第17話 退助 被災


 隕石が降ってくるというので、退助の中学で全校生徒へ帰宅命令が出た。

 あのとき、退助はすぐに帰らず教室に残っていた。深い理由があったわけではない。ただ単に、廊下も階段も生徒で溢れていて通れなかっただけの話である。校内放送では、一年生から順番にといっていたが、そんな指示は守られなかった。三年生のなかにも我先に帰宅しようとする生徒が大勢いたし、教師の中にも生徒を置いてまっさきに避難していった者もいた。

 退助が二階の教室から、校庭を早足で去ってゆく生徒の群れをぼうっと眺めていると、教室に入って来た岡ちんが声を掛けてきた。

「おい、神波羅。避難しないのかよ?」

「うん、もう帰るけど、階段が混んでて」

「もう、空いてるよ。早く帰らないと危険だぞ」

「そうだけど、隕石が落ちてきたら、学校も家も危険でしょ」

 そんな会話をしている最中だった。突然、殴られたように突き上げられ、退助と岡ちんは廊下の方に吹き飛ぶ。同時に教室中の机もいっせい吹き飛んでいた。

 なんだか分からなかった。あとで考えたら、二人とも窓際にいて幸運だったと思う。あいるは揺れが廊下方向で。

 運が悪ければ机の波に押しつぶされたり、窓から外に放り出されたりしていたことだろう。

 机とともに吹き飛ばされた退助と岡ちんは、激しくシェイクされる教室のなかで、右に左に動く机の波に揉まれ、スチールに打ち付けられる。

「机の下に入れ!」という岡ちんの声をきいた退助は、必死の思いで机の下に潜り込み、冷たい脚につかまる。無我夢中で机にしがみついてやっと、退助はそれが常識外れに大きい地震だと気づいた。

 揺れは永遠かと思えるほど続き、やがてぴたりと治まる。

「余震があるかもしれないから、ちょっと待とう」

 岡ちんの言葉に従って、しばらく待っていた退助は、やがて聞こえてくる救急車のサイレンと遠くでさけぶ「みんな無事かー!」という教師の声に耳を澄ます。

 岡ちんが動き出したので、そっと机の下から出た。

「だいじょぶか?」

「うん」

 二人して、壁際に寄ってしまった机の山から抜け出し、教室の窓から外をのぞく。

 校庭にはしゃがみ込んでいる生徒が何人もおり、校外に目を移すと、黒い煙があちこちであがっていて、町全体が黒い靄に包まれていた。

「すごい地震だったな」岡ちんは首を伸ばして、おそらくは自宅のある方向を透かし見ている。「おれ、とりあえず一度、家に帰ってみるよ。神波羅はどうする? 場合によってはこのままここに残った方が安全かもしれないぞ」

「ぼくも家に行ってみる。どうなってるか心配だし」

「わかった。じゃあ、ごめん。先に行くわ。おれ、カバン、部室に置きっぱだし」

 岡ちんは小走りに教室を出て行く。退助も机の下に埋まっていたカバンを掘り出して、教室を出た。


 ただ、そのあと退助は家に帰ることはできなかった。

 途中で生活指導の先生に見つかり、危険だから体育館に避難しなさいと命じられたためだ。学校の体育館がこの地区の臨時避難所に指定されているらしく、そこにいれば家族とも合流できるという話だったし。

 体育館にはすでに退助の他に何人もの生徒がいた。怪我の治療を受けている男子やわんわん泣いている女子、ダンボールを運ぶ教師とそれを手伝っている生徒もいた。

 退助も先生の指示で緊急避難用の毛布や防災セットを運ぶ手伝いをした。そうこうしているうちに付近の家族が何組も避難してきて、体育館の床に場所取り始める。

 大型テレビが真正面におかれ、それが情報源となる。ラジオを持ち込んでいる人もいた。ただし、スマホは繋がらなかった。通話もできないし、ネットにも繋がらない。メールも送れなかった。テレビのニュースでは、「通信障害が起きています」とアナウンサーが神妙な顔で報道していた。

 結局退助の家族はその避難所には姿を見せず、その夜は連絡がとれなかった。いや、結局その後ずうっと、家族とは連絡は取れていない。そしてそれは、地震の被害にあったほとんどの人が同じであった。


 退助たちは、この避難所に三日ほどいた。

 その日のうちに飲料水と非常用食料の配給があり、それらを自動車で運んできた区の職員はすぐにもっと資材を運び込むことを約束して帰っていった。毛布、電気ストーブ、医薬品。いずれも足りなかった。職員は、それらをすぐに追加すると言っていた。

 しかし翌日、区の職員はこなかった。その翌日も来なかった。

 テレビでは、惑星ラクシュミーから異星人が襲来したことを大声で報道していた。

 やって来た異星人が巨大な宇宙船を海の上に着水させて、小型の宇宙船を何機も発進させたことをまくしたてている。

 流れている映像は、海上の巡視船がとらえた宇宙船だという。ニュースキャスターは、これはCGではないと、何度も繰り返していた。

 異星人の目的がなんなのか、いったい何のために海の上に巨大な宇宙船を浮かべているのか。報道ではいっさい語っていなかった。異星人の巨大宇宙線は全部で七機。それらが太平洋と大西洋、インド洋、地中海なんかに展開しているらしい。

 なにかテレビの報道が非現実的に思えた退助は、くるまっていた毛布を抱いて体育館の外に出た。毛布を持ち歩くのは、盗まれないためである。盗まれてしまったら、補充はない。そして、夜はとてもじゃないが毛布なしでは眠れないほど冷え込む。

 早朝の校庭をすこし散歩した。

 すでに日は高くなっていたが、気温はあまりあがっていない。その日は雲が厚かった。十二月の末である。そういえば今日はクリスマスではないか。それどころではないけれど。

 空を見上げると、異様に大きな白い月が見えた。真っ白で、表面が、碁盤の目のような幾何学模様で覆われている。それが惑星ラクシュミーであると気づくのに、退助はしばらくかかった。

 あの惑星が、こんな近いところまで地球に近づいて来ていたのだと、退助はこのとき初めて知って、心底驚いた。


 食料の配給は最初のいっかいだけだった。

 みな腹をすかし、いらいらしていた。なぜ区の職員は来ないんだと、先生に噛みついているおじさんがいた。だが、どんなに大声を上げても区の職員に連絡はつかない。電話もメーも繋がらないのだ。区役所に行って見てくるといった先生が、自分の車で出発したが、先生はそれっきり帰ってこなかった。そのあと何人かの大人が徒歩で区役所までいって見て来たらしい。帰ってきて、「だれもいない」とぼやいていた。


 テレビのニュースでは、大地震の被害は日本全体におよび太平洋岸、日本海側等しく被害を受けたと言っている。そして、復旧作業は急ピッチで進んでいるとも。ただ、東京の被害がとくに大きく、避難民を他県へ移送すると報道していた。


 大人たちが協議し、なんとか都へ、ここに避難民がいることを伝えようと話していた。きっと自分たちのことを知らないにちがいない、とそういう結論だった。


 突然日本を襲った超地震。これがどんなに大きな地震であっても、いずれは復旧したことだろう。それが「地震」だけだったなら。

 だが、とうぜん災害はそれだけでは済まなかった。いや、済んでいなかったわけだが、避難所の大人たちはそんなこと全然知らなかった。

 いや、きっと想像すらしていなかったことだろう。


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