三章「血の呪縛」

 フランス・禁忌地域 屋敷

 無数の書架に囲まれた部屋の中央にある机の前で、少女は椅子に座って本を読んでいた。

「兄様……」

 少女は言い慣れた言葉を紡ぎ、突如として発狂して本を投げ捨てる。瞬時に落ち着き、真顔に戻る。

「時は成就する。あなたの願いは、かならず私が叶える。この世界を兄様に捧げ、私たちはあの竜の中で永遠に一つになれる……だから姉様、存分に働いてね」

 少女が振り向くと、そこにはホシヒメそっくりの女性が立っていた。先ほど少女が投げつけた本で鼻が折れていたが、すぐに再生した。二人はその部屋から出ると、通路の奥にある扉を開き、誰かが居た痕跡を残したままの部屋に入り、壁にかけてある両刃剣を少女が手に取り、女性に渡す。

「まずはここの四皇聖から殺す。バロン・クロザキの研究を使わせてもらうわ。兄様……全てはあなたのために……」

 二人はその部屋から出て、来た道を戻り、階段を降り、玄関から外へ出る。


 イギリス区・中央保護地域 王宮

 少女は王宮の正面の扉を蹴り壊し、そこへ大量のChaos社の兵士が現れる。

「ゴミどもが」

 少女は左手に炎を滾らせ、拳で地面を叩くと、凄絶な熱波が兵士を全て灰に変える。なおも兵士は無尽蔵に涌き出てくるが、少女はそちらに見向きもせず、召喚された鎖に貫かれて兵士は次々に倒れていく。エントランスから真っ直ぐ進み、縦に長い扉を押し開けると、そこに長身の男が立っていた。

「四皇聖。ここで死ね」

 少女がそう言うと、男は黒い細身の長剣を抜く。

「ロータ・コルンツ。なぜ今になって我々を攻撃するのだ?」

「お前の上司に聞け。〝何〟が来た?」

 ロータと呼ばれた少女は、四皇聖の男へ問う。

「〝時〟が来た……」

「如何に新人類と言えど、私には勝てない。時代の潮流は私にある」

「その威勢に根拠はあるのか?」

「私の実力がその証明」

「いいだろう。静刃のカズヤ、いざ参る」

 カズヤは長剣を構えて突進しつつ突きを放つ。その切っ先をロータは人差し指で受け止める。

「は?それで攻撃のつもり?」

 ロータが魔力を発すると、カズヤは甚だしい速度で後方へ吹き飛ぶ。

「ぐっ……」

 呻くカズヤに、ロータは長髪を靡かせながら歩き寄る。改造したグランシデアの制服のマントの影から、黒い骨の翼が一枚開かれる。カズヤはその翼に驚愕する。

「なんだ……それは……」

 ロータは無機質にカズヤを見下ろす。

「零血細胞を破壊し、純粋なシフルへ還元する……この力を掠りでもしたら、新人類はそう遠くなく死に至る」

 カズヤの襟首を掴み、持ち上げると、翼で容赦なくカズヤを横に両断する。間髪入れずに首も切り捨て、翼を腕のように使って頭を握り潰す。ロータは翼の先端をしゃぶり、血を啜る。

「兄様の精液には劣るけど、濃いシフルをどうもありがとう」

 カズヤの上半身だった肉塊から吹き出る血も飲み干し、返り血でロータは汚れる。踵を返し、エントランスに戻ると、焼き焦がした兵士が回復して起き上がっていた。兵士は次々に銃を構え、ロータへ乱射する。ロータへ飛ぶ銃弾は、目や、頬や、足に当たるが、その不健康なほど白い肌に傷すらつけられずに潰れる。

「零なる神の力を受けただけの、ただの人間風情が……」

 ロータの背後の空間が歪み、そこから無数の鎖が放たれる。鎖に貫かれ、戒められた兵士たちは新人類の耐久性を発揮することなく、瞬時に絶命していく。先ほど浴びた蛇帝零血がロータの体に吸収され、ロータの髪の先端が深紅に染まる。

「力はあればあるだけいい。新人類はいい栄養源……」

 ロータは右から生やした翼と同じものを、左から生やし、全身が変化していく。白い蔦に包まれた大型肉食哺乳類のような姿に変わると、生き残った兵士を強靭な前腕で薙ぎ倒しながら、絶命した兵士を片っ端から食らい尽くしていく。新人類は恐れることなく、興奮することなく、混乱もせず、まるで人間として普通の感情が欠如したように攻撃を続けるも、間もなくロータが全て食べ終わり、元の姿に戻る。

「独裁者の遺産も適合してきた」

 ロータは蛇帝零血で満たされたエントランスを後にする。


 地下鉄・ヨーロッパ区域

 ストラトスは傷が回復し、アルバと並んで座っていた。そこへシエルが前方車両からやってくる。

「ヨーロッパに来たらしいわ。あとちょっとで到着よ」

 ストラトスは頷く。

「ああ。禁忌地域のすぐ下に出るのか?」

「千早とグラナディアさんが言うには、ドイツにあるChaos社の医療施設・メディカルパレートの下に駅があるらしいわ。ドイツとフランスは地理的には遠くないし、また禁忌地域へは徒歩ね」

「わかった」

 ストラトスはアルバへ視線を向ける。アルバは先ほどからストラトスを凝視していたようで、二人は視線が合う。

「あっ……えっとその……ごめんなさい……」

「別に気にしてないよ。禁忌地域はロータおばさんがいるかも知れない。どうしても無理なら戦わずとも――」

 アルバは首を横に振る。

「お母さんは……みんなを傷つけます……私はそれを知った上で……私だけ戦わないなんて出来ません……!」

「アルバ……わかった」

 僅かなノイズ音が聞こえ、グラナディアの声が放送で響く。

『あーあー、本車両は間もなく目的地に到着致します。お降りのお客様はお忘れもののないようお願いします』

 放送が途切れる。が、すぐにまた声が響く。

『三人とも!臨戦態勢に入れ!窓の外を見ろ!』

 その声の応じるままに窓から外を見る。そこには、線路を猿の顔をした、狸の胴体を持つ、虎の手足で駆ける怪物がいた。二つの線路を隔つ柱が途切れた瞬間、怪物は列車にタックルし、列車は大きく揺れる。巨大な尾の先端にある蛇が列車の側面に食らいつき、そのまま布切れのように噛み千切る。

「アルバ、シエル!まずはこいつを離すぞ!」

 ストラトスの声に、二人は頷く。ストラトスは槍を渾身の力で投げつけ、怪物は回避のために速度を落とす。即座に怪物は勢いを取り戻して列車へ攻撃を仕掛けようとするが、アルバが一時的に側面を鎖で塞ぎ、列車への致命的なダメージを防ぐ。鎖の防壁を解き、シエルは鋼の槍を打ち出す。怪物は飛び越えて躱すが、そこへ竜化したストラトスが真正面から拳をぶつけ、怪物は線路を転がり、それっきり追って来なかった。ストラトスは列車に飛び乗る。

