時代の本陣のように見えた。山門の前には、館提灯やかたちようちんが置かれ、黒い着物を着た村人たちが集まっていた。しかし、化野村に来た列車の窓から見た化野村の規模と比較ひかくすると、ここに集まっている村人の数はそれほど多くないように思えた。その証拠に、集まっているのは十数人で、多くても二十人以下くらいであった。

 まるで葬式のようだと思いつつ、小春たちは引っ張られながら足を進める。盛獄寺の境内けいだいにも、いくつも提灯が灯されていた。不思議なことに、提灯はどれも青白い光を内側から放っている。

 本堂の前まで来ると、近藤が雪駄せつたを脱いで本堂へと上がる。

「さ、ここで履き物を脱いでくださいね」

 小春たちにそう云うが、縛られているためにどうやって履き物を脱いだらいいか、小春たちは分からなかった。

 こんなところで、禅問答を始めるのでしょうか?

 すると、後ろから叫び声が上がった。

「ギャー!」

 秋奈の声だった。

 振り返ると、秋奈と冬華の足元で、何人かの村人がしゃがみ込んでいる。履き物を脱がせようとしていることは、明らかだった。

「何すんのよ、変態!」

「うるせぇ、騒ぐな!」

 一人の男が、秋奈の喉元のどもとに包丁を突きつける。それに怯えて、秋奈は口をつぐんだ。

 一方の冬華は、されるがままになっていた。

「お前たちは……草鞋ぞうりか?」

 村人が、小春と夏代の足元を見て首をかしげる。

 サンダルを知らないのでしょうか?

 小春はそう思いながら、手が伸びてくる前に足を動かしてサンダルを脱いだ。それを見た夏代も、同じように足を動かしてサンダルを脱ぐ。

「へっ、世話ねぇべな」

 村人が吐き捨て、小春たちは本堂の中へと連行されていく。

 本堂の中には、いくつものローソクがともされていた。本堂の中央にある大きな祭壇には、供物らしき果物や山盛りのご飯が供えられ、大きなローソクが立てられている。祭壇の前には白布で覆われたテーブルが置かれていて、線香を立てるための線香立てや焼香をするための焼香炉が置かれている。

 そして本堂の真ん中には、座布団が置かれて人が座れるスペースがあり、巨大な木魚と巨大なお鈴が両脇に置かれていた。

 どちらとも、確かお経を読むときに使うものだったはずですが、あんな大きなものを見たのは、初めてです。それにしても、その間にある小さな机は何でしょうか?

 小春は初めて見る巨大な仏具に驚きつつも、本堂の中を引っ張られながら進んでいく。よく見ると、大きな祭壇には花も供えられている。しかし、なぜ毒々しい色の花をお供えしてあるのか、理解できなかった。

 趣味が悪いです。何も、あんな色の花ではなく、もっときれいな落ち着いた色の花を使えばいいのに……。

 小春がそんなことを考えていると、近藤がやってきた。先ほどまでは墨染めの黒い法衣の上から袈裟懸けさがけになっていた近藤は、緋色ひいろ法衣ほうえに着替え、その上から大きな袈裟を懸けていた。手には長い数珠を持ち、音もなく敷き詰められた畳の上を歩いていく。どうして着替える必要があるのか分からなかったが、何か意味があるのだろうと、小春は考えた。

 小春たちの前で、近藤が立ち止まった。

「それでは、これよりお勤めがありますので、どうぞ楽な姿勢で結構でございます。最後までお付き合いのほど、よろしくお願いいたします」

 何が最後までのお付き合いだと思いつつも、抵抗することはできなかった。左右は村人たちで固められているし、まだ手には縄がかけられたままになっている。

 近藤は再び歩き出すと、祭壇の前に歩み出た。そこで長い線香にマッチで火をつけて、祭壇の前に置かれた線香立てに立てる。線香からは煙が立ち上り、線香の臭いが本堂の中に漂い始めた。しかし、その線香の臭いは昼間漂っていた線香の臭いとは違い、生臭く感じられた。小春は鼻を覆いたくなったが、できなかった。

