第7話 ポーラスター


 神波羅退助は、ブシの群れが去ったあとも、その場にうずくまり続けた。地面の上で丸くなり、そのまま地底にまで沈み込んでいこうとしていた。そんな彼の襟首をつかんで無理やり立ち上がらせたのは、あの大人だった。そう、彼を見捨てたホームレスの男。

 男は起重機のような強い力で退助のことを半ば持ち上げるように立ち上がらせると、まっすぐ目を見つめてたずねてきた。

「神波羅、退助くん?」

 すぐに違うというべきだった。が、ちょっと間があいてしまう。しかも、退助は自分の視線がゆらゆらと揺れているのを自覚した。そんなつもりはなかったが、どうやら自分は動揺しているようである。

「なんでしょう」

 肯定したわけではないが、肯定したのと変わらない返事をしてしまった。

「今が緊急事態だということは知ってる?」

 男は噛んで含めるように言った。

「ええ。はい、それはさすがに」

「これは超法規的措置だが、日本政府は君を徴用することを決定した。拒否はできない。ただし、高額の報酬はきちんと支払われる」

「あの、難しい言葉が多くて……。どういう話──」

「いいから、一緒に来い」

 退助の言葉をさえぎって、ホームレスの男は強引に襟首を引っ張る。

「あの……」

「とにかく今は避難が先だろう」

 たしかにそうだ。

 退助が自分の足で歩きだすと、男は摑んでいた手を離す。

「下の駐車場に車を止めている」

 男は早足で歩く。退助がついていくのに必死なほどのスピードだった。

「こんな場所にブシが出るとは予想していなかった」

「あいつらは、あちこちに現れます。思いついたように現れて、目の前にいる人間の首を刈る」

「自己紹介が遅れたな。俺は黒崎刹那。自衛官だ」

 内ポケットから出した手帳をちらりと開いて見せる。顔写真と陸上自衛隊の文字。あとは「特殊作戦群」という所属。だが、退助にはそれが本物なのか偽物なのか分からない。

「自衛隊がなぜぼくを?」

「俺はおまえを連れてこいと命じられただけだ。なぜと問われても答える権限がない」

 黒崎は足を止め、ちょっとだけ振り返って退助を待つ。

「ジャバラのブシに対する、あの死んだふり作戦。見事だったな」

 黒崎はにやりと笑った。

「だって、他に方法ないでしょ。戦っても勝てないし、逃げようにも向こうの方が速いし」

 退助と黒崎は肩を並べて避難所への道を急ぐ。黒崎の言う下の駐車場とは、避難所のある学校の駐車場らしい。体育館の裏を抜け、校舎の方へ向かう。

「見るな」

 裏庭の手前で黒崎が警告したが、間に合わなかった。退助は裏庭に累々と転がるたくさんの遺体を目にしてしまう。それらのすべてが、首を刈り取られていた。アスファルトの地面も、コンクリートの壁も、飛び散った血で真っ黒。なにか悪趣味な前衛芸術でも見ているようだった。

「助かった人がいるかもしれないが、いまは救出部隊を寄こせないな」黒崎が言い訳するようにつぶやく。「まだこの辺りにブシの群れがいると考えるのが妥当だろう。二次災害の危険がある。それより無事な避難民へ移動を通告した方がいい」

 言いながらスマートフォンを取り出し、画面を操作する。

「繋がるんですか?」

 退助がたずねると、黒崎は短く「優先通信だ」とだけ答えた。

「さあ、行こう。このあたりも安全でないとなると急がなくちゃならない。といっても……」

 そこで黒崎はスマートフォンをしまい、退助に笑顔を見せた。

「俺たちがこれから向かうのは、ここよりも酷い地獄、だけどな」


 黒崎が言った「下に止めてある車」というものを、退助はてっきり乗用車であると勘違いしていたのだが、じっさいには軍用トレーラーであった。しかも超大型である。

 全長30メートルの巨体に18輪の大型タイヤ。連結器をもたないフルトレーラー方式。大型バスのような車幅と、通常よりあきらかに高い車高。コンテナ部は金属で被覆され、運転席は長く、後ろ半分は窓のない居住スペースであるようだった。