「なんだったんだ、あれは……」

 シエルがストラトスのその問いに答える。

「あの見た目は鵺ね。猿の顔、狸の体、虎の四肢、蛇の尾。日本の伝記に出てくる古典的な怪物よ。またの名を……この世の終わりで囀ずる鳥、〝トラツグミ〟」

 アルバもストラトスも、その名前を聞いて硬直する。

「もう杉原明人は……死んだんじゃ……」

 アルバの言葉を、シエルは否定する。

「いいえ。彼女は死んでいないわ。杉原明人はChaos社の最高権力者で間違いないけど、トラツグミはあくまでも社の備品よ。故に殺されず、まだ稼働している」

 ストラトスが続く。

「今のがトラツグミなのか?」

「さあね。シフルもあまり邪魔してきそうにない感じだったし、何か別の意図か、勢力がいるのかも」

 また放送の声が響く。

『あー、列車の進行を正常に再開致します。お客様は席にお戻りくださいませ』

 三人は怪物に破壊された列車の右側を見ながら、左のソファに座った。


 ドイツ区・メディカルパレート駅

 列車が停止し、一行は降りる。

「メディカルパレートはどんなところなんすか?」

 ストラトスがグラナディアに問う。

「バロンの元居た世界のランスロットとかいう人がいる、ヨーロッパレジスタンスの総本山だね。まあその名の通り、前はChaos社の医療施設だった。ま、そうは言ってもまともな医療施設な訳がないんだけど。とりあえず地上に出よう」

 階段を上り、改札を抜けて、一行は地上に出た。


 ドイツ区・レジスタンスヤード

 地上へ出た一行は、周囲を見回す。眼前に見えるメディカルパレートを中心に、多くの人間がおり、今までの殺伐とした風景とは見違えるようだった。

「すげえ、人がいっぱいいる……!」

 ストラトスが目を輝かせてそう言う。

「ははっ、気持ちはわかるが探索は後にしてくれ。まずはランスロットに会おう」

 グラナディアを先頭に、一行はメディカルパレートへ歩いていく。


 メディカルパレート

 正面玄関へ近づくと、歩哨が二人近づいてくる。

「オーストラリアレジスタンス総司令グラナディアだ。ランスロット殿に会いに来た」

 右の歩哨が頷く。

「お待ちしておりました、グラナディア様。応接室へご案内しますので、私の後についてきてください」

 一行は玄関から受付へ進み、左のエレベーターに乗る。三階で降り、突き当たりの部屋へ案内される。一行が席につくと、歩哨はドアの横に立つ。しばらくしてドアが開き、端正な顔つきの美青年が現れる。

「すまない、お待たせしたかな?」

 美青年は顔には似合わない重みのある声を発する。その言葉に、グラナディアが答える。

「いや、私たちがここについてから四分三十四秒。客人を一度落ち着かせるには充分な時間だ」

 グラナディアは美青年から目を離すと、ストラトスとシエルの方を見る。

「紹介するよ、彼がランスロットだ」

 ランスロットは深く礼をする。そして、一行の向かいの椅子に座り、机の上に手を置く。

「まさか本当にここまで来るとはな。それに、オーストラリアを奪還し、千早とアルバを救出するとは恐れ入った」

「いやいや、ストラトスとシエルのお陰さ。ランスロット、彼らは中々優秀でね」

 ランスロットは二人に視線を向け、すぐに正面へ向き直る。

「それで、何の用でここに来たんだ?」

「禁忌地域に行きたい。手配できるかい?」

 ランスロットはアルバを横目で見る。

「ふむ、そういうことか。そのことについて言っておかなければならないことがある」

「なんだい?」

「一つは、四皇聖の一人、静刃のカズヤが殺害された。新人類であるにも関わらず、単純に裂傷で死んでいた。二つ目は、ヨーロッパ支社が根城にしていたイギリスの王宮にいたはずの兵士が、全員消えていることだ。この二つはほぼ同時に発生している。私たちヨーロッパレジスタンスは、なるべく彼らとの全面衝突を控えてきた以上、レジスタンスはそこまで侵攻できない。この周囲で誰の目にもつかずにそこまで進み、王宮の戦力を根絶やしにした上で、四皇聖まで倒しきる実力の持ち主は一人しかいない」

 グラナディアは全て知っていたようにため息をつく。

「ロータ・コルンツだろ?」

「その通りだ。彼女は知っての通り、零獄事変の際に零なる神から作り出された破壊の魂……あの世界の恒常性の内、消滅を司る最大級の危険因子だ。グラナディアたちが動き始めたのを見て、時が来たと思ったのかもしれない。カズヤの死体を調査したところ、血液の大半が抜き取られていて、零血細胞が機能停止を起こしていた」

「ふむ、というと、ロータは新人類殺しの武器か技術があると?」

「ああ。元を辿れば蛇帝零血は白金零――即ち零なる神の血液から作られている。つまりロータと新人類のルーツは同じだ。だが血に適合しただけの新人類と、生まれながらに純粋な神の写し身である彼女とでは、自らの血に対する理解度が違う」

「自分を実験台に新人類を殺す武器を考えたってことか……」

「禁忌地域へ行くのはサポートするが、その後は保証できない。しばらく準備の時間も必要だ。その間、君らは外で休憩するといい。ここで待っていてくれても構わないがね」

 千早が立ち上がる。

「では、私は外を回ってきますね」

「俺も外に行く」

 ストラトスも立ち上がる。

「私は……ついていっていいですか……?」

 アルバがストラトスを見る。

「ああ、いいぜ。一緒に行こう」

 二人は応接室を後にする。

「シエル、君はどうするんだい?」

 グラナディアがランスロットの出した茶菓子を頬張りながら尋ねる。

「そうですね……やることないんで、ここで雑談でも」

「ストラトスについていかなくていいのかい?千早が茶化したとき随分必死だったけど」

 シエルはその言葉で一気に顔が赤くなる。

「違います!私はただ……」

「ただ?フォルメタリアに乗ってるときも……」

「わーわーわー!わ、私は千早と街を回ります!」

 シエルは飛び出していった。その光景を横から見ていたランスロットは立ち上がり、口を開く。

「君にも昔、全てをかけて残虐なまでに独り占めしようとした彼がいただろう。あまりからかうものじゃない」

「昔の話さ。死んでいようが消えていようが他の誰かと結ばれていようが、私にとっては彼だけしかいないというだけだよ」

 緩やかな雑談が終わると同時に、応接室の中には突き刺すような冷えた空気が漂い始める。ランスロットが目配せすると、入り口の歩哨は蜘蛛の子を散らすように出ていった。

「グラナディア、貴様、この世界を我が王が注視していないことをいいことに……」

「おっと、それ以上はこの旅の核心を突いている。まだ知りたくない人もいるんじゃないかな?」

 部屋の隅から無明の闇の気配を感じ、二人はそちらを見る。そこから、アルメールが出てくる。

「俺のことをそんなに愛してくれてるとは光栄だね、ディクテイター」

 アルメールの減らず口に、グラナディアは手を横に広げて肩を竦める。

「まさか。好きなのは君本人じゃなくて、君が演じていた彼だから」

 アルメールは鼻で笑うと、ランスロットの肩に手を置く。

「時の十二要素を使って〝アレ〟を起動させると同時に、理に干渉する力を手に入れる――それがシフルの狙いだが、君は違うんだろ、なあディクテイター」

「さあ?今は答えられないよ。だって君たち狂竜王の配下も、必然は見飽きただろう?私も零獄で見飽きたよ、そっちの真似事とは言え、ね」

 ランスロットは苛つき気味にアルメールの手を払う。

「何の用で来た、アルメール」

「今までの人生でたった一度だけ読み負けた元カノが何をしたいのか気になってね。まあいい。そこまでもったいぶるならよっぽど素晴らしいどんでん返しが待っているんだろう。期待しておくよ」

