第二十四話 ボクの片割れ

 泣き声がする。子どもがすすり泣く声だ。

 緑生い茂る故郷の森、白い光が草葉の間から差しこんでいる。並んだ木々には緑のツタが這っていて、土はしっとりと水を含んだ肥沃な土地。岩と岩の間に立った一本の大木が大地に根差そうと、幾本もの太く頑強な足を複雑に絡ませている。その木の根の間で、小さく背を丸めながら、ボクはいつも一人で泣いていた。

 するとひょこりと、白い光の中から顔を覗かせる人がいる。姉さんだった。絹糸のように美しい髪に、滑らかな白い肌、涼やかな青い瞳。ボクにそっくりな顔。ただし、耳以外。

 姉さんの耳はぴんと尖っている。ボクの耳とは大違い。他は全部そっくりだったのに、ボクの耳だけが、短く、醜い。幼く純情で本当の少年だった頃のボクは、同族の者達から向けられる嫌悪の眼差しに、いつも傷ついていた。そうして秘密基地で泣いているボクの所に、姉さんはいつもこうして慰めに来てくれたんだ。


「ギル、楽しい事を想像してみて」


 金の笛のような声で、ボクが泣く度に姉さんはそう言った。双子の姉。ボクの片割れ。ボクとそっくりの、美しい人。


「また耳の事でからかわれたの? 気にする事ないよ、だってあなたは私とこんなにそっくりだもの。あなたは綺麗よ」

「でもジジ様達は、みんなボクの耳がみっともないって言うんだ……! こんな耳じゃ、他の家の人達に見せるのが恥ずかしい、だからお前なんかうちにいらないって……!」

「じゃあ、こうしましょ」


 そう言うと姉さんは髪巻きの道具を持ってきて、くるくるとボクの髪を巻いてくれた。ふわふわと動きのある髪が、ボクの短い耳を隠してくれる。


「これなら誰も気にしないわ。素敵ね、ギル。とっても素敵!」


 姉さんは何度もそう繰り返して、ボクを褒めてくれた。毎日ボクの髪を巻いてくれた。家族の誰もがボクを見ないふりをしても、姉さんだけはボクを見捨てなかった。

 ボクの片割れ。美しい人。清廉潔白な姉は、その心までもが清く澄んでいる。ボクの誇りであり、尊敬する姉であり、そしてそんな彼女がずっと羨ましかった。

 姉さんが光に包まれて、白い世界に溶けていく。後光を背負う姿は本当に天使みたいで神々しい。こんなに美しい人はいない。そんじょそこらの美人とは比べるまでもないくらいに姉さんの周りは輝いて、眩しかった。

 ……だからこれは、夢なんだ。

 白い光がだんだんと光量を落としていくと、そこに緑の草花が生い茂る今のボクの部屋があった。部屋の隅にはナラの木のデスクがあって、その上には木製の、引き出しが三段あるジュエリーボックスが置かれている。ボクはそのうちの下から一段目を引き開けた。

 中にあるのは水晶、トルマリン、ガーネットなどの原石。二段目は加工されたルース達。三段目は腕輪に指輪、ブローチなんかの宝飾品が並んでいる。しかしたちまち、そこに入っていた宝石達は溶けて消え、汚泥や、もっと不快感を覚えるような物に変わり果てた。部屋の奥のベンチに座っていた美しい人も、今はもう……。

 先生はボクに不満を抱いているようだ。でないとこんな夢で脅しをかけてきたりなんかしない。こうやって事あるごとに、ボクの目の前から綺麗なものが奪い去られていくのを見せつける。


「あなたは本当にグズね。だから姉さんがになってしまうのよ」


 振り返ると、黒髪の魔女が鋭い眼差しでこちらを見ていた。羽飾りの付いた大きな帽子を被って、黒いドレスを引きずりながら歩み寄ってくる。


「……マーリン、ボクは頑張ってるよ」

「全然、足りないわ。あなたが何の薬も作れずグズグズしている間に、姉さんは何もかも失ったわよ? よく通る声も、滑らかな肌も、言葉だってもう話せない。あなたにその呪いを解くのは無理よ。もう諦めなさい」

「そんな事出来ない。たった一人の家族なんだ。ボクは姉さんを見捨てたりしない」


 ギル、私を見捨てたりしないわよね?

 背後から姉さんの声がする。もちろん、とボクは答えた。だってボクらは本当の家族なんだから。姉さんはボクの片割れ。ボクとそっくりな、美しい人。


「嘘つき。本当はそんな事思っちゃいないくせに」

「嘘じゃないよ」

「じゃあ、振り向いて姉さんの顔を見てみなさいよ」


 ボクは動けない。だってこれは悪夢だ。先生がボクに何を見せようとしているかなんて、分かりきっているじゃないか。


「……こんな嫌がらせする事ないじゃないか。いい加減にしてくれ」

「あら、これが全部私の作り出したものだとでも? 半分はあなたの夢でもあるのよ。その吐瀉物みたいなものは、あなたの心の具現でもあるんだから」


 ボクは不快感に激しく顔を歪める。引き出しを開けた時、中の液体が少しだけ指に付いていた。

 最悪だ、こんな、気持ち悪い。机の縁に擦りつけても、服の裾で拭っても、全部取りきれている気がしない。

 先生に視線を戻した時には、黒髪の女はいなくて、代わりに金髪の少女がそこに立っていた。姉さんとは比べるべくもない、みすぼらしい娘だ。人間はどいつもこいつも美しくない。そもそもボクらとは血が違うんだ。ボクらの血には他の種族が持ち合わせてないような力が宿っていて、老いもない。耳はこんなでも、僕の血は本当はダブルなんかじゃないって、これが証拠だ。


「あぁ。だからあなたの魔法、そんななのね」


 この女と従妹なんて嘘だ。なのに、どうして皆信じたりするんだろう。こんなに違うのに。全然、違うのに。侮辱だ、酷い侮辱だ……!


「汚いわ」


 マーリンが顔を歪めて言う。やめろ、ボクじゃない。ボクの事じゃない……!

 手にこびり付いたものがねちゃねちゃと糸を引く。気持ち悪い。何度も服で擦るのに、なんでか取れなかった。あぁ、くそっ、気持ち悪い……!


「本当に、汚い」


 粘りけのあるものが手首まで上がってきて、ボクは吐き気に堪えられなかった。

 ベッドから飛び起きると、浅い呼吸を何度かついて、気持ち悪さが引いていくのをじっと待つ。そうしてようやく落ち着くと、ベッドから抜け出し、部屋の奥へと向かっていった。

 白い花を咲かせるオーニソガラムの苗がいくつも並んだその場所に、姉さんが静かな寝息を立てて眠っている。ボクがそっとその体に触れると、くすぐったいのか、少しばかり身じろぎした。それのせいで姉さんに繋がる鎖の音が大きく響いて、ボクは慌てて身を寄せる。眠ってていいよ、と声をかけた。

 姉さんの肌は、黒くて硬い。ざらざらとした触り心地で、でもボクは体を引いたりなんてしなかった。だって姉さんはボクの家族なんだから。ボクの片割れ。ボクにそっくりな、美しい人。

 その硬い背に身を寄せると、ボクは優しく姉さんの耳に囁いた。


「ボクが必ず、元の姿に戻してあげるから……」

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