第25話 ポーラスター 外環道
無人機ライトニング・ゼロは滑るように低空を進んだ。
垂直上昇から水平飛行にうつるところが一番難しいらしいのだが、退助は黒崎に指示されるまま、ノズルの向きをかえつつスロットル・レバーを調整して滑らかに機をスタートさせることができた。
「俺より上手いな」
後ろで煙草を吸いながら、黒崎が嬉しそうな声を上げている。
退助は黒崎の指示で環七通りにそって北上する。道路の状態は倉木の方で画像走査してくれるから、ただ退助は飛ぶだけでいい。
人ひとりいないゴーストタウンと化した東京の住宅街を高速で飛行する。さすがにドローンとは速度のスケールがちがう。慣れないうち退助は戦闘機の速さに目が回りそうだった。
少し進むと、ジャバラが放つ電磁波のパターンをセンサーがとらえたため、西へ針路を変更。大きな道路に沿って進み、環八通りからふたたび北上して、高速道路までのルートをチェックする。黒崎から減速を指示され、外環自動車道への進入ランプを詳細にチェック。
「使えそうだな」
そこを確認した黒崎は、コックピットから出ていく。何しに行くのかと振り返ると、どうやら長くなった煙草の灰を落としに行くつもりらしい。そとの通路から、「ここは禁煙です」と強い口調の倉木の声が響いてくる。黒崎の返答は聞こえなかった。
やがてもどってきた黒崎は、
「よし、環八にまわって、そこから外環に入ろう。おそらく大丈夫だと思うが、外環から東北道までの分岐を走査しておこう」
と、手にした道路地図のページをめくりながら告げる。
退助はライトニング・ゼロをポーラスターの止まっている場所までもどすと、荷台に着陸させた。垂直離着陸機の着陸は難しい。ドローンとは比べ物にならないくらいに。
一度失敗しかけ、仕方なく再上昇し、もう一度位置を合わせて架台のうえにライトニング・ゼロをなんとか下ろした。構造上、架台は多少ずれた機体を正しい位置におさめる設計になっている。ちょっと最後にがこんと揺れたが、無人機は無事にトレーラーの荷台に着地できた。
「うまいうまい」黒崎は拍手で褒めてくれた。「初めてできちんと架台に乗せられるなんて大したものだよ」
「ドローンと全然ちがいますよ。一度横に流れると、元に戻せない」
「でも、そこから立て直したのは流石だな。なるほどドローン操縦の達人なわけだ」
「いや、達人ってほどでは……」
「じゃ、そろそろ出発するか。退助が行く手の道を走査してくれたんで、安心して進めるぜ」
二人してコックピットを出ると、車椅子を前にだしてよけた倉木が、かすかに振り向いて退助を見上げた。
「ありがとうございます。助かりました」
簡潔にお礼だけだった。不必要なことは言わない人だなというのが退助の感想。
退助はちょっとだけ会釈して彼女の後ろを通る。甘い髪の臭いがした。
不必要なことを言わないのは自分も同じだ。いや、もしかしたら必要なことすらきちんと言えていないかも知れない。退助はなにかやもやもしたものを感じつつ助手席に着く。
「じゃあ、いきますか」
黒崎だけが楽しそうに、エンジンをかけた。
ドライブは快調だった。
首都圏から離れれば離れるほど、地震の被害はちいさくなるし、比例して道路の傷みも少ない。路上に放棄された車両の姿も少なく、走行に支障はない。
報道によると、フォッサマグナにそって日本列島は折れ曲がるように変形し、その地域の被害は内陸部から山間部におよぶという。日本海側の富山県から太平洋側の愛知県までは、あちこちに大断裂や地割れ、地滑りがおきているらしい。
だが、東京と埼玉の境目に当たるこのあたりでは、地震による被害も少なく、ジャバラの侵攻もない。
退助たちのポーラスターは、早春の冷たい空気の中、外環自動車道を東北道めざして走行していた。
道は直線。他車はなし。空は快晴で、ドライブは快適だった。だが、そんなときこそ、突然に警報は鳴り響くものだ。けたたましく吠える警告音に、ステアリングを握る黒崎は敏感に反応した。あちこちの画面で「ジャバラ」、「ジャバラ」の四文字が点滅している。