 狭い駐車場から前半分を車道に飛び出させて駐車している。この、地上の戦艦みたいなトレーラーを右から左へ見て、退助は思わず「これに乗るんですか?」と間抜けな質問をしてしまった。

 が、黒崎はちょっと自慢げな表情で振り返り、「そうだ。これで行く」と嬉しそうな声でこたえる。

 そして足早に運転席にちかづくと、側面にとりつけられた搭乗用の梯子をのぼって、もう一度嬉しそうに振り返る。

「どうだ、すげえだろ。その名も、ポーラスター号だ」

 退助は、口の中で「子供じゃないんだから」とつぶやき、黒崎に続いて梯子に手を掛けた。

 超大型トレーラーの運転席は高く、まるで建物の2階にいるよう。梯子をのぼって、大きなスライド式のハッチの中をのぞくと、運転席と後席、さらに後ろに潜水艦の通信室みたいな、機械に埋もれたスペースがある。

 何枚ものモニターとマイク、2組のキーボードがならぶ壁面のまえに座っているのは、背中まである黒髪の小柄な少女。彼女は床に固定された車椅子におさまって、入って来た退助をじっと見つめていた。

 退助はすこし驚いて彼女のことを見つめ返してしまう。

 黒革のタンクトップからは胸の谷間、デニムのショートパンツからは生足が露出している。ただしその生足は膝までしかない。膝から下は金属アームがぴかぴかと光る義足。義足のさきには、アシックスのスニーカー。

「あれは倉木ね」

 黒崎が運転席から大声で簡単に紹介する。

「倉木です。よろしく」

 紹介された彼女はぶっきらぼうに会釈した。愛らしい唇からこぼれる声はかわいらしいが、口調はつっけんどんだった。

「どうも、神波羅です。よろしくお願いします」

 といっても、何をよろしくだか分からないのだが。

 退助が彼女に背を向けて後部シートに腰を下ろすと、運転席の黒崎が声を掛けてきた。

「前に来いよ。こっちの方が眺めがいいだろう」

 そうかもしれないと、退助は立ち上がって助手席まで歩いて行く。あの女の子のそばにいるのはちょっと緊張するし。

 トレーラーのコックピットは退助の住んでいたマンションのリビングよりも広々としている。ひじ掛け付きの大きな助手席に座ると、目の前と横はワイドな視界の窓。眺めは良く、視点も高い。まるで旅客機の操縦席についたような気分だ。

「よし、出発しよう。倉木、ナビをよろしく」

「はい」

 ぶっきらぼうな声がダッシュボードのインカムから低く響いた。

 黒崎が楽しそうにサイドブレーキを外し、電子ホイール・ロックを解除する。流れるような動作でブレーキ・ペダルを踏み込み、ギアを入れ、アクセルを吹かすと、乱暴にクラッチをつないだ。

 がこんと身震いして、大型トレーラーが動き出す。

 退助はシートベルトを締めた。

 これからこのトレーラーがどこへ向かうのかは知らない。だが現在、日本はどこへ行っても安全な場所なんてない。九州中国地方は比較的安全だという話だが、あの地域とて、異星人の殲滅兵器──そう、あの富士山を吹き飛ばしたビーム兵器──の射程内である。

「右へ」

 倉木の声が告げ、黒崎はウインカーを点滅させた。

「とにかく一度東京を目指します。走行可能なルートを探らないといけないので」

「おう、そうだな」

 黒崎が楽しそうにアクセルを踏み込み、超大型トレーラーは下り坂を加速しだした。

 まずは東京か。

 退助は暗い気持ちになる。

 あそこには、行きたくなかった。いやな思いでしか、ないから。


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