 アルメールは来たときと同じように去っていく。

「で、さっきの話だけど、実はロータの新人類殺しの見当はついてるんだろ?」

 ランスロットは首を横に振る。

「マジで?」

「マジでだ。ユグドラシルの機密情報を解読できるほどやつの処理速度が優れているのは完全に想定外だからな。蛇帝零血は、ユグドラシルの最大の発明で、それを利用した純粋な零血細胞だけで体を構成された白金零は、やつの最高傑作。それを言わば劣化コピーであるロータが読み解くなど……」

「どこにでも天才はいるもんだ」

 二人は緊張の糸を緩めることなく、会話を続けた。


 ドイツ区・レジスタンスヤード

 ストラトスはアルバの手を握り、街を歩いていた。多くの人間が行き交う光景に、ストラトスは驚きっぱなしだった。

「すげえなあ、まだこんな場所があったなんて。なあアルバ」

「はい……!」

 笑顔で頷くアルバに、ストラトスも思わず笑顔になる。

「多少は金があるから、なんか買っていくか?」

 ストラトスが尋ねると、アルバは首を横に振る。

「一緒にいられるだけで充分です……!」

「そうか。じゃあ、その辺の椅子にでも座るか」

 そう言って、歩道に備え付けられているベンチに二人で座る。

「随分遠くまで来ちまったなあ。最初はアルテミスにぶち抜かれてそのまま死ぬかと思ってたぜ」

「ストラトスさんは……ずっと戦ってたんですか……?」

「おう。まあ扱いとしちゃあただの一般兵だったけどな。あんま戦績もいい方じゃねえし」

「どうして……あの三人とここまで来たんですか……?」

「ん?最初は流れだったぜ。でも途中で、自分のこの、煮えきらない気持ちに決着をつけるために、自分の意思でここまで来た。ま、シエルとかグラナディアさんに比べたらまだまだ割り切れてないけどな」

「すごい、です……私は……自分の心に決着をつけたら……きっと壊れてしまう……」

「アルバ……君は一体、どんな人生を……?」

「ストラトスさんは……あんまりお父さんのこと好きじゃないですよね……?」

「どうしてそれを」

「私がお父さんの話をする度に……すごく気が揺らいで……不愉快なんだろうな、って……」

 ストラトスは否定することなく、頷く。

「そりゃアイツを許せるわけがねえ。アイツに出会いさえしなければ、母さんは死ななかった。君と同じくらいの歳で死ぬこともなかった」

 アルバは深く頷く。

「私は……こんなことを言ったらセレナちゃんに怒られる、けど……お父さんは私をお母さんから守ってくれたし……ちゃんと一人の女性として私を愛してくれた……から……お父さんのこと……好き、なんです……」

「……」

 ストラトスは黙り込む。

「やっぱり……私……おかしい、ですよね……普通は実の父親と肉体関係を持って嬉しい娘なんていませんし……」

「いや」

 ストラトスは意を決して口を開く。

「君にとってそれが良いことなら、君にとってのアイツは誰にとっても同じだ。普通とか、他人がどう思うとか、どうでもいい」

「ストラトスさん……」

「まあ、俺もそこまで割り切れてる訳じゃない。この言葉も、セレナの受け売りだしな。でもセレナの言ってたことは正しい。押し付けられた道徳とか倫理観じゃ、本当に自分が正しいと思う意思は手に入らない。わかってはいるんだけどな……」

 二人は暫し黙り込む。そしてストラトスは顔を上げ、正面を見る。

「アルバ、いいことを思い付いたんだ。協力してくれるか」

 突然の提案に、アルバは少し戸惑うが、笑顔で頷く。

「よし、行くか」

 二人は立ち上がり、正面の店へ入る。


 千早とシエルは、カフェのテラス席で紅茶を飲んでいた。

「別に無理して私についてこなくて良かったんですよ?」

 千早がそう言うと、シエルはとぼける。

「何のことかしら?」

「ストラトス様のところへ行けば良かったのでは?ということです」

「はぁ。あなたまでそう思ってるの?彼と私はそう言うんじゃないから」

「はて?そう思ってるとは?そう言うとは?」

 わざと精神を逆撫でするようにおどける千早に、シエルはまたため息をつく。

「別に私はストラトスのことなんか好きでもなんでもないし、ヤキモチとかも何もないってこと」

「ま、そういうことにしておきましょう。あんまりからかうとシエル様は本気で怒りそうなのでね」

 千早が紅茶を啜る。

「ふむ、お姉ちゃんは紅茶が好きなんですが、私はどうもこの泥水は慣れなくて」

「じゃあなんで頼んだのよ……」

「すごく渋いブラックコーヒーが大好きなんです。ですが下手にコーヒーを頼んで期待外れな方が嫌ですからね」

「味覚は渋いのね、見た目によらず」

「そういうシエルさんもささみと塩辛ばっかり食べてませんでしたか?」

 千早はスコーンにジャムをつけて頬張る。

「単純にしょっぱい食べ物が美味しいでしょ。戦うと汗かくし」

「うーん、そう言えば私は何を好きで食べるかなぁ……前にお姉ちゃんに付き添って行った世界で食べたグリフォンの丸焼きがすごく美味しかったですね」

「グリフォンって美味しいの……?」

「まあ、純シフルの含有量が多いので可食部は少ないですね。でも食べられる部分はすごく美味しいんですよ。シエル様は好きなお飲み物とか無いんですか?」

「私は……ジンジャーエールかな」

「ほほう。ところで今ストラトス様は何をしてらっしゃるんでしょうね」

「興味ないなら聞かないでよ……その辺適当に歩いてるんじゃないの」

 一旦会話が止まり、シエルが次の話題を繰り出す。

「ところで千早、運転してたから見てないかもしれないけど、地下鉄の化け物がなにかわかる?」

「あれは獣化したトラツグミで間違いないでしょう。獣化のデザインは恐らくは緊急時のためにバロン・クロザキが書き上げたものでしょうけど……まさか本当に鵺を模した姿になるとは。この世の終わりで囀ずる鳥、泥梨よりいずる魔獣……意匠は異なりますが、まさに地獄の番犬というわけですね」

「やっぱりトラツグミが……明人が死んで、彼女はどこの勢力の所属なの?」

「さあ。どこかの飼い犬というよりは、一匹狼なのでしょう。杉原明人以外に仕える気が無いからただ本能のままに暴れまわっている可能性もあります。EPには人間の持つ本能すら書き記されていますからね」

「人間の持つ本能……?」

「性欲、食欲、睡眠欲……そして、残虐性」

「残虐性、ね。なるほど確かに、それは人間の特権かも」

「トラツグミはその人間の残虐性に基づいて、目につく全てを食らい、壊して、捩じ伏せ、蹂躙するという行為を延々と続けているんでしょう。あくまでも全て推論ですけど」

 二人は紅茶を飲み干し、スコーンも食べ終わって立ち上がる。

「そろそろ戻って良さそうね」

「ええ、充分に休めました」

 二人はメディカルパレートへ戻っていった。


 メディカルパレート

 ストラトスたちとシエルたちは合流し、応接室へ入る。そこには変わらずグラナディアがおり、四人は元の場所に座る。タイミングよく、そこへランスロットが現れる。

「揃ったか。装甲車を一台手配した。貴重なフォルメタリア鋼製の装甲板を使ったやつだ。無人機の突進や銃弾、対戦車砲くらいじゃびくともしないだろうが、ロータの攻撃はまず防げない。あくまでも移動用だ」

