五章「曇天に吠える」

 月詠の亡都アタラクシア

 半分水没した超巨大空中要塞・アタラクシアの頂上に一行は着地し、ストラトスは竜化を解く。

「とりあえずヤスヒトは撒いたな」

「ええ、そのようね。あのコウとかいう子、あいつに食われたけど……」

 千早がシエルの言葉に続く。

「生きてはいないでしょう。明らかにあの方は人間ではなく、アイスヴァルバロイドでしたし」

「だがもしアタラクシアの下層に行くようなことがあれば、間違いなくヤスヒトに襲われるだろうね」

 ストラトスは辺りを見回す。

「しっかしデカい建物っすね。こんなの本当に空を飛ぶんすか?」

「もちろんさ。ウル・レコン・バスクとの戦いで気づかなかったかい?余りにも強力なシフルの波は、物理法則を自分の好きにねじ曲げられる。シフルの嵐で身を包めば、重力を無理矢理自分に従わせられる。そういうシステムで浮くのさ」

「なるほど……それで、肝心のヒカリはどこにいるんだ?」

 シエルが頭を捻る。

「アタラクシアは確か、動力が最下層にあるんじゃなかったっけ。起動に必要な鍵は……空の器と、氷水」

 グラナディアが頷く。

「杉原と零さんか。確かにシフルエネルギーの効率的励起にはぴったりだね。尤も、余りにも貴重品すぎるけど」

「だから、最下層にいるんじゃないかな。わざわざここに誘い込む必要が感じられないもの。今さら時間稼ぎなんて……」

 ストラトスがシエルの言葉を遮る。

「いや。時間を稼ぐ理由ならあるだろ。アルバだ。アルバの力の解析が進んでいないのなら、俺たちをこの日本の目と鼻の先で止めたいだろ」

「でも、それだとどうしてアフリカにわざわざ誘い込んだの?」

「わかんねえ。まあいい、とりあえず下に……」

 動き始めようとした一行の前に、レイジが立っていた。

「やあ、また会ったね」

「てめえは……アメリカん時の!」

「覚えていてくれて光栄だね。僕の名前はレイジ・フランメル。ヒカリの副官をしているよ。さてと、ヒカリが君をお待ちかねだ。こっちに来てくれ」

 レイジは踵を返し、身近にあった階段を降りていく。

「仕方ねえか」

 一行もそれについていく。アタラクシアの内部は暗く、傾いて浸水していた。

「白金蜂美は知ってるかな、少年」

 レイジが前を歩きながら呼ぶ。

「一応な。新人類の血の大本になってる、白金零の母親だろ?」

「その通りさ。白金蜂美は非道な人でね、実の娘の持つ特異性に惑わされて、愚かにもその力で世界を従わせようとしたのさ」

「なあ、白金零って本当に何者なんだ?」

「これ以上無いほどのスーパーウーマンさ。それこそ単独で世界を塗り替えるほどの力を持っている。一説には、外宇宙から現れた神の一柱だの、宇宙の意思を体現した存在だの言われているが……まあ、一つ言えるのは、彼女の前に立っても、対等に渡り合えるものなんて、それこそ万物の霊長くらいだろうよ」

「それも気になる。どうして万物の霊長と言われるほどに強力だった黒崎奈野花は死んだんだ?」

「我がお……あの方は気まぐれでな。ある時から音信が一切無くなった。公式には死んだとなっているが、まあ実際には行方不明だな」

「じゃあどこかにはいるってことか」

「まあ、どこかにはいるだろう。例えば、中国の山奥、桃源郷の奥深くとかに、ね」

 ストラトスはレイジの言っている言葉の意味がわからず、千早はその発言に多少イラッとしていた。

「よし、ここだよ」

 レイジは大扉を押し開けると、崩壊した巨大な広間にヒカリが立っていた。

「ヒカリ、連れてきたよ」

 レイジの声に、ヒカリは黙って頷き、右手を上げる。


 アタラクシア・最下層

 壁を食い破り、ヤスヒトが激流と共に内部へ入る。そして中央の制御装置に突進し、自らシフルエネルギーとなって消滅する。


 月詠の亡都アタラクシア

 ヒカリが腕を上げると、突然地鳴りが起こる。

「何が起こってんだ!?」

 ストラトスが叫び、それにシエルが続く。

「上がってるわ!」

 アタラクシアは展開しつつ上昇を続け、やがて広間には太陽の光が差し込んでくる。

「星は天高く、黒は更に高く。宇宙を満たす漆黒の闇こそが世界の真理だというのなら、私はその闇を暴く光となる」

 大量の水が上昇するアタラクシアから流れ落ちていく。

「なあ」

 ストラトスがヒカリと視線を交える。

「思うんだけどさ、あんたが思ってる未来と、シフルが思ってる未来って、違うんじゃないのか」

「何?」

「四皇聖って新人類の未来を考えてるんだろ。でも、シフルはそれよりももっと大きな野望のために動いてるんじゃ」

「だから何だと言うのだ。それで新人類が救われるなら、何も間違いではない」

 ストラトスはふっと笑う。

「ああ、そうだな。自分が思う正しいことが、自分にとっての、最も正しいこと。あんたはそういう意味では、俺たち旧人類と似たようなものなのかもな」

「勝手にほざいていろ。貴様はここで死ぬ」

 崩壊した広間の後ろから、赤い飛行物体が現れ、空中で分解され、ヒカリに次々と装備されていく。

「完全なる未来のためならば、あらゆる犠牲が許される。そう、旧人類が繰り広げてきた、何千万という時間の中で無意味に死んだものたちよりも、余程有益な犠牲であるからな」

「そうだとしても、俺はそれに抗う。誰かの利益なんて興味ない。俺は、俺の選んだ道を進む」

「ほざけ、蜥蜴風情が」

 ヒカリの生身は追加ユニットで見えなくなり、代わりに装甲から閃光が漏れ出ている。

「行くぜ、決着だ」

 ストラトスは竜化する。牽制に背中の棘から軽く気弾を放ち、ヒカリは異様に巨大な右腕でそれを防ぎ、広間を破壊せんばかりに振り回す。ストラトスは闘気を棘から噴出させて回避し、頭上から気弾を放つ。ヒカリは常軌を逸した反応速度で右腕を構え直し、気弾を防いでタックルでストラトスを広間から突き出す。

