第35話 ポーラスター 那須


「で、そのバスで相模原の避難所まで移動したわけか」

「ええ」

 助手席の退助は、ちらりとステアリングをにぎる黒崎を横目でのぞいた。

 彼は火のついていないタバコを口にくわえ、前を見ながらトレーラーを走らせている。

「でも、状況はひどかったです」

 あまり運転の邪魔をしないように、軽い調子で話を続ける退助。

「と、いうと?」

「あの避難所に行ったのはぼくが乗ったバスだけで、他の号車は別の避難所に行ったみたいなんですが……」


 あのときのことを思いだして退助は溜息をついた。

「百人以上が新たに避難所に入るわけじゃないですか。そもそもそんなに場所が余っていたわけでもなく、元からいた避難民は、なんか自分たちが先住民みたいな調子でまったく場所をゆずってくれなくて……」

 退助たち新たな避難民が体育館に入っていっても、もとからいた避難民たちは誰一人振り向きもせず、とうぜん場所を譲ってもくれず、無視を決め込む始末。退助たちは途方にくれるしかなかった。区の職員もトラブルを恐れて強いことは言えず、自衛隊は中に入っても来ない。体育館の中のことは避難民同士で決めろとばかりに、自分たちの仕事は入口まで届けたら終わりというスタンス。迷彩服の自衛官たちは、当たり障りのない挨拶をしてトラックでさっさと帰還してしまった。

 到着した避難民の中にいた身体の大きい男性が声を荒げて、「おいお前ら、少しは場所を寄こせよ!」と恫喝したが、元からいた避難民の中から立ち上がった数人の男たちが取り囲み、あっという間に彼を殴りつけて黙らせてしまった。男たちは一切の容赦なく男性に拳を打ち下ろすと、彼が静かになるまでその手を緩めなかった。


 仕方なく退助たち新入りの避難民は、隅の空いているスペースに、それこそ肩を寄せ合うようにして座り込み、横になることもままならず、体育座りのままじっとしていることになった。

 冷たい床の上で何時間も。ただひたすら、寒さに耐えて座り続ける苦行の開始だった。


「そりゃ、ひでえな」

 くわえタバコの黒崎は、前を向いたままステアリングを握っている。ポーラスターは東北縦貫自動車道を北上中。栃木県に入り、すでに那須インターチェンジを越えてしばらく走ったあたり。

 二車線道路の左右は木に囲まれ、道はゆるやかな下り。

 黒崎はアクセルを緩め、回転数を落として、エンジンブレーキをきかせている。

 単調なドライブに飽きがきているのかもしれない。黒崎は退助に避難所の話をきき、退助も眠気覚ましに今まであったことを語っていた。

「眠かったら寝てもいいぜ」ちらりと黒崎がこちらへ首を向ける。「避難所ではあまり眠れなかったんだろう?」

「いえ、だいじょうぶです」


 じつは眠いのだが、黒崎に運転させて自分が寝てしまうのは申し訳ないという気持ちがあった。

「ってことはさ」黒崎が口を開く。「あの相模原の避難所に移動したのは、まだジャバラの攻撃は始まってなかったときか」

「そうですね」退助はうなずく。あのときのことを思い出し、眠気が一時的に去る。「テレビで中国が北海道沖のジッカイと函館のクボウに攻撃をするって発表があって、あのニュースが流れたときは、古い人も新しい人も、一緒になってテレビに拍手喝采してましたよ」


 退助は軽い後悔を感じて、つい先週のことを思い出す。ジャバラへの攻撃を決断した中国軍に対して拍手喝采したのは退助も同じだったからだ。

 自国の国土が蹂躙されたのに、自衛隊はなにもしなかった。専守防衛だとか正当防衛のみだとか、この非常事態に際していつもの御託をならべていたし、国会の政治家たちも喧々諤々。法律とその解釈の話ばかりしている。戦争の永久放棄がどうの、第九条がどうのと、そればかりだった。


 頼みの綱の米軍は、いざとなったら自国のことに手いっぱいで、日本の危機を救おうともしない。毎年何百億円も日本からお金をもらっているのに、一番大事な時は自分優先。当たり前といえば当たり前だが、それがアメリカという国なのだろう。


 そこに立ち上がったのが中国だった。

 隣国日本の危機を救うため、函館に居座るクボウに通常兵器の攻撃を、さらに北海道沖百五十キロの位置に浮遊するジッカイには核ミサイルによる攻撃を宣言した。

 都市部に強制着陸したクボウへの核攻撃は、国土への被害が大きい。が、洋上百五十キロに位置するジッカイには、核ミサイルによる攻撃を与えても日本の環境への影響は差ほどないという計測結果かららしい。


「なんにしろ、ジャバラの宇宙船への核ミサイル攻撃を決断したことで、テレビのまえのみんなは、中国はさすがだ!と賞賛の声で盛り上がってましたから」

 過去の自分を嘲笑する口調で、退助はフロントガラスに向けてつぶやいた。

「まあ、無理もないかなぁ、あの状況じゃあ」黒崎は苦笑しながら、ギアを下げ、アクセルを踏む。道が登りに差し掛かったのだ。エンジン音が変わり、車体の振動が太くなる。「だが、中国の思惑は全然ちがうところにあった。あれは日本のためじゃない。自分たちの利益のためだ。そのために、日本を犠牲にしたのさ」


