第3章 三日日前半 第2話 盛獄寺

 駅を出た小春たちは、辺りを見回す。駅の近くにある民家は、どこも小さな商店をやっているらしく、店先に商品が置かれていた。どうやら商店街らしく、八百屋やおやに雑貨屋、惣菜屋などの商店が並んでいる。しかし、人の姿は見えない。

 商店街の中を歩いて、いくつかの商店をのぞき込む。商品は並んでいて、いつ店主が出てきてもおかしくなさそうであったが、誰もいなかった。

「誰もいないよ?」

 秋奈の言葉に、冬華が首をかしげる。

「どうしてだろう? すぐに人が出てきてもいいはずなのに……」

「昼時だからか?」

 夏代が、左腕につけている腕時計に目を向ける。しかし、まだ昼前の十一時半だった。昼食の準備をしていると考えても、誰も店先に立っていないのは考えられなかった。

「まぁ、いないのなら仕方がない。人がいる場所を探そう」

 夏代の方針に、誰も異を唱える者はいない。この状況下では、とにかく誰でもいいから、人を見つけたかった。

「そうだね! きっと、あちこちにある家を訪ねていけば、誰かいるよ!」

 秋奈はそう云って、商店街の先に目を向ける。そこには、いくつかの民家が見えた。

「とにかく、行こう」

 夏代が先頭に立ち、それに秋奈、冬華と続いていく。

「あっ、待ってください!」

 小春は先に進む三人の後ろに、慌てて続いていった。



 舗装されていない、土肌むき出しの道路を進んでいく小春たち。道沿いに家を見つけては、一軒ごとに訪ねて人を探していった。

「それにしても、人だけじゃなくて、車も見えないな」

 夏代が民家の庭を見回して、呟く。

「失礼しまーす……」

 冬華が玄関から、民家の中を覗き込んだ。土がむき出しの土間どまの奥には、座敷ざしきがあり、さらに囲炉裏いろりが見えた。囲炉裏には鍋が吊るされているが、中身は入っていないようだ。かまどにも火の気はない。昼時なのに、誰も家にいないのが、おかしかった。

「誰もいないよ?」

「家の裏に畑があったけど、そこにもいない」

 冬華と畑を見てきた秋奈が、そう報告した。

「小春、納屋は誰かいた?」

「誰もいませんでした」

 小春の言葉に、夏代の表情は険しくなった。

「おかしい。これで三軒目だぞ……。なぜどの家も人が居ないんだ……?」

 夏代は腕組みをしながら、民家の縁側に腰掛けた。

「まさか、ここは廃村なのか? いや、そんなわけはないはずだ。商店街には、商品が並んでいたんだ。それに本当に廃村なら、もっと荒れ果てていてもいいはずだし、そもそも電車が通っているわけがない。一体、この村はどうなっているんだ……?」

 腕組をしながら考える夏代は、まるで名探偵そのものだった。

 小春は、夏代の隣に座り、空を見上げる。空だけは、いつもと同じ夏の空だった。どこまでも青く、澄み渡っている。この空は、きっといつの時代でも変わらずに、全てを見てきたんだろうなぁ。なぜか、そんなことを小春は考えていた。

「夏代ちゃん、これからどうしよう?」

「化野ダムに行く方法が分からないなら……諦めて帰るしかないか」

「そんなあ!」

 冬華が、叫んだ。

「ダムカレー、楽しみにしていたのに!」

「化野ダムに行く方法が分からないから、どうしようもないよ。また時間を作って、訪れたらいい。化野ダムは逃げたりしない。それに、小春のおばあさんの料理だって、美味しかったじゃないか」

「それは……そうだけど……」

 まだ、ダムカレーの誘惑を捨てきれない冬華。

 秋奈はすでに、光代の作った料理を思い描いているらしく、もうダムカレーへの興味は失われていた。

「……そうだね。化野ダムには、また明日にでも、調べてから来たらいいよ! 小春ちゃんのおばあちゃんの料理、食べたくなってきた!」

 小春も、光代の料理を思い出していた。もうそろそろお昼だ。今からどこにあるか分からない化野ダムに行くよりも、紅楽荘に帰っておばあちゃんの料理を楽しんだほうが、いいと思えた。おばあちゃんの料理が、美味しくなかったことは一度だってないのだから。

