四章「輝けるもの」

 セレスティアル・アーク

 シフルが使っていた犬型インベードアーマーが大量のプラグに繋がれて宙吊りになっており、その近くのコンソールをセレナが操作していた。

「全く、無理しすぎなんだからね」

 セレナが文句を言うと、犬の頭部のライトが明滅する。

「すまない、リータ・コルンツに気を取られ過ぎていたようだ」

「まあいいわ。意識データに損傷はないし、母さんも捕獲出来たしね。どうやら、ヨーロッパ……というより、フランスを中心としてトルコ、アイスランドまで消し炭になったみたいよ」

「ロータ・コルンツの仕業か……流石人外だな。四皇聖は残り三人か……光猛は今どこにいる?」

「今はネオアガスティアタワーにいるわ」

「ああ、南米か。ストラトスたちはどこへ?」

「現在大西洋を横断中、らしいわ」

「ちょうどいい。飛龍が何機かブラジル沿岸に配備されていただろう。それを差し向けてくれ」

「了解。それにしても、よくロータの攻撃を受けてこの程度の損傷で済んでるわね」

「ああ、私のことはその辺の羽虫と変わらないような扱いだったよ。軽く殴られて、それでこの傷だ」

「軽く殴られてって……全体の三割が機能停止してるわよ?」

「攻撃の瞬間にシフルが発せられることもなかった。彼女はシフルやそれを変化させた魔力・闘気の類いの補助を受けずにあれだけの破壊力を産み出せるらしい。生まれながらに常識外の出力を持っているということなのか……」

 セレナがコンソールから離れ、丸椅子に座る。

「それで、まだ風は吹いてこないの?」

 シフルは笑う。

「ああ、まだだ。セレナ、オーストラリアの方は順調か?」

「ええ、もちろん。アタラクシアに残った力を注げば、彼も十二分に辰を担うだけの存在になる……」

「よし、決着はその時だ」


 太平洋

 炎の翼を広げて等速で移動し続けるフォルメタリアの前方から、何体かの機械竜が迎撃のために向かってくる。

「おや、何か来たみたいだね」

 フォルメタリアが表皮を変形させた作った小窓からグラナディアが外を覗く。

「飛龍か。陸地へはそう遠くないはずだけど……何か予想がある人はいるかな?」

 グラナディアが振り向くと、シエルが口を開く。

「南米にはネオアガスティアタワーがありますから、それに近寄らせたくないとか」

 その言葉に、グラナディアは合点がいった。

「なるほど、逆にネオアガスティアタワーに誘い込みたいと言うなら、この距離で飛龍を差し向けてくる理由がわかる」

「どういうことですか?」

「ワシントンを目指していたんだけど、あっちとしてはブラジルに来て欲しいらしい。何が目的かは知らないけどね。でもちょうどいい。北上した方が色々都合がいいだろう」

 フォルメタリアは飛龍を蹴散らしながら、ブラジルへ進路を変更して突き進む。


 ブラジル区・フォルタレザ

 海岸にフォルメタリアは着地し、一行は口から外へ出る。全員が降りると、フォルメタリアは消滅する。同時に、海が膨らんで、蒼龍が飛び出してくる。

「どうやら歓迎ムードのようだね」

 グラナディアの軽口が豪快な飛沫に打ち消され、蒼龍は砂浜に轟音と共に着地する。そしてどこに隠れていたのか、複数の金剛が一行を囲んでいる。上空にはミニガンを装備したタイムヴァルバロイド、フルクトゥアトの姿もあった。

「大歓迎だな、シエル」

 ストラトスがシエルと背中合わせになる。

「そうね、ぶっ壊し甲斐があるわ」

 二人は離れ、シエルが踵落としで金剛を一体縦に切り裂く。ストラトスは槍を突き出し、弾かれた勢いで上に飛び、急降下して金剛の頭部を貫く。蒼龍が吠え、嘴のような頭部を一行へ突き出すが、真正面から千早に受け止められて片手で投げ飛ばされる。フルクトゥアトが放つ銃弾の雨をアルバの鎖の壁が凌ぎ、鎖を伝ってグラナディアがフルクトゥアトを両断する。蒼龍は起き上がる間もなく千早に頭部を粉砕されて沈黙する。金剛も二人によって殲滅され、ものの数秒で兵器の集団は全滅した。

「ナイス」

「この程度ならこんなもんでしょ」

 ストラトスとシエルは拳を突き合わす。そして内陸部の方へ視線を向けると、大柄な女性が立っていた。

「あいつは?」

 ストラトスの問いに、シエルが答える。

「光猛のヒカリ……四皇聖にして時の十二要素の一つ、寅を司る奴よ」

「ワタルと同じってことか」

 ヒカリは飛び上がり、一行の前に着地する。

「貴様がオーストラリアレジスタンスのストラトスか」

 鋭い視線に、ストラトスは僅かに怯む。

「ああ、そうだ」

「我が名は光猛のヒカリ。四皇聖の長だ」

 ヒカリは自分の拳を突き合わせ、両手を開いてそこに光を産み出す。

「まさに、龍虎相打つ、かな」

 横でグラナディアが呟く。ヒカリは表情を変えない。

「狐は黙っていろ」

 ヒカリが左腕を天へ掲げると、どこからともなくロケットエンジンの轟音が聞こえヒカリの目の前に二つの赤い盾のようなものが突き刺さる。

「全員で来い。私が仕留めてやる」

 ヒカリが盾をガントレットのように腕にマウントさせる。そして体が猛獣を模した鎧に包まれる。

「行くぞ!」

 ヒカリが文字通り光の速さでストラトスへ接近し、ガントレットから強烈な閃光を放つ。ストラトスは後方へ吹き飛ばされ、ヒカリはシエルの拳も弾き返して閃光で吹き飛ばす。千早の蹴りすらも軽く往なし、アルバによる鎖の戒めも即座に脱してグラナディアを掴む。

「おや、私だけ特別扱いかな?」

「貴様だけは別の意図が見える。邪悪な、我々の世界にも、レジスタンスが思い描く夢物語にもそぐわない凶悪な意図がな」

「んふふふ……まあ君の一存で私を消すわけにもいかないだろう?」

 ヒカリは握る力を強め、グラナディアの意識が飛ぶ。グラナディアを投げ捨て、アルバへ拳を叩き込んで気絶させる。千早は味方が全員気絶しているのを見て、構えを解く。

「殺す気がないのでしたら、私はこれ以上戦いません」

 千早のその言葉を聞いた上で、ヒカリは千早を殴り付ける。千早は仕方なく、自分の意思で気絶した。


 ネオアガスティアタワー

 指令室でヒカリがモニターをしかめっ面で眺めていると、ハットを被った長身の男が現れる。

「ヒカリ、調子はどうかな?」

 胡散臭い声色に、ヒカリは不快感を露にする。

「そんな怖い顔するなよ、首尾よく目標を捕獲してきた上司を労いに来たんだぜ?」

「ならば貴様は、狐の尋問に行け。奴の真意はよく知っておく必要がある」

「はいよ」

「待て」

 立ち去ろうとする長身の男を、ヒカリは呼び止める。

「何か?」

「レイジ、貴様も不審な行動をすれば即座に処刑する。いいな」

 レイジは悪意の滲んだ笑みで返し、その場を立ち去る。


 二十階・拘禁室

 ベッドに座ったグラナディアが暇潰しに部屋の内装を見る。簡素な部屋だが、ベッドは必要以上に柔らかく、シフル変換による調理器や、ある程度自由に操作できるデスクトップなど、捕虜に用意する部屋としては異常に豪華だった。

「よくも悪くも計画の大切なピースってことかな」

 と、そこにドアのノック音が響く。そして、ドアがスライドして開き、レイジが入ってくる。

「やあ、Mrs.ヴルドル。僕の名前はレイジ」

 自己紹介をされて、グラナディアは失笑する。

「なんだい、リベンジポルノでもやりに来たのかな、アルメール」

 レイジはハットを脱ぐ。すると人の体が竜の体へ変わる。

「いいだろう?たまには腐れ縁同士、二人っきりで話すというのも」

「ふぅん……」

 グラナディアとアルメールは互いに欲望に満ちた視線を交わす。

「元カノで性欲を発散するって、随分なクソ野郎じゃないかな?」

「おやおや、そちらがそう言ってくるか。都合のいいときだけ元カレに慰めてもらうのも、随分と現金な女じゃないか」

 二人は思わず笑う。

「さて、本題をお聞かせ願おうかな」

 グラナディアがそう切り出すと、アルメールは微笑む。

「君が本当は何を目的としているのかと思ってね」

「もうわかってるはずだけど?」

「もちろん、そりゃそうさ。だが、君はすぐはぐらかすし、ミスリードを多用する。多くの観客は、本当は君がヴァナ・ファキナを蘇らせようとしてると思っている」

 グラナディアはどこから持ってきたのか、一枚のコインを弄ぶ。

「さて、どうだろうね?狐に化かされた人間は、もはや自分が見ているものが狐の妖術なのか、自分の心が産み出した幻覚なのか区別できないはずだよ」

 アルメールは笑う。

「ああ、全くもってその通りだ。君が俺に執着するように、俺も君を思わない日はない。打ち負かし、蹂躙したいと思いつつも、また君に打ち負かされ、蹂躙される、その気持ちを味わいたいとも思っている」

 グラナディアはアルメールの手を取り、ベッドへ誘う。

「まだ時間があるんだろう?ならお互い積もった願いを叩きつけ合うとしよう」

 二人はそれ以上何を言うでもなく、互いを貪り合った。


 十八階・拘禁室

 ストラトスは椅子に座り、シフル変換機から提供されたサンドイッチを食べていた。

「まさか敵の拠点で休憩できるなんてな」

 大昔の雑誌を読みながら、ストラトスは暇そうに寛いでいる。

「シエルに助けられて、千早を助けて、オセを倒して、ホシヒメと戦って、セレナと殺り合って、それから……」

 サンドイッチを水で流し込み、ページを捲る。

「それからアルバを助けて、ワタルとルクレツィアと戦って、親父の家に行って、トラツグミから逃げて、今ここか。とてもここ何日かの出来事とは思えねえな。親父はヴァナ・ファキナとかいう奴のせいで無茶をしてたってことだよな……納得は出来ねえけど、今んところは他の判断材料はねえ」

 雑誌を投げ捨てると、元のラックに綺麗に雑誌が収まる。

「お、今日は運がいいかもな」

 ストラトスは最新鋭の施設にしては珍しい物理的なスライドドアを力任せに蹴り破る。

「シエルみたいなことは無理でも、これくらいなら出来るな」

 同時に、アラートがけたたましく鳴り響き、廊下が赤い警告灯の光で満たされる。そして床に黒いシミが出来て、そこから黒い鎧の騎士が現れる。騎士の振るう斧を躱して、ストラトスは蹴りを兜へぶつける。続く斧の一撃を、壁を駆け上がって避け、そのまま騎士の首をロックして背中から倒し、へし折る。立ち上がったストラトスは周囲を見渡す。中央の柱を中心として、巨大な回転エレベーターが各層を繋いでいるようだ。