 グラナディアが頬杖をやめる。

「ありがとう、ランスロット。装甲車は返さなくていいのかい?」

「もちろんだ。ロータのお陰で戦う必要もなくなったしな。禁忌地域にロータ以外の脅威もあるまい」

「よし、みんな準備はいいかい?」

 グラナディアが左右をゆっくり見る。四人は頷く。

「ランスロット、案内してくれ」

 一行は立ち上がり、ランスロットの後をついていく。


 ドイツ区・レジスタンスヤード

 メディカルパレートから離れ、フォルメタリア鋼製の鉄柵を越えると、そこに装甲車が置いてあった。

「グラナディア、これをやる」

 ランスロットは鍵を渡す。

「イグニッションキーか。レトロだね」

 グラナディアが鍵を受けとり、一行は装甲車に乗る。そしてエンジンをかけ、発進させる。


 車道

 グラナディアが運転し、千早が助手席に座り、アルバが後部座席に、ストラトスとシエルが荷台に乗っていた。

「こんなもん付いてるけどさあ、普通に考えて役に立たねえよな」

 ストラトスは荷台の最後尾に備え付けられた機銃を見て呟く。

「目眩ましくらいにはなるでしょ。それこそ、ロータとかルクレツィアみたいな達人には少しのダメージも入らないでしょうけどね」

「だよなあ……普通に金剛とかヴリエーミァとかに会ったら効かねえよな」

「ある程度生体要素が大きいやつには効くかもね」

「ところでよ、シエル」

「何かしら」

 ストラトスが懐から何かを差し出す。

「これは……指輪?」

「そうだ。レジスタンスヤードの店で買ったんだよ。一応同じやつなんだぜ?ほら」

 ストラトスが自分の右手をシエルへ見せる。

「あ、ありがと……」

 ぼそっとシエルが呟くと、ストラトスは笑顔で頷く。

「みんなにも同じやつを買って渡したんだけど、流れ的にシエルが最後になっちまった、悪ぃ」

 照れ隠しにストラトスが頭を掻き、そこへ、窓を開けたグラナディアが叫ぶ。

「おっとお二人さん!イチャイチャしてるところ悪いけど、敵が来たみたいだよ!」

 路地からわらわらと金剛が現れ、バルカンを連射しながら接近してくる。シエルは手短に右手に指輪を嵌め、二人は立ち上がる。

「揺れるけど落ちないでくれよ!」

 グラナディアがそう言うと、前方からも来る金剛の群れを避けるために凄まじく荒い運転をかます。立ち上がった二人はすぐにしゃがんで側面に備え付けられた棒を掴んで耐え、千早は大喜びで笑う。装甲車は金剛の群れを抜け、後方から大量の金剛が追ってくる。

「どこにこれだけの金剛が……」

「頭部はフォルメタリア超合金で覆われてるけど、足は確かただの人工筋肉だったはず……ストラトス、最接近してくる金剛は足を機銃で狙えば倒れるはずよ!」

「よっしゃ、任せとけ」

 ストラトスは機銃を持ち、金剛の足目掛けて撃つ。シエルは流体金属の槍を産み出し、ストラトスが討ち漏らした金剛の足を貫く。しばらくその攻防が続いたのち、遠くから金剛の群れを蹴散らしながら近づいてくる何かが見えた。装甲車よりも早く走り寄ってくるそれは、地下鉄で出会った怪物だった。

「ちっ、鵺にこれが通じると思うか!?」

 ストラトスが叫ぶ。

「顔を狙って撃てば少しは牽制になるんじゃないの!?」

 シエルが槍を放ちつつ答える。機銃の放つ大口径の銃弾は怪物の顔面にフルヒットするが、少しも速度が落ちる気配は無い。怪物は尾を使って金剛の死体を投げつけ、進路を妨害する。その度にグラナディアが回避のために無茶な運転をし、荷台の二人はしゃがんでこらえる。

「まあまあ早いじゃないか……千早、運転代わってもらえるかい?」

 グラナディアはバックミラーで怪物を見る。千早は頷き、グラナディアは窓から荷台に移り、千早がハンドルを握る。グラナディアが機銃の銃身を握る。

「さあストラトス、銃を撃ってくれ」

「ええ!?んなことしたらグラナディアさんの手が……」

「まあまあ。気にせず撃ちたまえ」

 ストラトスは機銃を怪物目掛けて乱射する。銃弾が怨愛の炎を纏い、怪物へ突き刺さる。怪物は怯み、唸り、速度を落とす。その瞬間、装甲車は強烈な加速をする。しばらくして怪物は見えなくなった。

「ふう。ひとまずは振り切った――」

 グラナディアがそう言おうとした瞬間、倒壊した建物の二階から怪物が現れ、装甲車を吹き飛ばす。三人は荷台から吹き飛ばされ、噴水を中央に据えた芝生の上に転がる。装甲車は横転し、千早がアルバを抱えて出てくる。怪物は空中で人の姿となり、一行の前に立つ。青い髪に、赤を基調としたメイド服、そして異形と化した右腕を携えたそれは――

「トラツグミ……」

 グラナディアがそう言うと、青髪の女は頷く。

「捕縛兵器、アイスヴァルバロイド三号機、トラツグミでございます」

 一行は立ち上がり、トラツグミと相対する。

「一体あんたは何が目的なんだ。杉原はもうこの世にいないぞ」

 ストラトスの言葉に、トラツグミは悲愴に満ちた表情をする。

「その通り。既に私の生きる意味はどこにもありません。全てに終わりは与えられず、それなのに明人様は消え、それでいて私は消えていない」

 トラツグミの右腕は山刀のようなものが納められており、更に盾のように翼状のパーツが生えている。

「私を縛り、屈服させるのは明人様ただ一人。ならば……明人様の願いを叶えるのが私の使命」

 トラツグミは両手を横に上げる。

「この世を安定などさせない。全てに混沌をもたらし、終わりなき戦乱をもたらす、それが私に出来る最大限の奉仕」

 そして、力なく手を下ろす。

「そのためには、レイヴンの残り滓を集めねばならない。そして、その覚醒の器を」

「覚醒の器……?」

 シエルを含め、一行は疑問を感じる。トラツグミはゆっくりと左手を上げ、人差し指を突き出す。

「え……私……?」

 その指はアルバを指していた。

「破壊の魂と虚鴉の力の結晶、それこそが滅びと戦乱、そして混沌をもたらす核となる」

「どういうことだよ、それ……」

 ストラトスの問いに、トラツグミはため息をついて首を振る。

「今言った通りのことです。わかる人間にだけ伝わればいい」

「誰もわからねえから聞いてるんだろうが」

「ふむ……」

 トラツグミは左手を顎に添える。

「竜が狐に化かされるとは、滑稽ですね。それほどに無知では、悪辣な獣に丸め込まれて、緩やかに死ぬだけだと言うのに」

「回りくどい言葉使ってはぐらかすな!」

「ふう。あなたは会話すると疲れますね」

 ストラトスから視線を外し、トラツグミはシエルを見る。

「あなたならわかるでしょうか」

 シエルは生唾を飲む。

「つまり、私たちの中にストラトスを利用しているやつがいるってことを言いたいのよね……」

 ストラトスがその言葉に驚き、トラツグミに敵意を向ける。

「何をでたらめ言ってやがる、てめえ!」

 その浅薄な言葉に、トラツグミは更に深くため息をつく。

「死ね」

 トラツグミは右腕で地面を掴むと、そのまま岩盤を持ち上げて一行へ投げつける。シエルが鋼の盾で防ぎ、その隙に四人が抜け出し、ストラトスが岩盤を切り裂いてシエルも脱する。トラツグミは右腕を盾にしつつ一行へ急接近し、グラナディアと打ち合う。グラナディアはトラツグミにパワーで勝てないと悟り、すぐに受け流す。そこへシエルが至近距離で両足で蹴り上げる。トラツグミは防御するも、空中に打ち上げられる。アルバが鎖を発射してトラツグミの行動範囲を狭め、グラナディアが放った爆炎でトラツグミは吹き飛ばされる。そこに装甲車が現れ、千早が運転席から叫ぶ。