「初めてきたときに食べた、あの高級旅館みたいな和食の数々、また食べたい!」

「いいねー! ダムカレーも捨てがたいけど、あの料理も食べたくなってきたー!」

 秋奈の言葉で、冬華も紅楽荘の料理を思い出したらしい。すでに頭の中は、ダムカレーから光代の料理へと切り替わっていた。

「それじゃあ化野ダムに行くのは取りやめで、帰ってお昼にしましょうか」

 小春が云うと、秋奈と冬華が立ち上がった。

「賛成!」

「小春ちゃんのおばあちゃんの料理、早く食べたいよぉ」

 冬華の言葉に、小春は笑う。

 そんなやり取りを見ていた夏代も、静かに笑った。

「どうやら、決まりだな」

 夏代は立ち上がった。そのまま、三人に目を向ける。

「これから、紅楽荘に帰るか」

「賛成!」

「帰って、おばあちゃんにお昼をお願いしますね」

「お腹空いたから、早くしようねー」

 三人が云う。

「よし、それじゃあ早速――」

 そう云うと、夏代は正面を向いた。

 ふと、夏代が何かに気づいたように遠くを見た。

 目を細めて、遠くにあるものに、ピントを合わせようとしている。

「……お寺だ」

 夏代が目を細めながら、遠くを指し示す。

 目を凝らすと、確かにそこにはお寺があった。田舎にしては大きなお寺で、本堂だけでなく、寺の周りに作られた塀や、鐘を突くための鐘楼しようろうもある。間違いなく、お寺だ。

「お寺なら、もしかしたら誰かいるかもしれないな」

「行ってみよう! もしかしたら、お願いすればおにぎりくらいは貰えるかもしれない!」

 冬華の言葉に、秋奈も賛成した。

「行こう行こう! おにぎりが貰えなくても、帰る方法は分かるかもしれない!」

 それが、いいかもしれない。小春もお寺に行く方針に同意だった。お寺なら、誰かしら人はいるはずだ。お寺について詳しいわけではないけれど、歴史の授業でお寺はかつて今のコミュニティーセンターのような役割を持っていたと、習ったことがある。京都や奈良にあるような大きなお寺はともかく、あちこちにあるお寺はかつて、そんな役割があった。歴史の先生はそう云っていた。

 だからきっと、お寺には誰かいるはずだ。

「よし、あのお寺まで行ってみよう」

 夏代の一言で、四人は夏の日差しの中を歩いていった。



 お寺の山門の前に到着すると、四人は山門からお寺の中を覗き込んだ。

 山門から中を覗くと、正面に本堂が見えた。石畳が本堂へ向かって伸びていて、庭には松の木やはすの花がけられた大きな壺が置かれている。お地蔵さんも並んでいて、まさにお寺といった独特な雰囲気があった。

 そして微かに、奥の方から線香らしいにおいが漂ってくる。誰かがいることは、間違いなさそうだった。

「綺麗なお庭だな……」

「意外と広いみたいねー」

 夏代と秋奈が、山門から見えるお寺を見て感想を云う。

 しかし――なぜか分からないが、お寺に入ってはいけないような気がする。

 小春はその気持ちを、表に出せないでいた。これまでにもお寺には入ったことがある。京都や奈良には修学旅行で行ったことがあるし、有名なお寺には一度は入ったことがあった。そのときに入ってはいけないなんて感情は、一度も抱いたことはない。

 それなのに、なぜこのお寺には入ってはいけないと思うのでしょうか? こんな感情を抱いたのは、初めてです。お寺は日常とはかけ離れた場所だけど、入っていけないというものだと思ったことはありません。しかし、今この目の前にあるお寺だけは、違います。心の奥底から、入ってはいけないと、何かが警告していました。

