温度、色、かたさ


 大学一年の二人はその他学生から見れば、同学年か後輩である。ここで先輩と呼ばれることはまずない。

 しかし、数カ月前までは最上学年だったのだ。癖でつい顔を上げてしまった、のだが。


「尼崎、なんでここにいんの」

「やっぱり副会長だー!」


 雪柳は目をぱちくりさせ、漸く話す姿を捉えた。見たことのある、女子。


「大学見学で来ました。お久しぶりです」

「久しぶり。学校どう? 生徒会」

「先輩たち居なくなって伸び伸びしてます」

「おいこら」


 ケラケラ笑う尼崎に、目白も可笑しそうに笑った。

 雪柳は記憶の引き出しを引き当てた。卒業式、雪のような桜、告白。

 目白はそれを断ったと言っていた。それなのに今こうして、笑い合っている。

 がたん、と立ち上がる。目白がそれを見上げ、雪柳を見た。


「雪柳、生徒会の……」

「私、帰る」


 雪柳は目白を見下げる。きらきらが消えていた。


「え?」

「ばいばーい」

「あ、お疲れ様です」


 尼崎のお辞儀に会釈を返す。去っていく雪柳の背中を見て、目白は二度瞬く。


「……お邪魔でした?」

「いや、全然」

「先輩、まだ雪柳先輩と付き合ってるんですね」

「付き合ってねえよ」

「え?」


 明確な別れも無かったが、付き合う期間は終了した。お互い口には出さないが、そういう認識だ。

 尼崎は首を傾げたまま、目白を見る。


「嫌いになっちゃったんですか?」

「……いや、逆だな」


 困っているくらいだ。

 好き過ぎて。

 ころん、とひとつだけ残された透明な石を見た。




 人との繋がりは、難しい。

 雪柳はベッドの中で丸まっていた。

 好きと言われた数は、嫌いと言われた数を上回ったはずなのに、いつまでたっても傷は癒えない。癒えないまま、膿んで、ぐちゃぐちゃに、爛れている。

 触れてくれるな、と色んな人を遠ざけた。それに触れない人だけに近寄った。江長も、樋野も、目白も。

 理由は分かっていた。嫌いなのは、自分だ。自分を好きになれないから、いつまでもこうして不安で、不安定で。

 好意を受け取らなかったら、嫌われた。言われなくてもわかる。目も合わなくなるし、話もしなくなるから、嫌われたんだなと思った。

 でも、目白は違った。告白を断わっても、ああして楽しく、話せる。良いな、と羨んだ。雪柳は枕に顔を埋める。羨んだのではなく、嫉妬した。





 漸く階段を上りきり、玄関前へ。疲れと眠気で、重たい扉を開いた。もう消えていると思っていたリビングの灯りは点いており、明るい中へ入ると雪柳が一人がけソファーにいた。