「おや、ここでは見えなくなったな。では我々は屋上へ行きましょうか」

 レイジが大広間から出ていき、残った三人もそれに従う。


 洋上

 ヒカリが右腕から凄絶な閃光を放ち、極大の熱線が大気を引き裂き雲を突き抜け、宇宙へ消えていく。ストラトスはそれを躱し、複数の棘から闘気の光線を放つと、ヒカリは右腕でそれを防ぐ。

「餓鬼が!」

 ヒカリは文字通りの光速で接近し、強烈な右腕の一撃を叩き込む。ストラトスはタイムエンジンの緑の輝きを放ち、背後の力場を緩めて衝撃を和らげ、その時間の壁を踏み台にして体勢を立て直す。

「餓鬼じゃないと見えない世界もあるだろ?」

 棘を前腕に装着し、右の拳を放つ。ヒカリは右腕を盾にし、左腕で軽く反撃をする。ストラトスはそれを宙返りで避け、そこにヒカリが右腕の渾身の一撃を叩き込む。ストラトスはその衝撃を時間の壁で受け止め、反撃しようとするも、ヒカリの右腕に握りしめられ、そして投げ飛ばされる。ヒカリは光速で追撃し、ストラトスは闘気のブースターを使って急降下し、そのまま海面スレスレを加速して位置を戻す。

「一つ問おう、旧人類。なぜ我々のすべきことを邪魔する?Chaos社の行うことは、全てが正義だ。人間にとっての正解だ」

「そう思ってる限り、永遠に気付けないんじゃないか?俺は、正義は一つじゃないって思うぜ」

「自分からはなにもしないくせに、与えられたものには文句を言う。そんな人間のゴミクズ共が跋扈していたからこそ、今のこの世界の形は存在してしまった。正解はこれ以外に存在しない。旧人類は人類の繁栄のために滅び、新人類は人類のために粉骨砕身で貢献し続ける」

「あんたに何があってそういう考え方なのかはわからない。でも、俺個人としちゃ、あんたのその考えを認めるわけにはいかない!」

 ストラトスが棘に渾身の力を込め、全力の砲撃を放つ。ヒカリは右腕から閃光の盾を作り出し、それを受ける。凄まじい大爆発が起こり、海面が激しく波打つ。煙が消えると、そこには傷一つ無いヒカリがいた。

「一朝一夕の努力で覆せると思ったか、餓鬼め」

「まだ全然、これからだぜ?」

 ヒカリの光速の攻撃をストラトスは食らってから時間操作で衝撃を緩和し、反撃に至近距離で砲撃する。が、右腕に防がれ、続く右腕の刺突へ、ストラトスは無謀とは思いつつも右腕で迎え撃つ。今まで感じたことがないほどの重い一撃を受けて、反射的な痛みを感じる。だがその程度ではストラトスは止まらず、棘を全て収納し、分散していた力の全てを右腕に込める。

「舐めるなァ!」

 ヒカリの咆哮に、ストラトスも雄叫びを上げる。

「ウォォォォォォォッ!!!」

 ヒカリの右腕を押し退け、ストラトスは最初の竜化体に戻り、時間の壁を蹴って加速し、ヒカリの腹へ強烈な拳を叩き込んですれ違う。ヒカリの腹部装甲が砕け、アタラクシアの頂上に落下する。


 月詠の亡都アタラクシア

 ストラトスが着地すると、ヒカリが膝を折っていた。

「あーらら、負けたようだな」

 レイジがヒカリへ駆け寄る。だが、ヒカリは左腕でレイジを突き飛ばす。

「まだだ!私がこんなところで負けてたまるか!」

 レイジはすぐに駆け寄り、耳許で告げる。

「待て。シフル様から装置が起動したとの報告が入った。君もあれを動かす動力にならねばならんだろ?」

 それを聞いて、ヒカリは深呼吸する。

「っと、少年。ここは君の勝ちさ。お見事だ」

 レイジは懐から簡易テレポーターを起動させ、その場から去る。ストラトスは竜化を解き、三人へ駆け寄る。

「よく勝ったわね、ストラトス」

 シエルがそう言うと、千早も続く。

「四皇聖を単独で討ち取るとは、素晴らしい戦果です」

 ストラトスは照れ臭そうに後頭部を掻く。それもほどほどにし、ストラトスは話題を切り出す。

「ここからどうやって福岡まで行けば?」

 グラナディアが答える。

「簡単なことさ。ここのエネルギーを使って虚空の森林までワープする。こっちに来るんだ」

 三人はグラナディアに従い、アタラクシアの中を進んでいく。


 アタラクシア・フレームエリア

 巨大な外周エリアへ到着すると、グラナディアは慣れた足取りで先へ進み、ある部屋の前で立ち止まる。その部屋へ入ると、大きな円柱状の転送装置があった。

「さあ、行こうか」

「これで福岡のどこに出るんすか?」

「目的地は私が決めるから、安心するといい」

「わかったっす」

 一行は装置へ入り、グラナディアが右手を上げると視界が光に包まれる。


 虚空の森林・狐姫の怨愛城

 光が収まると、そこは中世風の部屋だった。

「ここは……?」

 ストラトスとシエルが困惑していると、グラナディアが答える。

「ここは陣原だった場所さ。尤も今は福岡全域が異界だがね。まあいい、アガスティアタワーへ行こう」


 虚空の森林

 城から出て、橋を渡り、坂を上っていく。そしてある家の前で、一行は立ち止まる。道路に立っていたのは、セレナだった。

「時津風は吹き始めたわ。ここで決着をつけることになるなんて思わなかったけど」

 セレナは家を見上げる。

「この家に何かあるのか?」

「ええ、ここが私たちコルンツの原点、そして墓標よ。白金零の家、それがこの家」

「どういうことだ?」

「レイヴンも、ロータも、リータも零なる神の被造物。ヴァナ・ファキナの写し身の一つであるアガスティアレイヴンから邪悪を薄め、人間に戻したのがレイヴン。そして彼女の破壊の力の化身がロータ、生命の力の化身がリータ。あくまでもこの歴史では、だけど」

「ってことは……」

「ええ、あなたも広義の意味では新人類……もちろん私も、アルバもね」

 虚空の森林の空を埋め尽くす黒く、低く、厚い雲から、俄に水滴が溢れ落ちてくる。

「あら、珍しいわね。虚空の森林に雨なんて降らないのに……」

 セレナが右手の平を開くと、ちょうどそこへ水滴が落ちる。握りしめ、手を降ろす。

「時間は残酷ね。準備が出来ていなくても自分勝手に進んでいく。止まることは許されない。どれだけ遅くとも、絶対に前へ進み続ける。後ろを見ても、前を見ても、過去も未来もない。あるのはただ、進み続ける現在だけ」