 小春はそっと、山門を見上げた。山門にはお寺の名前らしき漢字が並んでいた。読み方は分からないが、このお寺は『盛獄寺』という名前であることが分かった。

 地獄や監獄の獄に盛ると書くなんて、ちょっと嫌な名前のお寺です。そう思った小春は、このお寺がより不気味に感じてきていた。

 やっぱり、このお寺はなんかおかしいです。一見すると普通のお寺ですが、入ってはいけないという気持ちが、どんどん強くなっていきます。

 取り返しのつかないことになる前に、一刻も早く、このお寺から離れたほうがいい。そう考えた小春は、隣にいる夏代に声をかけようとした。

「夏代ちゃ――」

 振り向きながら云うが、横を見て目を見開いた。

 先ほどまでそこにいた夏代が、いなくなっていた。夏代どころか、秋奈と冬華の姿も見えない。いつの間にか山門の前にいるのは、小春一人だけになっていた。

 どこにいるのか辺りを見回すと、小春以外の三人は、いつの間にか盛獄寺の中へと足を踏み入れていた。

「わあっ! お地蔵さんがある!」

「こっちには大きな鐘があるよ! まるで大晦日みたい!」

 見慣れないお寺の敷地内に、興奮気味の秋奈と冬華。そして一人、冷静に辺りを見回している夏代が、そこにはいた。

「みんな、一回本堂の中を見てみよう。誰かいるかもしれない」

「まっ、待ってください!」

 小春は、慌てて三人の後を追って、盛獄寺の敷地内へと足を踏み入れていった。本当は入りたくなかったが、今の場所で待ち続けると考えると、入らずにはいられなかった。

 山門をくぐると、不思議と辺りが静かになったような気がした。

「おっ、ここから上がれそうだ」

 本堂の前に置かれた賽銭箱の裏には、本堂へと続く木製の階段があった。夏代はそこでサンダルを脱ぎ、切目縁に立った。夏代の目の前には、本堂の中へと続く木製の大きな引き戸がある。

「夏代ちゃん、誰かいそう?」

「いや、分からない。何も聞こえてこないな」

 冬華の問いに、夏代はそう答える。引き戸に耳を近づけて音が聞こえてこないか伺っているが、夏代の耳は気になる音を拾ってはこなかった。

「とりあえず、中を見てみよう」

 夏代はそう云うと、引き戸を開けた。

 重厚そうな引き戸は、夏代の力でも簡単に開いた。

「すみませーん。どなたかいらっしゃいませんかー?」

 本堂の中に向かって叫ぶが、本堂の中には誰もいなかった。

 畳が敷き詰められた大きな空間の奥には、巨大な仏像が安置されていた。仏像は最も高い場所にあり、その前にはお供え物を置いた台や花を生けた花瓶がある。巨大な木魚と黒いお鈴が置かれていて、その前に人が座れるように座布団まで敷かれていた。そして本堂の中には、線香の臭いが漂っている。よく見ると正面には大きな線香立てがあり、そこには長い線香が一本だけ立てられていた。線香からは微かに煙が立ち上っていて、先ほどまで誰かがそこに居たことを物語っていた。

 やはり、このお寺には誰かがいるみたいだ。だが、今いるのはこの場所ではない。このお寺の、どこか他の場所だ。夏代はそう確信すると、そっと引き戸を閉じた。

「やっぱり、誰かいるのは間違いない。きっと、このお寺のどこかにいるはずだ」

「お寺にいる人といえば、お坊さん?」

 秋奈の問いに、夏代は頷く。

「きっと、そうだろう」

 階段を下りてきた夏代は、サンダルを足にはいた。

「このお寺のお坊さんを、探そう!」

 夏代の言葉に、頷く秋奈と冬華。

 対して小春は、あまり乗り気ではなかった。いないと分かったのだから、これ以上深入りしないで、駅に戻った方が早く帰れるはずなのに。それに、このお寺はやっぱり変だ。一刻も早く、このお寺から離れたい。