「なるほどね。不便な仕掛けだ。みんなが下にいるなら無理が利きそうだけどな」

 中央エリアに面する廊下の壁は全てガラスで覆われている。そこからストラトスは下を見る。

「ここからは見えねえくらい下にエレベーターがあるな……」

 ストラトスは他に移動手段が無いか調べる。そして通路の端にある扉を開くと、非常階段があった。

「何階まであるんだ、こりゃ……」

 果てしなく続く階段を見上げ、ストラトスはため息をつく。と、背後から殺気を感じ、振り向きつつしゃがむ。黒く太い腕が空を裂き、扉へ激突してへこませる。その腕を掴んでストラトスは階段の手摺からその腕の持ち主を投げ捨てる。黒い苔の塊のような怪物は、遥か下層へ落下して弾け飛ぶ。

「Chaos社の実験動物か何かか……?まあいいや。あとで皆に聞けばいい。とりあえず、どこかで情報収集しねえと」

 ストラトスは階段を駆け上がる。


 三十三階・禁獄牢

「おらぁッ!」

 シエルは何度も扉へ蹴りをぶつけ、だんだんと扉の形が歪んでいく。ひしゃげたシフル情報式――データを物理的な質量に変換する方式――によって構成された扉の歪みに指を入れて、力任せに引き千切る。急いで外に出ると、また情報の扉は構成されて閉じられる。

「面倒な仕掛け用意してくれちゃってさ」

 シエルが辺りを見回すと、自分が監禁されていた部屋以外は、様々な用途の機材しか置かれていなかった。

「ふん、どうやらここが一番ロック強度が高い場所のようね」

 フロア端のガラスから下を覗くと、円形のシャフトが延々と続く様しか見えなかった。

「逃がす気は無いって?なら……」

 シエルは閉じられている中央エリアへの扉を腕力だけで抉じ開け、そこから飛び降りる。そして非常階段に備えられたガラスからストラトスを発見したシエルは、空中で軌道を変えて非常階段へ高速で突進する。


 ストラトスが階段を駆け上がっていると、突然すぐ上の階のガラスが砕け、そこにシエルがいた。

「おわあああ!?お前どっから来てんだ!」

 驚くストラトスに、シエルは肩についたガラスの破片を払って答える。

「飛び降りてたら見つけたの」

「飛び降りたぁ!?ここは二十二階だけど、お前どこに居たんだよ」

「だいぶ上の方ね。だいたい十階くらい降りたと思うんだけど」

 ストラトスは呆れたが、今更驚くほどのことでもなかったと気付く。

「なあ、みんながどこにいるかわかるか?」

「いいえ。でもこの建物、上層にデータを取る施設が密集してるみたいだわ」

「つまり?」

「下に管制システムがあるってことよ」

 シエルは踵を返し、自分が割った窓枠から、下を見る。

「ストラトス、竜化して自分で降りるのがいいか、私に抱えてもらって降りるのがいいか、選んで」

「自分で降りるに決まってるだろ」

 ストラトスは竜化し、シエルと並ぶ。

「行くわよ!」

 二人は同時に飛び降りる。


 地下三十階

 二人が着地すると、そこには竹刀を持った男と、千早がいた。

「千早!」

 ストラトスが叫ぶと、千早は振り返って駆け寄る。

「お二人とも、無事でしたか?」

「ああ。あの男は?」

 千早が男へ視線を戻す。

「彼は閃撃のヤスヒト。四皇聖の一人です」

 ヤスヒトは一行の視線に対し、お辞儀で返す。

「グラナディアは先に逃がした」

「何?」

 ストラトスが疑問符を浮かべると、ヤスヒトは続ける。

「北米、中米、南米は、全て福岡と同じように隔離した。お前たちがここから出るには、北米のワシントン地下・コモンパージスフィアまで来てもらう必要がある」

「素直に応じろってか?」

「グラナディアに聞けばわかるはずだ、力ずくでここを突破するのがどれだけ危険かを」

 ヤスヒトは三人を尻目に、エレベーターのコンソールを操作する。

「ヒカリにしては力加減がわかっていたようだな。あそこで死なれても困るが」

 エレベーターが起動し、上昇を始める。

「なんで俺たちをここに閉じ込めた」

「わかるだろ、露骨で、無策な……時間稼ぎのためだ。確かにお前たち時の十二要素を使えば、人類の未来が約束されるかもしれない。だがそれでは、Chaos社だけが救われる、一方的な施し、選別でしかない。お前たち自身の魂が研磨されなければ、正しい力は得られない」

「てめえ……」

「俺たちは駒だ。使い勝手のいい、駒だ。わかるか?新人類は、画一的な存在だ。新たな人類と謳っておきながら、旧い人類よりも感情が削ぎ落とされている。生物としては完成品だが、予想外の結果を産み出さない」

「……」

「なぜ時の十二要素に新人類が殆ど居ないかわかるか?それは、新人類には因果が集束しないからだ。零なる神の尖兵である俺たち新人類は、世界を変える力を持たない。寧ろ、安定させることに特化した獣だ。蛇帝零血に対応しない人間は、それだけ自分の意思が堅いということだ。世界を掻き乱し、自分の願いを叶えてやろうという意思の強いものが、蛇帝零血を拒む」

 エレベーターは機械的に上昇を続ける。

「何の理由があって、てめえは俺たちにそんなことを教えてる」

「必要なことだからだ。例えとして、呼吸の話をして、お前が呼吸を知らない、それでは話が進まないだろう」

「常識を教えてくれたってわけか。そりゃどうも」

 やがてエレベーターが上昇を止め、正面のゲートが開く。

「せいぜい気をつけるんだな。俺たちは妨害しないとは言っていない」

 ヤスヒトのその言葉を振り切るように、一行は外へ出た。


 ブラジル区・フォルタレザ

 塔から出て砂浜まで歩くと、そこにはグラナディアが立っていた。横には飛行用のフォルメタリアが座っている。

「お、来たようだね」

 グラナディアが手を振る。辿り着いたストラトスは、一つ疑問を投げ掛ける。

「アルバはどこっすか」

「彼女だけはセレスティアル・アークに送られたらしい。まあ、要は私たちを捕まえたのも、アメリカだけを切り取ったのも、アルバを研究する時間を稼ぐため、ってことだろうね」

「あいつを研究して何を……」

「ロータ・コルンツの捕獲を諦め、彼女から卯の要素を取り出せないか、ということだろう」

「早く助けに行かないと」

「だが太平洋と大西洋の洋上には、次元の隔壁が張られているよ。あれは随分と手間をかけて作ったみたいだね、無理にでも突破しようとすれば別の世界に飛ばされる」

「アルバは奴らにとってどんな価値が……」

 グラナディアは顎に当てていた手を横に広げる。

「彼女はレイヴンとロータの血を受け継いだ、純粋な破壊の力の結晶だ。君が一番よく知っているだろうがね」

「だけどあいつは……俺よりもずっと、優しい奴なんすよ?」

「だが生まれ持った力は、生まれてから形成された感情や性格に左右されない、固有のものだ。君が意図的に使わずにいた竜化能力が今になって急に使っても全く衰えていないのと同様にね」

「とにかく、今は言われた通りに進むしかないってことっすか」

「そうだ。さあ、フォルメタリアに乗って。ワシントンまで徒歩は流石に回り道すぎるからね」

 一行は大きく口を開けたフォルメタリアへ入る。


 無明桃源郷シャングリラ 第一期次元領域終着点

〝焦げた妄人〟の昇華された情報で形作られたキューブに腰掛け、アルメールが遠くを眺めている。

「全く恐ろしい女だ」

 アルメールは握りしめた手を開く。そこには、ストラトスがシエルに渡したものと同じ指輪が置かれていた。

「俺と同じで、君も一切後悔をしないってことか。だが……俺に渡したらあの少年が可哀想だろう」

 指輪を小箱に入れ、懐に戻す。と、背後からの気配を感じてアルメールは立ち上がり、振り返る。

「おや、アレクセイ。君が俺に会いに来るとは嬉しいね」

 アレクセイはマントを払い、腕を組む。

「汝から狐の臭いがする。また身を汚してきたのか」

「あいつとお互いに汁まみれになるのは死ぬほど興奮するんでね。それよりこいつを見てくれよ」

 アルメールは小箱をアレクセイに投げ渡す。アレクセイがそれを開け、指輪を取り出す。

「ふむ、エンゲージリングか。汝は狐にこれを?」

「いいや。グラナディアから貰ったのさ。元はグラナディアがあの少年から貰ったものだがね」

 小箱を閉じ、アルメールへ投げ返す。

「少年曰く、シンプルで戦闘の邪魔にならないやつを買ったつもりらしいぜ。それが婚約指輪たぁ、流石はレイヴンの息子だ」

「汝は狐に化かされたのではなかったか」

「うん?ああ、一回だけ読み負けたな。だが、そこがいいだろう?俺を翻弄してくるのがたまらなく勃つんだよ」

「そうか……汝は次の任があるだろう。あまり力を使うなよ」

「わかってるさ」

 アレクセイは立ち去り、アルメールはまたキューブに座る。

「まあ、少しくらいは俺もあの世界に干渉するがね……」


 セレスティアル・アーク

 引き続き犬のインベードアーマーのシフルと、セレナが二人で廊下を歩いている。

「シフル、アルバを捕まえたわ」

「そうか。では、やるべきことをしよう」

 セレナは立ち止まる。

「シフル」

 シフルはその声に立ち止まり、セレナを見上げる。

「どうした?」

 セレナはシフルの前でしゃがみ、視線を合わせる。

「む……なんだ、急に」

「もうすぐこの物語は佳境を迎えるわ」

「あ、ああ。そうだな」

 セレナの澄んだ瞳を見て、心の中を見透かされるような感覚にシフルは陥る。

「つまり、あなたとの時間も終わってしまう」

「う、うむ……」

 シフルが視線を逸らそうとすると、セレナはその頭を両手で持って自分の方へ向かせる。

「セ、セレナ……?」

「あなたは自分の元々の体を持ってきてる?」

「も、持ってきている」

「そう。なら、今その姿に戻ってくれない?」

「なぜだ……?」

 セレナは自分の下腹部を指差す。

「後は察して」

 シフルは予想外すぎるその答えに混乱し、後退して壁に激突する。

「大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ……少々思考回路が狂ってしまった。えーっと……私は経験がないのだが、それでいいだろうか……」

「ええ、構わないわ」

「えー、では、こほん。準備をしてくる」

 シフルは廊下を歩いていった。


 北アメリカ区・エレクトリカルルイン ワシントン

 フォルメタリアはオベリスクの麓に着地し、一行は外に出る。

「コモンパージスフィアはたしかホワイトハウスの地下にあったはずだよ」

 グラナディアがそう言う。

「コモンパージスフィアって何をする場所なんすか」

 ストラトスが尋ね、グラナディアが答える。

「読んで字のごとしだろう?卑賤な民を、切り捨てる、球状の空間だよ」

「まさか、旧人類を……?」

「まあ、おおよそそうだろうね。ゴミ捨て場だよ。人間は扱いにくいからねえ……」

「あともう一つ聞きたいっす。さっき戦った、光猛のヒカリって……」

「彼女は新人類唯一の時の十二要素、そして四皇聖のリーダーだよ。寅の刻を司る」

「あいつは桁違いに強かったっすけど、何か特別な違いが?」

「さあね。だが彼女はChaos社の創設メンバーの一人で、新人類計画に一番傾倒していた。そこが何か違いがあるのかも知れないね」

 会話が一旦終わると、一行はホワイトハウスの前に立っていた。周囲の木々は枯れ果てており、噴水の水も吹き出しておらず、腐っていた。芝を歩いて白い建物を目指して歩くと、建物の前にルクレツィアが座っていた。

