二章「残虐な意図」

 ンジャメナ区・デッドルインズ ラボ区域

 倒壊した研究所の残骸の扉にセレナが目を向け、網膜スキャンでロックを解除する。傍らには犬を模したインベードアーマーがいた。

「シフル、別にあなたまでついてこなくてもよかったのに」

 セレナが犬に向かって喋る。

「君だけを働かせるわけにもいかないだろう。私がこの世界の運命を大きく変えてしまったのだから、私も身を粉にして動かなければ」

「で、それどうやって動かしてるの」

「私の意識データをいつもの竜からこちらに移しただけだが」

「なるほどね、外身だけ入れ換えたってこと」

「そういうことだ」

 二人は電力の落ちたラボの通路を進み、セレナがエレベーターもドアを蹴り破り、二人はシャフトを飛び上がる。三階まで一気に上がると、巨大なバルブ式のドアを抉じ開け、中へ入る。様々な機器が置かれた部屋と、ガラスで隔たれた部屋があった。ガラスの部屋には、卵状の装置に少女が眠っていた。

「アルバ……」

 セレナが呟く。

「確かにロータ・コルンツにそっくりだ。君とリータ・コルンツは似ていないが」

「努力して似てない感じにしてるの。あのアホビッチと同じになんて絶対にならないから」

「君たち親子には何があったのだ?」

 シフルはそう口走ってから、その言葉がセレナに対して禁句であったことを思い出す。

「すまない。デリカシーが足りなかった」

「いいわ。どうせだし話してあげる」

「何?いいのか?」

「あなたにだけね。わざわざ頻繁に掘り返す話でもないし」

 セレナは手近な椅子に腰かける。

「私は零獄の崩壊後、新生世界で生まれたわ。一度死んだはずのレイヴン・コルンツは、コルンツの双子によって復活して、レイヴンとリータを親としてね。でもあの二人は、私が生まれても私に興味なんて無かった。私は物心ついた時から、ほぼ相手にされていなかったわ」

 シフルはお座りの体勢でその話を聞いている。

「ある時、母に飽きたのか知らないけど、私は父にレイプされたわ。意味がわからなかったし、嫌悪感と憎しみしか浮かんでこなかったけど。それからずっとぶっ殺してやろうとしてたんだけど……母も叔母さんも、アリアもエルデも……ミリルもマイケルも……どいつもこいつも、あのクソ親父の味方をして殺せなかった。そして私が生まれてしばらくしたあと、ロータとレイヴンの間にアルバが生まれた。アルバは、私より酷い境遇だったわ。何せロータはアルバへレイヴンの愛情が移るのを恐れて執拗にアルバを殺そうとしたり嫌がらせをしたりしてたからね。私がその度に止めてたけど。で、まあ話の流れでわかると思うけど、アルバも父に犯されてるわ……はぁ……」

 セレナが深くため息をつく。

「無理して話さなくてもいい」

「いいえ、無理はしてないわ。私にもアルバにも興味が失せて、その後はエルデとアリアとミリル……ミリルが孕んだのがストラトスなんだけど、ミリルはリータやロータと違って特段体が頑丈な訳じゃないから……出産と同時に死んだ」

 シフルは首をもたげ、そして立ち上がる。

「セレナ、私が彼を殺したことに対する返礼は、君自身が君を満たしたいがためにやっていることなのか?」

 セレナはシフルの赤い光を放つメインカメラへ視線を合わせる。

「ふっ……こういうところは私は母に似てるのかもね。なんかさ、私のことを救いに来てくれたんじゃないかって、勝手に思ってるの。だから、セレスティアル・アークではちょっと冷たくしちゃったけど、そこまで薄情に思ってる訳じゃないのよ?」

「私もだよ、セレナ。まあ私の場合、君自身を好いているのか、別の誰かの面影を重ねているのか自分でもわからないが」

 セレナはシフルの頭を撫でる。

「む……こら、やめないか。私の見た目が犬でも、中身は私だぞ。おっさん犬だぞ」

「いいんじゃない、おっさんでも。見た目とか年齢とかどうでもいい。犬にはこうしたくなるの」

 セレナは立ち上がる。

「一つだけ聞いてもいい?」

「何か?」

「世界が一つになったら、あなたとはもう会えない?」

「だろうな。世界は相互干渉能力と分岐機能を失い、定められた一つの道を辿るだけになる」

 セレナははにかむ。

「なら、あなたとの一秒一秒を大切にするわ。〝時間〟は誰にとっても平等で、残酷だから」

 そしてセレナはコンソールを操作し始める。

「そう言えば、シフルはヴァナ・ファキナって知ってる?」

「ヴァナ・ファキナ?知らないが……何か君と関係があることなのか?」

「私の家系に関係あるらしいんだけど、まあ知らないならいいわ」

 二つの部屋を区切る扉のロックが解除され、二人はガラス張りの部屋へ移動する。

「美しい……」

 ライトに照らされ、その光の中で眠り続けるアルバを見て、シフルは思わず口走る。

「ええ、ほんとにね……」

「セレナ、作業に取りかかろう」

「わかったわ」


 シドニー空港

 臨海部にある空港へ足を踏み入れると、ストラトスを巨大な狐のような生命体が待っていた。

「これに乗ってアフリカまで飛ぶ」

「これは……えーっと、なんすか」

 グラナディアの発言にストラトスが疑問を持つ。

「猫のバスみたいなもんだよ。ちょっとグロいけど。ほらフォルメタリア。あーんして」

 フォルメタリアはグラナディアに促されるまま口を大きく開け、グラナディアはその中へすたすたと歩き去っていく。

「ふむ、面白そうですね」

 千早も躊躇無く入っていく。

「シエル」

「何」

「いや、なんでもねえわ」

 ストラトスは躊躇いつつも入り、最後にシエルが入り終わると、フォルメタリアは口を閉じて炎の翼を生やして飛び上がる。


 フォルメタリア・内部

 外見からは想像もつかないほど内装は普通の部屋で、ダブルサイズのベッドやテレビ、トランプや冷蔵庫まで置いてある。

「どうなってんだ……?」

 ストラトスはその光景にしばし硬直するが、ささみの薫製を頬張るシエルを見て深く考えるのをやめる。

「どうだい?快適だろう」

 グラナディアが話しかけてきて、ストラトスは頷く。

「どうなってんすか。外からの揺れとかないし」

「この部分と表皮との間に、シフルが充填されてるのさ。受ける空気抵抗に合わせてシフルを変形させて、完全に衝撃を打ち消してる」

「そんなことが……」

「ま、技術的なものはどうでもいいじゃないか。そう言えばストラトスは何歳だい?」

「俺っすか?十九っす」

「あー、微妙なラインだねえー」

 グラナディアは酒瓶の蓋を開け、豪快にラッパ飲みする。

「くあぁ~っ、酒はうまいねえ~!」

 すぐに呼気がアルコール臭くなるほどの酒を飲むグラナディアに、ストラトスが尋ねる。

「あのー、それ度数いくつっすか」

「アブサンとスピリタスを割って作った酒だけど?美味しいけど魔力がアルコールの分解効率を上げてるのか全然酔わないんだよねー」

「はぁ……デカいロボットを相手にしてる時点でだいたいのことには驚かないと思ってたんすけど、今日は驚きっぱなしっすよ……」

「まあたぶん、これから旅を続ければもっとびっくりすることになるよ。その内慣れるけど」

 グラナディアは椅子に座る。

「まあゆっくりしなよ。どれだけ待ちわびても三時間くらいはかかるよ」

 そう言われてストラトスは、シエルと向かい合うように椅子に座る。

「なあシエル、お前何歳だっけ」

「二十二」

「俺より三つも年上かよ」

「何よ、この世界で年齢とかもはやあってないようなもんでしょ。今グラナディアがあなたの歳聞いて酒を飲ませなかったからそんな法律もあったなあって思い出したけど」

「……」

 ストラトスは次の言葉を出すか出すまいか迷って、シエルを見ては目を伏せる。

「さっきから挙動不審だけど、何か聞きたいことあるの?」

「ああ……なあ、人を助けるって、どうしたらいいんだ?」

「ふん……ねえ、どうして人を助けたいの?」

「え?なんでって……人を助けるのに理由がいるのか?」

「あっそ。ひどいことを言うかもしれないけど、人を助けたいからって全ての人間を助けるなんてできない。だから、助ける人間には優先順位をつけなきゃ。もちろん、優先順位の基準はあなた自身で決めればいいわ」