 そう思いながらも、口には出せなかった。

 三人の楽しそうな雰囲気に水を差すようなことは、小春には云えなかった。



 小春たちは、お寺のあちこちを覗いていた。本堂の裏にある庫裏くり、寺務所などには誰もいない。お寺の敷地内にある住宅にも、誰もいなかった。そして不思議なことにどこに行っても、線香の臭いが立ち込めていた。しかし。これはお寺だからそうなのだろうと、小春たちは大して気にも留めなかった。

 どこを探しても、お坊さんがいない。

「ここも……村と同じみたいですね」

 小春は台所を見回っていた。包丁や食器といった調理器具や食器は揃っているが、人はいない。

 この村は、どうしてどこにも人が居ないのでしょうか?

 まるでみんな、神隠しに遭ったみたいです。

 そんなことを考えながら、小春は台所から外に出た。少し暗い所に入っていたためか、陽の光に当たると、少しだけ目が痛くなった。しかし、それもすぐに感じなくなる。

 やっぱり暗い所よりも、明るい太陽の下が一番です。

 そのとき、秋奈の叫び声が聞こえてきた。

「ちょ、ちょっと来てーっ!」

 秋奈の声は、本堂の裏の方から聞こえてきた。小春は駆け出し、本堂の横を通って、本堂の裏へと向かう。小春が本堂の裏まで回り込むと、そこに秋奈がいた。すぐに本堂の反対側から夏代と冬華もやってきて、秋奈に駆け寄る。急いできたためか、夏代と冬華は少し呼吸が乱れていた。

「秋奈!」

「秋奈ちゃん、どうしたの……?」

 冬華が問うと、秋奈は指し示した。

「あれ……!」

 秋奈の指さす先を、小春たちは見た。

 そして、目を見張った。

「……お墓だ」

 夏代が、そう呟く。

 小春たちの目の前に広がっていたのは、いくつものお墓だった。墓石がいくつも並んで立っていて、それが山の方まで続いている。そしてお墓の先には、何かモニュメントのような建物があった。それが何かは分からなかったが、お墓に関係している建物であることは、小春にも分かった。

 おそらく、このお寺が管理しているお墓なのだろう。小春はそう思った。

「見て!」

 突然、冬華が何かに気づいたかのように、指し示す。

「あそこ、誰かいる!」

 その言葉に、小春は目を凝らしてモニュメントを見た。

 確かに誰かが、モニュメントの前にいる。坊主頭で、墨で染めたような、黒い着物を着ている。間違いなく、このお寺のお坊さんだろう。

 やっと、この化野村という変な村に来て、人に出会えた。

 そんな安心感が、小春たちの中にこみ上げてきた。

「あのお坊さんに、帰る方法を聞いてみよう」

「賛成! 早く帰りたい!」

 夏代の方針に、秋奈も賛同した。小春も、それが一番だと思った。

 すぐに冬華も、それに続く。

「おにぎり、貰えるかなぁ?」

 一刻も早く、このお寺から離れて、紅楽荘に帰りたい。そんな思いで、居ても立っても居られない思いだった。

「じゃあ、みんなで行くとするか」

 夏代が歩き出し、小春たちはそれに続いた。



 お墓の中を歩いていき、少しずつお坊さんに近づいていく。

 周囲にあるお墓を見ると、線香や花が供えられていた。墓石の横には、木でできた卒塔婆そとばが立てかけられていて、そこに墨で呪文のようなものが記されている。ホラー映画で見たことがあるものと、同じだった。そして時折、お墓の前に野菜とお米を混ぜて、水に浮かべたお供え物も置かれている。あれは一体、何だろう?