「行きましょう!」

 一行は荷台に乗り、装甲車は急発進する。怨愛の炎で焼け爛れたトラツグミが起き上がると、メイド服が焦げ落ち、異形の表皮が露になる。

「やはり私では力不足ですか……」

 そして懐から血が梱包された氷塊を取り出す。

「明人様が追い続けた、あの女の幻影が世界を満たす前に、時間が全てを安定させる前に、何としてでも世界に混沌をもたらさなければ……」

 氷塊を注射器に装填し、首筋に打ち込む。トラツグミは悶え、そして――


 禁忌地域

 殆ど壊れていないフランスの街に到達し、一行は装甲車から降りる。

「ここが禁忌地域。立ち入った者は黒髪の死神に殺され、生きて帰ることはない……っていうのは冗談だけど、誰も立ち寄らないね」

 グラナディアがそう言うと、ストラトスは周囲を見渡す。

「その割には建物は全然壊れてないっすね」

「イギリスが主戦場だったからね。対岸の拠点としてここは使われていた。だからロストレミニセンスと呼ばれているのさ。失われた五百年前の街並みを残し、それを後世に反復し続ける。昔の世界を今見た方が、正確に俯瞰できるってものさ」

「それでどこへ行くっすか」

「もちろん、君とアルバの生家さ。アルバはともかく、君は記憶にないだろうがね」

「そこへ行って何をするんすか」

「居なくなったものの痕跡を知りたいだろう?母親のことにしろ、父親のことにしろ」

「まあ確かに……情報は多ければ多いほど価値の高い判断ができる……そういうことっすか」

「そういうことだよ。さて、コルンツ邸へ行こうか」

 一行はアスファルトの道路を歩き、いくつかの大通りを越え、町外れにある大きな屋敷の前に辿り着く。

「随分大きい家ね」

 シエルが感嘆の声を漏らす。

「そりゃそうでしょう。この家にどれだけの人数が住んでたと思ってるの」

 木陰から聞き覚えのある声がして、一行はそちらを向く。そこには、シフルとセレナが立っていた。

「またあんたらか」

 ストラトスが呆れ気味に言い放つと、セレナは肩を竦める。

「一応レイヴンの子供の中では年長者だからね。解説役は必要じゃないかしら」

 両者が向かい合っていると、屋敷の扉が不意に開く。ホシヒメにそっくりな女性がそこに立っていた。同時にセレナが舌打ちする。女性は顔に複数の痣が浮かんでおり、日常的な暴力を受けていたことを臭わせる。

「おかえり、セレナ、アルバ、ストラトス。そして初めまして、シフル、シエル、千早」

 女性は深くお辞儀をする。

「あんたは……」

 ストラトスが疑問を投げ掛ける前に、セレナが答える。

「リータ・コルンツ。私の母親」

「この人が……セレナより全然優しそうだぜ」

「バカね。メンヘラなだけよ。誰にも嫌われたくなくて、全員に嫌われたただの間抜け」

 セレナの罵詈雑言に、リータは穏やかに目を伏せたまま頷く。

「そう……言われてもしょうがないよ。私はお兄ちゃんのこと……いや、お兄ちゃんに好いていてもらえる自分を作るので必死だったから」

 リータは目を開く。

「ちょうどいいタイミングであなたたちは来てくれた。今ロータは、ヨーロッパレジスタンスへ攻め込んだ」

 その言葉に、ストラトスとシエルとアルバは驚愕する。

「バカな……」

「ロータのことだから加減しないだろうし、五分もかからずレジスタンスは全員死滅する。でもその僅かな時間でいいのなら、この家を好きに探索してください」

 リータは横へ退き、道を空ける。

「そうかい。なら、好きにさせてもらおう」

 グラナディアが屋敷へ入る。それに、ストラトスたちが続く。セレナはリータと正面で向かい合う。リータは俯いたまま顔を上げない。

「あなたは何のために生きているの」

 セレナが問うと、リータは徐に口を開く。

「お兄ちゃんの罪を、この世から消し去るため」

「あの男が許されることは永遠にないわ」

 リータは顔を上げ、悲愴に満ちた表情で首を横に振る。

「違うの。お兄ちゃんを赦して欲しい訳じゃない……寧ろ罰するために、お兄ちゃんの生きた証を完全に消し去る。私や、ロータ、Chaos社を滅ぼすの」

「でもロータおばさんは違う。その傀儡であるあなたも、彼女に逆らえないでしょ。いつものご機嫌取りは治ってないみたいね」

「わかってくれなくてもいい」

 セレナは呆れて、屋敷の中へ入っていく。シフルは立ち止まり、リータを見上げる。

「ええっと……何か?」

 リータがしゃがんで視線を合わせる。

「彼女は割り切ろうと必死になっている。全ては幼少期に貴方や父親から、親と子の愛ではなく、一方的な蹂躙を強いられたのが原因だ」

「……。返す言葉もありません。夫の愛を逃さないために、娘を生け贄のように扱うなんて、惨いことをしたと自覚しています」

「自覚しても過去の罪は消えない。だが未来の展望を祈ることはできる。貴方はセレナが言っていたよりかは、そこまで非道になりきれないようだな」

 シフルは振り返り、遠目に見える街を眺める。

「ロストレミニセンス……貴方はかつて覚えたことを、何をより強く思い出す?貴方の時間は、一体何を望んでいる?」

 シフルが視線を合わせると、リータはシフルの赤いヘッドライトの光に、吸い込まれるような感覚を覚える。

「あ……れ……」

 シフルは僅かに笑いの感情を現す。

「本当に貴方は騙されやすい人だ。セレナが意思で律しているとすれば、それがない貴方は都合のいい傀儡だ。容易に肉便器に成り果てるだろうし、誰かの思いのままに操られて、一生を無為に使い果たす」

 意識を失って倒れるリータを、尻尾のマニュピレーターでつまみ上げる。

「ありがとう、母君。貴方はとても使いやすい。セレナにもそう伝えておこう」


 屋敷

 グラナディアはロータの部屋の扉を開け、それにストラトスたちも続いて入る。

「ここがロータの部屋かな」

 大きな本棚がいくつもあり、それ以外には仕事机とそれに備え付けられた椅子しか無かった。グラナディアは机の上に散らかった資料を纏めて、一枚ずつ読んでいく。

「真滅王龍ヴァナ・ファキナ、ねえ……千早、何か知ってるかい?」

 千早が鼻で笑う。

「あなた様がそれを言いますか?」

「ははっ、それもそうかな」

 二人が談笑している横で、アルバは部屋を物色する。シエルとストラトスは部屋を離れ、レイヴンの部屋へ入る。レイヴンの部屋は乾いた甘い匂いが漂っている。

「ちっ……精液の匂いが充満してるとは……くっさ」

 シエルが悪態をつく。

「ったく、やっぱ最低だぜ」

 ストラトスが手を顔の前で振りながら、部屋を調べる。ベッドの横のキャビネットの上には、赤子のストラトスの写真、無愛想なロータと笑顔のアルバとレイヴンの写真、笑顔のリータとセレナとレイヴンの写真があった。