 近藤は線香を立て終えると、祭壇に向かって一礼し、本堂の真ん中に置かれた座布団に座った。

「それではみなさん、合掌がつしよう……礼拝らいはい

 近藤はそう云いながら、お鈴を叩いて音を出す。イメージした澄んだ音ではなく、さび付いたような変な音がした。

 何が合掌と礼拝だ。そう思いつつも、小春たちはそれに従う。今逆らったら、何をされるのかまるで分からない。抵抗しないのが、一番だと考えた。手を縛られているため、礼拝しかできなかったが。

 近藤が、お経をみ始めた。木魚を叩いてリズムを作り、時折お鈴を打って音を出しながら、近藤はお経を詠み続ける。木魚はどこか割れているのか、音が変だった。

 小春が辺りを見回す。薄暗くて見えにくかったが、あちこちボロボロになっていた。天井近くから垂れ下がっている色とりどりの幕は、汚れていてシミがあちこちにある。畳も色あせていて、何年もそのままにされているようだった。

 先ほどから近藤が詠んでいたお経に区切りがつき、今度は別のお経を詠み始める。

 すると、祭壇に置かれていたローソクの炎が、青白い色へと変化した。それに伴うかの如く、本堂の中に何かの気配が漂ってくる。しかし、それは人間の気配ではなかった。

「ひっ……!?」

 秋奈の悲鳴が上がり、小春は秋奈の視線の先に目を向ける。そこには、信じられないものがいた。

 絵に描いたような、亡霊だった。真っ白な着物を着て、頭に三角形の布をつけている。次々に集まってくる亡霊を見て、小春は悲鳴を上げそうになったが、堪えた。

「夏代ちゃ――」

 隣にいる夏代を見た小春は、言葉を失った。

 夏代は完全に、気を失っていた。白目を剥いていて、微動だにしない。正座した足に目を向けると、下の畳にシミができているように見えた。もしかして、夏代ちゃんは……。

 さらに現れたのは、亡霊だけではなかった。

「いぎっ……!?」

 再び秋奈の声にならない悲鳴を聞き、小春はそちらに顔を向ける。

 本堂の中を亡霊と共に、魑魅魍魎ちみもうりよう跋扈ばつこしていた。魑魅魍魎はまるで本堂が我が家であるかのように歩き回り、亡霊と共に近藤の周りを行き来している。魑魅魍魎は一種類だけではなかった。歩き回るもの、じっとして動かないもの、飛び回るもの……。いくつもの種類がいるらしく、お経が続く本堂の中を動き回っている。もしかしたら、この本堂の外にも、亡霊や魑魅魍魎がいるのかもしれない。小春はそう思うと、背筋が寒くなった。

「ね……ねぇ」

 横から、震えた声がする。それが秋奈の声であることは、すぐに分かった。

「どうしたの?」

「なんか……このお経……変じゃない……?」

 秋奈の問いかけに、小春は首をかしげる。

 お経が、変?

 小春は近藤が詠んでいるお経に耳を傾けてみたが、お経をあまり聞いたことのない小春は、どこが変なのか全く分からなかった。

「どこが……?」

「なんか……呪いの呪文のように聞こえてくるんだけど……」

 まさかと思った小春だったが、その直後にお経が変に感じられた。

 何人もの人が、苦しそうに呻いているような声が、お経に混じっているようだった。そしてお経が続くごとに、魑魅魍魎や亡霊は増え続けていく。まるでお経が、この場所に地獄を創り出しているかのようだ。近藤がお経を詠み進めていく間に、この本堂の中は地獄へと一歩ずつ近づいていくようだ。

 これはお経じゃない!

 小春はそう確信した。秋奈の云う通り、もうそれはお経ではなくなっていた。近藤の口から放たれているのは、お経によく似た、別の呪文だった。いつの間にか、お経が不気味な呪文へと変化していた。いや、もしかしたら最初はよく分からなくて、お経のように聞こえていただけで、ずっとお経のような呪文を唱えていたのかもしれない。そのことに気づいた小春の背中を、再び強い悪寒が駆け抜けた。夏だというのに、強烈な寒さを感じる。

 そして、さらに信じられないことが起こった。

「!?」

 小春は、自分の目を疑わずにはいられなかった。

 祭壇に置かれていた仏像の目が、まるでそこに電球があるかのように光った。紫色に目から光を放つ仏像はその場で立ち上がると、ニタニタとした気味の悪い笑みを浮かべながら、踊り始める。手に両端の先端がとんがったような道具を持ち、それを振りながら仏像はその場でステップを踏み、左右へ回りながら踊り続ける。

 仏像が踊り出すなんて、絶対にありえない。そう思ったが、目の前の出来事はその気持ちを真正面から否定してくる。


 これは、夢だ!