「ただい……」


 テレビは深夜のスポーツ番組をやっていた。リモコンはテーブルに置かれている。


「ま」


 返答はない。屍ではなく、就寝中。

 眠る雪柳の横顔を覗く。


 スポーツ大会を終え、学友会での打ち上げがあった。


『目白って彼女と同棲してるんでしょ?』

『え、そうなの? 彼女って?』

『雪柳さん? あの、めっちゃ美人な子か!』


 先輩や同期からの質問責めにあった。海堂の方を見れば、あからさまに目を逸らされた。

 それらに返事をして、泥酔した先輩の介抱をして、こんな時間になってしまった。実家ならとっくに終電を逃していただろう。

 彼女じゃなくて友人、同棲じゃなくて同居。その言葉のひとつひとつは、修正すべき大事な点だ。


『男女のルームシェアなんて、寝た瞬間に終わるよね』

『雪柳さんに欲情したりしないの?』

『どっちかに恋人できたらどうすんの?』


 女性意見多数。それに打ち返すような球もなく。

 確かに、どうしようかなと考えた。その可能性は頭のどこかにあった。いや、寝るとか寝ないとかの話ではなく、どちらかに、雪柳に恋人ができたらの話だ。

 できたら、祝福する姿が見えた。目白は『そうか、良かったな』と笑っている想像がついた。

 そんな想像、要らんけど。

 自分に嘲笑ってしまった。


 雪柳の唇に入った髪の毛を取ろうと、頬を撫でていく。その感触に目が醒め、ぱっと大きな瞳が開いた。人の姿に驚き、ばっと目白から距離を取る。


「わ、」

「うあ!?」

「悪い」

「よだれ?」


 口元に手をやり、雪柳は言った。


「いや、髪食ってたから」

「かみ、ああ……髪……」


 ようやく落ち着き、雪柳は脱力する。


「……おかえり」

「ちゃんと部屋で寝ろよ」

「うん、なんか嫌な夢みたかも」

「どんな?」

「夢の中でも、眠ってた」

「どんだけ眠かったんだよ」


 言いながら、目白はテレビを消した。雪柳が起き上がり、目を擦ってから目白の顔を覗く。

 その近さに、固まる目白。


「なに?」

「きらきらが」

「きらきら?」


 その言葉に、透明な石を思い出す。


「きらきらが、消えちゃった」


 しゅんとした雪柳に、目白はポケットからあの石を取り出そうとした。その前にスマホのバイブ音が鳴り、先にそちらを見た。尼崎からの着信だ。

 鳴り止まないそれに、はいはい、と言いながら出る。その間に雪柳が横を通り抜け、リビングを出ていった。


「もしもし」

『もしもし、遅くにすみません! メッセージ見ました、先輩が持ってます?』

「うん、やっぱりあれお前のか」


 大学のパンフレット一式がテーブルに置き忘れられていたのを見つけたのは目白だ。とりあえず預かっておくか、と事務には届けずに連絡を入れておいた。


「ああ、じゃあこっち来たら連絡してくれ。持ってくから」


 通話を切る。ポケットの中から取り出した石を見て、開かれたリビングの扉の奥の廊下へ向く。洗面所の灯りもついておらず、雪柳は自室へ戻っていた。




 雪柳のバイト先に江長がやって来た。ちょうど上がりの時間だったので、一緒に店を出る。江長はコンクールがあったらしく、ドレスを着ていた。


「その姿でここに来て大丈夫だったの?」

「大丈夫だよ、お腹空いてたし」


 しっかり餃子定食を食べた江長が笑う。雪柳はつられて笑った。


「優勝?」

「ううん、入選。上には上がいる」

「江長ちゃんは割り切れて大人だよね」

「ぜーんぜん、割り切ってない。めっちゃ悔しくて、帰ってすごい練習して、でも気分晴れなくてここに来ちゃった」


 着替えもせずに。

 笑って言うので、雪柳も暗い顔が出来なかった。


「気分晴れた?」

「藤乃と喋ったから晴れた。帰ったらまた練習する。努力は報われなくても、努力を信じたことは変わらない。コンクールは他人と競うものだけど、ステージにはあたししか居ないから」


 孤独を想像して、雪柳はぞっとする。江長はぷらぷらと手を振り回し、くるりと回った。


「自分のこと、信じる為に練習する」


 その顔に、きらきらが見えた。目白と同じものなのかは分からないが、雪柳はじっと観察した。


「江長ちゃんに惚れる」

「くるしゅうない」

「わたしも何か最近ざわざわしてて」

「ざわざわ?」

「目白と話してると、心が騒ぐというか」


 江長はそれを口にするかどうか考え、結局止めた。


「それ、目白に言ってみたら?」

「……言ったら何かになる?」

「目白はママじゃん。きっと一緒に考えてくれるでしょ、たぶん」


 酷く曖昧でテキトウな返答に、雪柳は笑う。その結果がどうなるかは分からないが、雪柳の新しい気持ちの成長だ。潰すことは本望ではない。


「じゃあ帰って起きてたら聞いてみる」

「わざわざ電話かけるの?」

「ううん、リビングに居たら……」

「リビング?」


 ハッと雪柳は江長を見る。

 伝えるのをすっかり忘れていた、と顔に書いてあった。



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