第2章

第12話 孔冥と秀吉 潮汐力

 惑星ラクシュミーが急に軌道を変えたのは、最接近の五日前だった。

 テレビのニュースでそれは報道され、と同時に地球への衝突はありませんという説明もされていた。計算により導かれる最接近時の地球との距離、「三十五万キロ」。

 この距離「三十五万キロ」に関してワイドショーでは、「月までが三十八万キロですから、それとほぼおなじくらいです」と司会者が語り、コメンテイターが「月まではアポロ計画でも四日かかりましたからね」と答えていた。

 ロケットで四日もかかる距離。そこをラクシュミーが通過するだけなら地球にはなんの影響もないだろうと、世界中の民衆が安堵していた。

 が、そんな嘘の報道に立腹している者もいた。

 深宇宙研究所の若き所長、千石孔冥である。


「おい、なんだあの報道は。政府がなにか圧力でもかけているのか?」

 とりあえず持ってきた手土産を邪魔にならない場所に置きながら、秀吉は弁明した。

「国民の不安を故意に呷るような報道は控えるようにとマスコミには通達してある。が、三十五万キロはたしかに、相当遠い距離だぞ。月より近いとはいえ」

「月はもともと異様に地球に近い。太陽系の中でも、不自然に近い衛星だ。それよりもさらに近い距離で大惑星が通過するんだぞ。いいからお前も、すぐに家に帰って災害に対する準備をしておけ」

 秀吉は狭い研究室いっぱいに積み上げられた通販の段ボールを見回して嘆息した。

「で、これがおまえの用意した災害対策の備品か。こんなに必要か?」

「所長室にはこの三倍の量がある。この研究室には僕をふくめ十人の人間が勤務しているからな。まだまだ増やす必要がある」

「たしかにラクシュミーは地球の近場を駆け抜けるが、ただそれだけだろう?」

 秀吉はちょっと呆れて肩をすくめた。これが孔冥の逆鱗に触れたのだが、天才科学者は天才なりの自制心で感情の爆発を抑え、秀吉に語りかけた。

「潮の満ち引きは、どうして起こる?」

「え?」虚をつかれた秀吉はすこし考えて答えた。「月の引力だ」

 答えてから、あれ?と思った。

 たしかに月までロケットでも四日かかる。だが、その距離でも月の引力は、地球の海を満ち引きさせるほどの影響をあたえている。ということは、ラクシュミーの通過は地球の環境へもいろいろと影響を及ぼすのだろうか?

「月の引力で、海面が引っ張られて盛り上がり、海岸で水位がさがる。秀吉、おまえは教科書に載っていた海の干潮を説明した図を思い出すことが出来るか?」

「ああ」

「あの中で、盛り上がっている海面は、月に近い側と、その反対側だったことを覚えているか? 月に向いた海面がその引力で盛り上がるのは分かる。ではなぜ、地球の反対側の海でも、海面が盛り上がって干潮が起きる? 海面が引っ込むのなら分かるが、なぜ地球の反対側でも海面が盛り上がるのだ?」

「え、いや、……それはわからんが?」

「潮汐力だ。潮汐力という力が働いているんだ」

「うん、そう……なのか」

「月は地球より小さいが、それでもその重力によって地球を引っ張っている。が、引力は距離が近いと強く、遠いと弱い。地球に近い側の海面は強い月の引力によって引っ張られている。そして、地球の中心は、それよりも少し弱い力で引っ張られている。さらに地球の反対側では月の引力はもっと弱くなる。すると、月の引力の弱い反対側では、弱い力ともっと弱い力が相殺しあって、あたかも逆方向に引っ張られているように見える『力』が働くんだ。これを潮汐力という。つまりこの潮汐力によって、地球はいつも月の重力場の中で、左右に引っ張られた状態であるというわけさ」

「左右に引っ張られている? 地球がか?」

「そうだ。と同時に月も地球から左右に引っ張られている。そのため、月はいつも地球に同じ面しか向けていない。月は二十八日で地球の周囲を一周するが、その間に地球に対して一回自転する。それは地球に左右から引っ張られて引き延ばされ、無理やり自転させられているともいえる。もっとも、宇宙空間だから、一度回り始めればいつまもでも回り続けるものなのだが」

「ちょっとまて、左右から引っ張られるという事は、もしラクシュミーが地球に最接近すれば……」

「月より遥かに大きい天体が、月より近い場所を勢いよく通過する。なにが起こるか分からん。それよりも僕の心配は、ラクシュミーが地球の衛星軌道に乗ってくることだ」

「地球の衛星軌道にだと? それはつまりラクシュミーにいるかもしれない異星生命体の侵略の可能性か」

「それ以前に、地球の衛星軌道に大惑星が乗ってくれば、両者は連星の関係になるだろう」

「それは加賀も言っていたな。だが、そうなると、……どうなる?」

「まずは、カレンダーが狂うな。あとは、夜が来る」

「夜?」

「ああ。ラクシュミーが地球の太陽を、半分奪う。何日も夜が続く日が来る」


 孔冥はこのあとも未来を正確に予測し続けた。しかし、正確に予測しても、それらはどうにも対策のとれない問題ばかりだったし、外宇宙からやってきた妖星はしばしば孔冥の予測をも上回った。


 だがしかし、このとき孔冥が予測した、ラクシュミーの夜は的中し、人類の滅亡を速める最大のトリガーとなるのだった。


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