第30話 ポーラスター 蓮田サービスエリア


 ポーラスターは快調に東北自動車道を走行していた。カーステレオからは黒崎の趣味のロックンロールがながれており、ステアリングをにぎる彼は機嫌よさそうに首を振っている。

 大型トレーラーは走行車線を制限速度以下の七十キロで、ゆっくりと走っている。

「あまり速いとさ、いざというとき止まれないだろ」

 とは黒崎の言葉。

 ジャバラの接近を感知しても、走行速度が速いと停止が間に合わず、動きを察知されてしまう。また道路状況をライトニング・ゼロで走査したとはいえ所詮画像検索であり、細かい砂利や流れたオイルは見落とされている可能性もある。無茶な速度で走るのは危険ということだ。

 とはいえ、東北自動車道の路面状態はいい。

 ラクシュミーが地球の軌道に強引に割り込んできた直後、中緯度の温帯地帯では巨大な地震が起きた。それにともない、潮が引いた地域と、逆に常識外れに大きい津波に襲われた地域があった。

 日本の太平洋岸では、一気に潮が引き、船舶が座礁する被害が出た。反面アメリカ西海岸は空前絶後の津波に襲われ、海沿いの都市は壊滅。行方不明者および死者の数はいまだに不明の大災害であった。

 これはラクシュミーの潮汐力によって引き摺られた海面が層となってずれるように起きた津波であり、都市に襲い掛かった海水は、波というより海面といった方が正確だった。そして太平洋の上層が横にずれるカタストロフィーは、四日後、今度は日本へ向けて寄り戻しの大津波を跳ね返らせてきた。

 アメリカ西海岸の被害に比べればまだマシな方だったが、ちいさな島国である日本は、その大津波に国土の一部を洗われ、関東から東北にかけての沿岸は壊滅した。

 都市は流され、流水に形を削られ、超地震を生き残った安心感と虚脱感に埋もれていた人々は、地震から四日遅れで襲ってきた津波に打ちひしがれた。

 ただ、この津波は、政府が組織していた特別対策室の天才的な科学者によって、ほぼ正確に予想されており、その人的被害は最少だった。地球規模の大津波であったにもかかわらず、死者はほとんどいなかったと報道されていた。

 ただし、その被害は内陸部にもおよび、太平洋岸にちかい地域を走る常磐自動車道は泥に埋もれ、もし黒崎たちが北海道を目指すというのなら東北自動車道しか選択肢はなかった。

 ポーラスターは現在、東北自動車道を巡航していた。周囲は平地だが、ここは海のない埼玉県。津波の被害は見られない。街並みに破壊のあとも見受けられず、ジャバラの侵攻もなかった様子。

「つぎのSAで休憩するか」

 まだ東北道をすこししか走ってないというのに、黒崎がのん気に声を掛けてきた。

 退助が、自分に言ったのか倉木に言ったのかが判別できず黙っていると、「ねえ、どう思う?」と黒崎が直接退助に訊いてきたので、「ええ、まあ、いいですよ」と答えた後で、後席の倉木を振り返る。

 黒髪の女の子はとくに反応もせず、だまって画面を見つめていた。その横顔は、つまらなそうでもあり、不機嫌そうでもあり、少なくとも楽しそうではなかった。

「倉木も、それでいいかぁ」

 後席に向かって黒崎が大声を放つ。

「いいです」

 ぼそっとインカムのスピーカーから声が洩れた。

 嬉しそうではないが、すくなくとも不機嫌な声ではないと、退助は良い方に解釈した。

 グッドタイミングで、前方にグリーンの看板が見えてきて、「蓮田サービスエリアまであと一キロ」と表示される。

 黒崎は滑らかな動作でウインカーを点灯させると、左車線に寄っていく。

 車で走ると一キロなんてあっという間。見えてきたランプへ向けてステアリング・ホイールをダイナミックに操作すると、ポーラスターは巨体をゆすってサービスエリアへの側道へ入っていった。


