第29話 透明な貌
◆◆◆
地上に戻ると、辺りは警察と治安維持部隊で溢れかえっていた。
指名手配されている殺人鬼が、MASK本社のオフィスに侵入した挙げ句、建物の中を破壊して回ったのだ。大騒ぎするのも無理はない。
上空にはマスコミのヘリが飛び交い、インタビューを受けていたシズ姉ぇは俺に気が付くとあわてて駆け寄ってきた。
「あ、夏也! 良かった~、無事だったんだ……」
手をギュッと握られ、安堵の息を漏らされる。
(シズ姉ぇ、か)
違う。目の前の少女は本物の月影静流ではない。
〈ゼルプスト〉の催眠暗示により、そう振る舞うことを強制された赤の他人なのだ。
いったいどこまで忠実に再現されたのだろう。
シズ姉ぇがもしも生きていたのなら、こんな性格に育っていたのだろうか?
「夏也がシャドウを追いかけていっちゃった時、私すごく怖かったよ……もう帰ってこないんじゃないかって」
「大丈夫だよ。何ともないさ」
「……そ、そう。あのねっ……私嬉しかったよ。あんなに責められたのに、それでも夏也は殺されそうだった私を助けようとしてくれた……。ほんと、何てお礼を言えばいいか」
「いいんだよ……もう。そのことは、もういいんだ……」
俺はシズ姉ぇに見捨てられたわけではなかったから。
本当はずっと愛されていたのだから。
だから今、この偽物の少女を恨む気持ちは俺の中からとうに霧散していた。
「夏也は優しいよね。それにすっごく頼もしい……。あ、そうだ。夏也聞いて? 孝太郎ったらひどいのよ? 私がシャドウに殺されそうになったっていうのに、二言三言言うだけで、すぐにビルの被害状況確認しに行っちゃったんだから。もうっ 婚約者の私と会社と、どっちが大切なんだろあいつ。……本当に私、愛されてるのかしら? それに比べたらさ~、夏也ってばほんと包容力があるよね、絶対に私のことを想ってくれてるっていうかさ……」
「……やめよう。そういうこと」
「え?」
「そういう陰口はさ、君にだけは言って欲しくないんだ。……俺の知ってるシズ姉ぇは、もっと優しい人だったから」
「あ……。ご、ごめん。そうだよねっ アハハ! うん、夏也がそう言うなら、やめるねっ」
――お前に言ってるんじゃない。
その顔と声、戸籍で、あの人の存在を汚すことは絶対に許さない。それだけだ。
(試しに、この娘の自意識を呼び覚ましてみるか……?)
催眠暗示によって定着してしまった仮装人格。
そのペルソナを剥がすことは、俺ならできる。
ゼノフェイスのもう一つの能力。
他人の〈自意識〉を奪い、装着する仮面の力を応用すれば、彼女の眠れる人格を呼び起こすことは造作もないからだ。
自我などというものは、所詮は自分というOSで活動するアプリに過ぎない。
それを再起動させてやれば……この娘は本当の自分を取り戻せるかも知れない。
俺はスッと偽静流の頬に手を添えた。
このまま架空の仮面を剥げば、彼女は……元に戻る。
「夏、也……?」
(だが、これまでの人生を覆されたこの娘はどうなる? 半生をシズ姉ぇの代用品として生き、今更納得ができるのか? 本当の自分を取り戻したとして、それで幸せになれるとでも?)
彼女とて、きっと〈秘密結社ペルソナ〉に拉致された犠牲者の一人。
結局のところ俺の同類だ。帰る場所など、おそらくはもうないはず。どうする!?
「……どうしたの? シてくれないの?」
「え?」
「いいよ、夏也なら……。孝太郎より先に、私のファーストキスあげる」
「……っ!」
この尻軽女め……。
死んだシズ姉ぇは、そんな簡単に男を鞍替えするような人じゃない! もっと清純な人だったんだ!
いいだろう。お前のすべてを否定してやる。
植え付けられた仮面、その暗示を、今解いてやるぞッ!
「――思い出せ。お前の〈自意識〉を……!」
ゼノフェイス発動。被せられた仮装人格を、今、引き剥がす!
一瞬だけ顔に添えられた掌からオーラが溢れ出す。
さあ、これで処置は終わりだ。そしてお前の名を思い出せ……!
「? どうしたの夏也? キスしてくれるんじゃないの?」
しかし彼女……偽静流は、キョトンとして俺のことを見つめていた。
「……な、に?」
暗示が解けないだと?
バカな。この娘は、自分を月影静流だと思いこんでいる赤の他人のはず。
洗脳により、人格を刷り込まれているはずなのだ! なのになぜそれが剥がれない!?
(考えろ。思考を止めてはいけない! だが……!)
考察1、この娘はそもそも暗示になど掛かっていない。
考察2、月影静流は実は死んでなどいなく、この娘が正真正銘当人である。
(クソ! どういうことだ? 彼女が偽物で、かつ暗示になど掛かっていない場合、残される可能性とは……)
――突然、爆音が轟いた。
遠くで火の手が上がり、パニックに陥った人々が「シャドウだ!」と騒ぎ立てている。
「……チッ。また面倒ごとか。ここは危険だ。君は一刻も早く避難しろ」
「え? え!? そ、そんな……夏也はどうするの!?」
「俺は……行くところがある。運が良ければまた会えるさ」
「そんな! ちょっ、夏也! 夏也ってばぁーーッ!!」
遠方に黒煙が立ちこめる中、俺は〈セルフ〉の仲間……ユング大佐が待機している町の裏手へと向かった。
どうやら火の出火元は兜都学園の旧校舎らしい。
人などいなく、人的被害はほとんどないはずだが、あそこは孝太郎が〈使い魔〉の実験に利用していたはず。
あの爆発が本当にシャドウによるものだとしたら、奴の狙いはいったい何なのか……。
俺は様々な疑念に駆られながら、大佐の待つ郊外へとたどり着いた。
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