 セレナはストラトスを見る。

「ストラトス、あなたは私たちの中で、最も呪いから遠い。私たちの因縁に決着をつけるのは、あなたなのかもね」

「セレナ、あんたは……親父がヴァナ・ファキナの影響であんたやアルバに手を出したのを知ってるのか」

「もちろん、知ってるわ。でも、それが何だと言うの?夫婦の愛情でも、子孫を残すためでもない。ただ力の糧と成り果てるためにあなたも私も生まれたことに変わりはない。親は子を選べるのよ、血の繋がりさえ気にしなければね。でも子が親を選べることはない。どんなに人間として終わってる親でも、その血の呪縛から解き放たれることはない」

「……」

「私にとって、あいつに犯されたことがどれだけ苦痛かわかる?実の父親に、年端もいかないころに、好きでもない男に腹を抉られた私の気持ちが!」

「わからないさ。あんたが言ったことだろ。それにあんたは、過去の呪縛から逃げ切ったんじゃないのか」

「……ッ」

「人の苦しみなんて、誰にもわからない。自分の苦しみは、自分にしかわからない。あんたに教わったことだ」

 雨が次第に強くなる。まばらに降っていた雨は、霧のように視界を白く染め上げる。

「アフリカで戦ったときは、俺は自分の意思を持ってなかった。でも、色んな人に会って、色んな考え方を知った。もうあんたと最初に戦ったときみたいに、あんたに言葉で押されたりしない」

「どうでもいいわ。別にあなたと舌戦をするつもりなんてない。で、あなたはあいつを許せるの?」

「許せるわけがねえ。でも原因がヴァナ・ファキナにあるってことが、あいつだけを憎むのをやめさせた」

 アスファルトが雨で煙る。雨の独特の臭いが鼻腔を通り抜け、緊張と緩慢を繰り返させる。

「そう。あなたは母親と父親をその目で見ていないからそう思えるのよ」

「そうだな、あんたは父親と母親に直接危害を加えられた、だからそう思うんだ」

「人間はわかり合うことはない」

「だから戦うんだろ」

 セレナが長剣と短剣の柄に手を乗せ、ストラトスが背中の槍に手をかける。

「傲慢なのが人間の長所だもの」

「そのお陰で助け合って生きてるのさ」

 両者が武器を抜く。

「みんな、ここは俺一人で戦わせてくれ」

 ストラトスがそう言うと、後ろの三人は距離を取る。

「行くぜ、セレナ!」

「すぐに終わらせてあげるわ!」

 セレナが高速で突進し、長剣の突きを放つ。ストラトスは槍で迎撃し、セレナは短剣で穂先を往なし、長剣から衝撃波を放つ。ストラトスがそれを食らって吹き飛ばされ、そしてその頭上から大量の魔力の剣が降り注ぐ。ストラトスは槍をアスファルトに突き刺し、回転をつけて魔力の剣から離れる。槍を投げつけそれに飛び乗り、セレナはストラトスを囲むように魔力の剣を産み出し、ストラトスは槍から降りて剣を全て破壊する。セレナめがけて急降下し、躱され、再びの高速の突きでストラトスは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。

「ぐっ……まだだ!」

 ストラトスはすぐに立て直し、槍から深淵の闇を放つ。

「もっと全力で行くぜ!」

 闇を噴出させながら突進し、セレナは短剣で往なすが、ストラトスは槍を高速で回転させて幾度も穂先をぶつけ、飛び退いたセレナへ渾身の刺突を合わせて、長剣の腹に弾かれるも、セレナを大きく後退させる。

「例え独りよがりでも、俺は誰かのために戦いたい。道徳とか、倫理観とかじゃない。俺が、俺にとって大切な人たちのために戦いたいんだ」

 その言葉に、セレナは言い様もない不快感を覚える。

「あなたは世界の危機をこの一度しか体験していないからそう思うのよ。黒に染まる世界から逃げようとしたことも、ロータから世界を取り戻そうとしたことも、崩れ落ちる世界からここまで来たこともない」

「だからなんだ。単純に、あんたは俺の考えを認めたら今までの自分の人生を否定することになるから認めたくないだけだろ」

「こっちも全力で行くわ……二度とその減らず口がきけないようにね」

 セレナが青いスパークを起こし、竜化する。

「ハアアアアアアアッ!」

 セレナは瞬間移動し、連続で急降下して切りつける。ストラトスは往なしながら反撃の機会を窺う。セレナのその余りに単調な動きにストラトスは疑問を覚えて、長剣を弾くのをやめ、わざと位置取りで躱す。着地してセレナは間髪いれずに突進からの突きを放つ。ストラトスの思っていた通り、急降下は他の技への起点でしかないようだった。突きは人間体の時とは比べ物にならないほどの高威力で、闇と時間操作で威力を弱めてもなおストラトスは吹き飛ばされる。叩きつけられた壁が崩れ、ストラトスに落ちる。瓦礫を吹き飛ばし、ストラトスは第一竜化する。

「なるほど、タイムエンジンを体に埋め込み、槍に無明の闇を宿し、闘気を習得したと」

「あんたには負けねえ。なんせこの先に用があるからな」

 セレナは急にストラトスの頭上と周囲に魔力の剣を配置する。ストラトスはすぐに壊して抜け出すが、セレナは続けて自分の左右から魔力の剣を連射する。ストラトスは時間の壁を張って僅かに速度を緩めて躱し、徐々にセレナへ近づいていく。セレナは剣から衝撃波を放ち、ストラトスにわざと時間の壁を使わせ、続けて魔力の剣を囲むように配置し、それに気を取られたところへ突進突きを放つ。ストラトスは間一髪で長剣を受け止める。

