あかねさす


 雨が降ってきた。暖かさが増すほど、天候が揺らぐ。雪柳はビニール傘を差しながら、柄をくるくるとまわした。

 梅雨は過ぎ、夏がそこまでやって来ている。



 きゅ、きゅ、とスキール音が響く。体育館の中は熱気で湿度と温度が高くなっていた。ゴールが決まる度、歓声が湧く。

 本日はスポーツ大会。


「強制参加って辛い行事……」


 江長は体育館の二階のキャットウォークに座りながら嘆いた。雪柳や同じ学部の友人たちはそれに同意しながら、各々スマホを見たり階下のバスケを応援したり。


「あ、江長ちゃん。樋野がいるよ」

「どうせダラダラ走ってるんでしょ」

「見てもないのに分かるなんてすごい」


 江長と雪柳はバドミントンに出たが、2回戦敗退。優勝者には賞品が出るというのに誘われて、参加した。

 ここで溜まっているのは同じような感じで、午後まで予定がなくなった女子たちだ。

 雪柳はバスケチームの中に目白を見つけていた。樋野とは敵チームらしく、ビブスの色が違った。それをじっと観察する。

 走り、ボールを受けてパス、またパスが回ってきて、ドリブルしてシュート。華麗な動きの中で、ちらちらと樋野がテキトーに参加しているのが気になるようで見ている。

 思わず雪柳が笑うと、江長は驚いて顔を上げた。


「どうしたの?」

「目白がママしてる」

「ああ、目白。勝ってる」


 目白のいるチームだ。


「目白って文化系っぽいけど、運動神経良いし頭も良いし結構万能だよね」

「ご両親、警察なんだって」

「あー、優等生っぽい感じがそれ。警察官にならないの?」

「同じこと私も聞いたら、絶対嫌だって。親と同じ職場」

「確かにねえ、同じ職場は辛いね」


 江長は腕を組んで頷いた。試合終了のホイッスルが鳴り、午前の部が終了した。雪柳は立ち上がり試合結果を見る。

 ふと目白と目が合った。手を小さく振ると、大きく振り返された。疲れているのか、動きが大雑把になっている。


「お前何出てたの」

「バド! 2回戦負け!」

「お疲れ。昼飯は?」

「敗退組でパンケーキ食べに行く」

「帰るんか」


 苦笑する。雪柳の居るちょうど下で立ち止まり、その隣に樋野も立った。雪柳の向こうに誰かを捜している。


「江長ちゃん、樋野が話したそうにしてるよ」

「え、何?」


 あの日爆発した江長は、気が済んだのか特に樋野へ強く当たることは無くなった。伴奏は受け付けていないが。

 ひょこ、と雪柳の横から顔を覗かせる。


「俺もパンケーキ食いたい」

「……勝手にすれば」


 敗退組の仲間入りを果たした樋野も仲間に加わった。


「豊も行く?」

「行きたい、けど」


 タイミング良く「目白ー」と呼ばれる。スポーツ大会は学友会主催だ。やるべきことは沢山ある。忙しい目白を置いて、敗退組でパンケーキを頬張りに行った。


「目白って彼女いんの?」

「気になる子はいるって言ってた」

「君ら、恋愛話とかすんの」


 ごほ、と噎せながら樋野は言った。それに江長が目を細める。


「あたし達いちおう女子ですけど?」

「いや、雪柳と豊。どういう心境で……」

「普通に、世間話みたいな感じで」


 樋野は目白を憐れんだ。きっとこの無垢な瞳で「誰?」と尋ねられたのだろう。雪柳は気にした様子もなく、アイスティーを飲んでいる。


「可愛いのがタイプでしょ、目白。誰だろ、学校じゃないなら分かんないな」

「江長ちゃんの学部に可愛い子いるよね」

「性格はいまいちだけどね」

「そんなことは知りたくなかった」

「煩いそこの男子」


 江長に指摘された男子たちがケラケラ笑っている。


「案外傍に居たりするかも」


 樋野の言葉に、雪柳が顔を上げる。白い肌に大きな瞳。長い睫毛が動く。


「……樋野とか?」

「ちげーわ……」


 がっくりと肩を落とし、樋野は溜息を吐いた。これは殆ど脈がないぞ、とここには居ない目白を思う。殆ど死体同然だ。

 パンケーキ組はその後、大学に戻る組と帰る組と分かれた。雪柳は帰る方へと居たのだが、途中で牛丼屋を見かけ、前に目白が『カレー牛丼が食いたい』と言っていたのを思い出した。








