第16話 見送り

「夏也は、私を孝太郎から奪ってみる気、ある? もし、あんたがその気ならさ、私……」


 シズ姉ぇはいつになく真剣な様相になって、俺に迫ってきた。

 いったいどこまで本気なのだろうか?

 柔らかな胸が腕に当てられ、鼻孔をくすぐる甘い香りにぞくぞくとしたものを感じる。成長したシズ姉ぇの肢体は、俺の理性を溶かす麻薬のようだった。

 だが……


「俺に、MASKの次期社長を敵に回せっていうのかい? 天に唾吐くかのような愚行だな。あいにく、恋愛ごときで人生を棒に振るう趣味は持ち合わせていないよ」


「…………そぅ。そっか……」


 本意ではない言葉。

 とはいえ、俺の冷たい反応を見たシズ姉ぇは気まずそうにしておきあがった。


「そうだよね、私……すごい身勝手だわ。あんたにだって、転校してくる前の学校に彼女がいて、今でも連絡取り合ってたかも知れないのに……そういうこと何も考えてなくて」


「シズ姉ぇ、俺は……」


 そんな相手はいないに決まっている。

 本当は今だって、ずっとシズ姉ぇのことが好きなんだ。

 だけど立場上、それを今告げることはできない。

 ここでいたずらに孝太郎を刺激しては、街での活動が色々とややこしくなってしまうことは明白だからだ。

 だから今は、今だけは……どうしても素直になるわけにはいかないのに……。


「あ~あっ! どっかにロマンチックな出会いって転がってないかしら……?」


「婚約者がいるヤツが言って良いセリフか? それは」


「それはそれ。これはこれ。たとえばさぁ、ある日いきなり空から美少年が降ってくるとか~、異世界に召喚されて王子様から巫女として頼られちゃうとか~、美形だけど変人な男の子のドタバタ日常劇に巻き込まれるとか~、色々あるじゃない~?」


「発想が男女逆転してるよシズ姉ぇ」


 彼女は、もしかしたら俺のことを待っていてくれたのだろうか?

 遠い日の約束を。

 それがもし本当ならば……俺は……。


 幼い頃、シズ姉ぇに婚約指輪をプレゼントした思い出が、改めて胸に去来きょらいする。



『――これ、本当にわたしにくれるの……?』

『――ありがとうっ! 夏也っこれ、わたし一生の宝物にするねっ!』



「あの、さ……。シズ姉ぇ、オモチャの指輪って……覚えてるかな?」


 僅かな望みを賭けて、シズ姉ぇに問いかけてみる。

 頼む、覚えていてくれ。

 そんな願掛けをしながら発せられた質問に対し、彼女の反応は……


「は? オモチャの指輪? なぁにそれ?」


 さもくだらないと言わんばかりに返されてしまった。

 俺の中の淡い期待は、泡のように砕け散る。


「……っ」


 あァ、分かっていたとも。あんなものは所詮しょせん子供の頃の口約束だと!

 むしろ、そんな儚い思い出に一縷いちるの望みを賭けた自分に反吐へどが出る。

 おのれを殺せ。いい加減、未練など捨てろ!

 俺にとって孝太郎とシズ姉ぇは、もはや両親の仇を捜すための布石に過ぎないのだと!


「私達さ、本当はもうあの頃には戻れないんだよね。私、夏也が言わなくても分かってるよ。でもね、聞いて? 私さ……それはそれで、実は素敵なことなんじゃないかなって思うんだ」


「どこらへんが?」


「夏也は……わからない?」


 頷いて見せると、彼女はどこか乾いた微笑みを浮かべ、遠いものでも見るような表情になった。


「そっか。ごめん。夏也には、分からないんだね」


(……ッ!)


 やめろよ、何を自己完結してんだよシズ姉ぇ! 俺はもう過去の人間なのか!?

 どうして昔の思い出をないがしろにできるんだよ!

 抽象的なことに同意を求め、今の自分を肯定して欲しいだけじゃないのか……!?


「あっ、もうこんな時間だ。遅くなっちゃったし、そろそろ帰るね?」


「そっか……。料理、わざわざありがとうな」


「いーって、いーって! あ~……今度はもうちょっと料理の腕上げてくるかなぁ」


 俺の反応がいまいちだと受け取ったのか、不服そうな態度を見せる彼女に俺は罪悪感を覚えた。


「……本当は、美味しかったよシズ姉ぇ。文句なかった。正直に言えなくてごめん」


「え? そう!? えっへへぇ、そっかそっか~! うんうんっ! なら良しっ!」


 途端に表情を明るくする彼女を見て、心がずきずきと疼く。


「帰り道、送ろうか?」


「大丈夫。迎えの車が来てるから。それにこのあとね、婚約会見のパーティーがあるの」


「…………そうか、なら男の俺が一緒にいるわけにはいかないな」


「うん、ありがと。だからもう行くね? ……孝太郎が私のことを待っているから」


 シズ姉ぇは顔を赤らめながらそう言って、家を出て行く。

 そんな彼女のうしろ姿を眺めながら、俺は……静かに壁を殴りつけるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る