「でもよ、それはあんまりにも現金すぎないか。人助けだってのに下心丸見えじゃねえか」

「いいでしょ、それで。元々そういう助けたくなる気持ちって言うのも、人間の持つ動物としての本能って言うだけだし。別にかわいい女の子だったから助けてムフフとか大金持ちだから助けてウホホでもいいでしょ。でも、助けられない時は諦めるのも必要だからね」

 ストラトスはただ頷いている。

「でも一つだけ言いたいのは、自分が絶対に助けたいと思った相手のことは、何があっても諦めないで」

「……。俺の力じゃ守りようがなかった人に対する無念は、どこに向ければいいと思う」

「ミリルさんのこと?あなたがどう思ってるかは知らないけど、死人のことはあなたの自己満足で我慢するしかないわ」

 二人が会話しているテーブルに、空になった瓶を乗せてグラナディアがやってくる。

「中々辛気臭い話をしてるじゃないか。シエル、君はお酒飲めるんだろう?」

「へ?私ですか?いや、私は母と同じでものすごく酒に弱くて……」

「ふん、そうかい。ストラトス、ママのことを思い出してるようだね」

 グラナディアはストラトスにニヒルな笑みを向ける。

「グラナディアさんは大切な人を無くしたことはあるっすか」

「もちろん。君のような悲壮感のある感じでは無いがね」

「それってどういうことっすか?」

「私が、自分で、殺したから」

 ストラトスとシエルが黙る。後方であやとりを楽しんでいた千早も手の動きを止めて、鋭い眼光を向ける。

「(そういえばこのグラナディアはアガスティアレイヴンから直接干渉された数少ないディクテイター……正史のグラナディアより残虐で狡猾なはず……唯一アルメールを出し抜いたこともあったっけ)」

 千早が思考を巡らすなか、三人は会話を続ける。

「君の父親の大本に操られていたんだけどね。まぁ、悪くはなかったよ」

「自分の大切な人を殺すのが……っすか?」

「うん。つまるところ、私が言いたいことはね……人の気持ちは、人それぞれってことさ。だから、失った人への悔恨は、君自身がケリをつけなければならない。他人は君の失った痛みをわかることはできない。共感と言う慰めしかできない」

「……」

「まあ、慰めが必要なら言っておくれよ。話を聞くくらいはしてあげよう」

 グラナディアはそれだけ言い残すと、冷蔵庫から新しい酒瓶を出して栓を開ける。

「ストラトス……」

 シエルが心配そうに見つめる。

「そう……だよな。俺の思いは、俺にしかその重要さがわからねえ。なあ、シエル」

「何かしら」

「俺はとりあえずあんたについていこうって言ったよな。そいつは撤回するぜ。俺は、俺の思いに区切りをつけるためにChaos社と戦う。時の十二要素を追ってれば自然と俺の家族に関係ある場所へ行けそうだしな」

 シエルは満面の笑みで頷く。

「いいわね、やっとあなた自身の声を聞いた気がするわ」

「へへっ、あんた、そんな可愛い笑顔が出来たんだな」

 その言葉にシエルは一気に顔を赤らめる。

「ぶっ……バカじゃないの!?そりゃまあ?可愛いのは自覚してますけども!むしろなんで今までそれに気付かなかったのか……」

 シエルはそのまま早口でストラトスを捲し立てて、外野で見ていたグラナディアと千早はその様を見て微笑ましく思っていた。


 世界独立遺構アフリカ

 フォルメタリアの口から一行は外へ出る。周囲の建造物は全く壊れていないが、砂によって汚れており、長らく人間がいないという事実を淡々と表していた。

「世界独立機構アフリカ……北半球諸国の崩壊、Chaos社の支配の進行により、それに抵抗する人々が作り上げたレジスタンスの総本山」

 グラナディアがそう言うと、それにシエルが続く。

「シフルの徹底的な攻撃によって遂に崩壊し、その後はバロン・エウレカを総大将とする中国レジスタンスが最大勢力となった……」

「その通りだ。尤も、レジスタンスの一部は未だにここを復興して反撃の狼煙にしようとしているがね。だから……」

「話の途中ですみませんが、ここからチャドまで陸路、もとい徒歩で行くんですか?」

「ああ、そうだよ。私たちの体力なら休憩無しで歩いて半日もかからないと思うんだけど」

「まあそうですけど……チャドの近くに降りれば良かったのでは?」

「いや、私たちは彼女に会わなきゃいけない。万が一戦力になれば心強いからね」

「彼女?」

「会ってからのお楽しみさ。さあ、まずはボツワナを目指そう」

 一行は砂に半分埋まったアスファルトの道を進み、円形の巨大な壁のゲートに辿り着く。千早がそのゲートを抉じ開けると、眼前に黄金のタイムヴァルバロイドがいた。

「おっと、こいつは!」

 グラナディアが咄嗟に炎の壁を張り、タイムヴァルバロイドの攻撃を防ぐ。

「ヴリエーミァ!」

 シエルが叫ぶ。ヴリエーミァは怨愛の炎の壁に怯むこと無く、続けて右腕の爪を振り下ろす。千早がその攻撃に対して手刀で反撃し、ライムグリーンの爪をへし折る。シエルがヴリエーミァの頭部パーツへ蹴りを入れ、そこへストラトスが竜化してヴリエーミァの胸部へ強烈なパンチを加え、壊れた胸部装甲から露出している緑色のコアへ竜化を解いて槍を突き刺し、ヴリエーミァは沈黙して崩れ落ちる。

「ちょっと、竜化できたの?」

 シエルがヴリエーミァの残骸の上に立つストラトスへ問う。

「ああ、昔から出来た。けど、今まで親父とお袋のこと思い出したくないから使ってなかった」

「いいじゃん、見直したわ」

 シエルは飛び降りてきたストラトスと拳を突き合わす。グラナディアがヴリエーミァの機体に触れる。

「ヴリエーミァにしては脆すぎると思ったけど、どうやら何十年単位で単独で哨戒し続けたからシフルが純化して機能の低下を起こしていたようだね」

 ストラトスが武器を納める。

「気にする必要もないっすよ。先を急ぎましょう」

 グラナディアは頷き、一行は道を砂漠化の進む戦場跡を進んでいく。


 ボツワナ区・デッドプール

 ひたすら進んでいくと、次第に市街地が見えてくる。乾燥した死体が夥しい数横たわっており、足の置く場所を考えねば死体を踏みつけてしまうほど、道路を埋め尽くしていた。

「酷いな……」

 ストラトスが呟く。

「ここは歩脚兵器を使わず、白兵戦で死闘を繰り広げていた場所だ。だからこれだけ、Chaos社側の死体が転がってる」

 グラナディアが答える。

「でも新人類って、基本的に極めて高い再生能力があるとかなんとか聞いてるんすけど」

「そうだよ?だから、彼らは新人類じゃない。旧人類さ。私たちと同じ、ね」

「なんで……」

「さあ。でも理由はまあ……旧人類の社員で、ホワイトブラッドも拒否した人間の処理がめんどくさかったとか、そういうことじゃないかな」

「でもChaos社は、ホワイトブラッドを選んだオセも見殺しにした……」

「資本主義も社会主義も死んだ世界でこう言うのもあれだけど、あいつらは利益のためには手段を選ばないからね。ま、私もそうだけど」

 そこに、千早が何かの欠片を持って近寄ってくる。

「ん?千早、それはなんだい?」

「恐らく、竜世界の金属ですね。〝彼女〟は、間違いなくまだこの辺りにいるとみて間違いないでしょう」

「流石奈野花の妹。お利口さんだね。よし、ハボローネまで急ごうか」

 一行は死体の海の中を急ぐ。


 ボツワナ区・亡都ハボローネ

 多くの建造物がひしゃげ、動物の姿すら見えないハボローネの街を、一行は進んでいた。

「世界はどこもこんな感じなんすかね」

「ここはハボローネ。ボツワナの首都だね。金剛や蒼龍、大和とかの中型・大型・超大型歩脚兵器が投入されて、アフリカ最大の激戦が繰り広げられた。何せ独立機構の目と鼻の先だからね」

