第一章 危うきこと神獣の尾を踏むが如し②

 明鈴の生まれ育ったこの世界は桃仙の女神がつくったとされ、女神は創った大地と一体化した。女神に付き従っていた十二しんじゆうはそれぞれの場所で大地(女神)を守ることにし、これが国の成り立ちとされている。

 ねずみ、牛、とらうさぎりゆうへび、馬、羊、さる、鳥、犬、いのししの神獣をまつる十二の国が存在し、王族はそれぞれの神獣からの加護を受けて神通力が使える。その神通力を用いて神事を行い、有事の際は戦って国を守っているのだ。特に神事がきちんと行えないと天候がれ、大気がよどんでえきびようが発生し、大地が安定せずに天災が起こる。そのため、王族の神事の務めは何よりも重要とされていた。そして女神の生まれ変わりといわれる『桃仙のおと』は、きつちようをもたらす存在と考えられている。

 ここまでは誰でも知っていることだ。だがしよみんは知らない、貴族だけが知ることがらがある。

 それはばんのうに思える神通力だが、じんえた力のため使いすぎた人のたましいへいしてしまうという事だ。すると神通力のせいぎよが出来なくなり、限界を超えると自我もむしばまれ暴走してしまう。これを止めることが出来るのが『桃仙の乙女』だが、この存在は常にいるわけではない。そのため暴走が止められなかった王族は人ならざるものへと変化し、これを『黒獣ち』と呼んだ。自我を無くしてかいさつりくを繰り返すけものとなるため、王族達は神通力の暴走を何よりも恐れている。


 成人の儀式のあと、ぼうだいな記憶がよみがえった明鈴は帰ってから熱でんでしまったが、翌日になればすっきりと頭の整理が出来ていた。今と前世の性格が似通っていたおかげだろう。自我が混乱することもなく、すでに十五年この世界で生きている明鈴の中に記憶として同化していった。あとはこの世界が本当にゲームの世界なのか、ただ似ているだけの世界なのかという問題だ。明鈴は似ているだけ説をまだ捨てる気はない。

 ゲームのシナリオだと、桃仙の乙女が見つかったすぐ後にこうていほうぎよが発布されていた。でも現状そのような知らせはない。だからきっとだいじよう。皇帝が崩御なんてするはずないと自分自身に言い聞かせる。

 そもそも崩御の発布自体は桃仙の乙女が見つかった後だったが、時系列でいうと見つかる数日前にもう皇帝は崩御していた。たった数日の差にどうしてあと少し早く現れなかったのだとプレイしながら思ったものだ。せめて崩御してから数年っていたらまだましだっただろうけれど。こんなびんなタイミングでヒロインを投入するから、じよばんは大牙からいきどおりをぶつけるがごとにらまれていて可哀かわいそうだった。

「初っぱなから重い展開なのよね、大牙皇子ルートって」

 だからあまり好きになれなかったのだ。ちょっとでもせんたくちがえればそくバッドエンド行きだったし。ほかこうりやくキャラが好感度ゼロからの始まりだとしたら、大牙はマイナスから始まっているようなものだから。

 もし本当にゲーム世界であるならば、皇帝が崩御されていたという知らせがあるはず。崩御が明らかになれば、さすがにゲーム世界への転生を認めるしかないだろう。ゲームのシナリオ通りに現実も進んでいるということだから。でも、そんな悲しい現実を受け止めないで済みますようにと、皇帝の無事を毎晩月にいのり続けるのだった。


「ずっと隠されていたことだが、実は皇帝陛下が崩御された」

 父の言葉にうそだろ……と絶望した。かすかにいだいていた希望がついえた瞬間だ。

 成人のしきから十日ほど経ったころ、父がゆうのあとに母と兄と明鈴をしよさいに呼び重々しく話し始めたのだ。兄は知っていたようだが、母はおどろきすぎたのか無言で固まっている。皇帝はまだ四十歳、亡くなるには早すぎるから当然のはんのうだろう。

 明鈴も同じく言葉をまらせる。しようげきのあまり思わず倒れそうになるけれど必死で姿勢を保った。信じたくないが、でもこれが現実なのだと父の苦々しい表情を見てかたを落とす。

 やはりここは乙女ゲームの世界であり、シナリオも確実に進んでいることが証明されてしまったのだ。まったく嬉しくないし、絶望に泣いてしまいそうである。

「これから、この国はどうなるのですか」

 母がふるえる声で問いかけた。

「第一皇子である大牙様は十八歳になられているし、そのまま帝位に就かれることに問題はないが、急なことゆえ城内はそうぜんとしている。これから国の民は一年のに服すから、お前達もな行動はつつしむように」

