第一章 危うきこと神獣の尾を踏むが如し③

 そして決戦の日がやってきた。

 大きな門にびびり、門からしきまでの長いきよにびびり、池を二つもえてびびり、屋敷のきよだいさにもびびり、通された部屋の調度品のきらびやかさにびびり散らしたけれど、必死に平静を保とうと頑張る。でもちがい感がはんなくてやっぱりびびる。

 ずいぶん待たされて忘れられてないかなと不安に思ったころ、やっと紅希がやってきた。

「お初にお目にかかります。季佑順と申します」

 きんちように固まる明鈴を横目に、佑順が口を開いた。

 紅希はさらさらのこく色のかみこしまでび、切れ長の目は勝ち気にかがやいている。背も明鈴より高く、前世で言うモデルのような美しさだった。一目見て高価だと分かるしゆうだらけのころもを着慣れたように身につけている。生で見るとますますな美人だなと、あっけにとられてしまった。

「そう。横にいるその子は?」

「妹の明鈴です。年も紅希様の一つ下と近いゆえ、話もはずむかと連れて参りました」

「ふうん。そういうの別にいいわ。用件は」

 紅希は自分のつめを見ながら言った。興味がないというのが嫌でも伝わってくる。

「ははっ、せっかくお目にかかれたのです。もう少しゆっくりとお話ししませんか」

「父があなたに会えとしつこく言うから、仕方なしに顔を出しただけ。めんどうくさいからさっさと用件言って帰ってちょうだい」

 そっけない返しに、さすがの佑順も引きつった笑みをかべている。

「なるほど。お父上はかんづいておられるのでしょうね。次期こうていである大牙皇子にはまだ正妃がいない、そして今、側近であるわたしが訪ねてきた」

「……私が正妃にふさわしいかみに来たってこと?」

 話の思わぬ展開に、出そうになった悲鳴を必死で押しとどめた。

 正妃にしないために頑張っているのに、正妃にしようとしてどうするんだ。あわてて佑順の背中の衣をつんつんと引っ張る。

「いえいえ、そこまでは申しておりませんよ」

 佑順にぺんっと後ろ手にはらわれてしまう。

「言っているも同然じゃない」

「ごげんそこねてしまいましたかね」

 佑順が苦笑いした。こっそりため息もこぼしたのを明鈴はのがさない。

『兄様、正妃って聞いてませんよ』

 紅希に聞こえないように小声で文句を言う。

『方便に決まってる。理由なく訪問できないだろ』

 佑順も体をかたむけながら、小さな声で返してきた。

 なるほど。確かに理由は必要だ。それが無いから佑順に頼んだわけだし、佑順は明鈴のために訪問理由をひねり出してくれたらしい。でも一番嫌なところをピンポイントでいてきてるんだよ、兄様! と心の中で盛大にさけぶ。

 静まりかえったのを見計らったかのように如太師が部屋に入ってきた。

「佑順殿どの、我が家への来訪嬉しく思いますぞ。ささ、向こうで少し話をしませんかな。紅希、妹の相手をしてあげなさい。くれぐれも失礼の無いようにな」

 太師の登場により、ゆいいつの味方である佑順は出て行ってしまった。部屋の中には明鈴と紅希のみ。気まずい空気が流れる。

 いや、尻込みしていてはいけない、これは佑順が作ってくれたチャンスだと思い直し顔を上げた。礼の姿勢を取り、勇気を出して声を出す。

「あ、あの、私、季明鈴と申します。如紅希様にお目にかかれてとても光栄です」

 少し声がふるえてしまったけれど、ちゃんとあいさつ出来た。

「そう」

 一言のみ……。無視されなかっただけ良いのかも知れない。

「えっと、あの、紅希様は何かお好きなものはありますか?」

「別に」

「そ、そうですか」

「人に聞くなら自分のことをまず教えなさい」

 きつい言い方に心が折れそう。だが、まぁその通りだなとも思った。相手の心を開きたかったらまず自分から開かないと。

「思い至らず申し訳ありません。そうですね、私の好きなものは、ね……」

 ねこと言ってもだいじようだろうか。この世界の常識では猫好きと言った時点で変人あつかいされるかもしれない。猫好きなことをじるつもりはないが、変人だと思われて仲良くなれないのは困ってしまう。