「あんただってシフルのために戦ってんだろ!」

「あなたは守りたいもののために戦う、けれど私はただ恩を返すだけ」

 ストラトスは槍を召喚し、セレナを押し退けて長剣を取り落とさせる。槍を突き出すが、短剣に往なされて、掌底で吹き飛ばされる。

「ぜってえ負けねえ!」

 槍をストラトスは自分の腹に刺し、第二竜化する。セレナは長剣を拾い上げ、短剣と融合させる。

「なら見せてあげるわ。私たちの、呪いの力を」

 セレナも長剣を自分の腹に刺す。青い光を放ちながら長剣は体へ吸収され、凄まじい力を保持した青い闘気の波が吹き出てセレナは更に竜化する。コートのように収納されていた翼は四枚に増えて常に展開されており、右手に持った長剣は、中央が開き、群青色の光を放っていた。

「これが私の力、ヴァナ・ファキナの、呪われし力」

 雨が更に勢いを増す。セレナの鋼のような光沢の体を、雨粒が滴り落ちていく。同時に、ストラトスが頭を押さえる。

「くっ……」

 ストラトスの脳裏に、赤黒い魔人のような何かの姿がサブリミナルのように映る。

「そいつは……親父と……」

 セレナは鋭利な牙が並んだ口から蒸気を吐き出す。

「へえ、よく気付いたわね。同じ血を分けた者同士、共感覚のようなものがあるのかもしれない。この姿になるのはいつぶりかしらね……」

 セレナは長剣から巨大な闘気を噴出させ、振り下ろす。ストラトスは棘を展開して全力の砲撃をぶつける。しかし威力は弱まらず、ストラトスは横に逸れて回避する。後ろに続く住宅を二棟粉砕し、セレナはストラトスへ一瞬で接近する。魔力の剣が続く長剣の一振を時間の壁で防ごうとするも、振る速度が低下することすらなく直撃し、白金家へストラトスは激突する。

「ぐっ……どういうことだ……」

「時間を操るなら、操られる側の主体時間よりも強力な客体時間を叩きつける必要がある。そんな基本的なことすら知らずに時間を操ろうなんてね」

 ストラトスの体から黒い靄が溢れ出してくる。外野から見ていた千早が顔をしかめる。

「(無明の闇がストラトス様を飲み込もうとしている……)」

 などと考えていると、ストラトスが起き上がり、再びセレナと向かい合う。

「まだ起き上がる気力があるのね。しぶとさだけは誉めてあげる」

「ここまで来て諦めるなんてあり得ねえだろ……」

「その諦めの悪さも、まるであいつね」

 吐き捨てたセレナは、空を仰ぐ。ストラトスは拳を握りしめ、一歩踏み出す。

「過去も未来もどうでもいい!俺が親父に似ていようが、あんたが何のために戦っていようが、あるのは今この現在だけだろ」

「さあ、未来のために死になさい」

 セレナが腕に蒼い闘気を込め、長剣を振り下ろす。ストラトスが棘から渾身の時間障壁で受け止める。障壁と長剣の狭間で凄まじい力場が発生し、雨粒が蒸発する。セレナは続けて魔力の剣を伴いながら三連続の攻撃を放つ。時間障壁は簡単に壊れる。が、その影からストラトスが渾身の砲撃を棘から放つ。セレナはとっさに魔力の剣を盾にしてその光線を弾く。が、ストラトスは無明の闇を光線に込めて更なる力を解き放つ。

「ちっ」

 セレナは魔力の剣を長剣の剣先に集中させて高速回転しつつ突進する。光線を引き裂きながらセレナは突進する。ストラトスは時間障壁を槍へと変え、砲撃を止めてセレナと正面から激突する。セレナはストラトスを押し退け、足元に巨大な魔法陣を展開する。

「彼方滅び舞い降り、永久の栄華誇らんことを……!」

 セレナは剣舞のように暴れ、壮絶な力の波が荒れ狂う。外野の三人がそれを見て、更に距離を取る。そして力が臨界まで蓄えられたところで、セレナは長剣に込められた蒼い闘気を全力で解き放つ。

「〈アンビバレンス〉!」

 極大の爆発が起こり、周囲が消し炭になる。煙が上がり、雨と共に視界を遮る。しばしの静寂が起こり、セレナは息を整える。

「さよなら、私の家族」

「まだだ……」

「!」

 ストラトスは傷だらけになりつつも攻撃を耐えていた。

「ここまでしてもまだ生きてるなんて……」

「言っただろ、諦めは悪いんだよ」

「なら、その諦めの悪さが何も世界に変化をもたらさないことを教えてあげるわ」

「今度はこっちから行くぜ!」

 ストラトスはまた全力の砲撃を叩き込む。セレナは魔力の剣がそれを防ぐ。そしてストラトスは突っ込み、棘を魔力の剣の壁に突き刺して壊し、続く長剣の攻撃を、第一竜化へ戻って拳で弾き返し、そして人間体に戻って時間の壁を踏み台にして、蒼い閃光を放つ穂先でセレナの胴体を貫く。が、セレナは怯むこと無く闘気を発してストラトスを吹き飛ばし、ストラトスはまた第二竜化する。時間の槍と長剣が衝突する。だが、今までと何が違うのか、ストラトスがセレナの長剣を弾き返し、そして渾身の闘気を込めて右ストレートをセレナの頬に叩き込む。地面に落下したセレナは竜化が解け、ふらつきつつ起き上がる。ストラトスも着地して竜化を解く。

「まさか、ここまでとはね……全く」

 セレナは懐から簡易転送装置を取り出して素早く起動する。

「待てよ!」

 ストラトスが追おうとするが、すぐにセレナは消えた。三人が近寄ってくる。

「勝ったみたいね」

 シエルの言葉に、ストラトスは頷く。

「ああ……一応な」

 ストラトスは膝から崩れる。シエルと千早がすぐに駆け寄り、その体を支える。

「すまねえ……」

 ストラトスは立ち上がろうとするも、力が入らないようだ。

「ご無理をなさらず。少し休憩していきましょう」

 千早がそう言うと、ストラトスは首を横に振る。

「大丈夫だ、まだ戦える……」

 千早の頬に触れたストラトスの右手の指先は、僅かに塩になり始めていた。

「ダメだ、ストラトス」

 グラナディアが口走る。

「どういうことっすか……」

「君はあくまでも第二世代。父親のようにリスクなしで竜化とはいかないようだね。塩化が始まっているようだ」

「塩化……?」

「本来人間はシフルを使えない。それを無理矢理体を竜に変えることでシフルを使えるようにしてるんだ。だから、竜化は維持するだけで自分の体の根元的な生命エネルギーを消耗する。極限まで消耗すると、人間体に戻ったときにその反動で体がミネラルだけを残して崩壊する。つまり塩になって砕け散るってことだね。先に進む気が折れていないのはいいことだが、しばらく君は戦えない」