 初めて見たものも多いお墓の中を歩いていき、小春たちはお坊さんに近づいていく。

 近くまで来ると、お坊さんからお経が聞こえてきた。そしてモニュメントは、立派な観音像だった。テレビで永代供養についての特集を見たことがあった小春は、その時のことを思い出した。

 確か、身寄りのない人の遺骨やお墓がない人の遺骨を、この観音像の下にある台座の中に納めているはず。そしてお坊さんが時折、その前でお経を読むことで、供養していると番組では説明していた。それは確か、納骨堂といっていたはずだ。

 初めて見たけど、これがその納骨堂だろうか。

 すると、お坊さんがお経を止め、振り向いた。

「どうも、こんにちは」

 急に振り向いて驚いたが、お坊さんは優しそうな笑顔で、小春たちを迎え入れた。

「こ……こんにちは」

 小春たちを代表して、夏代が挨拶をした。

「お墓参りですか? ずいぶんと若い人たちですね……あぁそうか、もうお盆の時期でしたねぇ。若い人が来るのは珍しいので、少し驚いてしまいました」

 お坊さんはそう云って、微笑む。

 驚いたのは、こっちですよ。急に振り返ってきたんですから。

 小春がそんなことを考えていると、夏代が口を開いた。

「あの、お坊さんはこのお寺の方ですか?」

「はい。私はこの盛獄寺せいごくじの住職をしております、近藤道元こんどうどうげんと申します。どうかなされましたか?」

「実はですね……」

 夏代は近藤と名乗ったお坊さんに、これまでのことを話し始めた。

 化野ダムに行く予定だったが、道が分からなくなってしまい、困っていたこと。帰る方法を探してここまで来たこと。なぜか人が居ないこの村でやっと最初の人であるお坊さんに会えたことを、話していった。

 近藤は夏代の言葉を、何度も頷いたり相槌あいづちを打ちながら、最後まで聴いてくれた。

「そうでしたか。それで、帰る方法が分からなくなって、困っていたのですね」

「そうなんです。どうすれば、帰れるのでしょうか?」

 夏代が問うと、近藤は口を開いた。

「簡単なことです。もう一度、駅に戻ってそこから汽車に乗ってください」

「……そうだ! すっかり忘れていた!」

 近藤の言葉に、夏代だけでなく、小春たちもハッとした。

 この化野村までは、列車で来た。ここまで来る列車があるのだから、戻りの列車だってあるはずだ。それなら、駅で切符を買って列車で帰ればいいだけのことだ。どうしてそんな簡単なことを、今まで忘れていたのか。