「またあんたか。今度は誰に雇われてんだ?」

 ストラトスの問いに、ルクレツィアは無言で立ち上がる。

「ウチは今フリーや。暇潰しにここにおるっちゅうだけやな」

「暇潰しだと……?」

「ウチは無益な殺生が大好きなんよ。やから適当に戦場やらレジスタンスヤードやらChaos社の支配地域やらを回って、殺して回る。それがウチの休日の過ごし方や」

 ストラトスはその言葉に、拳を握りしめる。

「ちょっと前までの俺なら、その考えは許容できなかった。だが他人がそいつにとっての正義を否定する手段はない」

「ほう?」

「あんたがそれが楽しいと言うのならそうなんだろう。あんた自身にとってな。だから、下らない道徳観とかであんたと敵対はしない」

「つまり?」

「あんたが俺を敵と見なすか、俺たちの目的の邪魔にならない限り、戦わない」

 ルクレツィアは肩で笑う。

「クソ青二才からは成長しとるみたいやな」

「ここまでに色々あったからな。まだ……全然だけど」

「そやな……今殺すのは少し惜しくなったわ。アンタら、この先に用があるんやろ?人数が一人減っとるような気ぃするし、ウチが仲間になったるわ」

「は?」

 ストラトスが驚愕の表情を浮かべる。

「コモンパージスフィアを越えるのだけを手伝ったる、そう言うたんや」

「あんた、普段はどんな報酬を受け取ってるんだ?」

「ん?」

「いや、あんたを仲間にするってことは、雇えって言ってるんだろ、要は」

「んー……今回は初回っちゅうことでタダにしたる」

 ストラトスはシエルと声を小さくして会話する。

「怪しくないか?」

「まあ、怪しいけど……入り口にこの人が居るってことは、常時背後を取られているようなものよ。そういう意味では、近場で監視していた方がいいかも……」

 ルクレツィアは欠伸をする。

「ほんで?決まったんかいな」

 ストラトスは頷く。

「ああ。供を頼むぜ」

 ルクレツィアは微笑む。

「まあウチは殺しが出来ればなんでもええしな」

 そして踵を返す。

「こっちや。ついて来ぃ」

 一行はルクレツィアに従い、先へ進む。人が居た痕跡はあるものの、結局はこの世界の大半の建物と同じく蛻の殻だった。

「ここは大昔のこの国の中枢でなあ、昔は人間でごった返しとったらしいけど……まあ今となってはノスタルジーを感じる遺跡でしかないっちゅうことや」

 ルクレツィアの声が何もない廊下に反響する。

「あんたはコモンパージスフィアについて何か知ってるのか」

 ストラトスの問いに、ルクレツィアがすぐ答える。

「もちろん、わかっとるで。この地下にあるあれは、物質をシフルに変換する装置や。人間だろうと動物だろうと、無機物でも有機物でもなんでも根源エネルギーまで戻す」

「どうしてそんなものが」

「ま、廃棄物処理場……それで悪ければリサイクル場、とでも言うんが正しいかもしれへんな」

 ルクレツィアは立ち止まる。そして床に刀を突き立て、床板をくりぬく。そこに長い梯子のかけられた穴があった。

「先に忠告しとくで。ここに降りたら、しばらくは地上を見られへんと思う。何か他にやることがあるなら今の内に済ましとくんや」

 ストラトスはグラナディア、千早、シエルと順に目を合わせる。一人ずつ頷き、ストラトスはルクレツィアの方へ向き直る。

「準備するほど呑気な気分で来ていない。行こうぜ」

 ルクレツィアは頷き、最初に穴へ入って梯子を下る。


 エレクトリカルルイン地下・コモンパージスフィア外殻

 梯子を下りきり、下水道の連絡通路のような道を進んでバルブ式のドアを開ける。そこは地下特有の暗黒を、無数の柱に備えられた光が照らしている空間だった。

「ここがコモンパージスフィアか」

 ストラトスが呟く。

「いんや。ここはまだ外っかわやな。この先に進む必要があるで」

 一行はルクレツィアに従い、キャットウォークを進んでいく。シエルがルクレツィアが進むルート以外が無いか見ていたが、他の分岐点は他の操作パネルへの道ばかりで、コモンパージスフィアへは遠回りになるだけだった。中間地点であろう広い空間に出た瞬間、辺りに銀粉のようなものが漂い始める。そして通路の奥から、ワタルが現れる。

「てめえは……ルクレツィア、やっぱあんた……!」

 ストラトスがルクレツィアへ疑念の目を向けるが、ルクレツィアはそんなものは存在しないかのように眼前のワタルへ視線を向ける。

「今はアンタに雇われとる。ウチは報酬の大小より先約を大切にする性分やから安心せい」

 ストラトスはルクレツィアと並ぶ。

「今の時代にこんな言葉は臭い台詞かも知れないけど、信じてるからな、あんたのこと」

「ホシヒメみたいなことを言うんやな、アンタ。その優しさで自分の首を絞めんようにな」

 ワタルが一行の前で立ち止まる。

「アフリカ以来だな、ストラトス」

「あんときはどうもな。アルバはここには居ないぜ」

「わかっている。我々の手に今はあるからな」

 ワタルは深くため息をつく。

「この戦いは、本当に我々新人類のためなのか?」

 意外なその言葉に、ストラトスとシエルが同時に尋ねる。

「どういうことだ?」

「どういうこと?」

 ワタルは肩に担いでいた剣をキャットウォークに突き刺す。

「我々新人類にとって脅威なのは、お前たち旧人類だ。お前たちがこの世界から消えてなくなれば、それでいいはずだ。ならばなぜ、時間を支配する必要がある。シフルは〈完全なる未来〉をもたらすために時間が必要だと言った。だが時間が、我々に必要か?新人類にとって時間など、ただの位置の変化でしかない」

「だったらあんたが自分であいつに問い詰めれば良かったんじゃないのか」

 ストラトスの言葉に、ワタルは頷く。

「尤もだ。自分で決断し、進まぬものに、文句を言う権利は無かったな」

 ワタルは剣を引き抜く。そして自身の周囲に鏡の破片を浮かばせる。

「それならば、俺自身の手でこの計画を終わらせよう。お前たちをここで殺し、何の因果もないただのシフルへ還すだけだ」

「行くぜ」

 ストラトスが槍を構えて突っ込む。飛んできた鏡の破片を槍で打ち、その反動で自分の体の軸をずらして加速度をつける。ワタルは大剣の腹でそれを受け、ストラトスは即座に引いて鏡の破片による防御を躱す。続けてルクレツィアが高速で突進しつつ抜刀して、鏡の破片を一つ破壊する。ワタルの大剣の一撃を刀の腹で受け流してワタルの腹へ刀を突き刺す。すぐに引き抜いて、ワタルを踏み台にして距離を離す。ワタルは大剣に鏡の破片を纏わせ、高速回転させながらストラトス目掛けて突っ込む。ストラトスは飛んで躱し、ワタルのその攻撃を千早が拳で受け止め、横からシエルが蹴りを入れて中断させ、グラナディアが怨愛の炎で鏡の破片を焼き切る。無防備になったワタルへ竜化したストラトスが強烈なパンチを与えて、吹き飛ばす。ワタルは顎でキャットウォークを滑り、立ち上がる。

「アフリカとは比べ物にならんな……お前の闘気が全身を奮い立たせているのがわかる……戦う理由を見つけたものと、常に揺らいできたものの違いか……」

 ワタルは一瞬で体の傷も、鎧の傷も修復する。

「我々を殺してくれ、ストラトス。人間の心は不老不死に耐えられるほど希薄じゃない」

「それならいい考えがあるんだけどさ」

 どこからか第三者の声がし、全員が上を見上げると、そこにはハットを被った男がパイプに座っていた。

「お前は……レイジ……」

 ワタルがそう言うと、レイジはワタルの横に飛び降りてくる。

「人の心が残ってるのがネックなんだろ?ならそれをぶっ壊すいい力があるんだ」

 レイジは右腕を差し出す。その掌の上には、深い闇が湛えられていた。

「これは……?」

「ウル・レコン・バスクの力……と言っても君にはわからないだろうが、君の不死性を砕き、真なる終焉をもたらす力さ」

 その会話に何かとてつもない危機感を感じたストラトスはレイジ目掛けて攻撃を仕掛ける。が、レイジの持つビームサーベルに攻撃を凌がれる。

「少年、こういう時は横槍を入れるもんじゃないと思うがね」

 そして蹴りでストラトスは吹き飛ばされる。ワタルはその闇を手に取り、吸収する。レイジはそれを見届けると、来たときと同じようにどこかへ去っていった。ワタルの鎧の隙間から闇が漏れ出し、ワタルは激しい引き付けを起こす。グラナディアは苦虫を噛み潰したような表情で、シエルとストラトスは事態を把握できていない表情でそれを見ていた。

「なる……ほど……確かに……一度でもシフルのやり方に疑問を持った俺への報復と言うことか、ヒカリ……!」

 鎧から闇が噴出し、膨大な力が溢れ出す。やがて闇は竜の姿を成し、翼を広げる。

「なんだ、これは……」

 竜はストラトスたちを見下ろす。

「ふむ……この世界は異なる歴史の、更に異なる歴史か。人間よ、我が名は深淵の真竜、ウル・レコン・バスクだ」

「真竜……?ウル・レコン・バスク……?」

 きょとんとするストラトスへ千早が説明する。

「彼は神の三つの罪が一、不死を司る九真竜の一柱。何ゆえあなた様がこのような場所に」

 深淵は腕を組む。

「何故も何も、アルメールの遊戯に付き合っているだけだ。この新人類を糧に、我はここに顕現した」

 深淵の胴体には、うっすらとワタルが見える。

「顕現したついでだ、汝らの力を測ってやろう」

 そう言うと、深淵は力を放つ。天井が割れ、アメリカの上空へとキャットウォークが浮上する。


 エレクトリカルルイン・ワシントン上空

 コモンパージスフィアも浮上し、深淵はその上に座る。周囲の廃墟や木々や、海が舞い上がり、互いに自由に動き出す。

「何が起こってんだよ、これ……!」

 ストラトスが事態の甚だしさに戸惑っていると、深淵が一行の方を向く。

「まずは我の前まで来てみせよ。褒美も用意してある」

 その言葉に無条件に従いたくはなかったが、他に選択肢がないため、諦めて一行は前に進む。

「ったく、どーなってんだ」

 周囲を見渡すと、凄まじい速度で岩盤やビルが激突し合い、砕け散っていた。

「真竜って言われても全然わかんないしねえ……」

 シエルがそう言うと、千早が加わる。

「真竜は九体の竜のことです。原初に生まれ、アルヴァナより役目を与えられ、人との関わりを持った王龍の一種」

「王龍……?」

 ストラトスの疑問に、シエルが続く。

「ヴァナ・ファキナのファイルにあったわ。ヴァナ・ファキナは真滅王龍って言われてて、普通の王龍のカテゴリとは異なるって……」

 千早は頷く。

「その通りです。王龍は極めて戦闘能力の高い竜の支配種というだけですから、ヴァナ・ファキナも深淵も、どちらも王龍です。深淵は、神の三つの罪、不死、傲慢、幻想の内、不死を司る王龍で、最も人に寄り添った真竜です」