「どうしたのよ。今言いかけたでしょ。別にどんな変なものでも構わないわよ。どうせこの場をしのぐだけの会話なんだから」

 にべもない言い様だ。だったら言ってやるぞとなぞのやる気がみなぎる。

「私、猫が好きなんです!」

「へ?」

 紅希がポカンとした表情で、口を開けたまま固まっていた。

「だから猫が……あの、どんな変なものでも構わないっておっしゃったのは紅希様ですよ」

 思わずねたような声になってしまう。

「そうだけど、まさか猫とは……変な子。でもいいわ、あなたが言ったのなら私の好きなものも教えてあげる」

 紅希がちょいちょいと手招きしてきた。近寄れということだろうか。

 迷っていると、じれたように紅希が「早くこっちに来て」と言ってきた。慌てて近寄ると、ないしよばなしするように明鈴の耳に顔を寄せた。ふわりとこうすいのあまいにおいがただよってくる。

『手に入らないものよ』

 ささやくようにこぼれた言葉に明鈴は首をかしげる。なんともちゆうしよう的な答えだ。けれど、紅希はそれ以上何も教えてはくれなかった。


 紅希はあれから明鈴を屋敷に呼ぶようになった。明鈴としては願ったりかなったりだが、自分の何を気に入ってくれたのだろうかと少し不思議である。

 今日は通算五回目の屋敷訪問だ。二回目までは佑順が付いてきたが、三回目以降は一人で大丈夫だと断った。明鈴の前ではいそがしさを見せないものの、佑順は皇子の側近なのだから城では仕事が山ほどあるに違いないと思ったからだ。でも同行を断ったらとしごろむすめが一人で出歩くのは危ないとごねられ、手の空いた使用人を供につけようとしてきたから、昼間に出歩くくらいは今までも一人だったのでえんりよさせてもらった。なんだろう、前よりも過保護になってきているのは気のせいだろうか。

 だが、しよけいルートかいのための『紅希の初恋フラグを折る!』は、思いのほか上手うまくいっているように思う。だって出会って半月くらいしかっていないのにこれだけ呼んでくれるのだ、もう知り合いを通り越して友人と言ってもいいんじゃないだろうか。明鈴はうれしくてにこにこしながら佑順に話す。佑順にはひまつぶしに呼びつけられているだけだとあきれたように返されたけれど。

 そして本日は紅希が大牙に助けられる日だ。シナリオだと紅希が使用人を連れて街に買い物に出るのだが、その態度が気に入らなくて使用人を置き去りにして一人で行動してしまう。その際に破落戸に絡まれたところを大牙に助けられてこいに落ちるという流れだった。つまり紅希が今日一日しきから出なければ、大牙に助けられる必要もなく、ひいては恋に落ちることも防げるということだ。明鈴は紅希を屋敷から出さないために「いつもおしやべりがきないのでまりたい」と申し出て許可をもらっている。この一日に今後の運命がかかっているため気合いも事前準備も十分だ。

 紅希の屋敷はいつも美味おいしいお茶が用意されていて、今日もうるわしい細工菓子や上品な甘さのまんじゆうが何種類も出された。

「紅希様はいつもこんなに美味しいお菓子を食べられてうらやましいです」

「意外とびんぼうなのね。ならここで暮らす?」

 紅希が不敵なみを浮かべた。彼女はあくどそうな微笑ほほえみがよく似合うなと思う。別にこれは悪口ではなく、紅希のぼうでやるとえるのだ。

「いえいえめつそうもないです。それにしても紅希様は太ったりなさらないのがすごいです」

「別に、いつもこんなにお菓子が用意されているわけではないわ」

「そうなのですか。では私はたまたま幸運な日に当たってるんですね。へへ、嬉しいな」

「気付いてない……おそろしくにぶいようだわ」

 紅希がぼそりと何かを言った。

「んん? ほうはなはひまひたか(どうかなさいましたか)」

 ちょうどごま団子をほおった直後だったので、もごもごと聞き返してしまう。

「なんでもない。ぎようが悪いわ、だまって食べなさいよ」

 ゲームの中の紅希は意地悪ばかりしていややつだなと思っていた。だが、こうして実際に話してみると、とっつきにくいところはあるかも知れないけれどつうの女の子だ。勝手に遠巻きにしていたのが申し訳ない気がしてくる。