 とんでもない悪夢を、見ているんだ!


 小春は自分の手をんだ。しかし、夢から覚めるどころか、手には歯型がついて、血がにじむだけだった。

 夢じゃない……。信じられないけど、夢じゃないです……。

 亡霊と魑魅魍魎が跋扈ばつこするお寺の中で、ひたすらお経のような呪文を唱えるお坊さん。そして目から紫色の光を放ちながら、呪文のリズムに合わせて踊る不気味な仏像。イメージしていたお寺や仏教とは、あまりにもかけ離れている。これはまるで、地獄だ。

 まさに地獄にふさわしい光景を見せつけられる小春たちは、気が狂いそうな気持ちになりつつあった。生臭いお香と、魑魅魍魎が蔓延はびこる本堂の中に、お経ではない何かの呪文を唱え続けるお坊さん。そして極めつけは、目から紫色の光を放ち、呪文のリズムに合わせながら不気味な踊りを踊り続ける仏像。この世のものとは思えないものばかりを見せつけられ、いつ終わるのかとばかり考えていた。

 すると、近くにいた村人の前に小さな黒い箱のようなものが置かれた。箱からは煙が立ち上っていて、村人はそれに向かって手を合わせると、粉末状のものを指で拾い上げた。それを額に押し頂くと、煙が立ち上っている場所に指で撒く。煙がさらに立ち上ると、再び手を合わせて、それを横にいる人に手渡していく。

 焼香炉だと、小春は思った。父親の親戚の家の法事で、同じものを見たことがあった。しかし、それにしてはお香のいい匂いが全くしてこない。先ほどから本堂の中を支配する生臭い臭いだけは、相変わらず漂っている。

 村人が焼香炉を夏代の前に置いた。しかし、夏代はまだ気を失っていて、焼香ができなかった。村人がそれに気づいたらしく、焼香炉を突き飛ばすように、小春に向けて押した。焼香炉は畳の上を進み、少しだけ灰をまき散らしてから、小春の前で止まる。

 小春が村人に目を向けると、何かをつまんで放すような手の動きを見せた。そして焼香炉を見つめながら、あごを動かす。

 無言でやれ、という合図を送ってきた。

「小春ちゃん……」

 秋奈が心配そうな目をするが、小春は覚悟を決めた。

「今は、何も考えずにやれと云われたことを、やりましょう」

 小春は小声でそう云うと、縄で縛られて動かしにくい手を使って、焼香炉の右側に入れてある抹香を指で掴み、左側に置かれた小さな木炭の上に落とす。

 煙が立ち上り、生臭い臭いが小春の鼻を突いた。なんてひどいお香だろう。これはきっとお香に似た、別の何かだ。こんな生臭くて気持ちの悪い、吐きそうな臭いはいだことがなかった。血や垢や唾液、様々な体液と汚物を混ぜたような、得体の知れない生臭さだ。

 焼香をすると、そのまま焼香炉を手で押して、秋奈の前まで動かした。秋奈は小春がやった動作を真似て、焼香をする。再び生臭い煙が立ち上り、それを嗅いだ秋奈はげえげえとえづいた。焼香炉は冬華の前まで移動し、冬華も焼香をする。口で息をしながら、冬華はなんとか焼香を終わらせたらしく、目に涙を浮かべながら臭いに必死で耐えていた。

 どうしてこの村人たちは、生臭い中に居て平気なんでしょうか? 鼻がおかしくなっているのでしょうか?

 小春はそんなことを考える。いろんな可能性を探ってみたが、鼻が詰まっているか、おかしくなっているとしか思えない。何もかもが、おかしくなっている村だ。

 すると、近藤が唱えていた呪文が変わった。それを合図としたかのように、亡霊や魑魅魍魎たちが本堂を飛び出していく。そして踊り続けていた仏像も落ち着きを取り戻し、ゆっくりとその巨体を足元に下ろして座禅を組み、元の姿勢に戻っていく。手の位置まで元に戻ると、仏像の目から放たれていた紫色の光も消えた。しかし、ニタニタという気味の悪い笑みだけは、そのまま残った。ニタニタ気味の悪い笑みを浮かべながら、座禅を組んで片手を挙げている仏像は、それだけで不気味だった。