「人に優しいドラゴンってことか?あれでか」

「全てを暴き責め立てる光よりも、全てを包み込んで安息を与えてくれる闇の方が、生き物としては必要でしょう」

 一行が立っているキャットウォークにビルの残骸が落下する。大きく揺れ、一行はしゃがんで耐える。

「先へ進むしかないか」

 ストラトスが前に歩き、前方にある横向きの足場を見る。どうしたものかと見ていると、千早が並んでくる。

「ここは彼の作り出した空間のようですね。低次元の法則に縛られたこの世界と違って、純シフルで満たされた空間では自分が望むような挙動を物体に強制できます」

「つまり?」

「つまりこういうことです」

 千早が躊躇無く飛び立ち、横向きの足場に横向きに着地する。

「自在に平面を変えることが出来るんです。最初は慣れずに酔っぱらうかもしれませんけど」

「なるほどな。じゃあ行くぞ……!」

 ストラトスが飛び、千早が受け止める。少しの間だけストラトスは重力に引っ張られたが、次第に足場を地として着地した。

「確かにこれは酔っぱらうな」

 千早が頷き、シエルとグラナディアが続く。

「九竜の妙技を生で見られるなんて、ラッキーだね」

 グラナディアが深淵を眺めて言う。

「正確には、先程ワタル様が受け取った闇を媒介として、極小のエネルギーをこちらに送信している状態ですね。十秒くらいの動画が送られているような感じです」

 一行が前へ進むと、キャットウォークと同じ上下で、瓦礫の道が作られる。地球の重力に従ってその道に着地し、進んでいく。しばらく進むとオベリスクが横向きに飛んできて、シエルが正拳でそれを粉砕する。いくつか足場を乗り継ぎ、ようやく深淵の下まで辿り着いた。

「さあ、辿り着いたぜ」

 ストラトスが深淵を見上げる。深淵は一行を見下ろす。

「うむ、よく来た。改めて自己紹介させてもらおう。我は深淵の真竜、ウル・レコン・バスクだ。不死を司り、そして死をもたらすもの」

「それで、そんな大層なあんたが、敵対するわけでもなくここにいるってか」

「その通りだ、ヴァナ・ファキナの落胤よ」

 ストラトスはシエルに尋ねる。

「落胤ってなんだ?」

「正妻以外に生ませた子供のことよ」

「なるほど……っておい!」

 ストラトスは深淵に向き直る。

「もっとマシな呼び方あっただろ!」

 深淵は目らしき部分を細め、わざとらしく咳払いをする。

「そうだな、ならば普通に呼ぶとしよう。ストラトス、我はアルメールの遊びに付き合ってここまで来た」

「アルメール?」

 深淵が千早に視線を向ける。千早が鬼神のような目付きで睨んでいたため、深淵は自分が喋りすぎたと気付く。

「いや、今のは忘れよ」

 深淵は翼を広げる。

「では力を試すとしよう。当然手加減はするが」

 周囲を移動する瓦礫が速度を上げ、深淵が咆哮する。それだけで周囲が黒く塗りつぶされ、天地の感覚が無くなっていく。

「さあ行くぞ!」

 深淵が右腕を振るう。一行は飛び退き、ストラトスが槍を投げつけ、それに飛び乗って接近する。深淵が翼でそれを撃ち落とそうとするが、ストラトスは槍から闘気を噴射して加速させ、攻撃を躱す。シエルが鋼の波を起こして攻撃し、深淵は闇を吹き出して全ての攻撃を無に帰す。ルクレツィアが空中から突進して抜刀攻撃を放つ。だが深淵の咆哮で吹き飛ばされ、受け身を取って着地すると同時に、グラナディアが自身の前方に魔法陣を産み出して極大の熱線を照射する。深淵は闇の殻に身を包み、それを防ぐ。

「守りに徹するのが手加減ってことかな、千早」

 グラナディアが熱線を放つ力を緩めずに尋ねる。

「恐らくはそうでしょうね。真竜の本気の攻撃なんて使われたら、腕の一振でこの宇宙もろとも消えてなくなってしまいますよ」

 熱線を打ち消し、殻を破って再び深淵が翼を広げる。

「寂謬たるこの世界を満たす魂は、生きるものの輝きのみ。竜と獣は宇宙を流るる血液であり、人という癌を育て上げることでしか死することは出来ない」

 深淵は天を仰ぐ。

「問おう、ストラトス。汝はこの世界を救うために戦っているのか?」

 ストラトスは首を横に振る。

「俺は自分のために戦ってる。世界のためとか、誰かのためとか、ただの偽善でしかないからな」

 深淵は深く頷く。

「あくまでも己の意思で、他人のために命を落とすと?」

「誰が死ぬかよ。意地でも生きてやる」

「ならば汝は不死身でいたいか?」

「いいや。やりたいことが、やるべきことが終わったら死んでも構わない。でも今だけは、絶対に死ぬわけにはいかない」

 深淵はストラトスを直視する。

「よい心がけだ。不死を求める心は素晴らしい、だが不死の苦しみは知るべきだ――汝は、不死の苦しみをよく理解しているようだ」

 深淵は闇を差し出す。

「槍は同志の象徴だ。汝のその槍に、力を授けよう」

 ストラトスは自分の右手に持つ槍へ視線を落とし、そして深淵に向き直る。

「あくまで借りるだけだ。全部終わったら、あんたに返す」

「律儀な男だ。いいだろう。ならば、全てが終わったあと我の眷属になってもらおう」

 ストラトスが槍を差し出すと、闇が吸い込まれて、黒く染まる。

「この新人類は貰っていこう。では、また会おう。人間たちよ」

 深淵は消え去り、空中に作られた足場は崩壊を始める。

「わわっ」

 シエルの足元が崩れ、落下する。咄嗟にストラトスが槍を投げ、それに乗ってシエルを受け止める。ルクレツィアと千早とグラナディアは足場を乗り継いでコモンパージスフィアの入り口へ辿り着き、ストラトスに手を振る。槍から闇を噴出させ、そこまで加速し、その勢いで一気にコモンパージスフィアへ入る。


 コモンパージスフィア・第一階層

 最も外周にあるこの区域からは、外の景色が見える。内部には一切影響が無いが、凄まじい速度でコモンパージスフィアは落下していた。一行は一息つき、ストラトスはシエルを降ろす。

「あ、ありがと……」

 シエルが顔を伏せつつそう言うと、ストラトスが肩を叩く。

「シエルにしては不用心だったぜ。気を付けろよな」

 その手を払い、シエルは頬を膨らませる。

「お二人とも、いちゃつくのはいいけど何も進んでないからね」

 グラナディアが茶化すと、余計シエルは顔を真っ赤にしてストラトスを睨む。

「どうした?顔が赤いぜ?」

 千早がそのやり取りを見て微笑む。

「レイヴンとは違う方向で人たらしのようですね、ふふっ」

 ルクレツィアは大あくびする。

「どうでもええけど、先に進まんといけんのとちゃうか」

 その言葉にストラトスは頷く。

「ああ、そうだな。シエル、調子が悪いなら言ってくれよな」

 シエルが何をもってして赤面しているのかわからないストラトスは、グラナディアへ視線を向ける。

「グラナディアさん、ここは?」

 グラナディアはシエルを一瞥したあと、口を開く。

「ここがコモンパージスフィアの第一階層だね。コモンパージスフィアは全三階層で構成されていて、処理施設や転送装置など高度な技術モジュールは三層に集中しているよ」

 平静を取り戻したシエルが会話に加わる。

「どういう風に区画管理されてるんですか?」

「ああ、社員のシフル波長でランク付けがされてるのは知ってるだろ?奥に行けば行くほど高ランクの鍵が必要って訳さ」

 そこにルクレツィアも加わる。

「まあそう言うても、ここはもう使われてない場所や。警備は無人機が何機かおればええ方やろ。やから、そいつを見つけてぶっ倒せばアクセスコードが手に入るはずや」

 ストラトスは頷く。

「なるほど。わかりやすいな」

 周囲を見渡す。

「なあ、あれが警備用ロボって訳じゃないよな?」

 ストラトスが指差した先には、半円状のゲートと、その前に佇む鳥型の兵器が威容を放つ。

「あれは閃鳥レヴィアーだね。まあ」

 グラナディアが続きを言う前に、ルクレツィアと千早がレヴィアーを粉砕する。

「まあ見ての通り、一般的な戦場で多用されるただの汎用機さ」

「ああ……」

 ストラトスとシエルがそれを聞いて納得する。ルクレツィアが切り落としたパーツを千早が障壁の端末に翳して障壁を解除する。三人は障壁の前で待っている二人の下へ急ぐ。


 コモンパージスフィア・第二階層

「ずいぶん警備が雑っすけど、また何かの作戦とかじゃないっすよね」

 ストラトスがグラナディアの方を向く。

「逆じゃないかな。放置していたところに申し訳程度の警備を置いたって方が正しいと思う。アメリカは元々反Chaos社組織がたくさんあったし、それらが壊滅した今となってはもうどうでもいい場所なんだろう」

「次も障壁のところまで進めば警備用の兵器がいそうっすね」

「だろうね」

 一行が通路を歩いていくと、障壁の前にまたも兵器が鎮座していた。千早とルクレツィアが同じようにそれを破壊する。

「えーっと、あれは何だったんすか」

 ストラトスの問いに、グラナディアは答える。

「あれはクロユリヒメだね。うちの月香獣をパクった下らない試作品さ」

 一行は解除された障壁を進む。


 コモンパージスフィア・第三階層

 障壁を越えて進んでいき、テレポート室と書かれた扉の前に辿り着く。そこには、ヤスヒトが立っていた。

「長旅ご苦労だった。もう既に、洋上の障壁は解除してある」

 ヤスヒトは深いため息をつく。

「俺は戦う気はない」

「じゃあなんでここにいる」

 ストラトスとヤスヒトは、互いに鋭い視線を向ける。

「新人類のためだ。お前を辰の刻として覚醒させる」

「ネオアガスティアタワーでも言ってたな、どういうことだ?」

「規格が合わない部品を嵌め込んでも時計は時を刻めないだろう?お前をシフルの作った時計に合う部品にする必要がある。そのために俺は――」

 その瞬間、壁から白い蔦に包まれた巨大な腕が突き出てヤスヒトの頭を掴んで扉に叩きつける。そして扉が吹き飛ばされ、中から変身したトラツグミが現れる。トラツグミは口から蔦を吐き出し、ヤスヒトを捕食する。

「ああ、なるほど」

 グラナディアはそう言って、一行はそれぞれ左右に飛び退く。トラツグミが同時に前に噛みつき、その巨体が壁を破壊して現れる。白い粘液が身体中から溢れ落ち、床から煙が上がる。

「逃がさない……」

 怨嗟を紡ぐトラツグミは、間髪いれずに慟哭を撒き散らす。

「みんな逃げるんだ!洋上の障壁が解けたなら、もうここに用はない!」

 グラナディアの声に従い、一行は来た道を急いで戻る。が、トラツグミは猛獣のような姿勢で凄まじい速度で猛追する。急ブレーキをかけたルクレツィアが刀でトラツグミを押し止める。

「ウチがここで足止めしたる!その間に逃げるんや!」

「わかった!任せたぜ!」

 ストラトスは迷うことなく言葉を返す。一行の姿が見えなくなるまで根性でトラツグミを留め、後方へジャンプして距離を取る。ルクレツィアは刀にべっとりと付着した粘液をハンカチで拭い、ハンカチを投げ捨てる。すると、ハンカチは空中で大爆発する。

