第52話 ポーラスター 特攻
「ジャバラの歌?」
退助が問うと、倉木はほくほく顔でうなずく。
「前からあるだろうという予測はされていたんですけど、ジャバラに一定以上近づく必要があって、なかなか聴くことが出来なかったんです」
「あいつら、歌を歌っているんですか?」
「そう。クジラの歌みたいに」つぶやくように告げて、倉木は画面に向き直る。そこにはデジタル波形の通信データが表示されていた。「ジャバラは各個体ごとに共通の歌を歌って敵と味方を識別してます。これは通常の敵味方識別信号とは別の物です。一種の免疫機構であろうと推測されています。ということは、この歌を聴いて、それを歌えば、奴らは味方だと判断する。つまり、この電磁波の波形を発信していれば攻撃させることがないんです。敵味方識別信号を発信していなくともです。その歌を、ライトニング・ゼロが受信できたため、こちらでも手に入れることができました」
「じゃあ、ここからはジャバラに攻撃されずに恐山まで行くことができるんですか?」
「はい、理論上は。ただしこの歌は、約一時間で変更されると推察されています。つまり、あと一時間はわたしたちは」倉木はにっこりと笑った。「無敵状態です」
「だがな」インカムで黒崎が会話に割って入る。「あと一時間じゃあ、恐山の山頂まではいけないぞ。どんなに飛ばしても、二時間はかかる」
車の揺れが激しい。いまも黒崎がかなり無理して飛ばしているのが分かる。
「ポーラスターで行くのはあきらめましょう」車椅子のうえの倉木も、揺れに抵抗している。「ある程度近づいたら、ヴァイラス・ゼロで直接特攻します」
退助はちいさく息をのむ。
ヴァイラス・ゼロで特攻するとは、退助と倉木がのりこんだあの小型機がジャバラのジッカイに突撃することを意味する。すなわち、あと一時間以内に自分と倉木は死ぬことになるのだ。
──だが。
と退助は思う。
そのために自分はここまで来たのだ。倉木も同じ。それに、ここで特攻しなかったからといって、もう日本には、いや地球には自分たち人類が安心して住める場所はない。どこか遠くの土地、たとえば中国の山奥へ逃げたとしても、ガスも水道も電気もない場所で自分たちが生活できるとは、とても思えない。そして、そこでなんとか生き延びたとして、ジャバラが地球にいる限り、けっして安穏とした日々は続かないのだ。
ならばあの侵略者の大型機械に一撃ぶちかまし、目にものを見せて、それで散るのも悪くない。
学校の先生や教会の牧師さんなら、命を粗末にしてはいけないと言うのだろうけれど、今はもう、いくら命を大事にしても、それを失わずに済む世界ではなくなってしまったのだ。だったらそれを、少しでも無駄にせず、ジャバラへの反撃のカードとして使い切るのも悪くない。
「よし、行きましょう」
退助はぐっと拳を握りしめた。
これから死ぬ恐怖はある。だが、ここまでやられっ放しだった人類が、とうとう侵略者へ反撃できるのだ思うと、燃え上がるように身も心も奮い立つ。
「一時間以内、か」インカムごしに黒崎の声が響く。「倉木、その『歌』ってやつは、すぐに発信できるのか?」
「もうしてますよ」うんざりしたような倉木の返答。
「ヴァイラス・ゼロからは?」
「もう準備できてます」
「よし、じゃあ。準備しよう。停めるぞ」
「え?」
倉木の驚いたような声に重なって、ポーラスターが急停車する。立っていた退助は思わずよろけ、背もたれに慌ててつかまった。
「黒崎さん……」
倉木がなにか言いかけるが、黒崎はさえぎった。
「倉木、荷台のルーフを開くから、退助とヴァイラス・ゼロに乗り込め。ここからは俺一人で運転する。ヴァイラス・ゼロの航続距離は短い。ここから恐山山頂までは絶対に届かない。ヴァイラス・ゼロがたどりつける距離まで、このポーラスターを走らせるから、そこから一気に空を飛んでいってくれ。なぁに、一時間あればなんとか辿り着けるだろう」
「ええ……」
倉木は同意した。だが、すこしその表情は曇っている。なにかが気に入らないようだ。が、彼女は素直に黒崎の指示にしたがった。
黒崎は降車すると、さっそく荷台のルーフを開く作業に入った。