「親父なりに子供は大切だと思ってたってか?下らねえ、全部あんたのせいだ」

 ストラトスが吐き捨てる。同時に、シエルがアルバの写真を手に取る。そして裏を見ると、レイヴンが書いた字があった。

「『可愛い可愛い俺たちの娘 この子の健康を願う』……。あのさ、ストラトス。あなたのいうレイヴンって、本当のレイヴンなの?」

「さあな。どっちにしても、まだガキだった母さんを孕ませたのは事実だ。それにその写真はアルバのやつだろ。俺のを見ろよ」

 シエルはアルバの写真を置き、ストラトスの写真を手にとって裏面を見る。

「『ミリルの分まで幸せに生きられるように 龍の呪いから逃れられるように』だって。本当にあなたがそこまで憎むほど悪い人なのかしら?」

「だから知らねえって」

 ストラトスのその態度に、シエルは少しイラつきを覚える。

「ねえ、ストラトス。あなたは自分の家族のこと、本気で知ろうとしてないでしょ?」

「はぁ?なんでそうなるんだ」

「だって、レイヴンのあなたが知らない一面を知ろうとする度に、すごく拒絶するじゃない」

 二人の間に沈黙が流れる。

「あんたに何がわかんだよ……」

「はぁ、またそれ?わかるわけないでしょ、あなたじゃないんだから。結局あなたは口だけで、自分の家族を直視するなんてことはできないのね。まあいいわ。旅の目的はChaos社の野望を止めること。あなたの古傷の原因を探ることじゃないし」

 シエルは肩を怒らせて廊下を歩き、外へ出ていった。ストラトスがしばらく呆然と立ち尽くしていると、千早とアルバが近寄ってくる。

「ストラトス様?どうかなされました?」

 千早がストラトスの顔を覗き込む。

「いや……シエルがどこに行ったかわかるか?」

「シエル様なら外へお行きになられましたけれど」

「わかった」

 すぐに部屋を出ようとするストラトスの手を、アルバが握る。

「あの……辛い過去を認めるのって……すごく辛いと思うんです……でも、ちゃんと過去を認めたら……もっと生きやすくなるって……思います……」

「アルバ……君は過去を認めたのかい?こんな家族に生まれて、不当な扱いを受けてきたことを……」

「私は……この家を狂わせた、全ての元凶だから……認めようと認めまいと……私は鎖に繋がれたまま……」

「どういう――」

 ストラトスの鼻先を、短剣が掠めていく。三人が部屋の入り口を見ると、セレナが立っていた。

「事実はこの家にある、それだけよ」

 セレナはキャビネットへ近づき、自身が写った写真を殴り壊す。

「こんなもの……」

 セレナが砕けた写真立てに視線を落としていると、外から物音が聞こえた。


 禁忌地域・屋敷前

 シフルの体が宙を舞い、そして芝生に叩きつけられる。そこへシエルが駆け寄る。

「ちょっと!大丈夫なの!?」

「ぐっ……ぐぅっ……」

 シフルの体はショートを起こしており、シエルが視線を上げると、リータを抱えたロータが立っていた。

「下準備を終わらせて帰ってきてみれば……相も変わらず使えない姉、ということか……」

 ロータはリータを投げ捨て、拳を鳴らす。

「誰かと思えばちょうどいい。悲鳴で挽歌を奏でるとしよう」

 そして片翼を広げ、一歩、また一歩とシエルとの距離を詰めていく。ロータから溢れ出る強大な殺意にシエルは本能的に怯み、腰が抜ける。

「死ね」

 ロータが掌に魔力を溜め、それを発射する。シエルが目を瞑った瞬間、ストラトスが割って入って槍で魔力塊と拮抗する。そして渾身の力で魔力塊を弾き返し、魔力塊は森に着弾して辺り一帯を消し炭にする。

「ぜえ……ぜえ……大丈夫か、シエル!」

 ストラトスが後ろを確認するが、シエルは前を指差す。ストラトスは前を向く間もなくロータの翼に叩かれて遥か彼方に吹き飛ばされる。ロータが倒れたシフルへパンチを繰り出そうとすると、それを防ぐように千早が拳を合わせる。二人の拳が激突した衝撃で、地面が捲れ上がり、互いのエネルギーが干渉し合って凄まじい光を放つ。拳の隙間で膨れ上がった力場で二人は弾かれ、一旦距離を取る。

「万物の霊長の忘れ形見か……」

「あなた様の執念の深さには驚愕します。あなた様の兄上への残執の深さこそが、この世界に打ち込まれた彼の者の楔……」

「ふん、流石に全てを把握しているか。気に食わんな……」

 ロータは翼を広げる。

「なるほど、それが噂に聞く新人類を抹殺した武器……お姉ちゃんの想定にもなかったものです」

「そう。報告にあろうがなかろうが、そっちが死ぬことに変わりはない」

 竜化して戻ってきたストラトスが、千早の横に立つ。

「ストラトス様、今のあなた様では彼女の攻撃を防ぐことすら満足にできないはずです。お下がりください」

「わかった。俺たちは他にどうすれば?」

「私が時間を稼ぎます。まだ家でご覧になっていない情報等ございましたら、今の内に」

 ストラトスは頷き、竜化を解いて屋敷へ走る。ロータと千早は再び拳をぶつけ合う。辺りが吹き飛ぶ衝撃波が撒き散らされ、アルバが鎖で補強している屋敷すらも消し去るほどのパワーが次々に放たれて膨れ上がっていく。


 屋敷

 落ち着きを取り戻したシエルがストラトスを見る。

「さっきは助かったわ。ありがと」

 ストラトスは首を横に振る。

「俺はやらなきゃいけないことをやっただけだ。あんたとあのまま喧嘩別れなんてごめんだ」

 衝撃が屋敷を揺らし、二人はふらつく。

「シエル、一つだけ頼みがある。この家の探索をもう少しだけ手伝ってくれないか」

「もちろんいいわよ」

「千早の口振りからすると、そう長くは持ちこたえられないらしいからな……行くぞ、親父の部屋に!」

 二人は階段を駆け上がり、レイヴンの部屋へ入る。相変わらず乾いた精液の匂いが充満していたが、二人は気にせずに物色を始める。そして一つの資料を発見する。

「ストラトス、これ……」

「親父がそういうのを書くとは思えないんだが……まあいいか、読んでみようぜ」

「ところどころ読めないけど……」

 二人は資料に目を通す。

『ヴァナ・ファキナについて

 ヴァナ・ファキナは王龍と呼ばれるカテゴリに属する生命体の中でも取り分けイレギュラーな存在である。……・フィーネの巨大すぎる知識欲が本人から分離し、始源世界のシフルを吸収して生まれた。始源世界にて……・エウレカによって討たれた後、その強大な力で様々な世界を渡り、やがて力の効率的な補給のために人間と言う生物と、獣と人間が行う生殖について興味を持った。自分の力を分け与えた雄の人間を作り出し、強力な因果や精神性を持った雌の人間を孕ませることで効率よく自らの血筋を増殖させ、程好く成長したところで自らの子供をも孕ませ、より多く自分の力を増殖させていくのだ。これを行うためのヴァナ・ファキナの分身とも言える存在がレイヴンと呼ばれる素体で、これは彼の狙う〝空の器〟の、深層的欲求に答えた姿ではないかと推測される。

