第4話 無題 2022.3.25

 僕が、各話ごとに、特別に名前を付けていないのは、すぐに書いた内容を僕が忘れるからだったりする。どうでもいいけどね。ただ、あとから自分が書いたのを見返したときに、このフレーズがとか思っても探せないのはつらいかな。でも、そこまで思い入れがないと言われればそうなのかもしれない。今日は、たまには僕の実体験から書いてみようかな。僕はどうやら人と話すのが苦手なのかもしれない。というよりか、敏感になりすぎているのかもしれない。友達とかが話した一言一言とか、そのイントネーションとかにまで気を遣ってしまって、すぐに、自分が傷つけてしまったんじゃないかなとか思ってしまう。でも、それは後から聞くと杞憂だったってことが結構ある。だから、すぐ悲観的な方に考えてしまう。でも、実際それで傷つけたこともあるからやっぱ、そう考えてしまうのは治らないかもしれない。でも、さっきから、逆接しかしていないけれども、そう丁寧に考えていると、相手を傷つけることは減るかもしれない。でも、自分の心は少しずつすり減っているかも。だから、そこで天秤にかけるんだ。それを投げうっていいって思える人ならいいんだけど、やっぱりつらいことはあるよね。でも、そういう人とかかわっていて、自分が傷つくなら離れた方がいいのかもしれないけど、そんなことを言っていたら誰とも関われなくなる気がする。ただ、僕が離れたくないって、一緒に居たいって思っているから離れないんだよね。だから、その天秤がどっちに傾くかしだいなんだ。それは、自分で左右できることなのかな。心が勝手に重しを乗っけるようなものなのかな。わからないけど。僕が気を遣うのはいつものことなんだけど、それは見せないようにしている。隠せているかはわからないけど。ていうか、隠しておかないと、あまりにひけらかしていると相手に気を遣わせてしまうようになるんじゃないかな。僕は自分は気を遣うのに(自分では遣っているつもり、できてるかは知らないけど)、相手から気を遣われると、嫌で、心配しいてしまう。本当に面倒というか、意味わからない性格だと思う。そういう人が集まるとろくなことにならないんだよな。その僕から変わりたいかと言われたら、はっきり変わりたいとは言えないと思う。やっぱり、今のままのほうが楽だからね。僕が気を遣っているのは、あの人くらいじゃなかったら気づきもしないんじゃないかな。そう、そのあの人が僕以上に人に気を遣っていると、僕は勝手に解釈しているんだけれども。それはつらいとかさっき僕は言ったけど、そういう性格だったらどうしても治らない部分はあると思う。こういう言い方をすると語弊が生まれそうだ。そもそも治す必要がないんじゃないだろうか。はたから見るとそれは長所だ。自分を、すり減らしているということを除けば。じゃあ、それでいいはずないと言えばやっぱりそうだ。ただというべきか、やっぱりと言うべきか、僕は解決の方法は知らない。知ろうとしていないというか、あきらめている部分が多いのかもしれない。本当にどうしたらいいんだろうか。とある歌詞から引用(クダリ、句読点は僕がつけた)。「どうやって生きていけばいいのだろう。結局は気づかいさせては、虚しさの海に落としてしまってどうしようか。」

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