第二十五話 全部、俺様の物

 ローズを預からない日は、なんて穏やかでのどかなんだろう。たまにはゆっくりとした朝を迎えてもいいんじゃないだろうか。……そう思っていたのに、あの意地の悪い魔女ときたら、僕の安眠を妨害することにご執心なようだ。人の夢にずかずかと入りこんできて、好き放題荒らしまわっていく。

 色素の薄い髪を黒いマントで覆い隠した魔女が、僕の手を引いて歩いている。とても長い事歩かされた。まだ僕がその魔女を見上げるくらいの背丈だった頃の事で、休ませてくれと言っても、手を振り解こうとしても、その魔女は一切聞いてくれなかった。靴擦れのせいで血が滲んでも、歯を食いしばって耐えるしかない。諦めて、ただ歩き続けるしかなかった。

 歩き続けた先にあったのは、緑の屋根の聖堂だ。ちらちらと雪も降っていて、粗末な服しか着ていない僕はその寒さに震えた。


「……こんなとこですんだよ?」

「ここであなたは魔法使いになるの」


 ようやく口を開いたかと思えば、魔女はそんな事を言った。幼い僕は意味が分からず眉を寄せたが、魔女はそんな事お構いなしだ。


「入り口にある水晶を触って、順番が来たら呪の彫られた扉の部屋に入りなさい。そこで自分の心と向き合って、欲するものを強く念じるのよ。それで、あなたに素質があったなら魔法使いになれるわ」

「……もし、なれなかったら?」

「そしたら死んでいいわ」


 僕はびっくりして手を引いたが、掴まれた腕はびくともしなかった。


「その部屋は私が作ったの。優秀な魔法使いを選ぶための魔具よ。眠っている魔力の量が多いほど、扉は重くなり人の力で開ける事は出来なくなる。魔力を引き出せた後なら、なんなく扉は開くわ。よく出来てるでしょ? 優秀な魔法使いである可能性が高ければ高いほど、逃げられなくするのよ」

「……もし、に魔力がなかったら?」

「部屋から出てこれるくらいの魔力しかないなら、そんなのいらないわ。好きな所で野垂れ死ねばいい」

「なん、だよ、それ……!」


 掴まれた腕を振り解こうとするが、魔女はしっかと僕の手を握って放さなかった。魔女がこちらを振り返り、黄緑色の奇妙な目で見下ろしてくる。


「このまま逃げたって、結局あなたは野垂れ死ぬわよ? そんなボロの薄着でどうしてここまで歩いてこられたと思う? 私が手を握っているからよ。そんな格好で、今まで歩いてきた道程を戻ってごらんなさい。一時間ともたないわ」

「ふざけんな! なんで、なんだよ……!」

「それを今から判断するの」


 魔女の目は、降り積もる雪や氷なんかよりもずっと冷たかった。冷たいという事さえ感じない、無温の目だ。


「魔法使いになれないあなたなんて、いらないもの」


 パッと手を放された瞬間、身を切るような寒さを感じた。全身を針で刺されたような痛みを感じて、慌てて魔女の手を取ろうとするも、相手はするりと扉の内へ入っていってしまった。あまりの寒さに、このまま逃げだそうなんて事は考える余地さえなかった。滑りこむようにして後へと続く。しかしマーリンは僕に水晶玉を触らせると、今度はさっさと聖堂から去っていってしまった。

 雪道を追っていく事など到底出来なくて、その日は必死に自分の体を擦って過ごす羽目になった。水晶玉の近くにいると少しだけ寒さが和らぐ気がしてそこで暖を取っていたけれど、聖堂の奥から見知らぬ男が出てきて眉を顰められた。そして気付いた時には、その男に殴られていた。


「くせぇ……! 失せろ、クソガキ!」


 その後は、逃げるように建物の中を彷徨った。聖堂には僕以外にも何人かいて、でもどこに行っても、誰も僕を歓迎しやしなかった。あしらわれたり、怒鳴られたり、追い出されるならまだ良い方で、殴られそうになったり、身ぐるみを剥がされそうにもなった。

 日が落ちた頃にようやく休める場所を見つけ、小さな蝋に火を灯し、通路横に出来た狭い窪みに体を押しこんで暖を取った。お腹が空いて、それに眠たくて仕方なかったけれど、無理やりにでも考え事をして眠らないようにした。僕をここへ連れてきた魔女と、さっき僕を殴った男への呪詛を吐き続け、なんとか意識を保ち続けた。