 と、話をする一行の前に、一機の金剛が現れ、唸りを上げる。

「はぐれたか、ヴリエーミァのように哨戒を続けていたか。まあどちらにしても――」

 グラナディアが剣を構えようとしたとき、空から光が降り注いで金剛を真っ二つにする。

「なんだ!?」

 ストラトスが驚愕する。

「これは……竜闘気!」

 シエルがそう叫ぶと、光が収まり、そこにはボロボロの黄色いジャケットを羽織った女性がいた。女性はゆっくりと振り向き、鋭い眼光を向ける。

「君たちは……くんくん……嫌な臭いがする」

 女性は拳を構える。

「ちょっと待ちたまえよ。共に戦った仲じゃないか、覚えてないのかい?」

 グラナディアを見た女性は、緊張の糸は緩めずに口を開く。

「わかってるよ。でもChaos社は何をしてくるかわからない。君がアイスヴァルバロイドとも限らない」

 ストラトスがグラナディアに訊ねる。

「この人は一体……」

「彼女はホシヒメ。クラエス・ホシヒメ。竜世界の英雄だよ」

 ホシヒメは冷たい、殺意のような闘気を漏らす。周囲の空気が一瞬にして張り詰め、グラナディアも思わずたじろぎ、冷や汗を流す。

「構える猶予はあげる。逃げたいならハボローネから消えて。戦うのなら……容赦しない」

「悪いけど、私たちは君を味方にしに来たんだ。退けないよ」

「……。わかった。もう私には何も残ってない。敵を、殺すだけ」

 ホシヒメの姿が消え、グラナディアは咄嗟に防御するも拳の一撃で後方に吹き飛ばされる。

「なっ!?」

 驚いたストラトスへホシヒメの裏拳が飛び、吹っ飛ぶところへ追撃のライダーキックをぶつけられて凄まじい速度で後方に吹き飛ばされる。シエルが流体金属を纏わせた拳で殴りかかるが、光となったホシヒメに攻撃を躱され、渾身のボディブローからのアッパーで空にかち上げられる。そして千早と正拳突きで拮抗する。

「なるほど、あなたは仲間の死が耐えられず、心を閉ざしたアベンジャーだと」

「アベンジャー……そんな大層なものじゃないよ。私はただ、自分の無念をぶつけられれば敵が誰でもいい……ただのリベンジャーだよ」

 ホシヒメは千早の拳を押し返し、足払いをぶつけて二連蹴りで空中へ打ち上げ、止めの一撃を放とうとした瞬間、横から放たれた怨愛の炎を躱すために千早を踏み台にして後方へ飛ぶ。両者は着地し、再び一行とホシヒメが向かい合う。

「意外としぶといみたいだね……もっと本気でぶん殴らなきゃダメかな」

「ホシヒメ、一旦武器を下げてくれないかな。私たちは君が味方になってくれるか、それを聞きに来ただけだよ」

「ならない。もう私に関わらないで。すぐに去るなら、私はこれ以上攻撃を加えない」

 グラナディアは肩をすくませ、剣を消す。

「仕方ない。無駄足だったみたいだね」

 ホシヒメも拳を下ろす。

「私に会いに来た訳じゃないでしょ。一体何をしに来たの」

「ンジャメナに用があってね」

「チャド……ここからかなり距離があるよ」

「安心してくれたまえ。私たちは独立機構からここまで四十分もかかっていない」

「それでも消耗しているように見えるよ。私と戦う前から」

 ホシヒメは光を放つと、長大な竜へ変身する。

「生きていてよかったよ、グラナディア。最後の別れの代わりに、ンジャメナまで送ってあげる」

 グラナディアは頷き、一行はホシヒメの背に乗る。

「落ちたら置いていくからね」

 そしてホシヒメは空へ飛び上がる。


 ンジャメナ区・デッドルインズ

 ホシヒメは広場に降り立ち、一行は背から降りる。

「じゃあ、私はこれで。君たちが約束を守ってくれたら、二度と会うことはないからね」

 ホシヒメは再び空へ飛び立ち、瞬く間に見えなくなった。

「後悔に苛まれた鬼神、とでも言った方がいいのかもしれませんね」

 千早が呟く。

「後悔は誰にでもあるものさ。問題は、それぞれの出来事に、どれだけの重量を感じるかだ」

 グラナディアがそう言い放ち、街の方へ歩いていく。三人はそれに従い、一行は崩壊した街を進む。

「ンジャメナはChaos社の前線基地になっていた。新人類計画の終盤ではアフリカは無視されていたから、かなり押し返されていたようだけど」

 グラナディアが周囲を見渡しながら呟く。

「どこもかしこも似たような景色っすね」

 ストラトスが呑気にそう言うと同時に、グラナディアが立ち止まる。

「どしたんすか」

「いや……何か強い気配を感じて……」

 空は曇り始め、雨粒がまばらに注いでくる。そこに、どこからともなく声が聞こえてくる。

「遠路遙々ご苦労だった、レジスタンスの諸君」

 機械的だが、どこか生体的で、暖かみのあるの声が響く。そして倒壊したビルの影から、犬を模したインベードアーマーが姿を現す。

「私の名はシフル。現Chaos社代表取締役を務めている」

 シエルとストラトスは驚愕の表情を見せる。

「つぅことは……てめえがChaos社の総大将!」

 今にも飛びかかろうとするストラトスを、グラナディアが鎮める。

「待ちたまえ。普通に考えて、彼が単独でここにいるわけがない。何かの罠だと思った方がいい」

 シフルは一行を真っ直ぐ見つめる。

「諸君らはこの先のラボラトリにいるアルバ・コルンツを手中に収めに来たのだろう。だがこちらとしても、それを見逃すわけにはいかない」

 次第に雨足が強くなり、視界が煙る程の豪雨となる。

「時の十二要素を奪われては、我々の計画に支障が出る」

 グラナディアが訊ねる。

「ならば、君たちの本社に置いておいた方が確実だったはずだよ。何を企んでいる」

「ふん。私は彼女の願いを聞き入れるだけだ。全てが変わらなくなってしまう前に、な」

 シフルの背後から銀髪のツインテールの女性が現れる。

「な――」

 ストラトスは言葉を失う。

「セレナ・コルンツ。Chaos社の秘書をさせてもらってるわ」

 セレナはこれ見よがしに髪を靡かせる。

「なんであんたが……あんたこそ一番Chaos社にいちゃいけねえだろ!?」

「彼がレイヴンを殺してくれた。私たちのようなあいつの負の遺産にとって、それがどれだけ嬉しいことか、あなたならわかるでしょう?」

「んだと……親父が、死んだ……?」

「元々レイヴン・コルンツはアガスティアレイヴンが杉原明人をモチーフとして作り出したもの。故に、明人無きChaos社を自分のものにしようとするのは自明の理だわ。だからシフルはやつを殺した」

 セレナは雨に濡れたシフルの頭を撫でる。

「だから私は、彼に最大限の奉仕をすると決めたわ。それがどんな終わりを迎えてもね」

「あんたがそんなやつとは思わなかったぜ。あんたはちゃんと世界が支配されるのを止めてくれるやつだと思ってたが……買い被りだったみてえだな!」

「好きなだけ吠えればいいわ。私は既に過去の鎖から逃れきった。あなたはまだ母の、ミリルの亡霊にとりつかれたままなんでしょう?」

「うるせえ!」

 ストラトスはグラナディアの制止を振り切ってセレナに斬りかかる。セレナは槍を躱し、右の正拳を胸骨に叩き込み、左腕でエルボーで頬を打ち、頭を掴んで膝蹴りをぶつけ、止めに蹴り飛ばす。吹き飛ばされたストラトスにシエルが駆け寄る。

「自分の過去を振り切る力もない人間が、私には勝てない」

 ストラトスはシエルを突き飛ばし、竜化してセレナに突進する。セレナは素手で竜化したストラトスのパンチを受け止める。

「元々持って生まれた気持ちかは知らないけど、私は……戦わないと、生きられない!」

 ストラトスの腕を逸らし、その顎目掛けて蹴りをぶつける。

「リータもロータも、アルバも、あなたも……全員、この手でぶち殺す!」

 青い闘気を纏った拳でストラトスを殴り付け、更に頭突きで防御を砕くと、左右交互に強烈なパンチを叩き込み、止めに蹴り入れて竜化を強制的に解除させる。

「雑魚が」

 そこへシエルが加わり、セレナは咄嗟に掌底を躱し、シエルはシフルの尻尾状のマニュピレーターに絡めとられて投げ捨てられ、受け身を取って着地する。シフルは、グラナディアたちの前に立つ。

「済まないが、彼女の気が済むまで手出しはさせない。どうしてもと言うのなら、私が相手になろう」

 グラナディアは剣を産み出す。

「仕方ないね。あのままセレナとストラトスが戦ったら、間違いなくストラトスが死ぬ。千早、シエル。こいつを倒そう」

 二人は頷く。シフルの向こうでは、セレナとストラトスが戦っていた。ストラトスは槍を持ち、根性でセレナの動きに追い付こうと動いていたが、セレナは全くの余裕で雨の中を飛び回っている。

