オープニングⅢ
多分、まだ続くかもしれないオープニングからスタートです。
・月無き夜の儀式
あれは五日前だったかな、その日僕は何故か夜明けが来る前に目が覚めた、砂漠の夜に冷えたからか、突然の尿意だろうか? そんな風に考えを巡らせていると、物音と扉の外で動く何者かの存在に完全に目を覚ました。
音の主は裏口から出て行ったようだが、こんな時刻に一体誰が?
寝台を抜け出し、裏口の扉を慎重に開く、この日は新月だったのか雲が空を覆っていたからだろうか、月も星も無い夜の中、ランタンの灯火だけが集落の外へ行くのが見えた、その揺らめく灯火に照らされていたのは今も寝台で夜明けを待ち寝ている筈だと思っていた妹のマウアーだった、声をかけようと思った、しかし僕にそれは出来なかった。
そこにいたマウアーはまるでマウアーとは別の生き物ではと感じてしまったのだ。
マウアーの横顔には今まで見た事も無い艶然たる微笑みがあったのだ、いつもの子供の様に無邪気に愛らしく微笑むマウアーには見えなかったのだ。マウアーは駆け足になっていた、今のマウアーは一体なんなのだろう、一抹の不安と疑問を胸に僕はそれを追いかけた。
そうして辿り着いたのは子供の頃に見た無貌の女神の神殿であった、そしてそこに待っていた人物がマウアーの持つランタンで照らされる、ニオ兄さんだった。
マウアーがニオ兄さんに飛びつくとニオ兄さんはマウアーを抱き寄せ頭を撫でる。
その上で更に口づけも交わす、そうかそういう仲だったか、まぁそうなる事は頭の中で予感していたんだ、両親も集落のみんなもそう思っていたのだから、兄である僕がそう思わないと言うのは、鈍感でも無ければありえないだろう。
僕は溜息を一つついてから、二人が神殿へ入っていくのを見送って、家路を辿る事にした。
『なぜ、だれも手を貸してくれなかったのか』
『に、ニオ兄さん、それは、その、大人やお爺達にも事情があったんだよ、きっと』
『手を貸していれば、父は死ななかった、母も助かった、そうだろう! クロノ!』
『う、うう……ぼ、僕に言われたって、何も分からないよぉ』
『クロノ! 何故だ! 何故、父と母に誰も手を貸してくれなかったのか!』
『兄さん、怖いよぉ』
『!? …………すまない』
ニオ兄さんの両親はどちらも無くなっている、母親は病魔に、父親はその病を治すための薬草を手に入れようとして魔物の牙に、その直後から短い期間であったがニオ兄さんは隣人を罵り孤立していた時期もあった、でも今ではそのわだかまりも過去のものである、ニオ兄さんは僕等や村の皆にとって家族も同然なんだ。
ただまぁ、こんなに早くなるとは思わなんだである、マウアーは成人したとはいえまだまだそういった男女の機微に疎いと思っていた、まぁ打ち明けられた時にわざとらしく見えないように今から驚く練習をしておくとするかなぁ。
……………………あれ? なんか…………おかしくないか?
そうだ! 神殿だ、二人はその中へ入って行った、これはおかしな話だ、神殿の扉の鍵はお爺達が厳重に保管している筈、入ることは出来ない筈なんだ、それなのに。
僕はこの状況に対しての不信と不安に惹かれるように神殿の方へ振り返った、その刹那の出来事であった。
穢れた魂の絶望、苦痛、そう言ったものと形容すべき存在が一陣の風となって僕の精神と生命を犯すかのように吹いて来るのを感じた。事実それは感じただけでなく左胸への激痛となり襲い掛かって来た、思わず片膝をついてしまう、何が起きているのだろうか、それだけを知りたくとも暗闇と痛みが状況の把握を妨げる。だがこの痛みを忘れてしまうような事態はこの後に起きた。
「――――ッ!!!」
「マウアーの……悲鳴? ……神殿で何かあったんだッ」
マウアーの悲鳴に痛みを忘れて暗闇で足を取られながら転がるように神殿への道を戻り、神殿の扉はわずかに開かれており、そこからは光が漏れ出ていた、僕はその光を頼りに飛び込んだ。そしてそこで僕は瞠目する事になった。
女神像の前に、鮮血を思わせる色で輝く魔法陣があった、そこからは赤黒い靄の様な物が軟体の海洋生物が持つ触腕の様な形状を取りながらあふれ出し、理解出来ないいや、したくもない謎の舞踊を狂うように踊っていた。そしてその傍らには。
「に、ニオ兄さん、なんでこんな事に、それにマウアーに何をしているッ」
「おまえは運がいい。どうせ妹をつけて来たのだろう。この神殿とその周囲は、我が神の腕の内。我が贄としてささげた集落の衆人どもを死出の眠りへと誘う太古の女神の至らせ給うた、いと深き霧もここには届かぬのだからな」
「な、何言ってるんだよ、ニオ兄さん、集落の皆が贄? 冗談だろ」
子供の頃からの唯一無二の親友で兄として尊敬する相手、そして妹が慕情を向ける相手であったはずのニオ兄さんは妹の首筋に牙を突き立て血を啜っていたのだった。
やがて満足いくまで啜り終えたのだろうか、僕の方を向いて口端を吊り上げ、悪夢の様な冗談と思いたい話を始めた。妹はニオ兄さんの腕の中で意識を失い首を垂らしている、わずかに痙攣も見て取れる、今すぐに処置が必要な状況だ、なのに。
(う、動けない、僕は恐怖しているッ、この状況にッ、僕は圧倒的絶望を感じ取っているッ、今動けば、僕に待っているものはッ)
「とはいえ、お前も贄であることに変わりはない。それ故、そして、いずれはお前も太古の女神の御許で永久の眠りにつくことになる。お前の両親や、オアシスに隠れ住む臆病者達と同じ様に」
動けない僕とは裏腹にニオ兄さんは子供の様に無邪気に心の底から楽し気に、声高に笑った。何が、何が面白くて笑っているんだ、ニオ兄さん。
「とても素晴らしい事を想いついた。友情の証として、お前には選ばせてやろう。
マウアーだけは花嫁としてつれていくつもりで血の契りを結んだが、やはりここに
残す。そうすれば、いずれこの女は血を啜り喰らう魔物として目覚め、お前を殺す
だろう。死にたく無ければ、次の払暁にこの女を朝日の下に晒せ。それで、この女は灰となって滅び去る。でなければ、再び夜が訪れた時にこそ、お前の命は妹に啜り
取られることになる。まあ、好きな方を選べ」
そう言い終えると、ニオ兄さんは蝙蝠の群れとなって、僕の傍らをすり抜け、飛び去って行った。何が何なのか分からない、紅く怪しく光り輝く魔法陣、無数の触腕の如く踊り狂う赤黒い靄、傍らで青ざめたマウアー。
僕は糸の切れたように崩れ落ちたのだった。
以下次回! まだ終わりません、ただ次で終わる筈です、いや、終わらせる
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