第15話 しょうが焼き

   ◆◆◆


 その後、孝太郎と別れたあとの帰り道。


 シズ姉ぇは、俺の住んでいるアパートを教えろとせがんできた。

 住所を教えるや否や、いきなりスーパーで買い物をしてくると言って別行動を取った彼女は、二十分後俺のアパートへと押しかけて、その両手には大量の買い物袋が吊されていた。


「毎度~! 通い妻でーっす! って、うっわぁ! ほんと何もない部屋だねぇ。殺風景すぎ! パイプベッド一つとか、夏也……あんた本当に高校生?」


「大きなお世話だ。引っ越してきたばかりって言ったろ? 漁るな、何もないって」


 満面の笑顔で玄関に現れた彼女は、部屋に上がると我が物顔で部屋を物色し始める。

 次いでベッドの下に屈み込むシズ姉ぇに対し、俺はあきれたように溜め息をついた。


「あっれ~? 夏也くんのエッチ本はどこかな~?」


「ねえよ」


「ますます健全な男子高校生とは思えないわね……。チッ、夏也の性癖を知る良いチャンスだと思ったのになぁ残念……」


 再会早々、真っ先に知りたい情報が性癖ってどんな神経をしているんだこの女は。


「そんなもの調べてどうするんだ」


「え? それはほら、アレよ。やっぱ幼なじみ系の純愛モノだったら嬉しいじゃない?」


「残念ながら、俺の好みは人妻緊縛モノだ」


「う、うわぁマジで? ディープ過ぎ……っていうか、キモ……」


「おい」


「それってさ、他人の女を奪うのに快感を覚えるってヤツ? 最近催眠アプリで寝取るようなのが流行ってるらしいけど、あんたも鬼畜なのねぇ」


「……はぁ。嘘だよ、冗談。冗談に決まってるだろ」


 だいたい、部屋にベッドしかないのに、他に唯一ある物品がそんな本であってたまるか。

 ……実際のところ、ここのアパートはダミーだ。

 俺が普段寝泊まりしているところは都内のホテルであり、そこには大佐と連絡を行う通信機や盗聴器などの機類が設置されている。

 まさかそんな場所に連れて行けるはずもない。


「ありゃ。冷蔵庫、水しか入ってないの!? う~む、普段どんな食生活してるのやら」


「シズ姉ぇは俺に何を期待してるのさ?」


「いやぁ、パック詰めになった人肉とかあったら猟奇的じゃない? ああっ、そしてそんなおそろしい家に押し入ってしまった、この可憐なる美少女の運命やいかに!? って」


 オーバーリアクションでころころと表情を変えるシズ姉ぇに、俺は呆れたように嘆息する。


「俺は殺人鬼かよ」


 やれやれ、つくづくマイペースだな。

 本当、そういうところは変わりがない。


「まあ冗談はさておき、台所借りるね? きょうは腕によりを掛けてご馳走しちゃうんだからっ」


 買い物袋からごそごそと品物を取り出すシズ姉ぇ。

 中からは調味料やフライパン、大きめの鍋、しまいには炊飯器など様々なものを取り出すと、シズ姉ぇはせっせと料理を始める。


「米袋まで……。シズ姉ぇ、これさっき全部一人で持ってきたのか?」


「大丈夫っ、お金のことは気にしないで? きょうは私のおごりだから!」


(いや、俺が気になるのはどんな怪力してんだってことなんだが。荷物多すぎだろ)


 あっけにとられる俺とは別に、シズ姉ぇはエプロンを身につけるとてきぱきと料理を作ってくれる。


「まさか、あのシズ姉ぇが料理とはね」


「失礼ね~。これでも花嫁修業してるのよ? ほっぺたが落ちても知らないんだからねっ」


「じゃあ嫁入り前の娘が、男の家にホイホイ上がり込んでもいいのか?」


「あんたはト・ク・ベ・ツ! 私にとっちゃ、弟みたいなもんだからっ!」


(……弟みたい、か)


 確かに彼女の方が年上だし、昔から姉御肌なところがあった。

 俺と孝太郎は、常に彼女に牽引けんいんされるかたちで遊びに巻き込まれていたと思う。

 だからこそ、あの男勝りで純心だったシズ姉ぇが、花嫁修業で料理を学んでいることに、どうしようもない時の流れを感じずにはいられないのだ。

 まな板の上で包丁を切るトントントンという音を静かに聴きながら、俺はしばらく部屋の片隅で、憂鬱な気持ちにならざるをえなかった。


「はい! できたよ~。さ、さっ、味見して♪」


 机にはご飯とみそ汁、お新香、そして豚肉の生姜焼きが美味しそうに湯気をあげている。


「どうよどうよ~? フフンッ、美味しそうでしょ~?」


「銀のスプーン、ないか?」


「へ? 何で?」


 きょとんとする彼女に、俺は意地悪そうに言った。


「毒に反応するんだよ」


「あ、あんたねぇ」


 片眉をつりあげながら肩を怒らせるシズ姉ぇ。

 なぜだか、ついつい彼女に意地悪な態度を取りたくなってしまう自分がいる。


 漫画だと、まずい料理を食べて泡を吹くシーンがあるが、アレはそもそも毒じゃなかったことを思い出す。俺は恐る恐る、シズ姉ぇの料理をご馳走になった。


「む、意外だな。結構いけるもんだ」


「だしょー!? おいし? おいし?」


「……カップ麺よりかはね」


「あ、あまのじゃくぅ! せっかく男の子用に、濃い味付けにしてあげたのよ? 孝太郎だったらもっと素直に喜ぶんだけどな~」


 シズ姉ぇが何の気なしに発した言葉に、ピクリと反応する。


「…………孝太郎にも、こうして料理を?」


 彼女の手料理をご馳走になった男は、俺が初めての相手ではないと……そういうことか。


「え? あ、まぁそりゃね。一応、婚約者なわけだし……さ」


 一瞬だけ目を泳がせ、シズ姉ぇはバツが悪そうに言う。


「そうだよな。シズ姉ぇは孝太郎とつきあっているんだから、当然だよな」


「――……夏也さ、やっぱり、私達のこと怒ってない?」


「なぜ?」


「だ、だって……私、夏也と結婚する約束してたんだもの。親が決めた許嫁とかじゃなくてさ、ちゃんと子供の頃に……お互い、意識してたじゃない」


「小さい頃の話だ。人生なんて色々だろ?」


「そう、なのかな。ねえ、もしも夏也が引っ越さなくて私が孝太郎のプロポーズを受けてなかったら……二人ともどうなってたのかな」


「……さあな。もしも、なんて話は無意味だ。人は現実をあるがままに受け入れるしかない。それができなければ、“仮面”を付けるまでさ……」


 俺だって何も好きこのんで故郷を……シズ姉ぇと、離れたわけじゃない。

 MASKの陰謀に巻き込まれ、無理矢理彼女と引き裂かれてしまったのだ。

 それがこうして七年ぶりに戻ってきてみれば、あっさりと孝太郎と結婚するだと? ふざけるな。


「仮面、か。じゃあ、私もすこし……素直になってみようかな……」


 シズ姉ぇはずいっと迫ると、俺を床に押し倒してくる。


「し、シズ姉ぇ……?」

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