「随分とのろまね」

「っせえ!ぜってえ負けねえ!」

 セレナは渾身の力で剣を抜いて叩きつける。槍で防ぐが、手が痺れて槍を取り落とす。

「クソがっ!」

 ストラトスは竜化して、無理矢理セレナに拳を届かせる。が、それは軽くガードされ、長剣による強烈な刺突で地面に叩きつけられ、セレナは軽やかに着地する。

「ごふっ……がはっ……!」

 腹に大きな穴が空き、そこから止めどなく血が溢れ出す。雨に希釈されても、その深い赤が地面を染める。

「これで一人、あの男の遺産は潰えた」

 セレナが剣を納め、シフルへ加勢しようとしたとき、背後から起き上がるストラトスの気配を感じて急速反転し、その左胸に剣を突き刺す。

「まだ……だ……」

「やっぱり失血と心臓を壊したくらいじゃ死なないか……わかった。完膚なきまでに消し飛ばす!」

 セレナはストラトスを剣に刺したまま振るって放り投げる。ストラトスは薄れ行く意識を繋ぎ止め、受け身を取ってセレナの追撃を往なす。

「まだ体が失血に慣れていないようね。まだ人間止まりってこと……」

 セレナは攻撃を往なしたストラトスが本能的に傷を庇ったのを見逃さず、闘気を踏み台にして鋭く剣の刺突を放つ。ストラトスは手元に槍を召喚し、剣と交差するように突きを放つ。セレナは躊躇わずに速度を上げ、空中で両者の得物が衝突する。

「あんたは……本当にそれだけのっ……理由で……Chaos社に荷担すんのかよ……ッ!」

「それだけも何も、それが私の全てよ。それに私は、シフルを助けたいだけ。もうクソ親父が死んだなら、私は自分のやりたいことだけをやるわ。社会倫理や道徳なんてどうでもいい」

 セレナから青い闘気が溢れ出し、その体に注ぐ雨粒が蒸発する。

「本当の正義は、公共の福祉から逸脱した場所に存在する。全体にとっての最大の利益よりも、自分にとってかけがえのない価値がそこにあるのよッ!」

「そんな……そんなものッ……!」

「自分が見た世界だけが、この世の全てよ!他人のことを思うなんて幻想は……」

 セレナは槍を押し退け、ストラトスに一撃加えて吹き飛ばす。

「捨てなさいッ!」

 またビルに叩きつけられ、そのまま屋内へ転がり込む。セレナもストラトスの前に降り立つ。

「どうやら見当違いね。あなたはこの先の戦いにはついてこれない。その弱い心が大切なものを失う苦しみで壊れる前に」

「大切なものは……生まれる前から無くしてるさ……」

 セレナはストラトスを蹴り倒す。

「ミリルのこと?……はぁ。愚かだわ。あなたは愚鈍な凡人よ」

 そして長剣を構え、治りかけていた左胸に深く深く、突き立てていく。

「ぐっ……がぁ……ッ!」

「心臓を貫かれる痛みに慣れていない人間を殺すのは容易いわ。だって、心臓を貫けば死ぬもの」

「まだ……死なねえ……死ねねえんだよ!」

 ストラトスはセレナを跳ねのけ立ち上がり、手元に槍を戻してセレナへ突きを放つ。セレナはあえて躱さず、槍が顔面を貫く。

「ッ!?」

 ストラトスはセレナの顔の右半分に槍が突き刺さってもなお、セレナが微動だにしないことに驚きを隠せない。

「人間は血が無くなったくらいじゃ死なないし、脳が壊れたくらいで考えるのをやめられたりしない。殺すためには、その生命力が無くなるまで殺し合うしかない」

 セレナは槍を引き抜くこと無く、むしろストラトスとの距離を詰めていく。

「ストラトス。あなたは何を守りたい?」

 そしてセレナは槍を目から引き抜き、ストラトスの前へ放る。セレナの顔の右側に空いた大穴は、即座に修復される。

「はぁ……失ったものを取り戻したいと嘆いて、一体何になるというの?」

「それがわからねえのはあんたが失ってないからだぜ……親父が死んで、頼るべき人がいるあんたに俺の気持ちはわからない。さっきあんた自身が言ったことだろ」

 ストラトスの傷も完全に癒えており、呼吸も整い、血色も元に戻る。

「失ってない……そうね、処女くらい、誰が奪っても問題ないわね」

「母親に文句を言うことも、礼を言うことも、まして会うことすら出来なかった無念がわかるかッ!」

「ハッ、勝手にすればいい。母親の幻想に、永遠に悶え苦しめばいいわ。失ったものは、二度と帰ってこない」

 セレナは両手を腰の辺りで開き、煽るような表情をする。

「まあ、今はそんなことより」

 そしてビルの外を左手の親指で指す。

「今のあなたにとって大切な人が、もう奪われてるかもね」

 ストラトスはハッとした表情で外へ視線を向ける。

「シエル……」

「生き物は皆、母性を求めるわ。安定し、安寧を提供してくれる場所をね。幼いときに母を失ったあなたならなおさらね」

 セレナは長剣を納め、その柄に手を添える。

「あなたが無力な人間に生まれたことを嘆き、苦しみ、そして死ぬ様を、私が飾ってあげるわ!」

 竜化し、青いコートを纏った竜人が姿を現す。長剣を引き抜き、闘気を纏った渾身の突きを、高速移動に続けて放つ。咄嗟に竜化して防御するが、ストラトスはビルの壁を突き破って吹き飛ばされる。先程よりも勢いを増した豪雨の中をセレナが凄まじい速度で猛追し、ストラトスが体勢を立て直すより早く地面に叩きつけられる。更に続く長剣の刺突を、翼から闘気を噴射して高速移動し、回避する。そのまま両者は、ビルの谷間を縫うように飛び回る。

「セレナ……」

 シフルは飛び回る二人を見上げて、感慨に耽る。

「余所見をしてる場合かしら!」

 シエルが光速で接近して正拳を放つ。シフルは胸のコアから緑色の光を放ち、シエルの主体時間を遅らせ、飛び退く。着地と共に、シエルの主体時間は復活する。

「何、今の……」

「君の主体時間を操作させてもらった。尤も、君の力が強大すぎてコンマ数秒しか止められなかったがね」

 その説明を聞いて、シエルの後ろで千早とグラナディアが頷く。

「なるほどね。時間を操作できるって言っても、外部からの強制力がどれだけ機能するかは、その力が対象にとってどれだけの力なのかによるってこと」

「そのようですね。ですが、数瞬とはいえ行動を制限されるのは、真剣勝負において致命傷を産み出すには十分すぎます」

 シフルは先程からゆったりと、三人とは一定の距離を保ち続ける。

「セレナの気が済むまでの時間稼ぎのつもり?」

 シエルが挑発するようにシフルへ問う。

「その通りだ。彼女のやりたいことは、可能な限り協力したいのでね」

 そこへ千早が狙い澄ました一撃を放つが、シフルは自分の周囲の時間を変転させ、高速化して右に避ける。千早は一気に急ブレーキをかけて変化した時間の力場の前で止まる。決定的な隙だったが、シフルは追撃せず距離を取る。

「わざわざここで勝負を挑んできた理由は何?時間の支配が目的なら、さっさと私と千早とストラトスを連れていけばいい」

 シエルがそう言うと、シフルは尻尾を振りつつ答える。

「まだその時ではない。ただそれだけのことだ。物事にはやるべき時期がある。時津風と言うだろう。まだそれが吹いていない。時間統合論に基づき時間を操作するならば、干渉する時期と言うのが極めて――」