「そういえば、紅希様の好きなものの話なんですが」

 今度はしかられないように口の中のものを飲み込んでから問いかけた。

「気になるの?」

「はい。何か具体的なものを指しているのかと考えていたのですが、ちがうのかなと思いまして。もしや紅希様はなんでも手に入ってしまわれるので、簡単には手に入らないことがらがお好き、ということでしょうか」

「まぁ、そんなところね」

 やはりなと思った。

「だったら、紅希様にとってせいの座はあまりお好きではないということになりますね。今のじようきようだと簡単に手に入ってしまいますから。身分は申し分ないし、だれもがり返るほどおれいですし、ほかの候補者がかすんでしまいます」

 ここぞとばかりに正妃に興味を持たないようゆうどうする。

「私は自分が認めた人の妻になると決めているから、会ったこともない皇子の正妃にあまり興味は無いわ。お父様は私に甘いから好きなようにすればいいっておっしゃってるし。でも先日の様子を見ると、内心では正妃になって欲しいのでしょうね」

 身分が高い家に生まれた以上、政略けつこんとは切っても切れない関係だ。自分の好きな人とげたいと言い切る紅希はめずらしい部類だろう。だけど、前世のおくがある身からすると気持ちはよく分かる。前世では好きな人と結婚するのは当たり前になっていたから。そう考えれば、紅希は自由れんあいあこがれるただの少女と言える。この世界の貴族に生まれて、それが難しいことであるのは承知しているが。

 ゲームの中の紅希は大牙を好きなあまり暴走してしまった。好きになった大牙の心は簡単には手に入りそうもなくて、紅希は余計に恋心に火が付いたのかもしれない。ライバルであるヒロインをこうげきしたのは許されることではないが、初めての恋に必死だったのだと思えば可愛かわいいと言えなくもないし。

 本来なら紅希の初恋をこわすのはいけないことかもしれない。でも、紅希を死なせたくないなと思った。紅希の初恋はおのれの身のめつを招くのみだから。紅希の良さを分かってくれる相手はきっと他にいるはずだ。

「紅希様が正妃となって後宮へお入りになったら、こうして一緒にお茶も飲めなくなってしまいますね」

 いかにも拗ねたような表情で言ってみた。自分ごときの存在できさきになるルートの足止めになるとは思わないが、話のとっかかりとしてちょうど良いと思ったのだ。

「あら、さびしいの?」

 心なしか紅希の表情が嬉しそうだ。

「もちろんです」

「じゃあ逆にもし後宮に上がることになったら、明鈴も一緒にいらっしゃいよ。じよにしてあげるわ」

 ちょ、ちょっと待ってくれ! 最悪の方向に話が流れてる。

 明鈴はだらだらと冷やあせを流しながら、必死に会話の方向を曲げる。

「い、いやぁ、その、なんといいますか、妃はなってからが大変らしいですよ。特に正妃は国の行事には必ず参加しなければなりませんし、後宮内で問題が起きたら解決しないといけませんし、そもそも後宮内のしがらみとかめんどうくさいですし。他にも諸外国からの使者のもてなしとか、こうていに報告するまでもない小さな事柄の報告を受けてどうするのか判断したりとか、本当にやることが次々とい込んでくるんです。しかも失敗したら責任とらなきゃいけないし。謝って済むならいいですけど、済まなきゃ最悪処刑されます。死ぬほど忙しいくせに責任も重いしで、本当に割に合わない。本気でやめた方がいいです。正妃なんてなってもいいことなんて無いですよ。私だったら絶対に嫌です!」

 はぁはぁと息が切れる。思わずゲームの知識を引っ張りだしてまくし立ててしまった。ほとんどを侍女である明鈴にほうり投げていたけれど、正妃の仕事はこれ以外にも細々とあるのだ。正妃なんて真面目まじめにやっていたら過労と責任の重さで絶対にむと思う。

 ゲームの中で明鈴はこれらの仕事を紅希から押しつけられ、なおかつ侍女として紅希のお世話もして、紅希の思いつきの我がままに振り回され……本当にびんだった。

「言われてみれば確かにそうね。いろいろ面倒くさそうだわ」

「そうなのです。面倒くさいのですよ」

 分かってくれたと、ほっと胸をなで下ろす。

「ふふっ、明鈴って話せば話すほど変な子。普通だったら正妃になれるならどんなことでもやってやるって人間ばかりなのに。少なくとも、私に近寄ってくるのはそういう人間ばかりだったわ」