 父の言葉に無言でうなずくことしか出来なかった。

 自室に引きあげ大きなため息をつく。つきすぎて逆にはぁはぁしているあやしいやつかも知れないくらい、ため息が止まらない。

 認めざるを得ないとはいえ、気持ち的には認めたくないのだ。だって乙女ゲームに転生したとして、何故なぜにヒロインでもなくしよけいされるモブなのだ。せめてただのモブだったら思う存分この世界を楽しもうと思えるのに。

 止まることのないため息をつきながら、ゲームでの明鈴の立ち位置をり返ってみた。悪役妃としようされる正妃・じよこうじよとして後宮にあがり、彼女の我がままに振り回されて体も精神もくたくたになった挙げ句、正妃の行動をいさめられなかったことを責められて正妃と一緒に処刑される……はっきりいって最悪だ。自分の未来ながら可哀想すぎる。

 それに加えて祖母は卯国王族、つまり兎の神獣の加護を受けていたため、明鈴は寅国に生誕しながらも兎のえいきようを受けいでいる。られる側の明鈴にとって、虎の神獣の加護を受ける人の城にあがること自体がきようだ。文字通りわれそうだと本能で思ってしまう。

 でも、と顔を上げた。かい出来る可能性はあるのではないだろうか。だって自分はまだ侍女になっていない。幸いにも前世で全ルート攻略済み、つまりこの寅国ルートで起こることも当然頭に入っているのだ。

 前世でのしやちく生活、胸がめ付けられるような本当のこいがしてみたかったのが本音だけれど、仕事にぼうさつされて恋をするひますらなかった。だからこそくうでも恋を味わえてつらい現実からとう出来る乙女ゲームが大好きだった。その乙女ゲームの世界に転生したのなら、それはごほうであるべきなのだ。断じて処刑されていいはずがない。

「全力で処刑ルートを回避するわ!」

 明鈴は立ち上がり、だれもいない部屋の中で宣言した。絶対に処刑を回避する。そうなれば、せっかく高い身分に生まれたのだから労働とはえんのお気楽ライフを過ごせるはず。今世は恋をする時間も出来るかもしれない。


 一晩考えを練った明鈴は、処刑ルート回避のための策を実行することにした。シナリオが進んでいる以上は行動あるのみだ。

 とびらを軽くたたき、声をかける。

「兄様、お話よろしいでしょうか」

「かしこまって、どうした?」

 兄の佑順が扉を開けて顔を出した。明鈴が前世のおくを取りもどしてから面と向かってちゃんと話すのは初めてである。

 佑順はうすちやちようはつをゆるく編み、あさはなだいろほうに垂らしている。明鈴と似た薄茶のひとみは少し垂れており、やさしげなふんただよわせている青年だ。だが気弱かというとそんなことはなく、目上の人に対してもものじせずにみを保っていられる気の強さをあわせ持つ。その態度のせいでいつもヘラヘラしている奴だと城内では言われているらしいが。

「兄様、如紅希様をゆうわくして欲しいのです」

「……は?」

「ですから如紅希様を──」

「いやいやいや聞こえてるから。そうじゃなくて、急に何言い出したのお前」

「兄様は女性に大変人気があると聞いたので、誘惑も出来るかなと思ったのです」

 佑順は明鈴の前で他の女性の話はめつにしない。おそらく妹だからだろう。だが明鈴はゲームでの佑順のモテっぷりを知っている。容姿が整っているうえ女性に対してはとても親切かつていねいな応対をするからだ。ただ口調が少々軽いので、総じて見るとチャラい奴という印象になってしまうのが残念だが。

「明鈴に言われてくのは何かいやだな。しかも如紅希様だろ。相手が悪い、あきらめろ」

 寅国は皇帝と、建国からの名家当主である太師十二人の合議制でまつりごとが動く。もちろん最終決定は皇帝が行うが。その中の如太師は最も格上のいえがらで、紅希はそのむすめにあたる。