「お?なんやこれ」

 ルクレツィアはその爆発で大笑いする。

「いい大道芸やなあ!?ウチにその仕掛け教えてくれへんか!?」

 トラツグミが右腕を振り下ろす。ルクレツィアは咄嗟に飛び退き、右腕が激突した衝撃で床に皹が入る。飛び散った粘液が小爆発を起こし、ルクレツィアが高速でトラツグミの下を潜り抜けつつ刀を突き刺す。背後に回るが、トラツグミは一切のダメージを追っているようには見えなかった。

「邪魔だ……!」

 トラツグミは振り返りつつまた右腕をルクレツィア目掛けて振り下ろす。

「(攻撃自体は単調でのろま……やけど、あの汁と再生能力が強力っちゅうことか)」

 ルクレツィアはしばらく攻撃の回避に努めた。


 フォルメタリア・エアプレーン

 ワシントンから急いで脱出した一行は、フォルメタリアの体内ラウンジで一息ついていた。

「ルクレツィア、大丈夫かな……」

 ストラトスがそう呟くと、グラナディアが答える。

「大丈夫さ。彼女は歴戦の猛者だからね。君もよく知ってるだろうけどね」

「はい……」

 ストラトスとシエルが白いテーブルを囲んで向かい合っている。

「次は中国ね。お父さんとお母さんに会いに行きましょ」

「バロンさんに会えるのか!?」

 前のめりに聞いてきたストラトスにシエルは少し驚く。

「え、ええ。遠回りになったけど、最初の目的を果たすときが来たわ」

「最初の目的?」

「最初に言ったでしょ、救いに来たって。Chaos社の狙いが時の十二要素だってわかってたから、お父さんはあなたがChaos社の手に落ちる前に私を向かわせたの」

「なるほどな……」

「まさかこんな長旅になるとは思ってなかったけど、あなたの精神面の成長を見れば、それで良かったのかもね」

「そうか?俺としては実感はそんなにないけどな」

「それこそ、さっきのルクレツィアに任せるときなんて、最初の頃のあなただとウダウダ言って時間食うだけだったと思うわ」

「まあ、それは……そうかもな。足止めをやってくれるってことは、俺たちを逃がしたいと思ってるんだから、それを汲まないと」

「それをあの場で決断できるのは成長した証よ。誰かが犠牲にならねばならないときに、すぐに切り捨てられるのはね」

 シエルはきんぴらごぼうを美味しそうに食べている。

「なあシエル、戦いが終わったらさ、俺はあんたと一緒に暮らそうと思ってるんだけど、どうかな」

 シエルが食べていたきんぴらごぼうを吹き出す。

「はぁ!?急に何言ってんの!?」

「え、ダメだったか。戦って支配体制を崩すのはいいけど、そのあとのことを全然考えてなかったなって思ってさ、いい案だと思ったんだけど、あんたがダメなら――」

「ダメとか言ってないけど!?」

 テーブルや床をティッシュで掃除しながらシエルは大声で答える。

「何か条件が?」

「いや、そういうわけでもないけど……ほ、ほんとに私と一緒に暮らすの?」

「俺はあんたと一緒に居たいと思ってるんだ。オーストラリアでも、どこでもいいぜ」

「ふーん……」

 シエルは正直に言えば布団にくるまって暴れまわりたいほど恥ずかしいが、努めて冷静に答える。

「まあ、考えておくわ」

「おう、よろしくな」

 シエルはストラトスを直視できずに視線を外すと、妙に気味の悪い笑みを浮かべたグラナディアと千早と目が合った。同時に、その二人はしれっと真顔で視線を外す。

「はぁ」

 シエルがため息をつき、ベッドに寝る。


 中国区・大戦地域 レジスタンス本部

 一人の大男が、様々な資料に目を通す。それには、レジスタンスの死傷者数や、各拠点の戦況が記されている。男はデスクに肘を置き、目頭を押える。

「……ふう。シエルが帰ってくれば、反撃できるんだが」

 そこへ、青い髪の女が現れる。

「さっきシエルから連絡があったわよ、もうすぐ帰ってくるって」

 男はその女に視線を向ける。

「……そうか。あの子はそそっかしいところがあるから不安だったが……エリアル、あの子は他に何か言っていたか?」

 エリアルと呼ばれた女は、男の膝に座る。

「……ちょっ、今はこんなことをしてる場合じゃ――」

 抗議しようとした男の唇を、右の人差し指で封じる。

「はい、静かにしてバロン」

 バロンは仕方なく黙る。

「あの子はストラトス以外にグラナディアと千早を連れてきたって言ってたわ」

「……何だと、グラナディア?奴が生きていたのか……?奴は僕たちが零獄で倒したはずだろう」

「知らない内に生き返っていたみたいね。それに、オーストラリアレジスタンスを指揮していたようね」

「……何……?今まで指揮していたのはアポロではなかったのか?」

「それも含めて、あの子達が帰ってきてからね」

 エリアルはバロンの腕を掴み、自分の前へ回させる。

「……こんなところレジスタンスのみんなに見せられないぞ。早く離れてくれ」

「ねえバロン、シエルに弟か妹を作ってあげたくない?」

「……もう知らないぞ、僕だって溜まってるんだからな」

 バロンはエリアルを抱え上げ、そして椅子に座らせる。

「……だが今はダメだ。気を緩めるのは今日が終わってからだ。シエルたちを迎えに行こう」


 中国区・大戦地域 レジスタンスヤード

 フォルメタリアが翼を畳んで着地し、口から一行は外へ出る。旧式の飛行場の滑走路らしきその場所は、周囲にたくさんのレジスタンスが居た。その中から、一行に近寄ってくる大柄な男性と華奢な青髪の女性の二人組が見えた。

「ただいまー!」

 シエルは二人へ駆け寄る。三人はそれに続いて二人へ近づく。

 一行へ男性はお辞儀をする。

「……初めまして、私の名前はバロン・エウレカ。中国レジスタンスのリーダーをしている」

 女性もそれに続く。

「私はエリアル・エウレカ。バロンのサポートをしてるわ」

 バロンが右手を差し出すと、ストラトスはそれを両手で勢いよく握る。

「あ、あの……俺はストラトス・レイナードっす!お二人に会えて光栄っす!」

「……そ、そうか。それはどうも」

 バロンが照れ臭そうに後頭部を掻く。

「……思っていたよりも晴れやかな表情をしているな。安心したよ」

「そうっすかね!ありがとうございます!」

 そのやり取りを外野で見ていたエリアルとシエルが小声で話す。

「ストラトスくんっていつもあんな感じ?」

「いや……なんかお父さんに会うのを楽しみにしてたみたいで……」

「へえ、結構普通の男の子なのね。バロンに憧れてる男子って多いのよ?」

「え、そうなの?」

「まああのガタイだし、実際強いし、クールで人徳が篤い……って思われてるらしいの」

 バロンとストラトスの会話が終わり、バロンは一行へ向き直る。

「……ご苦労だった。君たちの旅路を思えば、歓迎会でも開きたいところだが……まずは我々の本部まで来てくれ」

 バロンが踵を返した瞬間エリアルはぴったりその横をキープする。

「あれが本物のバロンさんかー……やっぱかっけえよなあ……!」

 感涙しているストラトスにシエルが愛想笑いをする。

「あーやっぱ他人のイチャイチャを見るのはフラストレーションがガンガン溜まるねえ」

 グラナディアがストラトスたちの後を歩きながらぼやく。

「まあまあ。あなたは元カレとセックスしてたじゃないですか」

 千早がそう言うと、グラナディアは腕を組んだままそちらへ視線を落とす。

「あれはイチャイチャみたいな甘酸っぱいものじゃないだろう?見ていたんならわかるだろうけど」

「お互いにレスで自慰では満足できないとかそういうことですか?」

「あくまでも彼じゃなくて、彼が演じていた人格が好きなだけさ。ただの相性のいい竿だよ」

「面倒ですね、大人は」

「面倒だがこの泥沼感がいいだろう?向こうも私のことを都合のいい肉壺だとしか思ってないだろうよ」

「愛の形は人それぞれということですね。ああ、つまり、自分が満たされているかは関係なく、他人がイチャついているのが詰まらないんですね」

「その通りさ。ストラトスとシエルの二人は若々しくて単純に楽しいがね」

 一行は下らない会話をしつつ、本部へ向かっていく。


 レジスタンス本部

 バロンの私室へ全員が入り、バロンは一行をソファに座らせ、エリアルと共にデスクの前の椅子に一人ずつで座る。

「……さて、遠路遙々ここまで来てもらったわけだが……シエル、ストラトス君、グラナディア、そして黒崎千早。君たちは時の十二要素だ。こちらとしては、これ以上Chaos社と交戦するのは、リスクヘッジの観点から考えると控えて欲しいが、君たちの考えを聞きたい」

 ストラトスが最初に口を開く。

「俺はここで終わりなんて嫌っす。最後まで……やり遂げたいっす」

 シエルが続く。

「お父さん、私も彼と同じです。確かに出掛ける前は任務を遂行すればいいと思っていたけど、ちゃんと私自身の手で最後まで関わりたいです」

 グラナディアはやれやれと首を横に振る。

「子守りが必要だろう?」

 続いて千早が静かに頷く。バロンは小さく頷く。

「……わかった。君たちは福岡へ行くんだろう。ならばついでと言っては何だが、日本と中国の狭間の海域に、巨大な戦艦があるらしい。それが何のために必要なのかはともかく、それを沈めてくれないか。援護が出来ない中で、我が儘を言っているのは百も承知なのだが――」

 続けようとするバロンをストラトスが遮る。

「もちろん任されたっす。な、シエル」

 ストラトスの視線を受け取り、シエルは力強く頷く。

「それを沈めれば、そのまま福岡に行っていいんでしょう?」

「……ああ。ならば君たちを信頼しよう。今日は休むといい。部屋を提供する」

 バロンがそう言って、椅子から立ち上がり、扉を開く。一行はそれに続き、バロンが歩きつつ一行へ語りかける。

「……部屋は四つ用意できるが、誰か部屋割りの希望はあるか?」

「じゃあストラトスとシエルを同じ部屋にしてあげなよ」

 グラナディアが面白半分でそう言う。

「……ほう、もうそんな仲か、シエル」

 バロンがからかったようにそう言うと、シエルは顔を真っ赤にして反論する。

「そんなんじゃないから!」

「……わかった。じゃあストラトス君とシエルは同じ部屋にしよう。防音対策がばっちりな部屋を用意する」

「ちょっとお父さん!?ストラトスもなんか言ってよ!」

 シエルに言われてストラトスは考えるが、首を傾げる。

「ん?何がダメなんだ?……あっ、すまねえ。風呂入る順番決めないといけないのがめんどくさいのか」

「もー!なんでこういうときだけ鈍いのよーっ!」

 バロンが笑う。

「……ハッハッハ。若い頃はエリアルに同じようなことを言われたな。まあ、お盛んなのもほどほどにな」

「だから違うってば!」

 バロンが立ち止まる。

「……ここが千早、一つ奥がグラナディア、その奥が二人の部屋だ」

 前二人は何の躊躇いもなく部屋に入り、後二人は躊躇しつつも部屋に入る。


 千早の部屋

 高級ホテルの一室のような空間に足を踏み入れ、千早はベッドに腰かける。

「んんーっ、やっと休める……」

 千早が伸びをすると、背後に気配を感じて振り向く。窓際に備え付けられた椅子に、奈野花が腰かけていた。

「お姉ちゃん……なんでここに」

 千早が気付くと、奈野花は紅茶の入ったカップを眼前のテーブルに置き、千早の顎を右手で持ち上げる。

「あの……お姉ちゃん……?」

 千早の顔を見て、奈野花は深く息をする。

「顔が砂で汚れてるわ。私が舐め取ってあげる」

 千早が顔を背ける。

「い、いいよお姉ちゃん。ちゃんとお風呂入ってくるから」

「そう?なら私も一緒に入っていい?」

「一人で入れるよ。お姉ちゃんは何しに来たの?一応この世界だと故人でしょ?」

 奈野花は千早から手を離し、窓から外を眺める。

「可愛い妹がちゃんと活躍してるか見に来たのよ。この世界は貴方とアルメールしか居ないけど、アルメールが貴方に気を使うとはとても思えないもの。個人としては優秀なのだけどね」