「列車で帰れば、一件落着じゃない!」

 秋奈が云い、夏代は頷いて近藤に向き直った。

「お坊さん、ありがとうございます! これから、駅に行ってきます!」

「そうですか。それでは、どうぞお気をつけください」

「はい! ありがとうございました!」

 小春たちは近藤にお礼を云った。

 そして、そのまま墓地を抜けてお寺の敷地内に戻り、山門から外に出た。

「……あれっ?」

 山門を出た小春は、ふと立ち止まって、山門を振り返る。

「…………」

「小春ちゃん、どうしたの?」

 冬華が、小春の方を叩いた。

「あっ、冬華ちゃん!」

「早くしないと、夏代ちゃんと秋奈ちゃん、先に行っちゃうよ?」

「……そ、そうでしたね! すぐに行きます!」

「じゃあ、先に行って待ってるね!」

 冬華はそう云って、駆け出した。

「…………」

 小春は、もう一度、山門を振り返った。

 何かがおかしい。何かが。

 そんな気持ちを抱きながらも、まずは化野村から紅楽荘に帰るのが先だ。

 小春はそう思い、先に行った三人を追いかけていった。



「たっ、大変だ!」

 駅に到着した夏代が、愕然とした。そこに秋奈と冬華が到着する。

 愕然としている夏代に、秋奈は首をかしげた。

「どうしたの?」

「これを……見ろ!」

 夏代が壁を指し示す。

 そこを見て、同じように愕然とした。

「皆さん、一体何が――」

 小春がそう問いながら、三人の視線の先を追いかける。

 そして同じように、愕然とした。

 壁に貼られていた時刻表の上から、毛筆で書かれた一枚の紙が貼りつけられていた。そしてその張り紙には、信じられない内容が書かれていた。


『突然ですが、戻りの列車はもうありません。

 今までのご利用、誠にありがとうございました。

 なおこれは、盛獄寺ご住職も承諾済みになります』


 張り紙には、そのように書かれていた。

 元々、本数がそれほど多くは無かったらしく、列車の時刻を示す数字は多くは無い。しかし、もうすでにそんなことはどうでも良かった。

 なぜ突然に、帰るための列車が無くなってしまったのか。

 最後にある、盛獄寺ご住職の承諾とは何か。

 そもそもなぜ、そんなことを田舎の寺の坊主が決めることができるのか。

 小春たちの頭の中には、いくつもの疑問が浮かんできた。

「戻りの列車がないって……つまり帰れないってこと!?」

「おそらくは……そういうことだろう」

「しかも何? この最後に書いてある『盛獄寺ご住職も承諾済み』って!?」

 秋奈が、張り紙の最後の一文を指さした。

「盛獄寺って確か、さっきまでいたお寺じゃないの!?」

「間違いありません。さっきまで皆さんでいた、お寺の名前です」

 小春は、山門の上に掲げられていた額を思い出していた。そこには、この張り紙に書かれているものと同じ『盛獄寺』という文字が並んでいた。それに、墓地で出会ったお坊さんは自己紹介で、自らを「盛獄寺の住職をしています」と云っていた。あのお坊さんが関わっていることは、間違いないはずだ。

「お寺のお坊さんに、列車を止めたりする権利なんてあるのかな?」

 冬華のその一言に、小春たちはハッとした。

 そうだ。お寺のお坊さんに、そんなことをする権利などない。だとしたら、あのお坊さんは嘘をついたことになる。しかもこんな、手の込んだことまでやって。

 秋奈が、堪えきれずに口を開いた。

「もう怒った! あのお坊さんに文句を云いに行こう!」

「うむ。そうだな」

 すると、それに夏代も同意した。

「駅に行って帰りの列車に乗れば帰れると云ったのは、あのお坊さんだ。それなのに嘘なのか本当なのか分からないが、列車を止めたりするなんて、言語道断。それをしていいのは、鉄道会社か国だ。これは許していいことじゃない」

「同感! お昼ご飯も遅くなるし、食べ物の恨みは恐ろしいってこと、思い知ってもらおうよ!」

 冬華も夏代に賛同する。

「よし、みんなでさっきのお寺に行くぞ!」

「おー!」

「急ごう!」

 夏代が叫び、秋奈と冬華がそれに続く。

「まっ、待ってください!」

 あのお寺に行ってはダメです!

 たとえ線路を辿ってでも、一刻も早くこの村から離れましょう!

 小春はそう叫んで呼び止めようとしたが、三人はすでに駆け足で盛獄寺へと向かっていく。もう小春には、止めることはできなかった。

 盛獄寺に行きたくなかったが、このままこの村から一人で出たくはなかった。友達を見捨てるようで、小春にはできなかった。

 小春は止む無く、三人の後に続いた。



 夏代が先頭に立ち、盛獄寺に再び足を踏み入れる。三人は空腹と疲れで、イライラのピークに達していた。とにかく、盛獄寺の近藤というお坊さんに一言ひとこと文句を云わないと、気が済まない気持ちになっていた。

 石畳の上から本堂を覗くと、お坊さんがいた。木魚を叩きながら、読経している。後ろ姿だから顔は分からなかったが、近藤に間違いないだろうと三人は思った。

「いるな、あのお坊さん」

「読経中に文句を云うのは気が引けるけど、さんざん振り回されたんだから、許されるよね!」

「あとは、お詫びにおにぎりでも貰えるなら……!」

 三人が本堂の中を見ながら云っていると、遅れてきた小春が到着した。

「みなさん……もう、帰った方が――」

「小春ちゃん、どう文句を云ったらいいかな!?」

 小春の言葉を遮って、秋奈が訊いた。

「いえ、それよりも――」

「小春、何かいい言葉は無いか?」

 夏代も同じように、小春に尋ねる。

「駅で帰りの列車に乗ればいいと云ったのに、その列車を停めてしまうなんて、許せるわけない。どう云えば、あのお坊さんに謝罪してもらえると思う?」

 どうしましょう。私としては、そんなことはどうでもいいから、早く紅楽荘に帰りたいのですが……。

 小春は困った。秋奈と夏代の云うことは理解できたが、一刻も早く盛獄寺と化野村から離れたい。お坊さんに謝罪させるなんて、正直どうでもいい。その気持ちの方が勝っていた。しかし、他の三人は違った。無理やりにでも帰ろうとすれば、今後の友情にひびが入るかもしれない。小春にとってそれだけは、どうしても避けたかった。