「兄様なら太師の娘もれるかなと思ったのですが、まぁこれはじようだんです。兄様の好みもあるでしょうからね」

 明鈴は言うだけ言ってみようの精神だったので、すぐにこの案は諦めた。

「お前、真顔で冗談言うような奴だったっけ。諦めてくれたならいいけどさ」

 確かに記憶がよみがえる前はすぐに泣いたり笑ったりと、感情豊かに佑順に接していた気がする。だがしかし、今はきんきゆう時なのだ。しんけんな顔にもなるってものだ。

「仕方ありません。では、如紅希様と関係を持って欲しいのです」

「はぁ? 待て待て待て! 余計におかしなことになってきたぞ。いや認めん。可愛かわいい妹の口からそんなふしだらな言葉が聞こえるわけがない!」

 佑順はどうようしながら両耳を押さえた。その反応に言い方を間違えたなと明鈴も気付く。

「ご、ごめんなさい。そういう意味ではないのです」

「じゃあどういう意味だ?」

「ええと、如紅希様とお知り合いになりたくて。でも私では今のところつてがないのです」

 紅希の我が儘な性格はうわさとなって聞こえていた。紅希の気にさわったからという理由で、かんが地方に飛ばされたなんて話を聞いたのも一度や二度ではない。こんなこわい人物には近寄らないようにしようと思っていたので、紅希とのえんはあるはずも無いのだ。

「つまり明鈴のために如紅希様に近づけと? お前な、俺をなんだと思ってるんだよ」

 佑順の意見はもっともだが、めぐり巡って明鈴以外の命も助かることにつながるのだ。

「これには深い、深ーい理由があるのです。どうしても如紅希様にお目にかかりたいのです。たよれるのは兄様だけなのです!」

「……悪いことは言わない、やめとけ」

 佑順がため息交じりに言う。

「私も本音を言えばやめたいのですが、どうしても彼女と仲良くならねばならないのです」

「なんで?」

 思わず返事に詰まる。佑順の疑問はもっともだが、転生やらおとゲームやらを説明して分かるだろうか。あせりながらも必死で考える。

 下手に話してしまうとシナリオが大きく変わって明鈴の手に負えなくなる可能性がある。自分の行動はあく出来ても、他人の行動まで把握するのは難しいだろうし。そう考えると、やはり下手に言わない方がけんめいだろう。これが正解なのか分からないけれど、今は最善だと信じるしかない。

「ええとくわしくは言えないのですが、もう頼れるのは兄様だけなのです。どうか会えるように手を貸してください。何でも言うことを聞きますから、お願いしますうぅぅ」

 明鈴は思わず佑順にきつく。

「うわ、鼻水垂らして泣くな。子どもかよ」

「にいさま、おねがいじまず。わだじのいのぢがががっでるんでず」

「もう仕方ないな。会わせてあげればいいんだろ。誘惑しなくていいならやってやるよ」

「にいさまぁ!」

 明鈴がうれしさに顔を上げると、佑順は少し乱暴な手つきで頭をでてきた。

 ゲームで見てきた佑順はチャラいモテ男という印象だったけれど、明鈴として見ると優しい兄だなと思う。そんな姿を見られるのは妹の特権だろう。


 処刑ルート回避のために考えた作戦、それは悪役妃こと如紅希をせいにしないことだ。紅希がきさきにならなければ、明鈴もとらの気配が満ちるおそろしい後宮に入ることはない。単純明快な作戦だが、明鈴としても後宮で仕事するなど前世でいうキャリアウーマンのようなことは求めていないのだ。仕事に忙殺されるのは前世だけでお腹いっぱいである。

 そしてこの作戦が成功すれば、明鈴だけでなく紅希の処刑も防げるという一石二鳥、もしくは三鳥くらいの得がある。紅希の処刑は自業自得な部分はあるけれど、今はまだ処刑されるようなことはしていないし、紅希が妃にならなければヒロインがいじめられることもない。みんなが死なずに嫌な思いもしないならば、そっちの方がいいに決まっている。

 ゲームだと紅希は街で破落戸ごろつきからまれているところを、ぐうぜん通りかかった大牙に助けられたのがきっかけで恋に落ちた。まぁよくあるパターンである。自分の気持ちに真っ正直な紅希は、実家の権力をフルに使い正妃の座に納まったのだ。つまり『紅希の初恋フラグを折る』、これがミッションだ!

 紅希の初恋フラグを折り、かつ正妃にならないように導くために紅希と仲良くならなければならない。そのために佑順に泣きついて協力をたのんだのだ。正直なところ、こんなれつな性格の人にはあまり近寄りたくないのだけど仕方がない。生き延びるためだ。げたくなる自分にがんれと言い聞かせる。

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