 亡霊や魑魅魍魎がいなくなると、近藤の呪文が終わりを告げる。近藤は数回お鈴を叩いて音を出し、合掌すると何度か仏像に向かって礼拝をした。それと同じように、村人たちも拝礼をする。小春たちも同じように、合掌して礼拝した。

 あぁ、やっとこれで終わりです。早く帰りたいです……。

 小春がそう考えていると、近藤が立ち上がった。いつの間にか近藤は、手に妙な道具を持っていた。棒の先に、小さなお鈴と小さな木魚が取り付けられている。見たことのない道具に、小春たちは戸惑う。あれは何だろう?

 近藤はこちらに向かって歩いてきて、小春たちの前で立ち止まる。

 ニコニコと笑みを浮かべながら、そっと口を開いた。

「さて、仏様よりお許しが出ました。これより、儀式も大詰めになります。どうぞ最後までのお付き合い、よろしくお願いいたします」

 チーン。

 近藤は持っていた小さなお鈴を鳴らした。小春たちには、それがこれまでの人生の終了を告げる合図に思えた。



 小春たちは本堂から連れ出された。どこへ連れていかれるのかと思いながら、小春たちは近藤の後を進んでいく。近藤が先頭に立ち、小さなお鈴を鳴らしながら進んでいく。村人の中には、提灯を持つ者がいて、わずかな明かりの代わりとなっていた。

「これから、どこへ連れていかれるの……?」

 秋奈が小春に問うが、小春は答えられなかった。どこに連れていかれるかなんて、自分にも分からない。

 近藤が進んでいく先に見えてきたのは、昼間に訪れた本堂の裏にある墓地だった。墓地の中では人魂らしき火の玉が飛び交い、先ほど本堂にいた亡霊や魑魅魍魎がうろついている。墓石に腰掛ける亡霊や、お供え物を貪るように食べる魑魅魍魎に、墓場は支配されていた。その中を、近藤と村人は怯えた表情一つ見せることなく、進んでいく。人魂ひとだまが前を横切っても、亡霊とすれ違っても、魑魅魍魎が墓石の横から突然現れても無言で墓地の中を進んでいく。

 対する小春たちは、いつ腰が抜けてもおかしくなかった。夏代に至ってはほぼ気絶状態であり、歩いているのが不思議に思えるほどであった。

 小春は恐怖心を抑えながら、先頭を進む近藤を睨んだ。このまま私たちを、どこに連れていくというのでしょうか?

 しかし墓地を進んでいくうちに、小春は近藤がある場所に向かっているのではないかと気づいた。それに気づいた途端、恐怖心が無くなって、小春は冷静になっていった。

 近藤が辿っていく墓地の中の道。それは昼間に自分たちが歩いていった道と、とてもよく似ていた。いや、似ているどころではない。全く同じ道であった。亡霊や魑魅魍魎があちこちにいるが、墓石に刻まれた家の名前や人物の名前、立っている木の細長い板などは昼間に見た時と変わっていない。

 その先にあったのは確か……納骨堂です!

 小春がそのことに気づくと同時に、近藤が歩みを止めた。それに呼応するかの如く、村人たちも足を止め、自動的に小春たちも歩みを止める。止まるのが遅れた夏代が前のめりになり、そこで半気絶状態から元の夏代へと戻った。

「こ……ここは……!?」

 先ほどまでほぼ気絶状態だったためか、夏代はこれまでのことをあまりよく覚えていないらしく、怯えた目でキョロキョロしている。

「夏代ちゃん、ここは昼間に来たお墓にあった納骨堂です」

 小春が背後からそう告げると、夏代はそっと後ろを向いた。今にも泣きだしそうな夏代の表情に、小春は若干引いた。

「そ……それって……本当か……?」

「はい。確かにここは、納骨堂ですよ」

 近藤が納骨堂の方を向いたまま、小春と夏代の会話に割って入る。

「ここで少しお勤めがございますので、恐縮ですが今しばらくお待ちください」

 近藤はそう告げると、お鈴を数回鳴らし、納骨堂の前で呪文を唱え始める。その呪文にどんな意味があるのかは分からない。少なくとも、お経ではないことだけは小春たちにも分かった。先ほどまで本堂で、ずっとお経ではない呪文を唱え続けてきたのだ。今さら、正しいお経を唱えるはずもないし、唱えられても小春たちにお経だとは分からなかっただろう。