 幸いだったのは、そのまま一晩を越さなくても済んだことだ。夜遅く、もう誰も部屋の外に行き来する者がなくなった時分に、僕の順番が来た。手に紋様が浮かんだんだ。これが順番が来たという合図だった。僕はかじかんだ足をなんとか動かし、聖堂の入り口へと戻っていった。

 入り口のホールには、僕を殴った男がまだそこにいた。傍らには横になったまま動かない男がもう一人いて、そいつはその男をじっと見下ろしていた。ふいに男の視線が動き、僕を見る。僕は慌てて紋様の浮かんだ腕を背中に隠したが、それが少しだけ遅かった。


「次の番は俺様だぞ」


 男はそう言うと、いきなり掴みかかってきた。僕は男の懐に飛び込んでそれを避けたが、服を引っ張られ、どこかが裂ける音がした。それでも構わず身を捩ると、横っ腹に蹴りを食らった。次いで後ろから頭を叩かれ、背中をどつかれる。


「次は俺様だ! その印は俺様のだ! よこせ! よこせ!!」


 それでもなんとか男を振り切って、部屋の奥にある小さな扉を潜ると急いで扉を閉めた。鈍い痛みに耐え、少しの間そこで蹲って体を休めた。

 痛みが幾分かマシになった頃、僕は立ち上がって扉の先に続いている細い通路を進んだ。奥には眩しいくらいに光の満ちた部屋があった。窓はなく、明かりもないのにそこは光に溢れていた。何故だかその部屋にいる間は、寒さも、空腹も感じなかった。

 僕はその部屋の中心で蹲ると、自分を痛めつけてきた奴らへの呪詛を吐いた。だって、魔女は自分の心と向きあえって言ったんだからね。その時僕の心の内にあったのは、憎しみや、怒りだった。


『くそ、あの脳なし野郎……! 魔法使いになったら絶対にやり返してやる! 身ぐるみ剥いで、顔面に一発お見舞いして、それから……!』


 僕を殴った男への呪詛を吐き、


『あーしは捨てられてなんかない! 母さんはホントは迎えに来たんだ! あの魔女があーしを連れ去ったりしたから! ちゃんと待ってれば迎えに来たんだ! なのにあの魔女が……! 全部あいつが悪いんだ!』


 魔女への呪詛を吐き、


『どいつもこいつも、子どもが殴られてても見ないふり! 道で飢えてても見ないふり! 助けを呼んだって誰も! クソ野郎……! クソ野郎……! みんなクソ野郎だ!』


 世界のあらゆる奴らに対して、呪詛を吐いた。

 煌々と、天井から白い光が降ってくる。膝をついた僕の真下には影が落ちていて、僕は次第にその影に向かって喋りかけていた。昔から、そうやって遊ぶ癖があった。


「お前が盗んだんだろ、だってさ。全部あいつらが捨てたもんなのに! 服も、靴も、あーしがもらって何が悪い? あーしの物にして何が悪い!」

「汚いから寄るな、触るな、だってさ。でも、あいつらの方がよっぽど汚いくせに。母さんに触るな! そんなふうに、……あぁ、気色悪い!」

「誰も、何もくれない。金も、パンも、寝床も。なのに全部奪ってくんだ。あーしから何でも奪ってくんだ」


 遊びはエスカレートしていって、次第に影も僕に返事をするようになった。僕の望む答えを知っていて、僕の味方になってくれる奴だった。


「その通り、みんなクズ野郎ばっかりなのさ。ボロを着た子どもなんか見ちゃいない。待ってたって、お行儀良くしてたって、誰も何もしちゃくれない」


 影が揺れる。僕はそれが、痛みに身震いしたせいだと思っていた。でも影はどんどんと大きくなって、そっと僕の肩に手を乗せた。誰かの腕が、僕を鼓舞するように強く叩いたのが分かった。

 その瞬間、僕は理解したんだ。

 僕は手に入れた。僕の味方を。僕が欲していたのは、この力だ。


「誰も与えてくれないなら、全部奪い取ってやれ」


 影の僕が、僕の背を叩いて賛同した。僕はにやりと口角を上げる。


「全部、のものだ」


 僕は立ち上がって元の通路を戻っていく。呪が施されているという扉は、押すといとも簡単に開いた。外には、諦めの悪い脳なし野郎がまだホールに居座っていて、何を勘違いしたのか、奴はこちらを見るや馬鹿にするように笑った。