「お姉ちゃん、本当にそれだけ?」

「……」

 奈野花は黙って千早へ視線を向ける。

「本当にそう思う?」

「いや……」

「私の最高に可愛くて頭のいい妹だからもうわかってるでしょうけど、〝アイツ〟の気配がするのよ。受肉した知識欲、破壊の権化……覇道を極めし覇王龍の気配がね」

「エリアルから湧き出た力、形を成した満たされぬ欲求……その名を――」

 千早の口から発せられた言葉に、奈野花が頷く。

「千早、貴方には少し犠牲になってもらうけど、いい?」

「……。私は……お姉ちゃんのためなら、いくらでも命をかけて戦います」

 千早が躊躇無く放った言葉に、奈野花は僅かに悲しげな顔で尋ねる。

「そう。千早、貴方は好きな人とか居ないの?」

「居ません。どうせみんな私より先に死んじゃうので」

「ストラトスとかはどうなの?」

「彼は父親が嫌いですから、シエル一筋なんじゃないですか」

 奈野花は顎に手を当てる。

「ほう、ということは、ちょっとは気になってるのね?」

「まあ、もし彼に愛を囁かれるのなら、それもやぶさかではないかと」

「まあ……!」

 奈野花は両手を重ねて顎に添える。そして千早の手を取る。

「ついに千早にも好きな人が出来てお姉ちゃん嬉しい!」

「いえ、だからあの、別に好きな人では……単に体を委ねるには十分なだけです」

「んもう素直じゃないわね」

 奈野花は千早の手を離す。

「お姉ちゃん、大切な話が終わったなら、もうお仕事に戻ったら?」

「んー……」

 奈野花は左手を腰に当て、右手の人差し指を顎に当てる。

「まあそうね。一人でしたいこともあるだろうし、お姉ちゃんは退散するわ」

 足元から闇があふれでて、奈野花は消える。

「この世界はもうすぐ終わる……それでも、あの人には希望を失わないで欲しい……そのためなら……私は……」

 千早は左手の指輪を見て、鬱屈した感情を深いため息に変えた。


 グラナディアの部屋

 テーブルの上に並べられた資料を目に通し、グラナディアは一息つく。

「今の時代、紙媒体を使うなんて終わってるけど……まあいい、この歴史じゃないと見つけられなかった資料だ」

 資料を纏め、茶封筒に入れて紐をかける。

「私――僕の人生が、無駄じゃないって証明してくれよ、正しい歴史の僕。君の復讐の牙が、世界に報復の種を蒔くと信じてるから」

 グラナディアは特徴的なツインテールの髪をほどく。癖のついた長髪が緋色に染まり、燐を零す。

「僕たちは繋がってる。僕たちが一つの願いを叶えるために。僕たちを裏切った彼が遊ぶ全ての世界に、〝私たち〟の傷跡を残そう。永久に、永遠に、眠りに落ちてさえも、一秒足りとも〝私たち〟を忘れ得ぬように」

 そして目を閉じ、夕日の傾きを感じて目を開く。

「さあ、僕が僕として生きる最後の戦いへ赴こう」


 ストラトスとシエルの部屋

 先刻から備え付けのテーブルを挟んで向かい合っているが、二人は一言も発せずにいた。

「(なんだ、この死ぬほど気まずい感じは……こういうとき、千早とグラナディアさんが茶化してくれたから話せたものの……実際こうなると全然話題が思い浮かばねえ!)」

 ストラトスが思考を巡らせ過ぎて険しい表情になる。それにつられてか、シエルは無感情のような真顔で佇んでいる。

「なあシエル」

「ハイ、ナンデスカ」

 ストラトスの問いに、シエルはこれでもかと露骨なカタコトで返す。埒が明かないと思い、思いきってストラトスはシエルの手を握る。

「ひゃああああああああ!?」

 シエルが絶叫するも、ストラトスは手を離さない。

「なななななな何かしらストラトス!」

「いや何かじゃなくてさ、雑談くらいやろうぜ。暇でしょうがない」

「じゃあ、あなたに提案していい?」

「おう」

「アフリカで見たあの光景を、お父さんたちに聞きに行かない?」

「あの森のことをか?確かに、あれはアルバの正体にも関わることだしな」

 二人は立ち上がり、扉を開ける。


 レジスタンス本部

 二人がバロンの私室へ入ると、バロンはデスクの前で居眠りしていた。

「寝てるな」

「寝てるわね」

 二人がどうしようかと思っていると、横からエリアルが現れる。

「ごめんね、ここ最近戦いが激化してて、バロンも疲れてるの。何か伝言があるなら、私が伝えておくけど」

 エリアルの言葉に、ストラトスは首を横に振る。

「ちゃんと話で聞かないと意味がないことなんす」

「お母さん、少しでいいからお父さんを起こしてくれない?」

 二人の頼みに、エリアルはバロンを起こし、用件を伝える。バロンは二人を見る。

「……すまない、少し眠っていたようだ。座ってくれ、二人とも」

 バロンは短くため息をつき、会話を続ける。

「……何か僕から聞きたいことがあるようだが、どうかしたのか?」

 ストラトスが話を切り出す。

「俺たち、アフリカの地下で四皇聖との戦いの途中である光景を見たんです」

「……ある光景?」

「すごくデカい木が生えた森の中で、あなたと、エリアルさんと、ベリス、エメル、エンゲルベーゼ、トゴシャ・シャンメルンという面子で相対していたんです」

「……ふむ。大きな蜘蛛の女は?」

「ええ、いました」

「……君たちはそれをどういう方法で見た」

「四皇聖がアルバの記憶から再生したとかなんとか」

「……アルバ・コルンツか……彼女はヴァナ・ファキナのコアとして産み出された存在だ。故に、それだけヴァナ・ファキナ……にコントロールされていたレイヴンに大切に育てられたってことだ。だから彼女は、ヴァナ・ファキナを構成する最初の記憶が委譲されていたということなんだろう」

「最初の記憶?」

「……ヴァナ・ファキナは、君らが見た映像の中にあった金色の竜……黄泉の真竜、トゴシャ・シャンメルンが言った通り、エリアルの知識欲が自我を持った存在で、あの古代竜の森林を統べる女王・エンゲルバインが作り出した新型機甲虫に宿り、命を得たのだ」

「あの映像のあなたは、今のあなたと関係が?」

「……ある。だが同一人物ではない。最初の世界の僕たちだ。その光景が何かしらのヒントになるということではないが、アルバがヴァナ・ファキナにとって重要なのは確かだ。間の悪いことに、この時代にある時の十二要素は、ヴァナ・ファキナの手が及んだ者が多い。セレナも、リータも、ロータも、アルバも、明人も、そして君も。無論レイヴン自身もな」

「親父は俺が思ってるような屑じゃなかったんだ。やっぱり、ヴァナ・ファキナが……」

「……はぁ。頭の痛い話だが、シフルを止めねばならんのはそこにもある。彼は既に、レイヴンと明人の死体を所持しているし、アルバとリータも手中にある。セレナは彼に従っているし、ヒカリに至っては四皇聖の一員だ」

「まさか、シフルの計画を奪ってヴァナ・ファキナが復活する可能性が……?」

「……それに関しては大丈夫だ。アメリカでウル・レコン・バスクと戦ってのならわかるだろう。あれだけの力がこの世界に解き放たれるには、それだけ世界を補強しなければならない。復活直後では、宇宙の外輪のエネルギーに耐えられんだろうからな」

「宇宙……外輪?」

「……君たちには想像もつかないだろうが、一つの宇宙というのはその位相で幾度も輪廻を続け、やがて輪廻する力を失って消滅する。それぞれの宇宙と宇宙とを繋ぐ空間を、宇宙外輪と呼ぶんだ。そこは純シフルの奔流だから、不安定なシフル波長では瞬く間に分解されてしまう」

「はぁ、なるほど」

「……まあいい。復活したのならその時考えればいい。シフルがどんな隠し玉を持っているかもわからないからな。話はこれだけか」

 シエルが頷き、ストラトスが続く。

「あの……俺に稽古をつけてくれないっすか」

「……というと?」

「俺、闘気を使えるようになりたいんす」

「……いいだろう。闘気の扱い方なら任せてくれ」

 バロンは立ち上がる。

「ねえ、いいのバロン?疲れてるんじゃないの?」

 心配するエリアルへ、バロンは視線を向ける。

「……問題ない。次代を担う若者のためだ」

 バロンは視線をストラトスへ移す。

「……さあ行こう、ストラトス君」

 部屋を出ていった二人を見て、エリアルが呟く。

「シエルはあの子のことどう思ってるの?」

「大切な仲間。あっちもそう思ってくれてると思いたいけど、私だけがそう考えてたとしても構わない」

「そう。その気持ちを忘れないようにね」

 エリアルはデスクで本を読み始め、シエルは部屋から出た。


 レジスタンスヤード

 本部からしばらく歩き、街から外れた場所に出る。倒壊したビル群が砂に埋もれており、それ以外に遮るものは何もない。

「……ここなら遠慮はいらない」

 バロンが手を翳すと、足元から周囲の景色が変わっていく。


 古代竜の森林・女王の玉座

 周囲が大木に包まれ、かつて見た光景と同じ場所にストラトスは降り立つ。

「ここは……」

 ストラトスがその変化に対応しきれずにいると、バロンが口を開く。

「……では闘気の使い方だったな。科学技術に転用できる魔力や純シフルと違い、闘気は個人の才能に左右される。三つを使いこなせればそれでいいが、どれか一つでも十分この世界では戦っていける。まずは君の思うように攻撃を仕掛けてくれ」

「はいっ!」

 ストラトスは槍を構え、雄叫びと共に怒涛の連続攻撃を仕掛ける。バロンは全ての攻撃を軽く往なし槍を受け止める。

「……うむ、攻撃のキレは悪くはないが……君は何のために戦う?」

「え?そりゃもちろん、Chaos社を倒すために……」

「……違う、それは戦いに求める結果だ。戦いの目的を明確にしろ、心を目標のために研ぎ澄ませ」

 バロンはストラトスを投げ飛ばす。

「……君の戦いは、誰の何のために捧げられる?」

 ストラトスは受け身を取り、立ち上がる。

「誰の、何のために……」

「……戦う時に、結果を見据えたものも、理由を思い出したものも勝てはしない。必要なのは、自分を生かす戦いなのか、相手を殺す戦いなのかを決めることだ」

「あなたはどう思って戦っているんすか」

「……僕は、常に相手を殺すものと思って戦っている。敵対した時点で、如何な理由であれ、生かしておけば後々の脅威となる。仲間だろうと、妻だろうと、娘だろうと、敵になれば殺す」