 と、シフルへセレナから無線がかかってくる。

「終わったか」

『違うわよ!必要ないことぺらぺらと喋らないで!』

 無線が切れる。

「む……」

 シエルは雨に打たれつつも欠伸をしている。そこへ、ストラトスとセレナが着地し、互いに竜化を解く。

「シフル、今回はもういいわ。この程度じゃ話にならない。あなたの言うとおり、時期尚早だったみたい」

 雨足は次第に弱まり、雲の隙間から陽の光が射し込んでくる。

「君が満足したのなら、もはやここにいる意味はない」

 二人はストラトスたちに背を向ける。

「待ちやがれ!」

 槍を持って追撃しようとするストラトスの主体時間を遅らせ、セレナは長剣で時空を切り裂く。

「この戦いは、半分くらい私たちコルンツ家の問題。それを肝に銘じておくことね」

 セレナは時空の裂け目に消える。

「また会おう。君が自分の思いと戦い続ける限り、君は我々と戦う運命にある。君が壊れれば、その時が我々の計画が成就するときだ」

 シフルもセレナの後に続いて、時空の裂け目が閉じる。同時に、ストラトスの時間も元に戻る。

「クソッ」

 ストラトスは小さく苛つきを拳に込める。後ろからシエルがその手を握る。

「大丈夫?」

「ああ……まあ一応。散々な目にあったけどな」

 千早とグラナディアもストラトスの下へ寄ってくる。

「グラナディアさん、ラボはどこに?」

 グラナディアはすぐ近くの建造物を指差す。

「あれさ。私たちを泳がせておきたいなら、なぜここで勝負を挑んできたのか全く理解できないね」

「それは俺も同じっす。セレナには好き勝手にベラベラ喋られたっすけど、それがしたいなら俺らがあいつらの本拠地に辿り着いてからでもよかったはずっす」

 一行はラボへ歩き出す。


 ラボ区域

 内部は埃すらなく、通路はシフル灯が煌々とついていた。

「おや、珍しい。まさかまだ動力が生きているとは。……いや、そういうことか」

 グラナディアは立ち止まる。

「どしたんすか」

「いや、なぜあの二人が居たかわかったよ。きっとこの先には罠がある」

 シエルが会話に加わる。

「そう言えば、オペラハウスでセレナにあったけど、ンジャメナに来るよう言われたわね」

 グラナディアは頷く。

「ふむ。つまりはそういうことだ。どんな意図かはわからないが、罠があることは明白だろう」

「気ぃつけて進めってことっすね」

 ストラトスが歩き出すと、グラナディアたちもそれに追随する。そして、扉の壊れたエレベーター前まで来る。

「最近強引に破壊されたようですね。フォルメタリア鋼の備品を破壊できる人物は……」

 千早がそこまで言うと、シエルが後を引き取る。

「セレナしかいない」

「でしょうね」

 ストラトスと千早がシャフト内部を見上げる。

「エレベーターのロープはシフルチューブでしょうから、あれを伝って上へ行くことは出来ますよ」

「なあ千早、シドニーの時みたいに天井をぶち抜けないか?」

「そうですね、出来ますけど、せっかく穏便に上へ行けるならそちらの方がいいと思いませんか?」

 ストラトスは黙って頷く。千早が三階まで飛び上がり、シエルとグラナディアも同じ方法で三階まで移動する。

「あちょっ……お前ら……」

 ストラトスはロープに掴まり、地道に上がっていく。三階まで到着すると、ぬめっとした笑みを浮かべた千早がストラトスの手を取る。

「そう言えばストラトス様は好みの女性とかいらっしゃるんですか?」

「はぁ?なんで今聞くんだ?」

「いえ、アルバ・コルンツはそれはそれは美しいと有名ですから、芸術品として需要が高いとか」

「人間が芸術品って……まあそんだけ綺麗ってことか」

 千早がストラトスの手を両手で握る。

「ここには美少女が三人も居ますから、目移りするかもしれませんね?だから好みを聞いておこうかと」

 シエルが壁に寄りかかって腕を組み、左の二の腕を右の人差し指でつつきまくる。グラナディアは欠伸をしながらも、満更でもない表情をしている。

「ちょっ……シエル、助けてくれ」

 シエルは不機嫌そうにそっぽを向く。

「えぇ……」

 困惑するストラトスに、千早は距離を詰める。

「ささっ、早くお申し上げくださいませ」

「え、えーっと……強いて言うなら、千早みたいな感じ、かな……とか……?」

「ほーう……?ふむ、ふーむ……」

 千早はストラトスの俯いた顔を追いかけて合点がいったように頷く。

「嘘は無さそうですね。私が好みなら、恐らくアルバ・コルンツは守備範囲外でしょ……ハッ!?」

 千早は悪魔的な発想をしたかのように思考を巡らす。

「(シエル様もグラナディア様も男が放っておかないほど美しいはず、それでこの三人の中で私を……?もしかして)」

 ストラトスの手を強く握る。

「もしかしてストラトス様ってロリコンですか!?」

「道中であんまり口開かないと思ったらどうでもいいことに饒舌になってるけど、早く先に進もうぜ」

 話をはぐらかそうとすると、千早がなおも食い下がろうとして、グラナディアが思わず吹き出す。

「ははっ、奈野花もこういうやつだったよ。千早、初な男をあんまりからかうのはよくないものだよ。先へ行こう」

 千早は蠱惑の笑みを浮かべて、ストラトスの手を離す。グラナディアと千早は先へ進む。

「なんだったんだ……なあシエル」

 ストラトスがシエルへ話を振ると、シエルは徐にストラトスの右手を掴むと、全力でつねる。

「いただだだ!?何すんだよシエル!」

「私には全然デレてくれない癖になに千早にデレデレしとんねんな!」

「えっちょまっ……と、とりあえずつねるのやめてくれ!」

 シエルがパッと手を離す。

「ストラトスがロリコンとは思わなかったわ」

「誤解だって。ああいうときはリップサービスをするもんだろ、なあシエル」

「私はきっぱりと言うけどね。じゃあリップサービスじゃないなら誰なのよ」

「特にねえよ。そんな気になることでもねえだろ」

「……。ま、それでいいわ。今はそれどころじゃないし。二人を追うわよ」

「わかってる」

 二人は千早たちを追って走る。バルブ式の大扉の先の部屋に、千早たちは立っていた。その部屋とガラスで隔てられた向こうの部屋には、卵形の装置に黒髪の少女――アルバ・コルンツ――が眠っていた。

「まるで絵画だね。生きた芸術だ」

 グラナディアがそう言うと、ストラトスも頷く。

「確かに千早の言うとおりだ。ここまで均整のとれた人間がいるなんて……」

 千早がそれに続く。

「これがコルンツの血族の宿命です。万人を魅了する究極の扇情的な肢体……シフルを闘気と魔力に隔った、呪いの根源」

 シエルが口を開く。

「とりあえず助けなきゃ」

 他の三人も頷き、隣の部屋へ移動し、装置の横のコンソールをグラナディアが操作する。

「どうやら装置とアルバが深くリンクされているようだね」

「それってどういうことっすか」

「引き剥がすのに時間がかかるってことさ。流石の私でも、何垓桁もあるようなプログラムコードを一つ一つ壊してリンクを強制終了させるのは骨が折れるからね」

 ストラトスはシエルの方を見る。

「シエルは機械に強くないのか?」

「いいえ全く。あなたは?」

「俺もさっぱりだ。千早、お前はどうなんだ?」

 話を振られた千早はグッと親指を立てる。

「もちろん強いですよ。万物の霊長の妹ですからね」

 千早はグラナディアの横に並ぶ。

「生体情報を瞬時に情報化するシステムで鍵を作るデザインのようですね。網膜、血液、体温、指紋、それに体内シフルの波長まで必要みたいです」

「うーん、参ったねえ。最初の四つはここの材料をこねくり回せば作れそうだけど、シフル波長は生体それぞれで違う。誰のシフル波長が登録されているんだい?」

「四皇聖とセレナとシフルのようです。でも三十分毎にマスターの指示が出来る人物が不規則かつ重複なしで変化しているようです」

「ふむ……ここまでぶっ壊れている建物にしてはセキュリティが頑丈すぎる。シフルのシフル波長はマスターキーではないのかい?」

「いえ、違うようです。でも彼だけは、シフル波長だけでロックが通るようですね」

「そっちかー。ふむ、セレナたちが居たのはそれが理由か。ここのセキュリティソフトをアップデートして、時間を稼ごうってことだ」

 外野からシエルが口を開く。

「でもそれだと、あいつが言ってた時津風がどうたらこうたらっていうのと矛盾しない?あいつ自体は時間稼ぎする気は無さそうだったけど」

 グラナディアが答える。

「大人は嘘をつくものさ。どれだけ言質や物証を集めても、それを本物だと見分ける術が無い以上、本当とも嘘とも言いきれない」

 千早がコンソールを操作する。

「簡単なバイタルのチェックくらいならあちらの部屋で出来そうですよ」

「ねえ千早、このタイプのエッグから内部の人間を無理矢理引き剥がしたらどうなる?」

 グラナディアの問いに、千早が続く。

「常人なら即死でしょうね。何せコールドスリープ装置から適切な処理を経ずに中の人間を出すようなものですから。永遠に意識を取り戻せなくなる可能性が極めて高いです」

 シエルが再び外野から話しかける。

「シフル波長って家族とかなら似るもんなの?」

「ああ、似るだろうね。その生物を形作る根源的な設計図だと思ってくれればいいから。シフルの波長が似るから、DNAも似たようなデザインになる」

「ならストラトスはセレナといとこなんだから通るんじゃないの」

「やってみる価値はありそうだね。尤も、あの二人が我々の到着を想定して組んだロックだろうから、対策されているだろうけど」

 ストラトスはグラナディアに促され、コンソールの前に立ち、手を翳す。するとロック解除の小気味いい音が鳴り響く。

「お、開いたね」

「これで解決したってことっすか」

「一番の問題はそうだね。まあ二人で待っていてくれたまえ」

 ストラトスがシエルのもとへ戻ると、千早とグラナディアは周囲の道具を活用して色々な物体――異様に精巧に作られた指先の模型やセレナの目を模したコンタクト――を作り上げ、それらをストラトスへ差し出す。