 また、彼はサブプランとして、零なる神を閉じ込め、狂竜王の世界創造を模倣した零獄という小世界を作り、そこで無限の戦いを強要する世界の支配者、アガスティアレイヴンとしても跋扈していたようである。』

 二人は資料から目を離す。

「つーことはなんだ、親父は元々そのヴァナ・ファキナとかいうやつに作られた、子孫を作るだけのオモチャだったってことか?」

「そう……みたいね。続きを読みましょ」

 二人はまた資料に視線を下ろす。

『なお、ヴァナ・ファキナはかなり気分屋なようで、干渉されるレイヴンや、その時期はまばらで、特定の時代・世界でしつこく現れるということはないようだ。また彼が生殖に使用する精液はヴァナ・ファキナの力が凝縮されているため、母体が耐えきれず死亡するという事象も多発している。』

 資料から視線を上げ、二人は沈黙する。

「まさか……」

 ストラトスが先に呟く。

「ええ、あなたのお母さんの死因は幼かったのもあるけど、レイヴンの持つヴァナ・ファキナの力に耐えられなかったから……そして、写真に写っているレイヴンとあなたの思うレイヴンに乖離があるのは……」

「ヴァナ・ファキナが干渉したときと、してないときで性格がまるで違うからってことか……?」

「そういうことになるわね……つまりあなたの家庭は、ヴァナ・ファキナの身勝手で崩壊したってことよね……」

「なんてこった……まさか親父は、俺をそいつから遠ざけるために俺を捨てたのか」

「あなたが真に敵とすべきなのは、ヴァナ・ファキナのようね……」

 屋敷が再び大きく揺れる。

「気は済んだ?」

 シエルの問いに、ストラトスは頷く。

「そりゃ、全部スッキリした訳じゃねえが……親父のやったことが、本心からじゃないってわかっただけで十分だ!」

 二人は駆け出す。途中でロータの部屋を見ると、まだグラナディアが資料を漁っていた。

「グラナディアさん何やってんすか!早く出ないと!」

 ストラトスが叫んでようやく気がついたのか、グラナディアは廊下に出てくる。三人は屋敷を飛び出す。


 禁忌地域・屋敷前

 千早とロータが壮絶な空中戦を繰り広げ、甚大な衝撃波が大地を抉り続ける。三人が屋敷から出ると、アルバと合流する。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 鎖の維持で息が上がったアルバをストラトスが抱え、四人はすぐに屋敷の前から離れる。

「ではロータ様、またの機会に死合うとしましょう」

 それを感知したのか、千早は無明の闇でロータの視界を奪い、戦線を離脱する。ロータが闇を払って周囲を確認すると、ストラトスたちも、セレナたちも、リータも居なかった。

「小賢しい鼠共が……」

 ロータは着地し、屋敷へ戻っていった。


 禁忌地域

 屋敷から離れ、近くの建物に入り、一行は一息つく。

「ふう。千早がいて助かったぜ。ありがとな」

 ストラトスが千早を労う。

「礼には及びませんよ。お姉ちゃんのためになることをしたまでです」

「なあ、その言い方ってさ、まだあの万物の霊長が生きてるってことか?」

 千早はミステリアスな笑みを浮かべる。

「さあ、どうでしょう?月光の妖狐とかに聞いてみては?」

「月光の妖狐って……ロシア支部長だっけか、昔の」

「ええ、その通りです」

「まだ生きてるのか?」

「さあ、どうでしょうか」

 千早が話をはぐらかすと、ストラトスは窓から外を見る。

「ロータはまだ仕掛けてくると思うか、シエル」

 その問いに、シエルは頷く。

「間違いなく来るでしょうね。千早とあれだけ殴り合ってまだまだ戦えそうだった――」

 シエルがそう言い終わるより早く、店の壁が破壊されて千早が吹っ飛ぶ。千早は店の正面の壁を壊して飛んで、道路で受け身を取る。壁から出てきたのは、露出した肌が黒い苔のように変異したトラツグミだった。三連装のミニガンを一行に向け、アルバが瞬時に鎖の防壁で夥しい量の銃弾を弾き、外へ出る。トラツグミはタックルで店の壁を破壊して道路へ飛び出て来る。

「しつこいやつだよ、全く。見上げた忠誠心だ」

 グラナディアがそう言うと、トラツグミは珍しく自虐的な笑みを浮かべる。

「明人様こそが私の生きる意味。私がまだこの世界で戦い続けられるのは、あの方のご遺志があるからこそ」

「その腕……E-ウィルスだろ?月光の妖狐の研究成果を、よくも我が物顔で使えたもんだよ」

 トラツグミは黒化した左掌を見て、そして握りしめる。

「これはもはや、あなたの知るE-ウィルスではない。蛇帝零血によって強化された、狐の真なる呪い」

 グラナディアが試しに放った爆炎を、トラツグミはノーガードで受ける。怨愛の炎特有の粘ついたどす黒い炎が道路で燃え続けるが、トラツグミが意に介する様子はない。

「神の世界とは、十全足るものなのでしょうか。いえ、神は人間が思う自らに欠けたものを補うものでしかない。神とは人の追加パーツ……この、私の右腕のように」

 トラツグミはミニガンを取り外し、元々の彼女の腕を露出させる。

「グラナディア。あなたなら、私から感じる力がわかるのでは?」

「ああ……まさか」

「魂も体も純潔であるがゆえに、何者にも染まらぬ純粋なるシフルを人の身でありながら再現した……峻烈なる、運命の岸辺より来たれるこの力」

 トラツグミの体から白い蔦のようなものが湧き出て、その体が巨大化していく。

「魂魄大甘菜……」

 グラナディアの呟きはトラツグミの全身から発せられる粘液の音で掻き消される。巨大化していくトラツグミは異常に発達した上半身を地面に叩きつけ、四足で地を踏み締め、鼓膜が破れんほどの爆音で咆哮する。

「更なる混沌を!更なる戦乱を!」

 トラツグミが突進する。千早が真正面から受け止めるが、トラツグミは尋常ならざるパワーで千早を吹き飛ばす。横から攻撃を仕掛けたシエルの拳を躱し、ジャンプの最高点目掛けて槍を放ったストラトスの攻撃を、空中で姿勢を変えて躱し、地上のグラナディアに急降下する。グラナディアは怨愛の炎の防壁でスピードを弱め、側転で躱す。そして至近距離で爆炎を吹き出すが、トラツグミはまるで意に介さず、白濁した粘液を口から吐き出す。

「ちっ」

 グラナディアは飛び退く。粘液が付着した地面は溶け出し、そして大爆発する。トラツグミは右腕から触手を伸ばし、それをグラナディアに振り下ろす。アルバが鎖の防壁でそれを防ぐが、粘液が付着した鎖は爆発してその結合を弱められる。トラツグミはそのまま防壁へ突進し、防御を砕いて左腕で攻撃するが、グラナディアは既におらず、横からシエルの強烈な蹴りを受ける。しかしその瞬間、トラツグミの体表を覆う蔦を流れる粘液が爆発し、衝撃を弱め、シエルを吹き飛ばす。シエルを受け止め、横に並んだ千早へストラトスが叫ぶ。