 納骨堂の前での呪文は、小春たちが思っていたよりも、ずっと早く終わった。

 小春が、会話に割り込まれたことに啞然としている間に、近藤は呪文を終えた。

「さて、これから例の場所へと向かいましょう」

「はい!」

 村人たちが、近藤の言葉に呼応する。

 小春が驚いて振り返るが、さらに小春は目を疑うような光景を目の当たりにした。

 村人たちに、足が無かった。辺りを漂っている亡霊と同じように、典型的な幽霊のイメージに倣うかのように、足が無い。それに気がついた小春は、ゾッとした。自分たちを拘束しているこの村人たちは、この世の者ではない。

「オラ、歩け!」

 近藤が歩き始めると、村人たちは小春たちに続くよう促す。小春たちはこれまでと同じように、村人や近藤の後に続いていく。いつの間にか、提灯を持っている者は増え、近藤の前には松明を手にしている者もいた。

 こんなに明かりを増やして、一体どうするのでしょうか? 洞窟かどこかへ、探検に出発するつもりですか?

 小春はそんな疑問を抱いたが、口に出したりはしなかった。下手に意見すると、何が起きるか分からない。自分が持っている常識なんて、ここでは何の意味も持たないし、少しも役には立たないものだ。

 近藤は松明を手にしている者の後に続くように歩き、納骨堂の裏へと向かっていく。納骨堂の裏側は、そのまま森の中へと続いていた。近藤が森の中へ入っていくと、それに続いて村人と小春たちも連れられて、森の中へと足を踏み入れていく。意外にも、地面は踏み固められていて、そこだけ木の枝も茂みもない。獣道ではあったが、サンダルでも歩くのに支障がないほど整備されている。人の往来がそれなりにある場所なんだろうと、小春は検討をつけた。

 今にも何かが出てきそうな森の中を、どんどん奥へと進んでいく近藤。そしてその後に続く村人たちと、小春たち。

 どこまで連れていかれるのかと思った矢先、予想外のものが目の前に出現した。

 それはトンネルだった。自然にできたようなものではなく、人の手で掘られたトンネルであることは、小春たちにもなんとなく分かった。そのトンネルに入る直前で、近藤は歩みを止め、それに伴って村人と小春たちも歩みを止める。トンネルの入り口は木組みの支えがあり、木組みの上には木の板が掛けられていた。木の板には『業病患者特別病棟』と墨書きされていた。右から左に向かって書かれており、所々雨や風にさらされて消えかかっている文字が、年月を感じさせた。

 業病とは、何でしょうか?

「さて皆さん、ここからは私が参ります。手綱を、こちらへ」

 近藤の言葉に、村人の幽霊はすぐに従った。小春たちを繋いでいる手綱を近藤に手渡し、村人たちはトンネルから離れるように後退する。

「住職様、お気を付けて……!」

「大丈夫ですよ。滅多なことでは感染しませんから」

 感染?

 一体何のことなんでしょうか? このトンネルの上に書かれている、業病というものと関係があるのでしょうか?

 小春は近藤と村人の会話に、首をかしげる。このトンネルの中に、一体何が待ち構えているのだろう?

「では、行って参ります」

 近藤は提灯を手にすると、手綱を引いて歩き出す。

 小春たちは近藤によって強制的に、トンネルの闇の中へと連行される。

 トンネルの入り口からは、しばらくは提灯のぼんやりとした明かりが見えていた。しかし、それは奥へと進んでいくたびに小さくなっていき、やがて完全に見えなくなった。

 トンネルは先ほどまでと変わらず、深い闇を見せつけながら、口を開けていた。

「よく、あんな場所に入っていけるもんだ……」

「住職は、疫病の恐ろしさをよく知っているはずなのに……」

「でも、歴代の住職も疫病になった人はいないよな……」

 漆黒の闇を見つめながら、村人の亡霊たちはつぶやいていた。



 トンネルの中は真っ暗で、一寸先はおろか足元さえ見えないような暗闇になっている。

 そう思っていた小春たちだったが、先ほどからあちこちに灯されているローソクや、なぜか点いている電球に明るさを保証されていた。おかげで足元はおろか、トンネルの壁もよく見えていた。進む速度にさえ気を付けていれば、転ぶ心配など無かった。土肌むき出しのトンネルではあったが、整備もされていてサンダルでも外の道と変わらないほど、歩きやすかった。

 どこまで続いているのでしょうか?

