第25話 魔物

-近くの森-


ベルは森の奥に行くにつれ、森の雰囲気が変わっていく事に気がついていた。森に入った当初は、鳥のさえずりや、動物の気配がした。しかし、ここではそういう気配は一切感じられない。そしてベルが新たに感じたのは、魔物の気配である。


(ここはさすがに、素人が訪れる場所ではありませんわね・・・)


魔物の気配はここからだいぶ距離があるが、こちらに気付かないとは限らない。


『クルス、やはり戻り――』


「あっ。あそこなら、いっぱいありそうだ!」


元のところに戻ろうと、ベルは声をかけようとしたとき、クルスの大声で遮られた。クルスは草が生い茂っている方へと走っていく。


『もう、待ちなさい』


ベルはクルスの後を追っていく。


「すごい、薬草だらけだ!」


クルスがどうやら薬草の群生を見つけたらしい。ベルが近づいていくと、一生懸命に薬草を採集しているクルスの姿があった。


(参りましたわね。このまま採らせてもいいですが・・・どうやら魔物がこちらに気付いたようですね・・・)


魔物がこちらへ向かってくるのを、ベルは感じていた。ベルはどうしようかと迷ったが、ひとつの結論に達する。


(クルスに戦闘訓練をやらせましょう。考えていた予定とは多少違いますが、誤差の範囲ですわ)


エルフだったとき、も握ったことのあるベルは、クルスを一流の剣士とは言わないものの、一人前には育てようと考えていた。猫の姿のため、身振り手振りの指導はできないが、ベルは口頭で、クルスを指導できるだけの技術と知識は持ち合わせていた。

ベルの当初の予定では、クルスを薬草採集に慣れさせた後、ゴブリン1体で戦闘訓練させるつもりだった。そして今こちらに向かってくる魔物も1体だけである。


(単体なら問題ありませんね)


方針が決まったところでベルはクルスに声をかけた。


『クルス』


「なに? もうちょっとで終わるから待っててよ」


しゃがみながら、熱心に手を動かしているクルス。


『もうすぐ魔物がこちらに来ますの。剣を構えてください』


「魔物!?」


ベルの一声で、しゃがんでいたクルスが飛び起きた。


『あちらから来ますわ』


ベルの視線が森の奥のほうへと向けられた。クルスは薬草の入った袋を投げ捨てると、急いで鞘から剣を抜き、ベルが見ている先へ剣を構えた。


程なくしてクルス達の前に1体の緑色の魔物が現れた。

魔物は二足歩行しており、肩幅の広いガッチリとした体躯たいくだ。背丈も人間の大人より高い。上半身は裸で、腰布を巻いている。そして右手にはの長い戦斧せんぷが握られていた。その魔物は良い獲物を見つけたと言わんばかりの、不敵な笑みを浮かべている。


『あれはという魔物ですわ。あのダンジョンにいた魔物ボブゴブリンより、力量は下なので安心してください』


ベルはクルスを安心させようとしたのだが、クルスにとって魔物と対峙するのは、これで2度目だ。魔物のことなど全く知らない。そのためのクルスにとって、魔物の大きさがすべてである。ボブゴブリンより大きいハイオークは恐怖そのものだった。


「お、大きすぎるよ・・・。無理だ。早く逃げないと・・・」


クルスはハイオークを目の前にして完全にひるんでいた。


『逃げるにはもう遅すぎますの』


「それなら魔法でやっつけて!」


クルスがベルに叫ぶ。ベルはというと、普段とまったく変わりない。


『いけませんわ。それではクルスの戦闘訓練になりませんもの』


『せ、戦闘訓練?』


寝耳に水のクルス。何をしていいか分からず、今にも襲いかかろうとしているハイオークの前で、クルスはあたふたしているだけである。


(世話が焼けますわ・・・)


ベルは魔法を唱える。するとベルの目の前に小さな白色の玉が現れた。そしてすぐに緑色へと変化する。

ベルはすぐさまその玉をクルスに向けて飛ばした。クルスに玉が当たると、玉は緑色の半透明な膜のようなものに変わり、クルスの身体を覆った。


『クルス、あなたに身体強化の魔法をかけましたわ。これで死ぬことはありませんの。まずは、戦斧から身をかわすのです』


「このモヤモヤしてるのが? 本当にだいじょ――」


クルスがベルに返事をしようとしたタイミングで、ハイオークが戦斧を振り上げて、クルスに襲いかかった。


「ひっ・・・」


クルスは小さな悲鳴を上げながら、剣のつかを両手で強く握りしめ、膝を少し曲げて身構えた。


ハイオークの振り上げた戦斧が、クルスの頭を目掛けて真上から振り下ろされる。その瞬間、クルスは横へと飛んだ。空を切った戦斧の刃が地面へと突き刺さる。その隙に斬りかかればよいのだが、クルスは動けない。


『そこですわ!』


クルスがまともな攻撃ができないことを知ってるにも関わらず、ベルが応援している。もちろん必死になっている、クルスの耳には届いていない。


力任せに地面から刃を抜いたハイオークは、もういちど戦斧を振りかぶって、クルスに向かってくる。戦斧の刃を斜めにしたハイオークは、今度はクルスの胴を狙って真横に振り回した。とっさにクルスは後ろへと飛ぶ。またも空を切る戦斧。うまく躱せたとクルスが思った瞬間、クルスに迫るのをやめないハイオークは戦斧の向きを返して、反対側から振り回してきた。


「クソッ!」


躱している時間はないと、クルスは向かってくる戦斧の方へと剣を構えた。そして向かってくる戦斧へと剣を振りかざした。そのときベルが叫んだ。


『まずいわ!』


戦斧と剣が交じ合った瞬間、ベルにもハイオークにも予想だにしないことが起きた。クルスの振り下ろした剣の刃が、戦斧の柄を真っ二つに斬った。分かれた戦斧の刃はグルグルと回転しながら、クルスのすぐ横を通り過ぎる。そしてクルスが立っている後ろの木に突き刺さった。

戦斧を斬った剣は、そのままハイオークの上半身を切り裂いた。ハイオークの切り裂かれた胸から緑色の液体が勢いよく噴き出す。ハイオークは唖然とした表情のまま、クルスに緑の液体を浴びせ、前のめりに倒れた。


「・・・」


『・・・』


クルスとベルは無言のまま立ち尽くしていた。

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