 ストラトスはその言葉にショックを受ける。

「あなたは……」

「……非道だと、冷酷だと思うかね?だが僕としては、戦いにはこの態度で挑まなければ、より多くの大切なものを失ってしまう。大切なものの一つ一つの価値よりも、僕は守った命の数を優先する」

「俺は……そうは思わないっす」

 バロンは口角を上げる。

「……それでいい。客観的な正義などこの世に存在しない。君が望むように、戦いに集中すればいい」

「そうか……!」

 ストラトスはその言葉で合点がいった。

「俺は今まで、Chaos社と決着をつけることに固執しすぎて、戦いそのものに真摯に向き合ってなかった……!」

 大木から零れ落ちた葉が、ストラトスの肩に乗る。それが、僅かに沸き上がった闘気ではらりと落ちる。

「……ほう」

「行きます!」

 ストラトスが背中から闘気を噴出させて加速し、闘気を穂先へ乗せて突進する。バロンは真正面から受け止めるが、ストラトスが感じた手応えは想像以上だった。

「……やるな、闘気の流れを感じた」

 バロンが槍から手を離す。ストラトスは感極まった顔でバロンを見る。

「ありがとうございますっす、バロンさん!」

「……ああ。やり方さえわかってしまえば闘気は簡単に使える。あとは君次第だ」

 周囲の景色から大木が消えていく。


 ストラトスとシエルの部屋

 ストラトスが扉を開けて部屋に入ると、シエルがベッドで丸まって寝ていた。

「せめて布団ぐらい被れよ……」

 ストラトスがシエルを抱え上げてちゃんとベッドに寝かせ、布団をかける。そして椅子に座り、窓から夜のレジスタンスヤードを眺める。建物の損壊が少なく、月明かりに負けないほどの照明で照らされている。

「やっと闘気を出せるようになった……!」

 ストラトスは右手から闘気を発する。

「こんなにも露骨に力が湧いてくるなんてな。だが……この力に飲まれないようにしないと。そうだ、力の使い方なら千早が詳しいかもしれない」

 闘気を引っ込め、ストラトスは立ち上がって部屋を去った。


 千早の部屋

 部屋に備え付けられた風呂から上がった千早は、寝間着に着替えて髪を乾かしていた。突然ドアがノックされ、千早がドアを少し開く。そこにはストラトスが立っていた。

「よう、千早。聞きたいことがあるんだ」

 千早はストラトスを見上げる。それで、少しだけ意地の悪い考えが頭をよぎる。

「ストラトス様、立ち話では疲れますし、部屋にお入りになりませんか?」

「おっ、いいのか?じゃあお言葉に甘えさせてもらうぜ」

 二人は部屋に入り、千早がベッドに座り、そのままストラトスを横に座らせる。

「聞きたいこととはなんでしょう?」

 わざとらしく体を密着させて、千早は上目遣いに訊ねる。

「なっ、なんか近くないか?」

「いえ、二人っきりになることがなかったので。嫌ですか?」

「ああ……まあちょっと離れて欲しいかな」

「仕方ありませんね」

 千早はベッドから少し離れた椅子に座り、テーブル越しにストラトスを見る。

「それでな、俺は闘気を使えるようになったんだよ。だから、力に飲まれないようにしたいんだ。千早ならいい考えを知ってるんじゃないかって」

「なんだ、そういうことでしたか。闘気というのは、シフルが感情エネルギーを得て変質した二次物体です。つまり、あなた様の心を飲むほどの力は決して生まれない。寧ろ、慢心すればしただけ、闘気は収縮していく。ですから、自分の心の総量を越えるほどのエネルギーを産み出せない現状では、さほど気にする必要もないかと」

「もし俺がそこまで力を発揮できたら?」

「あなた様が思い、精神力で無理矢理抑え込む。そこまで心を壊してしまったのなら、もうストラトス様はストラトス様ではございませんよ」

「そうか……」

「満足ですか?」

「まあ、一応な」

 千早は立ち上がり、ストラトスを押し倒す。

「では、私のお願いも聞いてくれませんか?」

 千早の瞳が貪欲な輝きを放つ。ストラトスは息を呑み、視線を外せない。が、その〝お願い〟の内容を聞いたら後戻りできない気がして、千早を離す。

「不義理なのはごめん。だけど、こういう形でお礼はしたくない」

 ストラトスは立ち上がり、千早と目を合わす。

「仕方ありませんね。この後の戦いでギスギスしても困りますし」

「全部終わったら、絶対ちゃんとお礼する。どんなことをするかは俺が考えるけどな」

「ふふっ、期待しております」

 ストラトスは部屋を出ていく。

「……。卑怯だとは思うけど、許してくださいね、シエル……」

 千早はぼそっと呟いて、またベッドに寝転んだ。


 ストラトスとシエルの部屋

 ストラトスが部屋に戻るが、シエルはまだ寝ていた。流石に疲れたストラトスは、手早く入浴した後、テーブルに突っ伏して寝た。

 ――……――……――

 朝の日差しでストラトスは目覚め、立ち上がって伸びをする。振り返ると、シエルが洗面所から出てくる。

「おはよう、シエル」

「おはよう」

 シエルはキャミソール姿だったが、手早く上着を着て普段の格好に戻る。

「ん?私の体に何かついてる?」

 ストラトスがずっと見ているのが気になったのか、シエルが訊ねる。

「いや、綺麗な体だなって」

 それを聞いたシエルの顔がみるみる内に赤くなる。

「そ、そうかな……」

「あれだけ戦い慣れてるから、もっと筋肉質だと思ってた」

 その言葉で、シエルは少しだけ脱力する。

「む……それって誉めてるの?」

「どっちかっていうと誉めてるんじゃないか。ただ感想言っただけだからわかんねえ」

 シエルは少し不機嫌になる。

「あっそ。期待して損した」

 そして淡々と支度を始める。ストラトスも支度を始め、間もなく二人同時に部屋を出る。


 レジスタンス本部

 廊下に出ると、同じタイミングでグラナディアに会う。

「おや、部屋を出るのが同時とは。昨日はアツアツだったのかい?」

 からかってくるグラナディアに、ストラトスが答える。

「違うっすよ、グラナディアさん。俺とシエルは一緒に寝ただけっす」

「一緒に寝た……?ほう、朝から惚気話とは調子いいじゃないか」

「え?どこに惚気話の要素が……」

 ストラトスがいまいちな反応のため、シエルに肘で小突かれる。

「みんなが期待するようなことは何もありませんでした」

 半ギレ気味にシエルがそういうと、グラナディアは肩を竦める。

「そういうことにしといてあげよう。別に恥ずかしがることもないと思うがね」

 他愛ない会話を繰り広げていると、そこに千早が合流する。

「皆様、おはようございます」

 三人はおはようと返し、千早は微笑む。

「昨日は子作りしたんですか?」

「ぶっ……!?」

 シエルが噴き出し、ストラトスが言い返す。

「千早、俺とシエルがそういう関係じゃないって知ってるだろ?」

「はい。だから言ってるんですよ。若いと魔が差しがちですから」

「まあいいや。みんな元気ってことだ。行こうぜ」

 赤面したままのシエルを連れて、一行はバロンの私室へ入り、ソファへ座る。

「……おはよう、みんな」

 バロンが挨拶する。

「……さて、君たちはここから東に進んで、旧総督府まで行くわけだが……所属不明の戦艦が配備されている場所へ行くには鉄塔街を通り抜けて、北京の巨大な商店迷路を抜けなきゃならない」

「商店迷路?」

 ストラトスが訊ねると、シエルが答える。

「古い時代の市場よ。違法な出店が幾重にも折り重なって、すごく大きい商店街になってるの」

 バロンが付け加える。

「……無政府状態になったときに、人が集まって自動的に作られた空間だ。フォルメタリア鋼の廃材で補強されているから、並みのトーチカより圧倒的に頑丈だ。だが問題なのは光猛のヒカリがそこに居ることだ」

「あいつが……!」

「……彼女は僕でも拳を届かせるのに苦労する難敵だ」

「大丈夫です。俺たちは、あいつに借りを返してないっすから」

「……そうだな、ブラジルでの一戦は聞いている。ストラトス君、君にこれをあげよう」

 バロンはデスクの引き出しから緑色の輝きを放つ結晶を取り出す。

「これは?」

「……シフルが開発したタイムエンジンだ。ヴリエーミァから無傷で取り出したものだが、君になら適合するんじゃないか?セレナの力で動いていたようだが、こちらで排除しておいた。君が使えば、君の力になるはずだ」

 ストラトスがタイムエンジンを受けとると、それが槍から溢れた闇に絡め取られて槍と融合する。

「……ウル・レコン・バスクか。まあ、傍観している分には害はないからな。北京の商店迷路を越え、謎の戦艦を破壊して福岡へ向かってくれ」

「はい!」

 ストラトスがそう言うと、一行は立ち上がる。

「……シエル」

 バロンがシエルを呼び止める。

「何、お父さん」

「……万が一のことがあれば、これを使って僕たちに知らせてくれ。だが、シフルの目的が成就した程度ならまだいい。完全に我々の予想を上回った事態が起きたときだけ使うんだ」

 シエルに鋼の管を握らせる。

「わかった。じゃあ行ってくる」

 シエルはストラトスたちを追いかけて去っていく。

「……エリアル」

 バロンが呼ぶと、エリアルが横に現れる。

「この世界はどのみち消えねばならない定めにあるわ。私たちの初めての人間の子供であるシエルも、戦いの決着と共に消えてなくなる」

「……アルバという終焉の落とし子も、シエルという血の呪縛も、きっと、あの輝けるものが救ってくれる」

「もうすぐ、風が吹くわ。どちらへの追い風かは、まだわからないけど」

 二人は静かに見つめ合っていた。


 北京大港街

 レジスタンスヤードを抜けて、眼前を埋め尽くすほどに横にも縦にも長い建造物が現れる。

「なんじゃこりゃ……」

 ストラトスが思わず驚嘆する。

「九龍城を真似て作ったらしいのですが、これは余りにも過剰ですね」

 千早も初見だったようで、らしからぬ反応をしている。

「かなり迷うことになるから、早めに行くわよ」

 シエルが電灯だけに照らされたトタン屋根の道へ進んでいき、三人もそれに従って進む。迷路内はかなり薄暗く、気が滅入るほどの脇道や階段があり、とりあえず一行は真っ直ぐ進んでいく。

「どこに行けばいいんだよこれ……」

「直進できているのは確かだけど……方角も確認できないようだね……」

 ストラトスとグラナディアが愚痴っていると、ようやく行き止まりに到着する。

「やっと別の道を選べるってわけか。どうする?」

「その必要はないわ!」

 妙に元気な声が迷路の内部に反響する。一行が右を向くと、そこには猫耳の少女が立っていた。

「随分道に迷ったけど、ようやく会えたわ!こっちに来なさい!」

 少女は異常に活発な声で叫び、踵を返して走り出す。

「なあ、ついていった方がいいと思うか?」

「ああいうタイプはどうせ道が反対だったとか言ってより迷うだけよ。あの子が行った方向と逆に行きましょ」

 ストラトスはシエルの言葉に頷き、左の道を進む。しばらく真っ直ぐ歩いていると、後ろから大声が聞こえてくる。

「ああーっ!また道に迷ったー!?」

 その声に、シエルは鼻で笑う。

「ほらね」

「じゃあこっちが正解なのか?」

「それは知らない。っていうか誰もここの全貌なんて知らないんじゃない?家から出た住人が帰り道が全くわからなくて新しい住居を構えるなんてよくあった話らしいし」

 シエルの話に、千早が続く。

「余りにも多くの人間がいた影響で、残留思念がフォルメタリア鋼と融合し、極めて高い剛性を持っているようですね。無理矢理通ることも可能でしょうけど、ここ一帯全ての崩壊を促してしまう可能性がありますね」