「それを付けて指定の手順でロックを解除してくれたまえ」

 グラナディアに差し出された物を全て身に付けて、ストラトスは再びコンソールの前に立ち、コンソールに指定された手順通りに全てのロックを解く。

「おお、出来たじゃないか。急がなければ外部からプログラムを無力化出来たけど、これはラッキーだね」

 グラナディアがコンソールを操作し、千早がアルバを担ぎ出す。一行は隣の部屋に移り、ソファにアルバを寝かせる。

「起きるのにどれくらいかかるんすか」

「まあ一時間も待っていれば起きるんじゃないかな」

 アルバへ視線を向ける一行の耳許へ、通路から狂乱の雄叫びが反響して聞こえてくる。

「明らかに人間じゃないよな、今の声」

 ストラトスがシエルの方を見る。

「ええ。私たちが見てきますから、二人はここに居てください」

 グラナディアが頷き、二人は通路へ出て扉を閉める。そこへ、筋肉が膨れ上がった人間のような化け物が現れ、腕を振るってくる。二人は咄嗟に飛び退き、化け物の拳が床にめり込む。

「行くぜ!」

 ストラトスが槍を突き入れ、もがく化け物へシエルが正拳突きをぶつけて吹き飛ばす。頭が潰れた化け物は、即座に動かなくなる。

「何だ、こいつ……」

 腫れ物を見るようにストラトスは槍を引き抜きつつ化け物を観察する。

「動物でも、人間でもなさそうね。嚢胞がところどころに出来てるってことは、何かの病原体の実験動物かも……」

 シエルが扉を開け、グラナディアを呼び寄せる。グラナディアが化け物の死体を検める。

「ふむ……零血細胞を利用した生体兵器の試験体だね。ロシア支部では零血細胞に適合する身体強化ウィルスを作っていたはずだ」

 シエルが頷く。

「確かに聞いたことがある……ロシアと言えば、Chaos社の技術局がある場所で、そこでは大量破壊兵器が研究されていたとか」

「まあ、二足歩行兵器が大成してからはろくに研究されていなかったようだね」

 グラナディアが立ち上がると、千早が飛び出してくる。

「アルバ様の目が覚めましたよ」

 一行は部屋に戻り、アルバの前に立つ。

「あの……えっと……誰……ですか……?」

 アルバが消え入りそうな声でそう言う。グラナディアがストラトスへ視線を流す。

「えっ、俺から?俺はストラトス。ストラトス・レイナードだ」

 シエルが胸に手を当てる。

「私はシエル・エウレカ。よろしく頼むわね」

 グラナディアが嫌みっぽく笑う。

「私はヴァル=ヴルドル・グラナディアだ。よく覚えてくれたまえ」

 千早ははにかんで礼をする。アルバは四人の顔を順に見る。

「それで……私は今まで何を……?」

「あっちで眠ってたのさ。それを私たちが助けた」

 グラナディアの答えに、アルバは頷く。

「それは……どうも……ありがとうございます……」

 アルバが軽く頭を下げる――というか、彼女としては深くお辞儀をしたいのだろうが、身に付けた西洋人形のようなゴシックドレスのせいで腰が曲げられないようで、それしか出来ない。

「ねえ、随分綺麗なドレス着てるみたいだけど、どうしてその服を?」

 シエルが聞くと、アルバははにかむ。

「お父さんから……もらったんです……」

 その言葉に、ストラトスは顔をしかめる。が、流石に敵意を向けてこないアルバに対して態度に出すのは止めた。アルバはその気の流れに気がついたのか、ストラトスへ視線を向ける。

「あの……どこかで会いましたか……?」

「いや、知らねえな。グラナディアさん、アルバを助け出したってことは、オーストラリアに一旦帰るんすか?」

 ストラトスはグラナディアへ会話を逸らすと、グラナディアは首を横に振る。

「いや、違うね。デッドルインズは地下にリニアトレインがある」

「それが?」

「ヨーロッパへ続いている。ヨーロッパ地区・ドーントレスドーンへ、ね?」

 アルバはその地名に反応する。

「ヨーロッパ……」

 千早が更にアルバの言葉に反応する。

「ヨーロッパは確か、コルンツ家の邸宅があったはずですよね」

 グラナディアが頷く。

「ああ。今はシフルによって〝禁忌地域ロストレミニセンス〟と呼ばれているがね。そこには、彼女が居ないと意味がない人物が待っている」

 グラナディアの言葉に、アルバはガタガタと震え始める。

「どうした?大丈夫か?」

 ストラトスが膝立ちになってアルバと視線を合わせると、アルバはストラトスに抱きつく。ストラトスはアルバの肩を叩き、安心させるように優しく抱き締める。

「グラナディアさん、一体ヨーロッパに何があるっすか」

「君も知っているはずだよ。何せ君が生まれたのも禁忌地域。例えオーストラリアに捨てられたとしても、君の父親の近くにいる、その子そっくりの誰かさんのことを知っている」

「まさか……ロータ・コルンツ……?」

 その名前をストラトスが言った途端、アルバは異常なほど震える。

「彼女がその子にとってのトラウマであり、そして君の出生を知るこの世で唯一の人間。やつのロータへの執着と信頼は異常だったし、ロータのレイヴンへの執着と愛情も異常だった」

「グラナディアさん、あんたは――」

「おっと、勘違いしないでくれよ。私はただサディスティックなだけさ。敵じゃない。君も自分の気持ちにカタをつけたいだろ?」

「けど、この子が――いや、そうか。アルバ、大丈夫か?」

 ストラトスは自分の胸元で落ち着きを取り戻したアルバに声をかける。

「はい……落ち着き、ました……えへへ、お父さんの匂いがして安心します……」

 ストラトスは複雑な表情をするが、ため息を押し殺して立ち上がる。

「行こう、グラナディアさん。ヨーロッパへ」

 グラナディアは頷く。ストラトスはシエルと、千早に順番に視線を向ける。シエルはグッと親指を立て、千早は微笑む。一行はその部屋を後にした。


 デッドルインズ地下

 エレベーターシャフトを最下層まで降下すると、使用されていない地下鉄の駅へ辿り着く。構内は暗く、咄嗟にアルバがストラトスにしがみつく。それを面白がって千早がストラトスにしがみつき、シエルが不満げにそれを眺め、グラナディアが手元に怨愛の炎を産み出して視界を確保する。そしてグラナディアは後ろを振り向き、二人にしがみつかれて動きにくそうにしているストラトスを見て爆笑する。

「グラナディアさん、笑ってないでどっちかを離してくださいっす」

「いやあ、ごめんごめん。つい面白くて。ほら千早、ストラトスは強気に出られないんだから弄りすぎは良くないぞ」

 千早はそう言われてストラトスから離れ、グラナディアと並ぶ。ここぞとばかりに後ろからシエルが現れてストラトスの腕を抱く。

「んだよ急に。シエル、あんたは絶対それしなくていいだろ」

「何か?」

 シエルは無表情で言い放つ。怨愛の炎の仄かな明かりで照らされるその顔は、尋常でないほど恐怖を感じるものだった。

「いや……あの……やっぱなんでもないっす」

 その威圧感に押し負けたストラトスは黙る。その前で、グラナディアと千早は声を小さくして話す。

「グラナディア様、あなたの真意を謀りかねますが、ロータ・コルンツはクラエス・ホシヒメと違って容赦しないと思いますよ」

「ああ、だろうね。私たちが束になっても勝てるか怪しい。千早はどう思う?」

「私は十分戦えるとは思いますが、立場上あなた様方に全力で助力するのはお姉ちゃんに怒られちゃうので……」

「なるほど。本当に死にそうになったときは助けてもらうけどね」

「もちろん。死なれてはお姉ちゃんの計画が崩れるので」

 グラナディアが扉を開けると、そこは照明が煌煌とついていた。

「おや、どうやら先客がいたようだ」

 階段を降りて異様に広いホームへ一行が降り立つと、そこには男が一人立っていた。

「グラナディアさん、こいつは?」

 ストラトスの問いにグラナディアが答える前に、男が答える。

「俺の名前は鏡欲のワタル。新人類を導く、四皇聖の一人だ」

 シエルが前へ出る。

「私たちの足止めをしに来たってこと?」

 ワタルは組んでいた腕を解く。

「わからないか?取締役と秘書がお前たちと戯れていたのに、なぜ更に足止めを用意する。それなら元からお前たちをここへ来させないようオーストラリアで倒しておけばいいだけの話だ」