「私はのんびりへいおんに暮らしたいだけなのです。正妃なんてその真逆ではないですか」

「へぇ、やっぱり変な子」

 紅希はじやに笑っていた。初対面のこうまんちきな態度とは似ても似つかぬ、可愛い笑顔だった。

 その後も紅希と他愛たわいも無いお喋りをし、異国の珍しい絵巻を見せてもらったり、紅希の衣装を何着も着せえられたりしてその日は過ぎていった。正直、初恋フラグのことを忘れるくらい普通に楽しんでしまった。



「乗り切ったわ!」

 達成感に満ちあふれた明鈴は、高々と両こぶしをあげた。

 まだ紅希のお屋敷の門を出たばかりだが、はつこいフラグは昨日に過ぎ去っている。これで紅希が大牙に恋をすることはない。今後、出会ったときに恋に落ちる可能性はゼロではないため、けいかいおこたってはいけないと思うけれど。でも友人としてこれだけ紅希と親しくなれたのだ。紅希と大牙が出会いそうになったときはじやをするチャンスもあるはずだ。

 あさも食べて行けとすすめられ、その後もなんだかんだと引き留められていたので、あと少しで正午になるといった時刻。街中は活気にあふれ、てんからはせいい声があがっている。街の音を聞きながらようようと歩き出した、そのときだった。

「明鈴、忘れ物よ!」

 紅希の声がした。あわてて振り返ると、紅希がしき包みを手に持って走ってきているではないか。供も連れていないところを見ると、とっさに明鈴を追いかけてきたのだろう。明鈴は来た道をもどる。

「紅希様、ありがとうございます」

「忘れ物ないかかくにんしたときに無いって答えたくせに」

「も、もうしわけありません」

 深々と頭を下げる。達成感にかれていたせいで紅希にめいわくをかけてしまった。

「じゃあ戻るわ。急に飛び出したから家の者がさわいでるでしょうし」

 紅希はそういうときびすを返す。そのとき、男が紅希にわざとぶつかってきた。

「おう、いてえな」

「は?」

「あー、これ骨折れた。どうしてくれるんだ、綺麗な姉ちゃんよ」

「どうもしないわ。だって折れてなんかないもの」

 不味まずい、完全にからまれた。しかも紅希も引く様子が無い。いつもだったら紅希は供を連れているからこんな風に絡まれることはないだろう。だけど今は誰もいないのだ。

「いーや、折れてるね。痛くて痛くてたまんねぇ。ほら謝れよ」

「嫌よ」

 じりじりと男が紅希に近寄っていく。すると、男の背後から似たような男達がさらに集まってきた。どうやら仲間らしい。

 いつしゆん、紅希が破落戸ごろつきに絡まれているのを大牙が助けるシナリオが頭をよぎる。でも、明鈴はかぶりを振ってその考えを追い出した。だって、それは昨日起こるはずの出来事だ。今日はたまたま破落戸とそうぐうしてしまっただけ。

 そこまで考えてはっと気がつく。つまり大牙の助けは来ないのだ。ならばこの破落戸達はこのまま紅希を傷つけるかもしれない。

「下がって、紅希様」

 明鈴は両手を広げ、紅希を背に守るように破落戸達の前に立っていた。

「ちょっと明鈴、何をしているの」

「紅希様は私が守ります」

 本来であれば大牙が助けてくれたのに、明鈴が邪魔をしたせいで助けはもう来ないのだ。だったら自分が守らなくてはいけない、それがシナリオを変えた己の責任だと思った。

「明鈴、いいから。ほらふるえているじゃない」

 紅希がどかそうと後ろから帯を引っ張ってくる。だが、明鈴はん張ってその場を動かなかった。

 本音はこわい。ものすごく怖い。なみだが溢れそうになるのをくちびるんでえる。紅希にてきされたように足の震えも止まらない。自分よりも大きな男達に囲まれて、今にも拳が飛んできそうだ。運が悪ければどこかに連れ去られるかもしれない。