蹴っ飛ばすようにブレーキを踏み、その急減速で退助の胸にシートベルトが喰いこむ。彼は驚いて、ダッシュボードに手をついて身体を支える。
大型トレーラーの巨体が軋み、タイヤが悲鳴をあげる。ブレーキペダルを踏みつけながら、黒崎がもういっぽうの足でクラッチを切り、ギアを落とす。ポーラスターの車体が前のめりにサスを沈み込ませて急停車。
スピーカーから倉木の声が「システム・シャットダウンします」と緊張を孕んで響き、車を止めた黒崎はホイール・ロックをかけてエンジンを切り、「フロンガス、噴射」と手元のコックを引いた。
しゅーっとガスの噴射される音が響き、トレーラーのボンネットから白い蒸気が噴き出す。
「倉木、電磁波のカット、システムの停止、間に合うか?」
「分かりません」黒髪の少女の返答はそっけない。「何に対して間に合うかと訊ねているんですか?」
「ジャバラにキャッチされる前に、こちらの電子機器はすべて停止できるのか?って聞いてるんだよ」
「分かりません。ジャバラのセンサーの感度と帯域が不明ですから。そちらこそ、フロンガスでのエンジン冷却、間に合いそうですか?」
「へっ、こっちは余裕だよ。余裕!」
子供みたいに張り合う黒崎。その目線の先で、ポーラスターの突き出たボンネットから白い湯気が、雪国の温泉郷みたいに噴き出している。
「冷却完了。後部座席に退避!」
黒崎に命じられ、退助は後ろへ走る。後部席ではすでに車椅子を床のフックから解除した倉木が、コックピットのハッチの手前まで避難している。
「奥だ。一番奥へ行け」
黒崎に押されて、倉木の車椅子の隣にしゃがみこむ退助。そして、彼らを庇うように手前にしゃがみ込む黒崎。
「身体を小さくして、呼吸も慎め。あいつらは、電磁波と振動と熱に反応する。奴らのセンサーは、俺たちの持つどんな検出器よりも精確だ。ジャバラのセンサーに比べたら、俺たちの検出器なんてガリレオの望遠鏡と大差ない」
「だとすると、逃げられないんじゃないですか?」
体育座りからさらに身体を縮こめて、退助が問う。
「あいつらは、わたしたちとは感覚が違います。センサーに捉えられても、なぜか攻撃されないことも多い。ずいぶんと気まぐれなんです。だから、攻撃されない可能性に賭けるしかありません」
倉木が車椅子の上でゆったりと天井を見上げている。
もし攻撃されたら、ひとたまりもないことは退助ですら十分に理解していた。ジャバラの飛翔体が装備した攻撃兵器は強力で、核兵器なみの高熱を放つアナイアレイターや、太陽フレアより高温のニトロ・アジャテイターなんかを喰らえば、死んだと気づく前に蒸発させられてしまう。そんな兵器を、旅客機より小さく戦闘機より運動性の高いジャバラの飛翔体『ロクボウ』は通常装備していた。
「しっ」黒崎がささやく。「上を通り過ぎるぞ」
ぶーんという振動が、トレーラーの車体を震わせた。その振動が右から近づいて、あっという間に左へ抜けて行ったのが分かった。
ジャバラの飛翔体は、超音速で飛行しても衝撃波を発しないと聞いたことがある。いまも、振動はあっという間に右から左へフライバイしていったが、空に響くような騒音はまったくなかった。これは地球にはない技術であるらしい。
「行ったな」ふうっと息を吐き、黒崎は胸ポケットから煙草の箱を取り出す。
「禁煙です」冷静に倉木が注意した。
「九死に一生を得たんだぜ。一服くらいさせてよ」
「煙草の火が放つ赤外線がジャバラに察知させるかもしれませんよ」
「んなわけあるかよ」
「暗闇で光るタバコの火を、もしフクロウが見たとしたら、どうでしょう?」
黒崎は諦めたようにため息をつき、腕時計を見る。
「あと十分間だけ様子を見よう」
「十分間経過しても、禁煙ですからね」
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