「マジか……」

「だがあちらも君が塩になるのは望んでいないはずだ。しばらく休息は取れるだろう。千早、君が傍に居てやるといい」

 千早は頷き、ストラトスを横抱きで抱えあげる。

「おい……歩けるって」

「無理は禁物です。ここはシエル様とグラナディア様にお任せしましょう」

 シエルとグラナディアが並ぶ。

「セレナは明らかにストラトスを殺しに来てましたよね」

「うん、生け捕りにしようという気は感じられなかった。あちらとしてもストラトスは大事なはずだけどねえ。まあいい、私たちが敵の相手をしなければならない。心の準備はいいかな、シエル」

「もちろん。ストラトスだけ傷つくのは納得できないですし」

「ならばよし。先へ行こう」

 一行は坂を上り、雨の中を進んでいく。そしてアガスティアタワーの下まで辿り着くと、そこにルクレツィアが立っていた。

「ルクレツィア……!」

 ストラトスが千早に抱えられたまま呟く。

「なんや、みっともない格好やな。この通り、ウチは元気やで。さっきん爆発、アンタらやろ?」

「そうよ」

 シエルが答える。

「ふふ、ふくくくく……」

 ルクレツィアは笑い、刀に手をかける。

「なあ、シエル。ウチは今からバロンに喧嘩をふっかけよう思うてるんやけど、どう思う?」

「お父さんなら勝てるわ。まあ相手にしないでしょうけど」

「せやろ?やから……」

 ルクレツィアは刀を抜く。

「アンタを手土産にさしてもらうわ!」

「いいわ。もちろん……あなたが勝ったらだけどね!」

 シエルが前に出る。

「グラナディアさん、先にアガスティアタワーへ向かってください」

「わかっているよ。彼女はChaos社がやりたいこととは全く無関係だろうからね」

 三人はアガスティアタワーへ向かった。

「戦うのはオーストラリア以来ね」

「そやなぁ。あのときから比べれば、ストラトス共々、いい顔になっとるわ」

「あなたは本当に戦い続ければそれで十分なの?」

「愚問やな。乾く間もないほど鮮血に塗れ続ける、それが戦いに生きるものの喜びやろ?戦場にあるんは鉄の臭いと、硝煙だけでいい」

「あなたは、ホシヒメのことはどう思ってるの」

「お互いのやりたいことが擦れ違った、それだけや」

「そう」

 シエルは拳を構える。

「ほな、いくで!」

 ルクレツィアが突進しつつ抜刀する。シエルは横に避け、ルクレツィアは方向を補正して突進する。それを何度か続け、終わり際でシエルが鋼の槍を放つ。ルクレツィアはそれを避け、大ジャンプからシエルに刀を叩きつける。シエルは後ろに身を翻し、攻撃を躱してすぐに距離を詰めてパンチを合わせる。ルクレツィアはそれを刀の腹で受け流し、刀をシエルの腹目掛けて突き出す。シエルは刀を肘と膝でつまみ、そのまま手刀をぶつけようとする。が、ルクレツィアに受け止められ、後方に投げ飛ばされる。シエルは即座に受け身を取り、ルクレツィアは刀を振り、アスファルトを引き剥がしてシエルへ飛ばす。シエルは闘気を発してそれを砕き、ルクレツィアは軽いステップで即座に距離を詰め、蹴りから入る。シエルがそれを躱すと、続けて刀を連続で振り、強烈な切り上げを合わせられる。シエルは拳で受け止め、反撃に飛び回し蹴りをぶつけて吹き飛ばす。ルクレツィアは刀をアスファルトに刺してこらえるが、続くシエルの攻撃によって刀が弾き飛ばされる。

「楽しくなって来たやんか!」

 ルクレツィアはシエルに劣らぬほどの高速で拳を放つ。シエルは防ぎ、カウンターに拳を放ち、ルクレツィアその力を利用してまた投げ飛ばす。そして竜化した右腕を突進しつつ突き出し、シエルは更に大きく吹き飛ぶ。シエルが起き上がると、ゆっくりとルクレツィアが刀を取り戻す。

「勝負はこっからやで」

 ルクレツィアがダッシュで接近しながら切り上げ、それを流された瞬間サイドステップし、続けて攻撃に移る。目にも止まらぬ速度の連撃の最終段で拳を合わせて刀を弾き、掌底でルクレツィアの腹を砕く。が、ルクレツィアは後ろによろけつつ納刀し、雷を纏わせながら神速の抜刀を放つ。シエルは咄嗟にガードするが、左腕を切断される。宙を舞う左前腕を掴み、すぐに傷口に合わせて闘気で修復する。