「さっき戦ったときより全然強いぜこいつ!どうすればいい!?」

「月香獣の類いでしょうから、グラナディアさんの方が物知りかと……私の所見を言うのであれば、今のままでは勝ち目がありません」

 猛然と向かってくるトラツグミを千早が受け止めるが、またも吹き飛ばされる。今度は即座に受け身を取り、しつこく食い下がる。シエルも牽制に回り、ストラトスがグラナディアの下へ向かう。

「グラナディアさん、こいつはどうしたら!?」

「奴め、零血細胞にE-ウィルスと魂魄大甘菜の力を混ぜて自分に打ったらしいようだね。極めて純度の高いシフルで蔦の鎧を作り出して、凄まじい速度で侵食しているE-ウィルスをまるでERAのようにしてるんだ。まさか、あの見上げた忠誠心が零血細胞に適合しているとはね」

「なんか打開策はないんすか!」

「あるよ。あの反撃の爆発を恐れず、あいつがE-ウィルスで自壊するまで攻撃し続けるんだ」

「とにかく殴れってことっすか!?」

「おすすめはしないね。どうしてAI……いやEPにあそこまでのことが出来るのか私にも理解しかねるが――」

 グラナディアはストラトスを抱えて横に飛ぶ。二人がいた場所へ粘液が着弾し、爆発する。

「とにかく、奴は完全に自分に流れるシフルを制御している。ここまで完璧な気の流れなら、どんな精神的な攻撃も意味をなさない。相手にするだけ無駄ってことさ」

「つまり――」

「ああ。逃げろってことさ。フォルメタリア!」

 グラナディアが叫ぶと、どこからともなく巨大な狐が現れる。

「みんな!逃げるよ!」

 その声に千早とシエルが飛び退き、フォルメタリアがトラツグミに突っ込んでいく。

「とにかく走るんだ!今の私たちじゃ相手できない!」

 一行は走り、ビルの間を縫って複雑な経路を辿る。そしてしばらくして、小さな酒屋のスタッフスペースに転がり込んだ。

「はぁーっ……」

 シエルが深くため息をつく。

「なんなのよ、あれは……」

 それに続き、ストラトスも動く。

「グラナディアさん、詳しく教えて欲しいっす。あれは一体」

 グラナディアは苦笑いをしたあと、口を開く。

「あれは私が零獄にいたころ作った生命体と、この世界の月光の妖狐とやらが作ったE-ウィルス、そして新人類の鍵となる零血細胞を混ぜて作ったお手製トンデモドーピング剤でパワーアップしたトラツグミさ。恐らくはね」

「でも、千早を吹き飛ばすってどれだけのパワーがあるんすか」

「奴が使ったのは私の研究成果の中でも完璧かつ最高のスペックを持った魂魄大甘菜さ。作った私ですら完璧にこの世から消し去る方法が思い浮かばないね」

「どうして爆発を?」

「E-ウィルスって確か、栄養が補給され続ける限り、爆発的な成長を続けるんじゃなかったっけ。E-ウィルスと魂魄が産み出す純シフルの溶液を吐き出し、それを分離した状態で急速に不安定にさせることでE-ウィルスの嚢胞を作り出して、内部の純シフルが最後の力で弾け、嚢胞を炸裂させる。あの爆発はそういうことさ。あのままトラツグミが歩き回り、戦闘を行う度にその周辺はE-ウィルスで汚染されるだろうね」

「本当に殴り続けるしか無いんすか?」

「まあ、シフルの扱いが上手い奴が相手ならそうする以外方法が無いのは、君もアフリカでセレナと戦っているからわかるはずさ」

「あの時は夢中でよくわからなかったっす」

 グラナディアは浅くため息をつく。

「つまりだ。シフルの扱いが上手ければ上手いほど、普通の人間が死ぬような攻撃ごときじゃ殺すなんて夢のまた夢だ。セレナの心臓や頭をぶち抜いても死なない、もしくは君が同じことをされても死なない、なんてことがあったはずだ」

 ストラトスは頷く。

「うん。要は、血を全て体内から抜き取らなければ死なない。問題は、その血の量がとんでもなく多いってことだ。おまけに、血に対する心臓のような、わかりやすい生成器官はない」

 千早がうんうんと頷く。

「今、私たちが消耗戦をするのは得策ではありません。余りにも彼女は強力すぎます。余りにも……この宇宙の脆弱さに見合った強さじゃない」

 グラナディアが続ける。

「フォルメタリアで大西洋を横断して、アメリカに行こう。シフルが何かの時を待っているのなら、さっさと総本山に攻撃を仕掛けに行った方がいい」

 アルバが疑問を投げ掛ける。

「えでも……フォルメタリアって……さっきの狐さんのことじゃ……」

「当然、私が一匹しか用意してないわけがないだろう?まだまだあの子達のストックはあるよ。被造物は造物主の使いたいように使われるってね」

「そう……ですか」

「それにさっき差し向けたフォルメタリアは時間稼ぎ以外には使えないだろう。所詮は軍用獣だからね。とにかく今は、沿岸部まで逃げるしかない」

 一行は頷く。ストラトスが静かに裏口の扉を開く。地を踏み締めるトラツグミの気配がする。路地裏を通り、大通りを壁際から覗く。何百年も放置されてボロボロの車を蹴散らしながら、トラツグミはゆっくり歩いている。

「おやおや……もはや鵺というより冥界の怪物って感じだね、あれは」

 グラナディアは呟く。

「道はここしかないんすか」

 ストラトスが尋ねると、グラナディアは笑みを向ける。

「もちろん、そんなことはないよ。奴を回り込むように躱そう」

 一行は路地裏へ戻り、狭い迷路のような道を進んで、トラツグミの後方を音もなく通り抜ける。トラツグミは未だに前に進み続ける。と、アルバがトラツグミの方を見て立ち止まる。

「おいアルバ、何やってる」

 ストラトスが腕を引くが、アルバは動こうとしない。そしてアルバは、右腕を上げて空を指差す。

「ん?」

 ストラトスがそちらを見ると、トラツグミの前にロータが浮かんでいた。二人は近くの車の影に隠れ、その様子を窺う。聞き耳を立てると、二人の会話が聞こえてくる。

「ロータ様、まだ目標は索敵中ですが……」

「トラツグミ、今はもう追わなくていい。人間に戻って」

 トラツグミは収縮し、元の姿に戻る。

「私の魔法でヨーロッパは消し飛ばす。もうここに用はない」

 ストラトスたちはその場を離れ、シエルたちと合流する。

「何か聞けた?」

「ロータがヨーロッパ一帯を吹き飛ばすらしい」

 二人の後ろでグラナディアが顎に手を当てる。

「それはまずいね……早く離脱しないと。ここから見ていたけど、幸い二人はもう追っては来てはいないようだから、一気に突っ切らないかい?」

 ストラトスは頷く。

「同感っす。千早との戦闘で見せたあれだけの力が、まだ全力じゃないなら、ここら一帯を塵にするなんて造作もないはずっす」

 一行は進路を急ぐ。


 フランス・沿岸部

 街の中を駆け抜けていくと、巨大な沿岸の倉庫へ辿り着く。

「よし、ここまで来れば大丈夫かな」

 グラナディアが右手を仰々しく振ると、眼前の景色が揺れ、そこに大型のフォルメタリアが現れる。

「さあ行こうか」

 フォルメタリアが大きく口を開け、一行はその中へ入る。フォルメタリアは大きな炎の翼を広げ、飛び立った。

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