 腹が減った。

 打ち合わせも終わり、午後の部が三十分後に始まる。学食が残っていればそこで腹を満たそう、と体育館のステージからおりようとした。


「お、樋野が美人と歩いてる」

「あれって雪柳さんでしょ、ねえ目白」


 有志メンバーの一人に尋ねられ、顔を上げる。体育館に樋野が入ってくるのが見えた。凡そこの後合唱部の練習でもあるのだろう。隣に雪柳の姿。そのまま帰ったのでは、と見ていた。

 その視線に気付いたのか、最初から捜すつもりだったのか、雪柳が目白へ大きく手を振った。


「どうした?」

「目白が食べたいって言ってたカレー牛丼あったら買ってきた」


 雪柳が近づくとカレーのスパイスの香りがした。腹の底を擽る。


「もうご飯食べた?」

「死ぬほど空腹。嬉しくて泣きそう。今度沢山アイス買ってやる」

「え、じゃあダッツが良い」

「ダッツは三つまでな」

「個数制限なんて聞いてない」


 静かにしていた樋野が何か言いたげに目白を見た。


「樋野は練習か?」

「うん。まあ……豊、頑張れ」

「バスケ? 頑張るけど」

「あーうん、まあそれも……これだけは言っとく」

「なにを」

「相手は死体同然だ」


 死体……? と疑問符を浮かべたが、ハッと気づいた顔になり、バスケの対戦表を見た。次のチームを確認したのだ。


「負傷者でもいんのか? そんな報告は無かったけど」


 樋野は再度肩を落とし、ひらりと手を振った。


「なんでもない。じゃあな」

「おお、練習頑張れよ」

「樋野ばいばい」


 体育館を出て行く樋野を見送る。


「あれ高校の部活Tシャツだよな」

「江長ちゃんも同じの着てて、ペアルックなのかって聞かれてガチギレしてたよ、二人で」

「目に見える」


 目白がラウンジで昼飯にするのに着いていき、雪柳はコーヒーを飲んだ。食べる様子をじっと見ている。


「……食うか?」

「え、要らない。パンケーキ食べたし」

「あらそうですか」


 じゃあ何故そんなに見てくるのか。目白は言葉には出来ずに、そのままにしておいた。

 しかし途中で飽きたようで、雪柳は手の中で何かをコロコロと回して遊び始めた。


「何だそれ」

「この前のゲーセンで取った石たち」

「持ち歩いてんのか?」

「綺麗だから」


 ころり、と雪柳は三つの透明な角ばった石を並べる。目白は一つを取り上げて見た。


「きらきらしてるの、なんで?」


 雪柳の質問に、目白は視線を向ける。なんで、とは。目が合い、数秒。


「石が?」

「ううん、目白」

「俺?」


 顔に何かついてるか、と目元を擦るが、雪柳の視線は止まない。それでずっと見てきていたのか、と一つ納得する。


「どこだよ、早く言えよ」


 すっと雪柳が目白の顔へ手を伸ばす。ふに、と頬を掴んだ。驚き、きょとんと固まる。

 えへ、と雪柳が嬉しそうに笑うので、我に返りその手を掴み返した。


「やめろ馬鹿」

「目白のほっぺた固いね。表情筋?」

「知らん。ごちそうさま」


 ぱっと手を離した。

 しっかり手を併せて容器を片付ける。雪柳は頬杖をつきながら透明な石を拾ってポケットへしまった。


「あ、先輩」


 その声に、目白と雪柳の視線が上がる。



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