「やるわね。私の体にここまでのダメージを負わせるなんて」

「アンタは攻め方が正直すぎるところがあるからわかりやすいわ。純粋な出力の話で言えばそっちが完全に上手やけどな」

 ルクレツィアが再び納刀し、最初の一歩でアスファルトを踏み砕き、シエル目掛けて突進する。そして両者は手刀と刀で渾身の力を叩きつけ合う。

「そろそろ終わりにするわよッ!」

「いいねえ!」

 手刀が刀を押し返し、鋭い切り返しに拳を合わせて刀をへし折る。折れた刃がアスファルトに落ち、ルクレツィアは呆れたようにため息をつく。そして、折れた刀を納刀する。

「これが折れたらしゃあないわ、ウチの負けや」

「ルクレツィア、一つだけお願いがあるの」

「なんや?」

「アフリカに、ホシヒメに会いに行ってほしいの」

 ルクレツィアは予想外の答えに一瞬きょとんとするが、すぐに大笑いする。

「なんや、あいつのことをずっと気にしとったんか。まあええわ、頼まれたる。報酬はアンタの父親に請求するわ」

「お願いするね」

 二人はお互いに踵を返し、それぞれの道へ進む。


 セレスティアル・アーク 屋上庭園

 セレナが足を引きずりながら、庭園に佇むシフルの下へ辿り着く。

「シ……フル……」

 その声に、元々の竜のインベードアーマーを身に付けたシフルが振り向く。

「セレナ……その様子だと、敗れたようだな」

「ごめん……」

「構わん。元よりこの状況は想定していた中にあっただろう?」

「ええ、でも……私は……」

「君が責任を感じる必要はない」

 シフルの背後にある十二個の透明の円柱の中には、それぞれ明人、ヒカリ、リータ、零、レイヴン、アルバ、そしてアポロが装填されていた。

「君が戻る間もなく死ぬなどということが無くてよかった」

「当然でしょ……あなたの計画が失敗したら、ダメだもの……」

 セレナは気絶して倒れる。

「なるほど、君は……やはりネブラではない。君は人を思いやる心がある。目的のために情を捨てきれない、いや、情が向いた方に自分の目的を設置する」

 シフルは前足からマニュピレーターを展開し、セレナをつまみ上げて、装置に入れる。

「セレナ、君と居られた日々はとても楽しかった。だがもう二度と、この日々が取り戻されることはない」

 空を見上げると、宇宙の黒が僅かに青空にグラデーションをつけている。白日が白亜の床を照らし、シフルの黄金の体が輝きを放つ。

「例え画一的な絶望郷と呼ばれようと、私は人類を救う。世界の寿命を延ばしてみせる。だがもし、私が失敗したときは――」

 シフルは円柱に浮かぶセレナへ視線を向ける。

「私のことを忘れて、その子と共に生きてくれ」


 アガスティアタワー

 入ってすぐのエントランスに置いてある透明な長椅子に一行は座っていた。ストラトスは千早の膝枕で休んでおり、グラナディアはメモ帳を延々と眺めている。

「グラナディア様」

 千早の声に、グラナディアはメモ帳から目を離さずに答える。

「なんだい」

「この時代は、異例中の異例……本来はストラトス様もアルバ様も生まれ得ないことを、あなた様はご存じですか?」

「ああ、もちろんわかっているよ。シエルもこの時代にしか存在しない。単純に他の時代のバロンが種無しなのかもしれないし、他の時代のロータやミリルが生殖機能に異常があるのかもしれない。なぜかは知らないが、この三人だけはここにしか生まれていないイレギュラーだ」

「この時代の争乱が終われば、この世界は世界の時間の決壊より先に壊れてなくなることも?」

「うん。つまりこいつは、自殺のために頑張って戦っていると言うことだね」

 グラナディアは意識の無いストラトスを指差して言う。

「確かにその通りですが……グラナディア様、あなた様は何のためにここへ?あなた様には、どうもレジスタンスのためと言う信念は見えないのですが……」

 千早の腹に赤黒い剣が突き刺さり、千早は思わず沈黙する。

「な……」

 グラナディアの瞳孔が鈍い赤を灯し、獰猛な獣のような輝きを放つ。

「奈野花の妹なら、引き際くらいわかるだろう?君が私の行動原理を知る必要はないのさ」

「あなたという人は……!」

「奈野花は誰がどんな手段を使おうが掠り傷すらつけられないけど、妹は甘いね」

「ぐっ……まさかお姉ちゃんが私の力を抑えっ……」

 剣が引き抜かれ、千早の腹から鮮血が流れ出て、ストラトスの顔を汚す。

「いいじゃないか。君はこいつと幸せになりたいだろう?」

「なる……ほど……初めから、狐に、化かされていたんですね……」

 千早は崩れ落ちる。グラナディアはストラトスを片手で投げ飛ばし、千早を抱えあげて去っていく。しばらくしてシエルが現れ、通路に乱雑に放置されたストラトスに駆け寄る。

「ちょっと!起きてストラトス!」

 シエルが肩を揺すると、ストラトスは苦しそうに目を開ける。

「シエル……」

「何があったの?千早もグラナディアも居ないけど……」

「え……?」

 ストラトスが起き上がる。

「わからない。少し休憩してたら、いつの間にか寝てたみたいだ」

「そう……少しは動けるようになった?」

「ああ。動かなくても、行くしかないだろ」

「そうね」

 二人は進む。

「そう言えばシエル、あんたは俺のことをどう思ってる」

「どうして急にそんなこと聞くのよ」

「これが最後の戦いだろ?一緒に暮らすって案の返事ももらってないし、場合によっちゃあ二度と会わないだろうしな」

「じゃあ先にあなたが答えて」

 二人はタワーの中央にあるエレベーターに乗る。

「俺はあんたが居なきゃ、何も知らないまま野垂れ死んでた。今の俺を作ってくれたのは、間違いなくシエルだ」

 ストラトスはシエルの方を向く。

「俺はあんたが大好きだ。生まれて初めて、好きになった人だ」

 シエルがストラトスを抱き締める。そして、耳許で呟く。

「じゃあ言ってあげる。大好き」

 そして少しだけ距離を空け、シエルはストラトスに軽く口づけをする。

「絶対一緒に帰るわよ。ここで負けたら一緒に暮らすのはなしってことで」

「生きて帰るさ。んで二人を助けて、シフルを止める。絶対な」

 お互いの拳を突き合わせて、互いに微笑む。エレベーターが停止し、二人はその先へ進む。突き当たりの部屋に入り、その中央に座す円柱状の転送装置に触れる。


 セレスティアル・アーク

 転送装置の光が途絶えると、そこは地下庭園だった。僅かな光だけに照らされたその場所には、小さな噴水と、木製の長椅子だけが置いてあった。二人は特に足を止めず、そのまま先へ進む。階段を上り終えると、巨大なアーチが連続して続く道へ出る。ベランダのような構造になっており、雲海が柱の間から見える。アーチを進んでいくと、黒楢の扉があり、それを開いて中へ入る。内部には赤い絨毯が敷かれていて、壁は黒い液晶に蒼い光が通っていた。

「こっからどこに行けばいいんだ?」

「さあ……」

 その時、館内に放送の声が聞こえる。

『二人とも、よく来てくれた。すまないが、屋上まで来てくれ』

 声が消えると共に、壁のラインが案内用の矢印に変わる。二人は警戒するが、仕方なく先へ進む。


 セレスティアル・アーク 屋上庭園

 二人が階段を上がると、屋上に出る。十二個の円柱と、黄金の竜の姿がそこにあった。

「それがあんたの本当の姿か」

 ストラトスがシフルを見上げる。

「その通りだ。これが私専用のインベードアーマー、〈ガスポートストヴォ〉だ」

 二人はシフル越しに円柱を見る。

「な……」

 その中にグラナディアと千早の姿を見つけ、二人は怯む。

「てめえ、いつの間に千早とグラナディアさんを!」

「勘違いしないでもらいたい。不意打ちに罠の類いは一切使っていない」

 ストラトスが円柱に捕らえられた人間を見ていく。誰も彼も、ストラトスに精神的な衝撃を与える者ばかりであったが、その中の一人に視線を釘付けにされる。

「アポロ……!?」

 シフルが首をもたげる。

「彼は我々が作った人造人間でな」

「なんだと……」

「本当の名前はアポロニアレウアス。元々君を辰の刻としてこの装置に組み込む予定だったが、時が訪れ、その時に君がセレナより強くなっていた時のための保険に、彼を作った」