退助も車を出て、倉木の搭乗を手伝う。アームで地上に降りた倉木だが、車椅子のままでは荷台に登れない。退助はステップの手前で倉木を待ち、「どうしますか?」と訊ねる。
「退助、倉木を抱いて上まで来られるか?」
ルーフを操作している黒崎が大声を出す。
「え? あ、いや……」
倉木は背が低く、身体も細いが、中学生の退助が抱き上げて鉄の階段を上がるのはすこし難しい。彼があたふたしていると、車椅子で近づいてきた倉木は「平気よ」といって、ひじ掛けに両手をかけ、力を入れて身体を持ち上げた。
ゆっくりと膝をのばし、金属の義足を地面に突き立てる。義足のさきに履いたスニーカーがアスファルトをとらえ、ふらつきながらも何とか倉木は自分の両脚で立ち上がる。
「歩けないわけじゃないの。ただ、わたしは歩く練習をするよりも、もっと他にやらなきゃならないことが沢山あるから」
言いつつも顔を歪め、真剣なまなざして一歩、二歩と踏み出す。退助は思わず手を差し伸べる。倉木は一度無視し、一瞬考えてその手を摑んだ。
「ありがと」
柔らかくて、すごく小さい手。赤ちゃんの手みたいだった。その手が、意外に強い握力で退助の指を摑む。倉木はステップに到達し、鉄の階段の手すりを摑むと、そこからはしっかりした足取りで上に登り始めた。
荷台の上で退助は倉木を待ち、彼女に手を貸そうとするが、彼女はそれを手で制し、自らの足で進む。たどたどしくはあったが、一歩一歩着実に進み、架台の上に固定された砲弾型の小型機の搭乗口まで到達する。倉木はハッチの取っ手につかまると、それを勢いよく開いた。
中は複座のコックピット。武骨なシートがふたつ。内壁はすべてVRシミュレーターのスクリーンで覆われ、複座シートは360×360の視界のなかで宙に浮いている。
倉木はハンドルを摑んで、ステップに足を乗せ、そこからは車椅子にのりこむ要領でくるりと身を翻してシートについた。慣れた手つきで四点式のシートベルトで身体を固定している。
倉木がついたのは後席。ならば、退助は前席に入ることになる。だが、全周映像パネルの美しい光の中に浮くコックピットに入ろうとした退助の身体は、ぴたりと止まった。
ここに入ったら二度と出られない。これは自分自身の棺桶なのだ。そんな思いが脳裏を横切り、足が止まってしまった。一度止まった足は、二度と動かない。退助はハッチの縁に手をついたまま、固まってしまう。
複座の後部シートで、操縦パネルのスイッチをつぎつぎと入れていた倉木が退助の様子に気づき、顔を向けた。
そして、にっこりと笑う。
「こわい? やめてもいいよ」
退助は彼女の慈愛に満ちた笑みに胸をやさしくつつまれ、そして思い出した。たくさんのことを思い出した。
超能力者として動画を配信し、人気者になったこと。テレビに出て有名になり、やがてインチキをし、それがバレ、日本中から叩かれたこと。学校に居場所がなくなり、家族の心もバラバラになり、でもドローン操縦という自分の居場所を見つけたこと。そして異星人の襲来。
超地震。倒壊したビル。美しい遊星ラクシュミーが輝く空。地球の戦闘機をつぎつぎ撃墜するジャバラの飛翔体。
避難所の生活。寒く、いつまでも明けない夜。やがて神波羅退助だとバレて処刑されることになった日。襲ってくるブシ。黒崎、そして倉木との出会い。大型トレーラーの旅。
不思議だった。いちばんたくさん思い出すのは、ほんの一日か二日の、トレーラーの旅の事ばかり。
どこまでも続く高速道路。夕日を横に見ながら走る景色。サービスエリアの駐車場。フードコートで食べたハンバーグ・カレー。倉木の泣き顔。
「いえ」
退助は短くこたえると、つぎの一歩を踏み出した。
操縦席によじ登り、シートに身を沈める。
考えてみれば自分は数奇な運命をたどってここに辿りついた。そして、今日、どうやら最期の日を迎えるようだ。そしてそれは、想像以上に突飛な終わり方であるらしい。
だってそうだろう。まさか自分が異星人の宇宙船に特攻して死ぬことになるなんて、いったい誰が想像したろうか。
「すごいコックピットですね」退助は指で操縦パネルのスイッチ類をなぞった。
そして、後ろの倉木に伝える。
「面白いことになりそうだ」
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