「だとすると……他に何か目的があるってことね」

「人はみな、何者かの命令を受けて生きている。凄まじい個人として動いていたとしても、脳と言う存在から逃れることはできない」

 ワタルは懐から小さな鏡の欠片を取り出す。

「この世界も所詮、割れた鏡の破片の1つでしかない」

 それを手から離すと無数の巨大な破片に分かれ、ワタルの周囲を漂う。

「さあ来い。時の十二要素、そして月光の妖狐。俺は使命に殉じよう」

 ワタルは片刃の大剣を肩に乗せ、瑠璃色の鎧を表出させて膝を伸ばし、3m近い巨体を現す。シエルが流体金属を纏わせた拳で攻撃すると、鏡の破片でガードされる。そこへ別の破片がシエル目掛けて飛ぶが、ストラトスが撃ち落とす。アルバを狙う攻撃を千早が弾き、シエルとストラトスが鏡の破片を突破してワタルへ接近する。シエルの拳を大剣で防ぎ、ストラトスへ大剣の切り上げをぶつける。ストラトスは槍の柄でガードし、石突きでワタルの兜を狙う。鏡の破片がストラトスへ飛び、グラナディアの炎がそれを阻む。ストラトスの攻撃がワタルへ直撃し、そのまま槍の穂先で切り下ろす。かすり傷すら入らず、ワタルの拳を躱すためにストラトスは飛び退き、シエルがワタルの攻撃の隙を狙ってアッパーを合わせる。ワタルの顎は僅かに上がるが、目立ったダメージは入っておらず、大剣の攻撃を避けるためにシエルも後退する。

「流石にしぶといな、本物の新人類サマはよ」

 ストラトスがそう吐き捨てる。

「挑発のつもりか?ならば無駄なことだ。他者とは自分を映す鏡。鏡には鏡らしく望む自分を反射してほしいと願う気持ちが、そうやって自分とは異なるものへの拒絶となる」

「ハッ、ご高説どうも!」

 ストラトスは穂先に竜化のエネルギーを込めて突進する。ワタルは大剣を盾にして迎え撃つが、強烈な衝撃に少しだけ押し負ける。

「うん?報告にあったよりも随分出力が高いようだ……セレナ様はそういうところが杜撰だから勘弁してほしいものだな」

「舐めんなよ、俺は自分の力不足で負けるのが一番嫌なんだ」

「そうか、ならば――」

 ストラトスの後ろで凄まじい輝きが放たれ、思わず振り向く。アルバと千早を取り囲むように鏡の破片が光を放っていた。

「なんだ、この光……!」

 そして、視界が光で暗転する。


 ――……――……――

 ストラトスたちは、ワタルも含め、幻影のような形で森林の中にいた。木々は空を覆い隠すほどに巨大で、その合間を無数の巨大な昆虫が歩き、飛び回っていた。景色が動き、その森林の奥深くにある祭壇のような場所になる。そこには二本足で立つ巨大な蜘蛛と、クワガタを模したマッシブな怪人、大柄な男と、青髪の少女、藍色の髪の少女、栗色の髪の女性と、悪魔のような顔にスーツ姿の男、金髪の女性、そして巨大な鎧のような何かが居た。金髪の女性が口を開く。

「バロン、そしてエンゲルバイン。よぉく見ておくがいい。これがエリアルの内に眠る欲望、そしてシフルの力だ」

 バロンと呼ばれた大柄の男が叫ぶ。

「……やめろ、シャンメルン!彼女は関係ないはずだ!」

 シャンメルンと呼ばれた金髪の女性は、輝きを纏って竜の姿を成す。

「我は見てみたい。九竜が一、怠惰の真竜として、人間の怠惰の果て、その欲望がどれだけの力を産み出すかを!今はまだ、儚い朧火であろうとも、やがては世界を喰らい、全てを埋め尽くす力となるだろう!」

 青髪の少女からどす黒い影が湧き出て、何かに宿る。

「さあ、蒼の深淵よ、今こそ形を得よ!」

 何かは重い複合装甲が隙間無くマウントされた四肢を持ち上げ、立ち上がる。エンゲルバインと呼ばれた蜘蛛は、それを見て悩ましげな声を出す。

「ふぅむ……トゴシャ・シャンメルン。後はそなたの好きにせよ。我はここで眺めている」

 横の怪人がすっとんきょうな声を出す。

「ええ!?ママ、それでいいんですか!?」

「ああ、構わん。エンゲルベーゼ、そなたもこの戦いを外から眺めようではないか。バロンを我の婿にするのは後からでも出来る。今は、感情を得た人間の力を見定めようではないか」

 至高の輝きを放つトゴシャ・シャンメルンは動き出した何かを見て大笑いする。

「見よ!機甲虫のメルティングポットたるこのがらくたが、命を持って動き出したではないか!」

 何かは、バロンたちと相対する。

「私……私はエリアル……その体より落とされし、知識欲、その力……!」

 栗色の髪の女性はため息をつく。

「致命的な愚かさですね。やれやれ」

 バロンはその女性を見る。

「……そう言うな、エメル。エリアルを救出しなければ」

「わかっていますよ。全く、戦えるのは嬉しいことと思っていなければやってられませんね」

 スーツ姿の男はネクタイを締め直す。

「陛下、これが終わったら、彼女と関わるのはやめることを推奨いたします」

「……ベリス、今は彼女が優先だ」

「仰せのままに」

 何かは、三人を敵と見なすと上体を持ち上げ、咆哮する。そして森林中からシフルを吸収しだす。

「私には、もっと力が、必要だ……!」

 何かは雄叫びを上げる。

 ――……――……――

 周囲の景色が戻り、鏡の破片は再びワタルを守るように展開されていた。

「なんだ、今の……」

 ストラトスが目頭を押さえる。

「あれがヴァナ・ファキナ……」

 ワタルは譫言のように呟く。アルバは消耗し、その場にへたり込む。千早が拳を構え直す。

「(……。なるほど。これがセレナとシフルの狙い。アルバの記憶とワタルの妙術を組み合わせることで、ヴァナ・ファキナについて何かしら知ろうとした、そう言うことか)」

 シエルが呆然と立ち尽くす。

「あれは……父さんと母さん?でも……」

 唯一、グラナディアだけが表情を崩さない。

「それで?まやかしはそれだけかい?」

 ワタルは大剣を持ち直す。

「いや。まだそいつの頭の中に必要な情報がある」

「残念だけど、そうもいかない。後がつっかえてるんでね」

 ストラトスが竜化する。

「その通りっす、グラナディアさん。こいつの幻術に付き合ってる暇はねえ!」

 翼からエネルギーを噴出させて突進し、右の拳をワタルの大剣へ叩きつける。ワタルは大剣と肩で攻撃を押し止めるが、シエルが追撃の渾身の蹴りをぶつけてガードを砕く。

「行くぜシエル!」

「わかってるわよ!」

 シエルが掌底を叩き込み、ストラトスが槍を産み出して強烈な刺突をぶつけてワタルは後退する。

「悲しいかな、旧人類では所詮その程度。我々は零なる神の血液を分け与えられし新たな人類。お前たちのような未来の展望しか考えぬものには敗れない」

「未来を考えて何が悪いッ!」

「変わらない今をどれだけ繁栄させられるか、それを考えたことがないのか?お前たちは強い。自らの意思で、世界を変えようと行動できるほどには。だが、戦いを望まぬ、愚かな一般市民はどう思う?レジスタンスでない旧人類や、Chaos社の兵士でない新人類は」

 ストラトスは躊躇する。同時に、右の線路を貨物運搬用の旧式列車が猛スピードで通過し、ワタルはそれに飛び乗る。ストラトスも咄嗟にそれに飛び乗り、シエルは動揺する。

「ちょっ!グラナディアさん、どうしたら!?」

 グラナディアは極めて冷静に言い放つ。

「まだ使われてない列車を使うよ。この地下鉄は本来、レジスタンスが使っていたものだが……独立機構の終焉後、放棄されていた。一定の距離ごとにワープゲートがあり、それでこことロシアとヨーロッパ、そして中国を繋いでいる。まあ、中国とロシアとの繋がりは絶たれているがね」