 広い駐車場に車の数は少なかった。だが、ほんの数台止まっていた乗用車の周囲には人の姿がある。

「まだ、逃げ遅れた人が残っているみたいだな」

 ステアリングを回しながら黒崎は乗用車の家族に視線を向ける。

 向こうもこちらを見ていた。

 黒崎は軽快に警笛を鳴らすと、その乗用車のそばにポーラスターを停めた。とうぜん大型車用のゾーンではないのだが。

「退助、先に降りて見ていてくれ。倉木を下ろす」

「あ、はい」

 なにを見ていればいいのか分からなかったが、退助は先にドアを開くとステップを降りた。彼が地面に到達するより先に、ポーラスターの側面ドアが開き、乗降ハッチとなって地面へと伸びる。その中からスチールの大型アームが展開し、先端に観覧車のゴンドラみたいに水平を保った状態で、倉木の乗った車椅子が保持されて地面へと降りてくる。

 かなりのバリアフリー・システムである。

 鉄のアームに、小鳥のように大事そうに抱えられた倉木の車椅子は、ゆっくりと着地し、ロックが外れるとレバー操作でモーターを唸らせ、女子トイレの方へと走行してゆく。

 退助がぽかんとその後ろ姿を見つめていると、いつの間にか降りてきていた黒崎が、「介助はいらないからな。トイレ覗きに行ったりするなよ」

「いきませんよ」

 すかさず突っ込む。

「おう」

 突っ込まれてちょっと嬉しそうな黒崎は、乗用車のそばに立ってこちらを物珍しそうにみている家族づれの方へ歩み寄る。

「こんにちは」

 気さくに話しかけると、若い父親が応じる。

「どうも、こんにちは」

 退助は近づくでなく、立ち去るでもなく、若い父親と黒崎の会話を聞いていた。距離があるため、細かいところまでは聞き取れないが、どうやら静岡から避難してきて、山形県まで行くらしい。

 太平洋岸は地震や津波で壊滅状態。北海道は水没し、日本列島は曲がってしまっている。どこに逃げても安心という場所はない。比較的被害の少ない関西と九州を目指すのが安全かもしれないが、それとて将来の保証はまったくない。だから、両親のいる山形へ行くことにしたと、その父親はあきらめたような口調で黒崎に語った。

 黒崎は相手の家族に同調し、「たしかに今はどこに逃げても安全とは言い難いですからね」とうなずき、お互いに持っている道路情報を交換し合う。

 この家族から得た情報では、東北自動車道は少なくとも福島南部までは使用可能らしいとのこと。だが、彼らはジャバラが恐ろしいので、途中から日本海側へ出るつもりらしい。

 黒崎は家族連れに別れをつげると、公衆トイレへ足を向け、退助もその行動に従った。

 ひとつ空けた小便器で男二人用を足し、売店内へ入る。

 このサービスエリアは水道も電気も健在のようで、屋内には人の姿がいくつかあった。ただし店は閉まっていて人がいない。本来商品が並んでいるはずの棚やケースは空っぽ。

 だがなぜか、自動販売機は動いており、商品は売り切れにもなっていない。そばにいた人の話だと、ベンダー会社だけは活動中で、飲料だけは補充されているらしい。ただし、使えるのは現金のみ。ICカードやネット決済は不可とのことだった。

「コーヒーでいいか?」

「奢ってくれるんですか?」

「ああ。つーか、退助。おまえ、金持ってないだろ?」

「はい、まったく」

 退助は黒崎が買ってくれたホットの缶コーヒーを受け取り、プルタブを引く。

 黒崎が自分の分の缶を開けるのをまって、口をつけた。

「おいしいです」

「だって、おまえ学校で被災して、そのまま避難所暮らしだったんだよな。そりゃ所持金ないよな」

「いえ、少しはあったんですが、避難所で有り金全部あいつらにカツアゲされました」

「あ、そう……。じゃあ、車に戻ったら、今回の作戦の報酬、さきに渡しとくわ。たしか五百万くらいだったと思うけど」

 退助は、ぶっとコーヒーを噴き出した。

「報酬って、そんなに貰えるんですか」

「喜ぶのははえーぞ」黒崎は楽しそうに笑う。「たぶん、ほとんど使わないうちに、俺たち死ぬから」

「まあ、……いまは使えるところ自体、ありませんしね」

 しんみりと、コーヒーを啜る。

「飲んだら、行こう」黒崎は軽い口調でいいつつ、鋭い目で外を睨む。「どこまで行けるか、分かんねえけどな」


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