 グラナディアが店のカウンターに置いてあった状態のいいカルパスを頬張る。

「んまあ、これだけ広いということはそれだけ多くの出入り口があるということだ。出入り口と反対に進めばいつかは向こう側に出るんじゃないかい?」

「気が遠くなりそうっすね……」

 と、後ろから物凄い早さで足音が近づいてくる。先ほどの少女が、一行の合間を縫って前に現れる。

「そうそうこっち!試してたのよ、アンタたちがちゃんと先に進めるかどうか」

 ストラトスは少女をスルーして先に進む。

「シエル、この先どう進めばいい?」

「そうね……千早はどう?」

「私は上を目指すのがよいかと。屋根を壊しても家が壊れる可能性は低いと思われるので。グラナディア様は?」

「うーん」

 全員がスルーしていると、少女はまた前に出てくる。

「こらー!見えてるでしょ!?」

 グラナディアは微笑みつつ少女に詰め寄る。

「な、何?」

「君は本当の道を知ってそうだね」

「もちろんよ!ヒカリ様のご命令でアンタたちを迎えに来たんだからね!ほら、出口はこっちよ!」

 少女は駆け出す。

「ふむ、どうやらあっちから歓迎してくれてるようだよ」

「そうみたいっすね。あいつについていくのが早いかもしれないっす」

 一行は少女についていく。


 亡都の塔森群

 少女についていくと本当に外へ出て、中国沿岸の大都市の残骸へ辿り着く。そして道路の中央に、ヒカリが立っていた。

「来たか……」

 少女はヒカリの横で止まると、また大声で騒ぐ。

「ヒカリ様、こいつらを連れてきたよ!」

「ふん……よく頑張った、コウ」

「えへへ……」

 ヒカリはコウという名の少女の頭を撫で、ストラトスたちへ向き直る。

「辰の刻。貴様の命運を、ここで絶つ」

 ストラトスは槍を手に取る。

「悪いが、こんなどうでもいいところで止まるわけにはいかない。通らせてもらう!」

 ヒカリがガントレットから閃光を放ち、瞬時に接近して熱量を持った輝きを放つ。が、ストラトスは槍から放った闇でそれを防ぎ、闘気を込めて槍で刺突を放つ。ヒカリもガントレットで防ぎ、次いで閃光を放って打撃を放つ。更にガントレットが展開し、光の刃を作り出して切りつける。アスファルトが捲り上がり、ストラトスが空中へ押し出される。ヒカリは間髪いれずに空中へ向かい、二人の攻撃が交差する。莫大な輝きが周囲を包み込み、そして爆発する。煙が晴れ、両者は着地していた。

 ヒカリはガントレットの力を更に増幅させ、虎の鎧に身を包む。

「あんたがそれで来るなら……俺は!」

 ストラトスは槍を自分の腹に突き刺す。

「ふん、気でも狂れたか」

「いいや、まあ見てろよ……」

 槍がストラトスの体に吸収されていき、輝きに包まれる。そしてその光の中から、青い竜人が姿を現す。今までの竜化と違い、背に無数の棘が生えていた。

「行くぞ、ヒカリ!これが俺の新しい力だ!」

 両者は再びぶつかり合う。ヒカリの豪腕を躱し、瞬時に後退したストラトスが棘を展開し、そこから強烈な光線を二門放つ。ヒカリはガントレットを盾にしつつ突進し、ストラトスを吹き飛ばす。が、ストラトスは痛みを苦にせず、すぐ受け身を取って、四つん這いで踏ん張り、全力で光線を放つ。ヒカリはまた右のガントレットで防ぐが、ついに受けきれずに破壊される。

「なんだと……!」

 ヒカリは拳で光線を屈折させ、焼き焦げた自分の掌を見る。

「ちっ……コウ、こいつは我々の必要とする用件は満たした。退くぞ」

「はぁーい♪」

 コウが小型端末を操作すると、ヒカリとコウの見た目が映像のようにジャギを発生させる。

「アタラクシアまで来い。そこで最後の決着をつけてやる」

 そして二人は消える。ストラトスは竜化を解き、シエルたちのもとへ戻る。

「お疲れ、ストラトス」

「ああ、ありがとう。それで、今のはなんだったんだ?」

 労ったシエルが、話を続ける。

「あれは俗にいう立体質量映像ね。本物はここにはいないわ」

「アタラクシアって……」

「東シナ海に沈んでる遺跡のことよ。結審の日に異空間になった福岡から落下してきたようね」

「Chaos社が遺跡に何の用だってんだ」

「あそこは白金零の母親、白金蜂美が作り上げた狂気の空中要塞だから、きっと何かしらの収集物があるのよ」

「アタラクシアへ行くには?」

「とりあえず、沿岸に行くしかないわ」

 一行はビルの合間を抜けて進んでいく。


 ヘイヴンズティタン

 沈んだアタラクシアの真横に停泊している巨大戦艦の艦橋で、ヒカリとヤスヒト、そしてコウが居合わせていた。

「たった数日で、あそこまで強くなるとはな」

 ヒカリが呟く。ヒカリの膝の上で丸まっていたコウがそれに続く。

「レイジが言うにはバロンの仕業らしいにゃあ」

 ヤスヒトが頷く。

「曲がりなりにもレイヴンの息子だ。力の吸収が早いということだろう。シフルから先ほど連絡があった。どうやらアルバの力で装置は安定し始めたらしい。千早、レイヴン、零、明人、リータ、アルバ、セレナ。そしてストラトスたちと、君。それで全ては終わり、君が望む、新人類のための完全なる楽園が現れる」

 ヒカリは珍しく口端を上げる。

「そうだ。結審の日から長い歳月を経て、ようやく願いが叶うのだ」

 コウがヒカリの膝から離れる。ヤスヒトとヒカリは立ち上がる。

「君はアタラクシアへ向かってくれ。こちらは最後の準備に取りかかる」

 ヤスヒトの横にコウが立つ。

「ヒカリ様、こっちは私たちに任せて!」

 ヒカリは無言で頷き、艦橋から消える。

「コウ、お前には命をかけてもらうことになる」

「うん、構わないよ。それがヒカリ様のためだから」

「俺も、ここで死ぬ。それは紛れもない事実だ」


 亡都の塔森群・沿岸

 一行が沿岸まで来ると、そこからでもアタラクシアは強烈な違和感を持って鎮座していた。そしてその真横につけている巨大戦艦もまた、存在感を示している。

「あれがバロンさんの言ってた戦艦か」

 ストラトスが呟き、千早が続く。

「あれはヘイヴンズティタン。ヘヴンズティタン級超甲戦艦二番艦です」

「なんかすごそうだな」

「ええ。戦艦なんて銘を打っていますが、ここから見たサイズでもわかるように、あれは戦艦なんていうひとつの括りに収まる兵器ではありません。Chaos社黎明期に作られた海上機動用兵器・加賀を発展させたものというのが正しいかと」

「つまり?」

「通常は戦艦として主に超絶火力で攻撃しますが、時には無数の蒼龍・飛龍を放つ空母と化し、終いにはあれ自体が変形してロボットになります」

「は、はぁ。なんかすごいってことはわかった。問題はどうやってあそこまで行くかだけど……」

 グラナディアが口を開く。

「そんなの簡単じゃないか」

「へ?どういうことっすか?」

「君が竜化して私たちを運んでくれ」

「俺はまあいいっすけど、普通戦艦なら対空砲とかあるんじゃないっすか?」

「アタラクシアへ来いって言ったのはあっちだろ?なら妨害する必要もないんじゃないかな?」

「それもそうっすかね」

 ストラトスが竜化する。

「じゃ、みんな来てくれ」

 そして三人を抱き抱え、背面のブースターからシフルエネルギーを噴射して飛び立つ。


 ヘイヴンズティタン

 甲板に降り立ち、ストラトスは竜化を解く。

「しかしバカでかい船だねえ。ちょっとした街くらいあるよ、これは」

 グラナディアが異様に広い甲板を見渡して呟く。

「これを沈めるって、いったいどうすりゃいいんだ?」

「もちろん、私が両断します」

 ストラトスの問いに、千早がすぐに答える。

「その必要はないわ!」

 聞いたことがある元気な声が聞こえ、一行はそちらを向く。三連主砲の中央の砲塔の上に、コウが腕を組んで立っていた。

「どのみちこの船はもう要らないもの。全部終わればボン!って海の藻屑になるわ」

 コウの猫耳がピクピク動いている。

「悪いけど、アンタたちにはここでしばらく足止めさせてもらうわ」

 そして背中の大型ライフルを手に取る。

「アンチシフルライフル。着弾した箇所のシフルの感情の流動性を打ち消し、効率を低下させるのよ」

 グラナディアがそれに反応する。

「おっと、この人数差でスナイパーライフルなんて使う気かい?」

「違うわ。こんなものこけおどしだもの」

 同時に、海から超巨大な怪物が現れ、コウを飲み込んでまた海へ潜る。下半身から生えた巨大な触手でヘイヴンズティタンを掴み、アタラクシアから無理矢理離す。触手が離れ、船首に怪物が上体を現す。怪物は顔を一行へ向ける。凶悪そうな下顎に、二分割された上顎がついている。

「よく来たな、ストラトス。お前たちを待っていた」

 ストラトスはその声の持ち主に気がつく。

「あんたまさか……閃撃のヤスヒトか……!?」

 怪物は響く声で同意する。

「その通りだ」

「その姿は一体……!」

 グラナディアがやれやれと首を横に振る。

「E-ウィルスか。鯨とかその辺の海洋生物にぶっ刺したんだろ」

「来須月香が失踪したあと、我々は彼女の残した研究を発展させることに執着していた。バロン・クロザキに比べ、生体工学に対し造詣が深く、新人類の進化に直接的に寄与する論文が多かったからだ。その結果生まれたのが、蛇帝零血とウィルスを融合させた、強化E-ウィルス」

「(なるほどな……トラツグミが持っていたのはそれの更に発展系ってことか)」

「行くぞ、レジスタンス。全ての時が十全たるために、今ここで葬る」

 ヤスヒトは大きく口を開け、一行目掛けて飛びかかる。咄嗟に竜化したストラトスが三人を抱えて一気に後ろに下がり、攻撃を躱す。ヘイヴンズティタンの甲板が食らわれ、船首が消える。ヤスヒトは海中へ潜る。ストラトスは三人を離す。

「まずいぜ、一筋縄じゃ行かなそうだけど、どうする?」

 ストラトスの問いに、グラナディアが続く。

「簡単な話さ。今のでヘイヴンズティタンは沈むよ。さっさとアタラクシアに行けばいい」

「なるほど、その手があるっすね!」

 ストラトスはまた三人を抱え、空へ飛び立つ。同時に、ヤスヒトが、ヘイヴンズティタンを丸呑みにする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る