 シエルは顎に手を当てる。

「なるほど、一定距離ごとにワープ……え?じゃあもしかして、早くストラトスを見つけないと……」

「我々の目的地からは離れた場所に辿り着くだろうね。ま、すぐに追い付くさ」

 グラナディアは左の線路を見る。そこには、旧式の列車があった。

「運転は千早がしてくれ。私は怨愛の炎でこいつを無理矢理加速させる。ストラトスを回収するのはシエルで、アルバはお留守番だ」

 三人は頷き、一行は列車に乗る。


 地下鉄・貨物列車

 凄まじい速度で走り続ける貨物列車の上で、ワタルとストラトスは相対していた。

「逃がさねえぞ」

 ワタルにそう言うが、まるで気にしていないようだ。

「おい、聞いてんのか!」

「聞いているとも。寂しがりか?」

「構えろよ」

「残念だが俺はここでの役目を終えた」

 ワタルに皹が入り、鏡のように砕け散る。

「逃げんな!」

 そしてその鏡の向こうから、右腕が竜化した巫女服の女――ルクレツィアが現れる。

「あんたは……」

 ストラトスは意外な敵に驚きの表情を見せる。

「オセを見捨ててここまで来たってのか」

「ウチは誰の味方でもない。ただ雇われただけや」

「なら俺はあんたと戦う気はねえ。この列車を止める方法を考えようぜ」

 ルクレツィアは呆れたようにため息をつく。

「アンタはアホか?戦う気があるかないか……そんなものを戦場に持ち込むっちゅうんは、平和ボケやな」

 そして竜化した右腕で刀を抜く。

「敵は全て殺す。それが戦士のあるべき姿や」

「なんでこうなるんだ……!」

 ストラトスは仕方なく槍を構え、ルクレツィアは高速で接近して蹴り入れ、続けて刀で連続攻撃を仕掛ける。最後の一撃を受け止め、ストラトスは叫ぶ。

「誰の味方でもないなら、誰の敵でもないはずだろ!?」

「アホやな。この世に成立する順接はない。それに、ウチは戦いたいだけやしな」

 槍を弾き、石突きでストラトスの顎を叩き、横に一閃、更に胴体を滅多切りにし、止めに納刀してスパークを纏った超高速の抜刀攻撃で吹き飛ばす。間髪入れずにルクレツィアは距離を詰め、上から切り下ろして無積載の貨物車に叩きつける。ストラトスは起き上がり、次の攻撃に備える。ルクレツィアはストラトスを嘲り、わざと隙を見せて挑発する。

「さあ、来ぃや。ウチが稽古をつけたるわ」

「俺は戦う気は――」

 ストラトスがそう言うやいなや、ルクレツィアは壁へ飛び、高速で走り続ける列車と同じ速度で壁面を走り、ストラトスへ突進する。ストラトスはその攻撃を上手く往なし、ルクレツィアは戦意のない逃げの防御であることを瞬時に見抜き、槍の防御を掻い潜るために刀で突きを放つ。刀は簡単にストラトスの防御をすり抜け、腹を深く突き破って背中から刃先が突き出る。勢いよく引き抜かれ、その反動でストラトスは後ろへ倒れる。間髪入れず、ルクレツィアは刀を下に向けて駆け寄り、切り上げ、宙へ浮いたところへもう一太刀加え、貨物コンテナへ吹き飛ばされたストラトスはコンテナの壁を突き破って中を通り抜け、更に後方の無積載の貨物車を滑る、ルクレツィアがジャンプで追い付く。

「これでわかったやろ。アンタみたいな小便臭い小僧は、死ぬしかないっちゅうことや」

 ストラトスは槍を持って起き上がる。

「(こいつは目的がねえ……いや、戦うことそのものが目的だ!どっちの陣営とかない、全てが敵なんだ!)」

 ストラトスは明確な殺意を目に宿して、ルクレツィアと対する。ルクレツィアが大振りな初撃を構え、それを起点として緩やかな連撃を放つ。ストラトスはそれを防ぎ、露骨に見せてきた隙をわざと見逃し、次の攻撃の準備へ入ろうとしたタイミングで攻撃する。が、ルクレツィアはそれもお見通しと言わんばかりに刀の腹で往なし、肘でストラトスを怯ませ、そこへ出鱈目に切りつけて発勁で膝から崩れ落ちさせる。ストラトスは悶え、呼吸が出来ない。

「いい目になった思ったんやけどなあ。ウチの勘違いやったわ」

 ルクレツィアがストラトスの首を切断しようと振りかぶる――瞬間、線路が二本に増え、左から同じ速度で列車が横付けしてくる。同時に、ルクレツィア目掛けてシエルがキックで飛び込んでくる。ルクレツィアは飛び退き、シエルはストラトスに駆け寄る。

「大丈夫?」

「あ……っあ……」

 まだ呼吸が整わないストラトスが頷く。シエルはルクレツィアへ視線を合わせ、拳を構える。

「ふん、ウチは仕事は果たした」

 ルクレツィアは懐からPDAを取り出し、何かしらの操作をする。同時に、貨物列車が後方から順に爆発していく。

「ウチは帰らせてもらうわ。またの機会にぶっ殺したる」

 ルクレツィアの頭上にワープホールが現れ、彼女はそこへ飛び込んで消える。シエルは動けないストラトスを抱え、爆発する列車から左の列車へ飛び乗る。後方でグラナディアが噴射する炎の量を上げて右の列車を振り切り、右の列車は大爆発を起こして停止する。グラナディアは炎の噴射を止め、シエルたちの下へ戻ってくる。ソファにストラトスを寝かせると、一目散にアルバが駆け寄ってくる。

「私……医療の心得があります……ストラトスさんの傷は……責任を持って治します……」

 アルバがシエルへそう言う。

「そう。ならあなたに任せるわ。私は力加減わかんないから、怪我を増やしそうだしね」

 グラナディアとシエルは並んで反対側のソファに座る。

「グラナディアさんはさっきワタルの力で現れたあの景色、どう思いますか」

 シエルの問いに、グラナディアは僅かに思案顔をする。

「ふぅむ……アルバに何か関係があることなんだろうけど……この世界にあんなどでかい虫はいないし、光だけで体が構成された生命体も聞いたことがない」

「やっぱそうですよね。父さんの知り合いにあんな人たちはいなかったはずだし……」

「恐らくは、私たちには関係のないことなんだろう。ワタルももっとアルバにあの幻術を使いたかったようだし、あちらが求める情報と言う訳でもないようだ」

「それと、ミ・ル・ルクレツィアについて何か知りませんか」

「ああ、彼女はホシヒメのかつての仲間の一人だよ」

「それは知っているんです。戦闘能力や、どうしてシフルとの戦いの後生き延びていたのか……」

「そっちか。彼女は当然竜世界、つまりはworldAの生まれな訳だけど、そこに住まう凶竜という種族の一人なんだ。そして、当代の凶竜では最強と言われていた。ゼロという竜王種の皇子に剣術の師事を仰いだとされ、その戦闘能力は大国を一人で滅ぼせるほどだとされているよ。竜としての力は、爆発する結晶を操る能力で、タイマンに向いた人間形態よりは、複数との戦いに向いているね」

「あの超高速の抜刀術は……」

「あれこそがゼロから伝授された戦い方なんだろう。それに遠目に見たあの刀……あれはChaos社の兵士に配られる一般的な近接戦闘用のやつだよ。人間の脳の電位を利用して、素人や腕力のない人間でも素早く抜刀して、軽く振り回せるっていう。だが彼女は正真正銘の竜だ。シフルの扱いは私たちのような普通の人間より断然上手い。体内シフルを電撃に変えるなど余裕だろうね」

「まさか、その電位で動く刀剣に、過剰な電力を供給することで」

「そう、君たちも見ただろう、あの非常識な速度の抜刀を可能にしているのさ。尤も、そんなことをしたら刀の方がオーバーロードを起こしてただの刀になりそうな気がするけどね。ともかく、彼女は極限まで相手を殺傷することに特化した殺人剣を使う。ルールを守ってやる剣道とは訳が違う。充分わかってるだろうけど、彼女と今度戦闘するときは戦いのセオリーなど捨てて戦うんだ。ストラトスにも同じことを言っておいてくれ。私は千早とこの先の路線について話してくる」

 グラナディアは立ち上がり、先頭車両へ歩いていく。シエルはストラトスを手当てするアルバへ視線を向ける。

「セレナ……」

 ストラトスは譫言を言う。アルバの手が一瞬止まる。

「血族の宿命、血の呪いね……そうね、血も名前も、生まれる前から決められた、確かに呪いなのかもしれない……」

 シエルは静かにそう呟いて、それっきり車内には沈黙が流れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る