 こういうとき、どう答えるのが正解なのでしょうか? なんだかどう出たとしても、不正解になってしまうような気がします。

 小春が困っていると、人の気配を感じた。

「どうされましたか?」

 本堂から聞こえてきた声に、小春たちは一斉に本堂に目を向ける。

 そしてそのまま、視線を動かすことができなくなった。

 本堂から、お坊さんが小春たちを見下ろしていた。先ほど納骨堂の前で読経していた、近藤に間違いなかった。

「おや、あなたたちは先ほどの……汽車に乗ったのではなかったのですか?」

「そ……そうだ! そのこと!」

 秋奈が、思い出したように口を開いた。

「さっき、お坊さんが駅に行って帰りの列車に乗れって云ったじゃない! それなのに、なんで列車が無いのよ!? しかも列車が無いのは、あんたのせいじゃないの!」

「へっ、汽車が無い?」

 近藤が聞き返すと、秋奈は近藤をにらんだ。

「とぼけないでよ! 盛獄寺ご住職も承諾済みって、ちゃんと張り紙に書いてあったんだからね! それに盛獄寺ご住職って、あんたのことじゃないの!」

「そういうことで、文句を云いに来ました。それとちゃんと帰るための方法を教えてください。それまでは、私たちはここを動きません!」

 夏代が近藤に向かってそう宣言する。

 小春としてはどうでもいいから、早く紅楽荘に帰りたかった。線路を辿っていけば、帰れるのではないかと思いながらも、そう言い出せない。夏代、秋奈、冬華の三人は近藤を睨みつけている。何が何でも、近藤に文句を云わないと気が済まないといった様子だ。

 そして、夏代がさらに口を開こうとしたときだった。

「そうでしたか、それは申し訳ございません」

「……へっ?」

 近藤が、謝罪した。

 文句が喉まで出かかっていた夏代は、拍子抜けする。てっきり、小娘だとバカにした態度を取ってくるのではないかと、思っていたためだ。

「ちゃんと、伝えておくべきでした。今日の午後から、汽車が無くなってしまうということを……」

「じゃあ、どうやって帰ればいいんですか!?」

 夏代が近藤に尋ねる。

「……心配することはありません」

 近藤の言葉に、小春たちは戸惑とまどう。なんだか、近藤の様子がおかしかった。

 ふと小春は、辺りが静まり返っていることに気づいた。夏の昼間だというのに、虫の声が全く聞こえてこない。そういえば、最初に盛獄寺の山門を通った時も、不思議と静かになったように感じられた。

「……もうこの村からは、出られないのですから」

 ニヤッと、近藤が気味の悪い笑みを浮かべる。

 小春たちは背筋に、強い悪寒が突き抜けるように走るのを感じた。本能が、緊急事態を全身に訴えていた。

 そして悲鳴を上げながら、小春たちは申し合わせたかのように、駆け出した。本堂と近藤を背にして走り、山門を抜け、駅の方角へと向かっていく。

 その様子を、黙ったまま見つめている近藤。小春たちが山門の向こうに消えると、再び口元に笑みを浮かべる。

「さて、準備を始めますか……出番ですよ」

 本堂の暗闇の中から、いくつもの目が浮かび上がってきた。



 小春たちは走り続け、駅へと向かっていく。

「な、なんなのよ、あのお坊さん!?」

「こっちが訊きたいよ!」

 秋奈の問いに、そう返す夏代。

 小春は冬華を気遣いながら、二人の後ろを走っていた。

「冬華ちゃん、大丈夫ですか?」

「お腹空いたぁ……喉渇いた……」

 冬華の弱音を聞きながら、小春は空を見上げる。そして言葉を失った。

 夏の青い空が、半分ほど紫色に染まっていた。まだ昼間だ。それに夕方に紅く染まることはあっても、紫色に染まることなんてない。こんな空の色は、見たことが無かった。

 夢を見ているのでしょうか?