「ほらみろ、お前みたいなガキが魔法使いになんてなって堪るか! ほら、こっちに来い! 俺様の順番を抜かした礼をくれてやる!」


 僕は言われた通り、ゆっくりと男の方へ進んでいった。男はにやつきながら拳を擦っている。でも、もうそんな脅しを怖がる必要なんてなかった。


「寒いな。お前の服が欲しい」


 僕は腕を擦りながら言った。男はまだ気づいていなくて、不愉快そうに眉を顰めた。


「それから靴も。あと食料とランプと、暖かい毛布も欲しい」

「……舐めてんのか? 誰がそんな、」

「お前のよこせよ」


 僕の影がぶるりと震え、ホールの天井を埋めるほどの巨大な影になっていく。大きく腕を広げ、ランプの光を覆い隠し、暗幕を下ろしたようになる。僕は腕を擦って体を抱くような姿勢だったから、男はその異常にようやく気付いたようだった。尻餅をつき、男が僕を見上げて震えだす。僕は脳なし野郎のすぐ傍まで来ると、そいつを見下ろし言ってやった。


「全部、俺様によこせ」


 黒い影が男を飲みこんでしまうと、世界も真っ暗闇に染まる。

 次に明るくなった時は、僕は深紅の廊下に立っていた。真新しいシャツとズボンを与えられ、そわそわと袖を引っ張ったり足を擦り合わせたり、忙しなかった。ひりつく皮膚に生地があたって痛かったからだ。何せマーリンに言いつけられて僕を嫌々風呂に入れたギルが、肌がそげるんじゃないかってくらい思いっきり僕の体を擦ったから。僕がそれに反抗して噛みつくと、聞いたこともないくらい高い悲鳴を上げて、ギルに本気で殺されそうになった。

 深紅の廊下にはマーリンがいて、その後ろにはギルとエリシャも立っている。ギルは今にも吐きそうな顔でげんなりしていたが、僕はその顔を見てほくそ笑んでいた。ざまぁみろ。

 黄緑色の目をした魔女が、僕を見下ろしてくる。


「イーサン、今日からあなたも私の弟子よ。うちのルールは二人に教えてもらいなさい」

「いやだ」


 次の瞬間、僕は思いっきりビンタされた。廊下に倒れながら、魔女の顔を睨み返す。


「俺様に指図するな!」

、よ。それからその醜い言葉遣いもどうにかしなさい」

「お前の言う事なんか聞くもんか!」


 僕は影を使って、マーリンに掴みかかろうとした。でもその瞬間、廊下の灯りがバチバチと激しく弾けながら光りだした。そのせいで僕の影がいくら腕を伸ばそうとも魔女には届かず、次第には小さくなって僕の足元に消えてしまった。

 マーリンは僕を一瞥すると、踵を返して廊下の先へと向かった。


「……返せよ」


 小さな声で僕が言うと、魔女が足を止める。こちらを振り返り、真っすぐに冷たい目を向けてくる。


「欲しいなら奪い返してみなさい。もっとも、あなたみたいに弱い魔法使いには無理でしょうけど。それが嫌なら、もっと強くなることね。魔力はそれを扱う魔法使いの心の影響を強く受ける。まずは自分の心をコントロールする術を身につけることよ。みっともなく怒りを撒き散らしたり、めそめそと泣かれるのは不愉快だわ」


 それだけ言うと魔女はもう一瞥する事もなく、廊下の先へと行ってしまった。僕は深紅の廊下に座りこんだまま、沸々とした怒りを胸に溜めこんでいた。

 今までにも色んな過去を見せられてきたが、どれも僕の望んだものなんかじゃなかった。どれもこれも、幸せな思い出とはほど遠い。

 憎らしい僕の先生。僕の一番幸せだった、母さんとの思い出を盗んだ魔女。


「待ってなよ。全部、奪ってやるから」


 立ち上がった僕の姿は、もう少年の頃のような小さなものじゃない。黒いスーツに身を包み、深い憎しみと怒りのこもった目を廊下の先へと向ける。


「僕の記憶だけじゃない。君の持ってる全部を、今度は僕が奪ってやる」


 視線の先には、白いワンピースを着た金髪の少女が立っていた。少女は軽やかな足取りで廊下を戻ってくると、僕の目の前で足を止め、憎らしいほど愛嬌のある少女の顔で笑う。そして言うのだ。


「可哀想なイーサン」、と。

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