「マジかよ……」

「それだけではない。君が慕っていたグラナディア。彼女も我々の理想に賛同してくれた同志だ」

 予想外の言葉に、ストラトスは酷く混乱する。

「冷静に考えてみるんだ。君が自分の家族の過去を知ったとて、一体何の意味がある?君は純粋だ。アルバを救う必要も、フランスで生家に行く必要も、なかった。刻の十二要素に覚醒が必要と言うのも所詮はでたらめ。全ては君を除く十二要素を一つに集め、一気に回収するための手段、そしてアポロニアを辰の刻に変えるための時間稼ぎに過ぎない」

 円柱が自力で宇宙へ飛び立ち、空中に作られた時計のようなフレームの各部に円柱が格納されていく。

「人は時を思う。未だ来たらぬくうを、過ぎ去りし現を。十二の刻が十全なる。時が今、一つとなる」

「一つ聞かせてくれよ、シフル。なんであんたはこの時代に来たんだ」

「ふむ、そうだな。完全なる未来には冥土の土産もいらないだろうが……真実を知る権利はあるだろう」

 両者の間に冷たい風が吹く。

「私は、ここから遥か未来の世界から来た。その世界では、太陽系のみならず、全ての宇宙が収縮し、太陽のみを残して滅亡していた。そこでChaos社は、どうにかして世界の寿命を伸ばす手段を見つけるために、収縮した太陽をシフル製の人工大地で何層にも覆った。そこは零下太陽と呼ばれていた。零下太陽のChaos社で見つけられた、そのどん詰まりを解消する方法は二つ。一つは全ての存在の世界の因果に固定し、世界の崩壊から逃れたあと、新しく作られた世界で復元すること。そしてもう一つは、時の十二要素によって世界の時間軸に干渉し、全ての分岐・平行世界を統一することで、世界の寿命を極限まで引き伸ばすこと」

「あんたは後者ってことか……?」

「そうだ。世界は時間の上限が決まっている。我々が行うあらゆる選択だけではない、降り注ぐ雨の粒がどこにどれだけ当たるか、いつどれだけの深さの呼吸をするか、そんな些細なことでさえ世界はいくつにも分かれ続ける。世界が分かれ、その世界に時間が割かれる度に、同時に全ての世界の寿命が削られていく。故に、始まりから終わりまで、全てが規定されたただ一つの世界を作り上げる。それが私の選んだ救いの道だ」

「……。それって、本当に救われてるのかよ」

 ストラトスの言葉に、シエルも続く。

「何一つ変化の無い世界を作るのがあなたの目的だったとしても、そうやって作られた世界はもう、世界の寿命を伸ばすってことさえやらないのかもしれないのよ!」

「それでいいのだろう。画一的な世界では、もはや誰の努力も顧みられることはない。もう疲れただろう。Chaos社とレジスタンスの戦いも今日で終わり、日々の選択も、滅びに立ち向かう勇気も、仕事も、呼吸も、食事も、何もかも、今日で終わりなのだ。ストラトス、君の母親も死にはしないし、父親も道を踏み外すことはない。君にとっても、私の作る世界は理想のはずだ」

 ストラトスは首を横に振る。

「いや、違うぜ。俺にとっての理想は、今ここにこうして生きてることだ。例え新しい世界で、今の母さんや親父のことを忘れるとしても、俺は苦しいことも楽しいことも、全部一緒のこの世界の方がいい!」

 シフルはやれやれと首を振る。

「ネブラ、やはり君の言うとおりだ。辛い思いをするのは私と君だけで十分だと言うのに……ストラトス、なぜ苦痛を選ぶ。君こそ、正しい父と母の温もりを感じる権利があるのではないのか」

「俺にとっての正しさは、あんたが決めることじゃないだろ。それに、辛いことがあったから、俺はグラナディアさんにも、千早にも、あんたにも、シエルにも出会えた」

「ならばそのまま君に返そう。辛いことの反動として良い仲間に出会えたのは君にとってそうであるだけだ」

「わかりあえねえな」

「君たちにとっては死より恐ろしいことであっても、人類全体、いや、この宇宙に存在する全てにとっては、私の成すことは救済なのだ。例えその自覚が無かろうと」

 シフルの周囲の時間が歪む。

「シエル、君を捧げ、全てを終わらせるとしよう。行くぞ、二人とも」

 ストラトスは槍を引き抜き、シエルは拳を構える。シフルが口から緑色の光線を放つ。二人は左右に分かれて躱し、光線が過ぎ去った場所は極めて速度が遅くなっていた。

「どうなってんだ?」

「時間そのものを発射したってわけ!?」

 シフルは翼を大きく開く。そしてシエル目掛けて両翼の間から緑色の光の塊を発射する。シエルは鋼の盾で防ぎ、塊は爆裂して周囲の時間の速度を低下させる。シエルの動きには影響がないが、砕けた石床の破片や土煙が延々と滞留し、視界を著しく遮る。ストラトスが発射後の隙をついて第二竜化からの全力砲撃を放つが、シフルは翼でガードし、砲撃の速度を低下させて躱す。

「ストラトス、君には無力を味わってもらわねばな」

 シフルは空中に飛び上がり、右前足に力を込めて急降下する。地面に突き刺された右前足を中心として強烈な衝撃が発生し、二人は打ち上げられる。ストラトスの竜化が解け、シエルは鋼を産み出せなくなる。

「何よ、これ……」

 シエルが自分の拳を握りしめる。

「闘気や魔力に変換される程度の、混濁したシフルを強制的に感情に反応できなくする、それが今の攻撃だ」

 シフルは悠々と歩く。

「君たちが純シフルに詳しくなくてよかったよ。本当に規格外の存在はこの世界のほぼ全ての生き物に通用するこの力が効かないからな」

「力が……ッ」

 ストラトスが膝から崩れる。

「これで終わりだ」

 シフルが右前足を振り上げ、一撃の下にシエルを打ち伏せる。シエルをマニュピレーターで拾い上げ、円柱へ放る。最後の円柱が装置に装填され、フレームの中央が光を放つ。

「十二の刻は結実する。君には特等席で世界が作り替えられる様を見せてあげよう」

 フレームから放たれた光で、二人の景色が塗りつぶされていく――


 起きて、ストラトス。

 まだ、ここで終わるわけにはいかないでしょう?

