2-9

 ハルの夏紀への態度はもちろん、他の人への態度も依然冷たいけれど。

 ハレノヒカフェでピアノを弾くようになってから、少なくとも、周りからは夏紀とハルが仲良しに見えていた。

 夏紀がピアノを弾く隣で、ハルがバイオリン。夏紀はいまだに緊張しているけれどハルは気持ち良さそうで、「オーナーが羨ましいです」と徹二が苦笑していた。

「オーナーは僕の憧れなんです」

 ピアノを片づけている夏紀の隣で徹二が言った。この日の演奏は終了して、ハルは既に店の奥に姿を消していた。

「ふぅん。すごい人だもんね」

「はい。でも……一つだけ、悪いところがあるんです」

「ああ──ちょっと、冷たいよね」

「そうなんです。料理も楽器も、何でも完璧にこなすのに、周りの人たちに冷たくて……優しいんです、でも、なんていうか、心を閉ざしてるような」

 ハルはカフェの従業員にはもちろん、お客さんにも笑顔で接していた。高身長でイケメンなのもあってか、特に女性客に彼は人気だった。

 けれど、プライベートの話は何もしてくれない。

 夏紀が恵子や徹二と話しているところに入って来ることはあっても、仕事以外の話をすることは全くなかった。

「あと……誰もオーナーの本名、知らないんです」

「え?」

「だから夏紀さん、聞いてください」

「……え? なんで私? 本当に誰も知らないの?」

 夏紀が聞くと、徹二は黙って頷いた。徹二は夏紀を店の奥に連れて行き、勤務予定表を見せた。ほとんどの従業員はフルネームで書いてあるけれど、一人だけ、カタカナで『ハル』と書かれていた。

「夏紀さんになら、教えてくれるかもしれないです」

「そんなこと言われても……」

「俺の名前は誰にも教えないから」

「オ、オーナー、急に来たらびっくりするじゃないですか」

 いつの間にかハルが二人の前に立っていた。歩くとコツコツ音の鳴る靴を履いているはずなのに、無音でやってきたのは本当に関心する。

「知りたかったら、調べたら? じゃ、俺、帰るから」

 それだけ言って、ハルは今度はコツコツと足音を立てて二人から離れた。それはハレノヒカフェの雰囲気にはまるで似合わない。けれど、ハルだけを見ているととても様になっていて──。

「あ──テツ」

 ハルは足を止めて、振り返らずに徹二を呼んだ。

「彼女いるんだろ? 俺のだから」

「……は?」

 ハルはそのままカフェを出て行ってしまった。バタンとドアの音がして、しばらくしてから車のエンジンが鳴った。

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