第34話 孔冥と秀吉 振動


「孔冥! 俺は忙しいんだ。つまらない用事で呼び出すのはやめてくれ!」

 研究室の扉を勢いよく開いて、秀吉は叫んだ。さすがに今の状況では冷静になれという方が無理である。

「つまらない用事ではない」

 だが天才科学者は秀吉の癇癪なんぞ、壁のしみくらいにしか気にしていない様子。

 しかし、秀吉とて、今回はおとなしく引き下がる気はない。

「どうせ今話題の微弱な地震波のことだろう。あれだけの超地震が起きたんだ。余震がいまだに続いていてもおかしくないだろう」

「地震じゃないらしいぞ。振動の波形が違うらしい」孔冥は秀吉の癇癪なんぞどこ吹く風。しらっとタブレットの画面を見せてきた。そこには、いくつかの波形を並行表示したデータ・グラフが映っている。

「それが重要なのか?」秀吉は自分の声がかすれていることに気づいた。が、ここで矛を納めることは難しい。「ちょっとくらい地面が揺れたからって、どれほどの被害が出る? いいか、孔冥。いま日本は大変なことになっている。地震の被害や被災者の受け入れ、復興や病床の確保。問題は山積みだ。そして、まだ報道されていないが、あと一週間か二週間のうちに日本の土台を揺るがす大問題が表面化してくる。それはな──」

「食糧問題か?」

「……どうしてそれを?」

「最初から言っているじゃないか」孔冥は口を尖らせて、壁際に山積みされているカップ麺のダンボールを顎で示した。それらは、惑星ラクシュミーが軌道を変えたという報道がなされたときに孔冥が買い占めたもののほんの一部だ。「全世界的な災害が起こったら、とにかく食料だよ」

 孔冥はにやりと笑って秀吉のことを見上げる。

 秀吉は溜息しかでない。

「日本の食料自給率は40%を切っている。つまり6割以上を輸入に頼っている」孔冥は辛辣な口調で語り始めた。「そんなときに地球的規模の災害が起きたら? 諸外国は食料を輸出するだろうか? 金を払えば食料はいつでも手に入る。日本は今までずっとそう考え、それを実行してきた。これからもずっと変わらないだろう。だが、この世界的なカタストロフィーのさなか、金を払うからといって、自国民の分を削ってまで日本に食料を売ってくれる国があるかな。うーん、ないだろう。今は金どころじゃない。金よりも食料、金よりも命だ」

 孔冥は低く笑った。もちろん笑い事でないことは、この天才科学者も分かっているはず。

「だから僕は最初に食料を買いこんでおいた。ただし、これとて永遠にもつわけではない。いずれ尽きるだろう。そして、一度尽きたら補充は二度とない。秀吉、君の言う通り、日本が備蓄している食料は緊急事態用も含めてあと一週間か二週間がいいところだな。つまり、日本人は異星人の侵略を待たずに総員餓死する可能性があるということだ」

 秀吉には答える言葉がなかった。

「日本の食糧問題に関して、僕は政府を責めるつもりはない。いや、誰も、誰かを責められはしないだろう。じっさい僕の同級生に農業に従事している人間はいないし、かくいう僕も農業を始めようと考えたことは一度もないからな。だがら、食糧問題は君や君の同僚たちに一任するよ。僕が考えても仕方ないことだ。僕はだから、僕に出来ることで日本を、いや世界を救おうと考えている。そもそもの最初からね」

「……地震の話を聞こうか。いや、聞かせてくれ」

「東北大の掛川教授からの話だ。おかしな波形の振動がずっと続いているらしい。一定のリズムで、強くもならず弱くもならず、ずっとらしい。これは自然現象としては特異なことで、地面の振動は、普通は強くなったり弱くなったりする。それがまるで機械で計ったように正確に、一定の強さ、一定のリズムで続いているらしい」

「それはつまり、どういうことだ?」

「ジャバラが海の底で何かしているのだろうと、掛川教授は考えている」

「なにかとは、なんだ?」

「まだ分からん。だが、分かったときには手遅れである可能性が高い。といっても、いずれにしろ未然に防ぐことは出来ないんだろうがな」

「俺に何をしろというのだ」

「頭の片隅に置いておいてくれ。気象庁の方から情報がいったら、すぐにこっちにも回してほしい」

「そうする」

 秀吉は返事だけして踵を返した。

「秀吉」

 退出しようとする秀吉を、孔冥が呼び止める。

「すまなかった。つまらないことで呼び出したかもしれない」

「いや、そんなことはない。いまはつまらないことに見えても、あとで大きな意味が生まれる可能性もある。よく注意しておくよ。他に情報があがったら、すぐに伝える」

「わかった。じゃあな」

「ああ。また来るよ。いつでも呼んでくれ」

 秀吉は孔冥の研究室をあとにした。


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