 小春がそう思いかけた時、辺りが広くなった。ちょうど教室ほどの広さのある場所へと出たことが、小春たちには分かった。同時に、どうしてトンネルの中にこのような広い空間があるのか、疑問が沸き上がってきた。トンネルの中に広い空間を作って、一体どうするのだろうか? 何かに使うのなら、どうしてここまで広い空間が必要なのだろう?

 しかし、近藤は立ち止まることなく、進んでいく。そして部屋の真ん中あたりまで来た時に、部屋の反対側にいくつもの横穴があることに気づいた。その奥にも電球が並んでいて、まだ先があることが分かる。つまり、ここは別の場所を繋いでいる連絡地点のようなものだろうと、小春は思った。

 近藤はそのまま、一つの横穴へと足を踏み入れる。小春たちも近藤に連れられて、そのまま横穴へと足を踏み入れていく。

 すると、生臭い臭いが小春たちの鼻を突いた。

「ウッ!」

「く……臭い……!」

 先ほどの焼香どころではない、強烈な臭いだった。肉が腐り、血や膿が混ざり合った臭いに、薬品らしきものの臭いが加わっている。どうしてこんな臭いがしてくるのか、理解できなかった。

 これではまるで、病院みたいです。それも、かなり不衛生な。

 いや、まさか――!!

 小春が嫌な予感を覚えた直後。


 ――――ギャアアアアアアアア!


 突然、背後から悲鳴が上がった。

 それが秋奈の悲鳴だと気づくまで、一秒と掛からなかった。

 同時に、なぜ秋奈が悲鳴を上げたのか、その理由もすぐに理解できた。その理由が、数メートル先に存在していたからだ。

「あ……あ……!」

「な……なに……あれ……!」

 それまで黙っていた冬華が目を見張り、小春も叫びそうになる気持ちを抑えながら、視線の先にあるものから目を離せなくなっていた。

 いくつか置かれた木組みのベッドの上に、全身に包帯を巻かれた人らしきものが、そこにはいた。人というよりも、包帯を巻いたダルマのようであった。座ったような姿勢で、腕がどこにあるかも、電球の明かりの下では分からない。包帯には所々に得体の知れないシミができていて、全体が茶色く変色していた。何日どころか、何年も交換されていないのではないかと思うほど汚く、触ると崩壊しそうだった。頭まで汚れた包帯で覆われ、辛うじて顔だけは見えていた。

 しかしその顔も、とても直視できるようなものではなかった。口元や目元は崩れ、常に苦悶に満ちたような顔をしている。口元からは唾液が滴り落ち、ベッドに敷かれたシーツに落ちていく。シーツにも、包帯と同じような得体の知れない汚れがこびりついている。茶色や黄色に変色している様子から、原因が何なのかはある程度予想がついた。

 さらに包帯ダルマは一体だけではなく、その背後にさらに何体かいた。視界に入るだけでも、三体か四体はいるようで、全員が同じようなベッドの上に座っていた。中にはどういうわけか、松葉杖が身体に括り付けられていたり、手術用のハサミが身体に刺さっている包帯ダルマもいた。

 それにしても、この包帯ダルマは一体、何なのでしょうか?

 小春が恐怖しつつも、その正体が気になっていると、近藤が振り返った。

「うるさい! 騒ぐなクソガキども!」

 秋奈の悲鳴が大きすぎたためか、近藤が怒鳴どなった。

 包帯ダルマも口をパクパクと動かして、声を出す。だがそれは声にならない、風が吹き抜けるようなヒューヒューという音だけだった。

「こ……これは一体……?」

 小春の言葉に、近藤が答えた。

「これは、強い苦しみと恨みを抱いて亡くなった方々です。業病に罹り、世の中から避けられたために、こうして暗い闇の中に葬られた。そして死後も、こうして成仏できずにここにとどまっているのですよ」

 近藤はそっと、手に持ったお鈴を鳴らした。

 お鈴の音に反応するかのように、包帯ダルマたちはヒューヒューという音を出すのを止める。お鈴の音が終わると、水を打ったように静かになった。

「皆さん、大変お待たせいたしました。今日より皆さんの世話をする、女郎たちを連れて参りました。女郎たちには、死ぬまで世話をしてもらいます」

 近藤の言葉に、小春たちは耳を疑う。

 世話をする女郎たちだって!?