「ん、んん……」

 あなたはまだ死なない。

 あなたは、きっと、私たちの間違いに決着をつけてくれる。

「何を……」

 みんなの力を、あなたに託すわ。

 きっと、勝てるはずだから……


 アウァールス・アルビトリウム

「ハッ!?」

 ストラトスが起き上がると、そこは閃光が上昇し続ける空間だった。目の前にはシフルと、縦向きになったフレームが鎮座していた。

「目覚めたようだね。ここは世界のデバッグルームとでも言うべき場所、ニルヴァーナの一区画。その名前を、〈アウァールス・アルビトリウム〉と言う」

「何をするつもりなんだ」

「ここで世界を全て一つにする。この宇宙は今日をもって、他の三千世界から完全に切り離された、孤立した宇宙となる。他者から干渉されず、我々から干渉することもなく、定められた一つの道を、ただひたすら進み続ける」

「ここがあんたの望みを叶える場所ってわけか」

「そうだ」

 シフルはため息をつく。

「だが……つまらない考えで君をここに招いたのは失敗だったらしい」

「……?」

「今、ミリルの感情波を感じたはずだ。それに沿って、君の下へ時の十二要素が少しずつ委譲されたらしい」

「けっ、嫌がらせをしようとして墓穴を掘ったってことかよ」

 ストラトスは起き上がる。

「母さんの声が聞こえた気がした。一度も聞いたことがないのにさ」

「ふむ……」

 シフルは頭をもたげる。

「何にせよ、君にも死んでもらわねばならなくなったようだ。力を発せぬ今の君を一方的に殺すのは気が引けるが……仕方ない」

「いいや……」

 ストラトスは槍を握り直す。

「なんでだろうな、セレナと戦って、それ以上戦うなんて無理なはずなのに……力がガンガン沸き上がってくるんだよ」

「私への慈悲か?」

「ちげえよ。俺が勝手に思ってるだけだ」

 ストラトスが槍を構えて突進する。シフルが緑色の障壁を展開して受け止める。

「(闘気も魔力も感じられない……まさか、純シフルに対応した体へ変異したのか、この僅か数分の間に)」

「オオオオッ!」

 ストラトスの一撃が障壁を引き裂き、シフルは翼でストラトスの体を貫き、投げ捨てる。ストラトスはすぐに受け身を取り、瞬時に傷が癒える。

「あんたを止める。それで例え、あんたが死ぬことになっても」

「ありがとう。敵意ではなく、あくまでも止めようとしてくれるとはね」

「行くぜ!」

 ストラトスは第二竜化する。全力砲撃を放つ。先ほどとは違い、正常な威力を発揮している。シフルは翼で防ぎ、同時に時間の障壁を産み出す。大幅に威力が減衰するも、翼が焦げ付く。

「まだまだ行くぜ!」

 ストラトスは連続で渾身の砲撃を放ち続け、シフルは少しずつ押されていく。

「う、ぐっ……」

 シフルの胸部の緑色のコアが光を放ち続ける。時間の壁を幾度も作り上げるので体力を消耗しているようだ。

「ハアアアアアッ!」

 ストラトスがなおも出力を上げて極大の光線を叩き込む。そして障壁を作れなくなった一瞬に接近し、第一竜化の拳で殴り飛ばす。シフルの巨体は吹き飛ばされ、フレームに激突する。地面に倒れたシフルの指先が塩になって崩壊を始める。

「くっ……やはり特別な因果のないこの体で時間を操るのは限度があるか……!だが、それでも……」

 シフルは起き上がる。

「まだだ、ストラトス!私は負けない、人類を、この世界を、この宇宙を救うために!」

「あんたのその心を否定することは、誰にもできないだろうよ。でも、あんたは方法を誤った。不確実な未来が人間に必要なものだ。全てが固定された完全な未来なんて、死んでるのと変わらない!」

「なぜわかってくれないッ!?人間がこれからも生きていくにはこれしかないのだ!」

「人生に絶対必要なものなんてないッ!これしかない、そんな選択肢はないんだよ!」

「ぐっ……君はまだ知らないのだ、他に選択肢があることがどれだけ幸せなことかを!」

「道がねえなら!自分の力で切り開けばいいだろ!」

「己で選び切り開いたのがこの道なのだ!」

 シフルが翼を広げ、右翼を振り下ろす。ストラトスは素早く第二竜化して棘で弾き、右翼を砲撃で粉砕する。

「がぁッ!?」

「行き詰まって、苦しいなら!それを他の誰かにぶちまければよかったんだ!」

 シフルは眼前に魔法陣を産み出し、そこから光の束を照射する。ストラトスは時間障壁で受け止め、第一竜化に戻り、時間障壁ごと光の束を拳に込め、突進する。

「君は君が思う以上に多くの仲間に支えられて生きていることを……」

 シフルも右前足に力を込めて突進する。

「知るべきだッ!」

 そして、両者が激突する。

「人は一人では生きられない!それはその教えを君に与えたセレナもまた同じ!」

「当たり前だろ!俺は勝手に自分で納得のいかないことに結論をつけてた!それで全部収まったつもりでいたんだ!あんたは他の人間の背負うものを、代わりに背負いすぎなんだよッ!」

 その言葉に、シフルは思わず力を緩めてしまう。

「あんたはセレナ以外の人間から真意を理解されてねえ!そのセレナも、あんた自身じゃねえ、あんたからの恩義に対する道理を通してるに過ぎねえ!あんたはもっと誰かに……」

 ストラトスの拳がシフルの足を押しきり、もう片方の拳でシフルの頬を殴り抜く。

「頼るべきだったんだッ!」

 シフルは崩れ折れる。

「私は……負けるわけには……」

 ストラトスは手を差し伸べる。

「まだ諦める必要はねえだろ。あんたの未来に戻って、また考え直せばいい」

「だが……私は……」

 シフルが逡巡していると、赤黒い剣がシフルの背中を貫く。

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