 小春は自分の頬をつねったが、痛いだけで何も起こらない。

 その間にも、空はまるで絵の具を広げていくように、紫色へと染まっていく。

「駅にまで、戻ってきちゃったなあ!」

 夏代はそう云って、時刻表を見た。

 時刻表に書かれていた文字が、まるで文字化けしたかのように読めなくなっている。張り紙の内容はそのままだったが、もう今となってはどうでもいいことだった。

 ホームに出ても、列車の姿は見えない。やはりもう戻りの列車は無いんだと、小春たちは悟った。

「これから……どうすればいいの……?」

 冬華がその場にへたり込む。

「冬華ちゃん、しっかりしてください!」

 小春が立つように促すが、疲労と空腹のピークを迎えた冬華は、動けなくなっていた。

「もう! 普段から食べてばっかりで運動していないから、こういうことになるんじゃない!」

 秋奈が吐き捨てるように云った。

「お、おい秋奈、ちょっと云い過ぎだろ……」

「そっ、そうですよ。今は、そんなことをしている場合じゃあ――」

「何よ! 夏代ちゃんだって、大人びているだけで、何の役にも立たないじゃない!」

「なっ!? おい、秋奈! もう一回云ってみろ!」

 夏代がイラついた声で怒鳴り、秋奈と夏代がにらみ合う。その横で、しくしくと泣く冬華と、なんとかして場を収めたい小春。秋奈と夏代の間では、いつキャットファイトが始まっても、おかしくはない。しかし、小春にそれを止められるような力はない。冬華は疲労と空腹で泣いていて、その場で何が起きているのか、分かっていなかった。

 小春たちの気持ちは、完全にバラバラになっていた。


 あぁ、楽しい夏休みになるはずでしたのに、どこで道を間違えてしまったのでしょうか……?

 ……もしかして、私が化野ダムに行きたいなんて云い出さなければ、こんなことは起きなかったのでしょうか?

 分からない……分からないです……!


 小春の頭の中で、さまざまな気持ちが入り乱れて混乱し始める。

 そのとき、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「やはり、こちらに逃げてきたみたいですね」

 間違いなく、盛獄寺の近藤というお坊さんの声だった。

 そしてそれに続いて、男の声が聞こえてくる。

「いたぞ!」

「こっちだ!」

 声がしたほうに目を向けると、村人らしき人たちが鎌や包丁、竹槍を手に駆けてくる。中には松明を手にしている者までいた。いったい今まで、どこに隠れていたのだろう?

 そしてそれを後ろから見守るように立つ、近藤。

 追い詰められたと、小春たちが感じた時には、すでに手遅れだった。

 村人たちから刃物を突きつけられる。中には、猟銃を持っている者もいた。小春たちに武器はない。抵抗は不可能だった。

「殺しては、なりませんよ?」

 近藤の言葉に、村人たちは頷いた。

「これから彼女たちには、重要な役目がございますから」

 手にした長い数珠じゆずをジャラジャラと鳴らして、近藤が微笑む。小春たちにとってその微笑みは、死神の笑いを彷彿ほうふつとさせた。

 小春たちは村人の手によって、荒縄で両手を縛り上げられ、繋がれた。小春が後ろを振り返ると、夏代に秋奈、そして冬華の順番で繋がれている。小春はマンガで見た、網走監獄の囚人を移送するシーンを思い出す。今の自分たちは、服の違いと顔を隠す編み笠がない以外は、まさに囚人そのものだ。

「これから、お勤めがあります。どうぞこちらへ……」

 近藤を先頭にして、村人たちが歩いていく。そして村人たちの手によって、連行されていく小春たち。

 空を見上げると、すでに空は紫色に染まっていた。

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