 まさにその通りであった。

 太平洋上のジャバラは、いまは日本への侵攻を進めている。だが、それが終われば次は韓国、そのつぎが中国だ。

 そこまで読んだあの国は、自らの身に火の粉がかかるまえに、自国の兵器がどの程度ジャバラに通用するのかを確かめたかったのだ。もし通用しないなら、対策を立てる必要がある。もし通用したなら、自分たちがジャバラから奪い返した日本の国土の領有権を主張することもできる。


 そして、結果は惨憺たるものだった。

 直径二十キロにおよぶ巨大宇宙船クボウ。函館を押しつぶしたその巨体には、中国爆撃機の攻撃はまったく通用しなかった。火と煙が立ちのぼるばかりで、山の如く動かざる鋼鉄の要塞は、その表面に傷ひとつつかなかった。

 そして、洋上のジッカイ。

 潜水艦からの核攻撃を受けた直径二キロの宇宙船は、巨大な爆光のドームと走る閃光、成層圏にまで立ちのぼるきのこ雲を受けたにもかかわらず、こちらも全くの無傷だったのだ。

 画像解析によると、ジッカイの周囲には、不可視の力場が存在し、それが核ミサイルの熱も衝撃波も完全に防いでいたとのことである。その力場は、現在は地球側によって、アナルマント・シールドと名付けられている。


 ないと思われたバリアが、じっさいにはジャバラの宇宙船の周囲には展開されていたらしい。その未知の力場を、地球の計測器は検出できていなかっただけなのだ。

 通常兵器を素通りさせるそれは、核兵器のような強烈なエネルギーの奔流からは、宇宙船を完璧に防護していたのだ。


 中国軍の攻撃がまったく通用しなかったときの、みんなの落胆は大きかった。

 だが、本当の恐怖はそのあとおとずれた。


 突然、函館のクボウが起動したのだ。

 上部のハッチを次々と開き、そこから飛翔体が無数に飛び立った。

 六枚羽の大型機ロクボウと、二枚羽の小型機セイレイ。これらが、まるで巣を攻撃されたスズメバチの群れのように大挙して飛来し、札幌と青森の都市部を破壊した。この新型は、小型飛翔体であるにもかかわらず、核ビーム兵器であるアナイアレイターやイレイザーキャノンを標準装備し、機体によっては強力な殲滅兵器オキシジェン・ブラスターを腹の下に吊っているものもあった。


 日本の北の都市はつぎつぎと壊滅させられていった。ジャバラを攻撃したのは中国であるのに、その報復を喰らったのは北海道南部と青森北部の都市だった。日本人たちは最初その理不尽さに怒ったが、すぐに気づくことになる。中国にまんまとしてやられたことに。

 そして、さらにショッキングな事案が発生する。


 太平洋の海中から浮上してきた一基のクボウが、その内部から大型の攻撃兵器を出現させ、直径三百メートルもあるビームを撃ち放ったのだ。その射程、じつに一千キロを越えると予想される核反応光学兵器の照準は、日本の富士山だった。

 のちにニトロ・アジャテイターと呼称されることになるこの超兵器の一撃をくらった富士山は、子供が作った砂場の砂山のように吹き飛び、その基部から大量の溶岩を噴き出して大規模な山火事を誘発した。吹き飛ばされた土砂をかぶり、静岡県の北東部から駿河湾に及ぶエリアまでが土砂と瓦礫、噴出した溶岩の下に沈んだ。


 日本はたった二時間で、ジャバラの兵器に蹂躙にされ、その国土も国民の精神も、完膚なきまでに打ちのめされた。

 札幌と青森、弘前が壊滅し、富士山が崩される。それにより、日本人の誇りは打ち砕かれ、精神的に敗北したといえよう。

 いずれジャバラが去り、地震と破壊から街を復興し、遠い将来ではあるが、再びもとの平和な生活に戻れるに違いないという、日本人の甘い予測と儚い希望は、このときに吹き飛ばされたのだ。


「そしてそのあと、北海道が沈没しました。その日の夕方でしたかね。以前の地球の自転なら翌日くらいの時刻ですが」退助はため息まじりに思い出す。「そんなとき、いきなり避難民の中にいた中学生がぼくのことを、あいつ神波羅退助だぞって、他の人に告げ口して。あ、ほんとだ、こいつ見たことある。インチキ超能力者だぞって」

「それで、イジメにあったわけか」

「いじめとは違いますね。ジャバラへの報復をぼくに対して行っている感じでした」

 退助は肩をすくめた。

 ふいにインカムが鳴った。倉木が口を開いたのだ。

「それをいじめというのです」

 え? 聞いてたの?と驚いて、退助と黒崎がかすかに背後を振り返る。が、倉木は気づかない様子で続ける。

「自分たちが敵わないジャバラに反撃するのではなく、手近にいる自分たちより弱い者を叩く。それをいじめといわず何というのですか」

 彼女の声にはかすかな怒りがこもっていた。

「だから、私たちは反撃するのです。私たちよりずっと強いあのジャバラに。弱い私たちによる、弱い私たちなりのやり方で。お返しの一撃を与えるのです」


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