 でもこうして時間かせぎをすれば、紅希の家の人達がさがしに来てくれるだろう。それにけるしかない。

「友情ごっこかぁ? 泣かせるねぇ。じゃあえんりよなく二人ともこっちに来てもら──」

 しゃべっていた男の手がびてきた、と思った瞬間だった。

 にぶい音がしたと同時に男の姿が視界から消えた。代わりに映り込んだのは、しつこくの中にきらめく金色だ。

うつとうしいな、ただの破落戸が」

 ぼそりとつぶやく声は、低くとも張りがある。

 そこにはおとゲームのスチルで何回も見た寅国皇子の大牙がいた。

「な……んで?」

 現れるはずのない大牙がなんで目の前にいるのだ。明鈴はどういうことなのか分からず、ただぼうぜんと大牙を見上げていた。

 背が高く引きまった体格に、金色の毛束が混じる長いくろかみが風にれている。少しつりぎみの切れ長な目に大きな口、ゲーム内でワイルド系イケメンとしようされていただけはある。破落戸達をあつするかのように立つ大牙は、虎のしんじゆうの加護を受けているのもなつとくはくりよくだった。

 大牙がちらりと明鈴を見た。金色のひとみがすっと細められる。ただそれだけなのにむなぐらをつかまれたような、言い知れぬ気配を感じた。震えが足だけでなく心にも広がっていく。

 怖い、まとう空気がほかとはちがうと本能的に思った。

 大牙の視線が残りの男達に戻ったたん、明鈴は小さく息をく。気付かぬうちに息を止めていたらしい。

「邪魔だ、お前ら消えろ」

 大牙が男達に言い放つ。しかし、男達の方は人数が多いせいか、逆にニヤニヤとしたみを浮かべている。

「兄ちゃん一人で何が出来る」

 男達が大牙を囲むように散らばった。しかも、短刀まで取り出した。

「笑わせるな。俺のげんは最悪だ、お前らこそこうかいするぞ」

 大牙はこしに下げていたけんくことなく腰を少し落とした。と思った瞬間、まずは目の前にいたひげの男をあしばらいで転ばせ、鳩尾みぞおちに拳をいれた。男はあわいて気絶している。そのあざやかな動きを見た残りの男達にどうようが走った。

 大牙は止まることなく立ち上がると、右方向にいた男をなぐり、左方向からりかかってきた男の手首をり上げる。男が落とした短刀を拾い上げ、ばやく鼻の先にきつけた。

「ひぃ」

 短刀を向けられた男は悲鳴と共に腰を抜かし、うようにげ出す。それを見た他の男達もいつせいに逃げていった。

 明鈴は大牙が破落戸達を追い払うのを冷やあせを垂らしながら見ていた。これはどういうことなのだろうかと必死で考える。紅希が恋に落ちる出来事は昨日だったはず。だけど今目の前で起きたことは『破落戸に絡まれた紅希を大牙が助けた』というゲームの中のシナリオといつしよだ。

 理由は分からない。けれど、大牙が助けに来たら紅希は恋をしてしまうだろうし、恋に落ちたら紅希は親の権力をフル活用して大牙のせいになってしまう。

「失敗した……」

 震えた声でつぶやく。

 つい先ほどまでしよけいルートをかい出来たと喜んでいたのだ。それなのに、全然回避など出来ていなかった。

 大牙が明鈴の方を向いた。じろりと見下ろされる圧に無意識に腰が引けてしまう。

 どうしよう、上手うまく出来なかった。どうしよう、このままじゃこの人に処刑されるんだ。どうしよう、どうしよう────

 大牙が一歩近寄ってきた。明鈴は一歩下がる。また大牙が一歩める。明鈴が下がる。そうしているうちに紅希にぶつかってしまう。

「明鈴、だいじよう? 真っ青よ」

 り向くと紅希が心配そうにまゆを寄せていた。

 息が上手く出来ない。怖い、助けて欲しい。思わず紅希に手を伸ばしかける。

 だが、その手は途中で大牙につかまれた。

「おい、何故なぜ逃げる」

 大きな手につかまれた手首が熱い。見下ろしてくる瞳が怖かった。

いや!」

 明鈴は勢いよくうでを振り上げ、大牙の手を振りほどく。そして混乱のあまり、一目散に逃げ出したのだった。

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十二神獣の転生妃 最凶虎皇子の後宮から逃げ出したい! 石川いな帆/角川ビーンズ文庫 @beans

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