 それが自分たちのことを指し示していることは、すぐに理解できた。女郎といえば、女のことを指し示しているとして間違いない。そして今この場にいる女といえば、自分たち以外にはいない。

 こんな得体の知れない包帯ダルマの世話を、これからしなくちゃいけないなんて、冗談じゃありません!

 このままでは、自分はおろか友達までこの包帯ダルマの奴隷になってしまいます!

 小春は近藤を睨みつけた。

「ふざけないでください!」

 その言葉に、近藤が振り返った。

 何を寝ぼけたことを抜かしているんだという気持ちが、その表情に如実に表れていた。なぜ小春が怒っているのか、まるで理解できないという表情になっている。

「何を云っているのですか?」

「それはこっちのセリフです! なんですか、世話をする女郎たちって! 私たちは、こんな得体の知れない包帯ダルマの世話をするために、こんな暗くてジメジメした場所に連れてこられたというんですか!?」

「その通りですよ?」

 何を当たり前のことを聞いているんだという調子で、近藤が答える。

「これからあなたたちは、ここで看護婦の代わりとして、みなさんの身の回りの世話をすることになるんですから。心配することはありません。必要なものについては、全てこちらでご用意いたします。それに、ここでのお世話が終わったあかつきには、悟りを得られて必ず解脱できますから」

「そんなことに同意した覚えなど、ありません!」

 小春はキッパリと、云い放つ。

 近藤が、眉間にシワを寄せた。

「無理やりこんなところに連れてきて、しかもこんな訳の分からない存在の世話をしろだなんて、どういう神経をしているんですか!? 悟りを得られて必ず解脱するとか、意味の分からないことを云わないでください! 早くこの縄をほどいて、私たちを解放してください!」

 そう小春が云い切った時。

 滑るように近藤が目の前に現れた。全くと云っていいほど足を動かさず、滑るようにして小春の前に立ちはだかる。近藤の身長は高く、小春は恐怖を感じたが、それを振り払う。

「困るんですよ。あなたのように身勝手なことを云う人が居ますと。この村では、お寺の方針に沿って動いていただくのが、原則なんです。最初は戸惑うかもしれませんが、次第に慣れてきますから、大丈夫ですよ。習うより慣れよと、昔から云いますよね? つまりは、そういうことなのです」

 近藤はそう云うと、小春の腕を掴んだ。

 細い体と腕なのに、掴む力は信じられないほど強く、小春は痛みを感じた。

「さ、これからやることを説明しますから、こちらへ来てもらいます。難しいことではありません。次第に慣れていきます。これまでやってきた人たちも、同じようにできたのですから……」

「放してっ!」

 小春は抵抗するが、近藤は小春の腕をしっかりとつかんで離さない。それどころか、小春が抵抗するごとに、近藤の力は少しずつ強くなっていった。近藤の指が小春の細い腕に食い込み、痛みを感じた。

「やれやれ、往生際の悪い方ですねぇ。あなただけではなく、他のお友達の方も一緒にここで悟りを得られるかもしれないのですから、そこまで頑なになることはないんですよ?」

 近藤は呆れたように云う。

 小春はなんとしても、ここから逃げ出したかった。

 得体の知れない包帯ダルマの世話をさせられるのは嫌です。さらにそれが夏代に秋奈、冬華も一緒にさせられるなんて、とてもじゃありませんが耐えられません!

 身体を揺らし、必死になって近藤が掴んでいる腕を振りほどこうとするが、力の強い近藤は全くと云っていいほど手を離そうとはしない。小春の力では、成人男性の近藤から逃げることは、不可能だ。

 夏代と冬華は、完全に恐怖に支配されて抵抗する気持ちを奪われている。唯一なんとか持ちこたえていた秋奈も、先ほど包帯ダルマを見て限界が来てしまっていた。あの叫び声で、恐怖が我慢の限界に達していた。もう反攻する気力は、残されていない。

「た……」

 もう私も、限界です。

「……助けて!!」

 誰かに届くわけでもないのに。

 誰かが助けに来てくれるはずなんて、ないのに。


 私は、暗闇の中で助けを求めて叫びました。

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